ボランティア以上に過重な東京五輪労働への懸念
東京オリンピック・パラリンピックのボランティアは、とりあえず目標の人数には達したようです。
一方で、そのうちの何割が離脱するのか、実際に来てくれるのか、さらには専門性の高い運転などの移動サポートなどの集まりにくい業務の補充人員など、まだまだ課題は多いと思います。
外国人材が多いことも懸念されていますが、国際的なスポーツボランティアの界隈では、わりとマネジメント層は慣れているのではないかと思われます。簡単なコミュニケーション程度なら、スタッフ同士でもすぐできるようになるでしょうし。
ところで、ボランティアに参加する人は、ある程度、利他的な意識もあるでしょうし、珍しい経験ができるという利己的な目的も達成でき、業務量に対する負担感は少ないのではないかと予想しています。本当に大変だと思ったら、それこそ簡単に辞めるでしょう。
一方で、簡単に辞められないし、責任を重く背負っているのが、普段から東京で働いている、あるいは期間限定で送り込まれるはずの地方の労働者です。宿泊・清掃・飲食・交通・警備・小売等のさまざまな業種の人たちは、このオリンピック期間は大変な繁忙期になることが予想されます。
そのあたりのことが、下記の連合総研のレポートにまとまっているので、ご紹介です。
オリパラを支える人々のやりがいを守る−そのための健康安全対策−(PDF)
1964東京五輪時の宿泊業から
なかでも興味深いのが、帝国ホテルの労働組合の執行委員長の寄稿です。
帝国ホテル労組30年史によると、帝国ホテルの料理長が選手村の料理長を任されたものの、ホテル業界のコックだけでは手が足りず、全国からかき集められた150名もの洋食店のコックたちとの共同作業であった
とのことです。
忙殺される地方のコックたちは、我慢の限界を越え、総引き揚げ寸前であった。現場責任者は社長に詰め寄り禁酒令を解かせ、そして墨字で「オリンピックは日本の面目」と大書きし、コックたちにこう言った。「飲んでもいいから外には出るな」と、翌朝見ると「空瓶が並んでいるわいるわ」責任者は思わず笑いだしたという。
全然笑い話ではないですね。日本の面目のために、忙殺されながらもなんとか乗り切った当時の状況が伺えます。
現在東京のホテルのベッド数が10万ほど、外国人観客の一日当たりの客数が8万人と予想されており、ボランティアの宿泊先とかを考えなければ、一応ベッド数は足りるようです(←足りてない)。
もちろん、稼働率はずっと100%です。ホテル内に滞在する時間帯もおそらくバラバラになるため、通常よりも長時間スタッフを配置する必要も指摘されています。
加えて、10000人以上の選手と関係者が選手村に宿泊します。その数は約17,000床、その管理運営は誰がするのか不明ですが、清掃・メンテ人材の取り合い合戦が予想されます。
レポートでは、現状のホテル業界の就労状況を踏まえると、現スタッフの長時間労働が助長されるのではないかとし、勤務インターバル制度の導入などを訴えています。
宿泊業だけでみても、この状況です。
リクルートワークスは、大規模かつ一過性の雇用が81.5万人分生まれるとしています。そのうち、約30万人は建設業なので、2020年の五輪期間に必要な雇用は約50万人と推計されます。こうした短期的な雇用を一番歓迎しているのは、派遣業などの人材業界だと思いますが、ボランティアに10万人近い雇用を取られつつ、さらにさまざまな業種で人材の取り合いとなり、集まらなければ、既存のメンバーで不足分を補うために働くことになります。
オリンピックがもたらす雇用インパクト | 就業構造・人材移動
下記の記事では、ボランティアの11万人も加味して92万人としていますが、懸念事項は同じです。そして打開策は「外国人労働者」だそうです。なぜ、いま国会でホットなのかは、このへんの事情も考えられたものですね。
ボランティア募集が既に始まっていて人材の青田買いが始まっていることを考えると、短期間のアルバイト募集といえども、こちらも早めに募集を開始しないと人材不足のツケは現スタッフが負うことになります。
その先にあるのは、オリンピックなんてやらなきゃよかったという後悔で、同じことが大阪万博でも起きるのではないかという不安しかありません。本来、子どもたちに夢を見せる場であるはずのところで、大人が負の感情を見せてしまうのも、あまりいいものではないですね。
こうした文字通りお祭り騒ぎの五輪期間を、個人レベルで可能な限りストレスなく過ごすために必要なのは、「東京以外の場所で過ごすこと」です。リモート勤務でもサバティカル休暇でも、観光客の減少が予想される地方に行けば、歓迎されるかと思われます。尤も、地方でも東京への出稼ぎ人員の流出で、人手不足かもしれませんが。
ボランティアのことばかりが注目されがちですが、ふつうに働いている、ふつうの人たちも、とっても大変なことが予想される、というのは、懸念事項として考えておきたいです。
「文系大学教育は仕事の役に立つのか?」という問い
タイトルの本を読みました。
タイトルだけでお腹いっぱいになりそうな本ですが、一応雑感を。
こちらの本は、教育学者の本田由紀先生の監修のもと、数名の大学の先生が書いています。
本田さん自身は、「レリバンス」という概念のもと、教育の効果の計測に取り組まれています。
レリバンスとは、関連性・意義、または有意味性という意味で、2つのモノとの間につながりがあるということなんです。つまり、教育内容というものは、子どもたちの現在や将来の生活にとって関連があり、意味があることだということです。
Benesse発2010年「子どもの教育を考える」 - 教育の第一人者からのビデオメッセージ2010年に向けて〜教育への提言 - 本田由紀先生 第1回 - 教育研究開発センター
参考:『社会的レリバンスの高い教育課程設計と評価のあり方について』(PDF)
本の内容を簡潔に述べれば、文系大学教育のカリキュラムにおいて、「授業の双方向性」「職業的レリバンス」の要素が盛り込まれていれば、仕事の役に立つ可能性が高い。
教育学・心理学など、資格の取得やそのまま職業につながりやすい分野では「役立ち感」は高く、しかし経済学・社会学・経営学などは幅が広すぎるためか「役立ち感」は無い。また、選抜度の極めて低い大学では、資格取得すら効用は薄く、それらは「学生の自信回復」ではなく単なる「就職対策(就職率向上のための施策)」になっている。
当たり前だけど、パーソナルな「無駄感」は、授業に出なければいくら内容が良くても意味がないので、本人の授業態度が大きくかかわる。ソーシャルな「不要感」は、大学への期待の裏返し・不満からくるもので、授業態度が真面目な人ほど高い。
というところを、できる限り計量的に調査・分析している、という内容でした。当たり前ですが「役に立つ」という答えを前提として、どう大学の教育に生かしていくかという議論が中心です。
以下、批判点です。
そもそもの問いの立て方
ちょっと前にブロガー界隈で流行った「大学なんて行く意味ない」論争のような話はずっと以前からあり、それに真っ向から回答するために、こんなタイトルの本になったと思うのですが、その問いに意味はあるのか、というところがまず疑問です。
ジョブ型社会のタテマエの下でホンネとしてひそかに行っている人間力採用がはじめから堂々たる正義として存在している以上、大学教育は「その付与するスキルに対応するジョブがあるのか」という本質的な意味での過剰論などはそもそも存在の余地はなく、人間力がどれだけ磨かれるか否かなどという次元でしか論じられない
というところで、そもそもの労働市場側が大学での教育を重視していなければ、全く意味がない話になります。ところが、この本の中では、労働・人事・人材育成といった労働市場側の専門家側からの視点はありません。教育学の本なので、そういうものなのかもしれませんが、「職業的レリバンス」を謳うのなら、そっち側も必要なんじゃないの?と思います。
どうでもいいですが、だいたいのブロガーはわりといい大学を出て、それなりの会社に一度は就職していますね。
「いつ」役に立つのか?
これは調査の母集団についての疑問です。入社して1,2年の仕事を一人で回せないような時期の社会人に「大学教育は仕事の役に立ちましたか?」と訊いたところで、それこそ国家資格の要るような一部の職業を除けば「よくわかりません」となる人が大半ではないでしょうか。
では、入社何年目にその効果が現れるのか、現れないのか、ある段階で再び「学び直し」をした段階で有益なものになるのか、など、より長期的に見る必要がありますが、拙速に変革を迫られている大学側にそんな長期的な視点で観察する余裕がないのかもしれません。
否定的な言説を否定しづらい空気
「いやいや、実はすごく役に立つよ!」とか「それって役に立つ必要ある?」みたいなことが言いづらい、言ってもなんだか虚無感に襲われる感覚があります。
もちろん、「役に立つ/立たない」の話を、教育的投資の観点で語れば、文系学部卒業者の年収は決して低くはないので私的収益率は高い、とかそういう話はできると思います。
でも、この問いの前提としては、教育の中身を論じなければ、私的収益率や社会的収益率の低い(気がする)「役に立たない学部」は廃止される、という危機感からきているために、レリバンスなどの概念を使って「学問が役立つ」ことを説明していく必要があります。
ところが、総じて大学生活が個人的経験で語られ、専門分野が全く同じでもゼミ単位、担当教授単位で全くその密度も粒度も異なるという、効果を検証するにはそもそもバラツキが大きすぎる「中身」の問題は取扱いが難しく、ふわっとした否定的な空気を打ち消すほどの厳密な調査分析は、ほとんど不可能なんじゃないか、というのがこの本で感じた率直な感想です。
「なぜ勉強しなくちゃいけないの?」という子どもの問い
一応、子育てブログらしく終わろうと思うのですが、この子どもの問いに親はどう向き合うべきか?というのは、親になったらいずれ直面する問題だと思います。
この場合の「なぜ」もただ目先の課題が面倒なだけなのか、より本質的な問いなのかは見極める必要があると思いますが、本質的な問いだとすれば、それはググって良さげな回答を答えるよりは、「じゃあ一緒に考えようか」ぐらいのほうがいいんじゃないかな、と思います。
社会問題としての大学の在り方でいえば、個人の体験で語ることはNGですが、子どもに対しては、個人の体験を語ることも大事だなと思います。
私は、本が好きだし、普段生きているだけでは知りえないようなことを深く深く掘り下げて研究している人が見せてくれる世界をありがたく享受しています。そうした地道な仕事を続けている人に心から敬意を払いたいし、それを間近で見ることのできる大学教育もまた、とても面白いものだと思っています。
今週のお題「読書の秋」
追記
『レリバンス』という言葉が気になって、この本にたどり着いたのですが、いまいちその使いどころが難しいです。
子どもの教育の主流はSTEM教育になりつつあって、学習塾・教材系の業界もそれに力を入れています。
それはそれでいいことなんですが、一方で非認知能力・あるいは文脈を読むといった文系的(?)能力に近いものの有用性をどのように実証しつつ、それらも子どもにバランスよく摂取させるには、というところを親としては悩んでいます。
まあ、それでも義務教育行ってればある程度のことは全て習ってくるのですが。
落書きの「意味」を考える
なんとも反吐の出る話なので、精神的に調子のいいときに読んでください。
東京入国管理局さんのツイート: "~落書きは止めましょう~ 11月19日早朝,港南大橋歩道上にて。 表現の自由は重要ですが,公共物です。 少しひどくはないですか。。。… "
落書きはよくない。それは皆分かる。でも、この落書きの意味するところと、入国管理局がこれを固定ツイートにすることの意味が問われている。英語と国語と社会の応用問題として、中学生レベルのいい教材では。
2018/11/21 12:57
こちらの話です。
落書きは悪い
当たり前の話です。小学生でもわかることです。はい、解散。
では、「はい、解散。」で終わらせていいのかどうか、なぜそれで終わらないのか、という意味について考えたいと思います。「落書きは悪い」だけで終わらせるのは、あまりにも思考停止すぎます。
そこで、その先の議論にいくために「落書きは悪い」という考えを一旦頭の中から消してください。
社会科学界隈ではよく「括弧に入れる」と表現します。事象の善悪、事実関係については一旦問わないで(そうしたものは別の専門家に議論を任せて)、それらがどういう文脈で語られているのかを、その意味を見る考え方です。
HUNTER×HUNTERで言えば、ゴンが詐欺師と鑑定士の巧妙な駆け引きを善悪に頓着せずに、面白がるシーンがありますが、そんな感じです(たぶん)。
実際、このツイートだけでは自作自演なのかもしれないし、詳細なことは何もわかりません。そのため、「落書き」の真偽・善悪の判断を保留します。
なぜ、この落書きを書いた人は、”落書きをせざるをえなかった”のでしょうか。
そして、ツイート主である東京入国管理局はどのような意図があり、なぜこれほど批判されたのでしょうか。
落書きは悪いけど
次のような問題を設定します。
いじめっ子といじめられた子がいました。いじめられた子は、「○○にいじめられた」と校舎の壁に落書きして、自殺しました。いじめっ子はその落書きを見つけ、写真に撮りツイートします。「少しひどくないですか・・」と。
さて、この後いじめっ子のツイートは批判されるでしょうか。あるいは、落書きは悪いよね、と同調されるでしょうか。
極端な問題設定ですが、これによく似た事象ではないかと思います。
もう一つ、べつの問題設定をします。
いじめられっ子の机にいじめっ子が落書きをしました。それをいじめられっ子が写真に撮りツイートします。「少しひどくないですか・・」と。
さて、その後拡散されたこのツイートにはどのような反応が集まるでしょうか。
「意味」を考える
行間を読め、とか文脈を考えろ、とかよく言われるように、どのような立場の人が、どのような場所で、どのような時代背景の元で、どのような事柄について、どのような意図で、どのようにそれを表現したか、によって、その行為や言説の意味は変わります。
落書き=悪いこと、という本質は変わりないのに、上の二つの設問の感じ方は全く違ったのではないでしょうか。(もちろん、受け取り方は自由です)
今回、多くの人がそのツイートを批判した、ということの意味を、ぜひこの発言者には考えてもらいたいです。あるいは、発言者がそんなことも考えられないくらい判断能力を失っているのであれば、ぜひともすぐに休養を取ってほしいです。
個人的にはこんな軽率なツイートをする人にはtwitter運用は任せたくないなぁと思うし、組織的に是認された上でこれがツイートされてるなら、それほどまでこの組織は病んでるのか、と思う次第です。
そして、このツイートが批判されなくなった社会を想像すると、本当に怖いなと思います。
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学童保育の「従うべき基準」の参酌化
学童保育の基準廃止
先日、こんなニュースがありました。
こちらの記事、何の説明もなくて分かりづらいのですが、厚労省の出している学童保育の「従うべき基準」が「参酌(参考)すべき基準」に変更される、というものです。
そのなかの最も重要なところが、
現行基準は、1教室に職員は2人以上、そのうち1人は保育士や社会福祉士などで、かつ都道府県の研修を受けた「放課後児童支援員」などと定めるとしていたものが、基準の事実上の撤廃により、一定時間の研修を受けていない職員が1人だけで対応することも可能になる。
ということです。
ちなみに「参酌すべき基準」の定義ですが、
・条例の制定に当たっては、法令の「参酌すべき基準」を十分参照し、これによることの妥当性を検討した上で判断しなければならない
・法令の「参酌すべき基準」を十分参照した結果としてであれば、地域の実情に応じて、異なる内容を定めることは許容
・「参酌する行為」を行わなかった場合は違法
というものです。(条例委任する場合の基準設定の類型)
制定過程のどこかでこの基準に触れ、実情と照らし合わせたという議事録があればOKという感じでしょうか。感覚的にはかなり緩いですね。
これに対しては、基準を堅持するよう、全国学童保育連絡協議会などが主体となって厚労省に20万人の署名を集めた請願書を提出していました。
なぜ、今回厚労省が「参酌化」に踏み切ったのかといえば、学童の児童数が1人だろうと40人だろうと、1教室に職員2人以上という基準が一律だからです。それに対し、少子化が進み、児童数が少ないのに職員が集まらないという苦労をしている地方の知事などが反発した、というのが今回の経緯です。
なお、自民党からは、2018年6月に質の維持を求める決議が出されています。
一律の基準は必要なのか?
おそらく論点は「規模に応じた水準への見直し」ではないか、と思います。今回の件は、地方分権会議での地方に判断を委ねたいという趣旨のもとで行われたものです。5月の議事要旨などでは、
事実上、地域の中で子育て経験も大変豊富で、地域の子どもたちのこともよく知っていて、人望のある方がいらっしゃる場合、恐らく、昨日今日おいでになった○○士という資格保有者の方よりも、そのような方にお任せする方が安心だとおっしゃる地域の保護者の方々もいるのではないか。
(高知県知事)
というやや不安になる意見や、
地域全体で放課後事業を実施している場合、実際に地域住民の声が直に地方公共団体に入るため、参酌化しても地方公共団体が危ない運営をするわけがない。
というやはり不安の残る意見も見られます。そんな人望のある人が低賃金で学童指導員やってくれますかね?というところや、民営の学童保育でほんとに地域住民の声が届くでしょうか?、など、ちょっとお花畑気味なのが怖いです。
地域自治体独自の基準については、先行して行われている県や市町村もあり、児童数に応じて人数を加配することを条例で取り決めている自治体もあります(さいたま市など)。
児童の集団の規模、あるいは都市の規模に応じた人数配置の基準をなぜ決められないのかよくわかりませんが、自治体にそれらが委ねられているのであれば、親としては自治体の動向をよく見ておく必要がありそうです。
専門性の低下の懸念
学童の入所児童数は年々増えていますし、学童で子どもが過ごす時間はとても長いです。できれば、そのなかで過ごす時間も、よりよい時間を過ごしてほしいなあと思っていますし、そうした環境を構築できる専門性ある人材に子どもを任せたいです。
(全国学童保育連絡協議会(ぜんこくがくどうほいくれんらくきょうぎかい)より)
しかし、学童指導員の処遇も決していいものではありません。
幼児教育無償化にともなって、保育園のニーズが増え、よりそちらでの人材不足が加速することと思われます。保育士の獲得競争の過程で、保育士給与も改善されれば、保育士資格などを持つ専門性のある指導員もそちらに流れる可能性もあり、一歩も二歩も遅れている学童の現場においては専門性のある指導員の不在、という質の低下が懸念されます。
私の住んでいる市でも、指導員のフルタイム・正社員化などの要望を保護者団体で出しているようなのですが、市のほうはかなり渋っているようです。「放課後」児童育成事業なのに、どうしてフルタイムなの?という感覚のようです。
これについては、以前フランスの学童保育について書いた記事で触れたように、日中の学校での教員補助や遊びの見守りなど、学校内への関わりを増やしていくことはできないだろうか、というのが私の意見です。
べつに学童保育の「資格」 については、お花畑のような知事の発言にある子育てに詳しい地域で顔の広い人であっても信頼できる専門性があれば構わないのですが、「資格」以外で専門性を保てる保証は何かあるかなぁ、と思う次第です。
主夫+αのキャリアポートフォリオ
主夫の私ができること
主夫って何ができるの?と聞かれることが多いけど、結局はその人に拠りけりです。
その人の生育環境・キャリア・仕事経験が、家庭内の仕事の仕方に大きく影響を与えるからです。
システムが好きな人は、GoogleやSlack、Trelloなど様々なツールでタスク管理・効率化をすると思うし、医療系の仕事に従事していれば、衛生管理分野に強くなり、飲食系であれば料理に強くなります。
FJK(ファザーリングジャパン関西)で知り合うアクティブな父親たちは、そうした本業×父親という文脈でさまざまな活動をしていて、面白いです。
ふと、私になにか掛け合わせるスキルはあるだろうかと思ったので(無くてもいいんですが)、自分自身の棚卸しのために書き留めておきたいと思います。
主に、「家事」「ジョブ」「趣味」という3つの軸で話をします。
(※なんか怪しいセミナーの広告みたいになってしもうた・・)
1.家事・育児のスキル
料理・洗濯・掃除・修繕・備品管理・書類整理・遊び・習い事・旅行企画・予防接種・子ども書類手続き・自治会・PTAなど、まあ全般できます。
詳しい仕事内容は下記に書いています。
私の家事・育児は、下記に書くような総務系の仕事に大きく影響を受けています。
書類管理や備品管理などのTipsもそうですが、「そこにいる人が本来業務に集中できる環境を作る」という点で家事と総務は似ています。そして、なるべくなら「主担当」がいなくても回る仕組みを作ります。
今、私が会社にいたら、そこらじゅうにアレクサやダッシュボタン、タブレットを散らして置いておくと思います。プリンタの用紙が無い、というだけで総務を呼ぶような会社は嫌です。
少なくとも、子どもが小学校を卒業するまでは、しばらく家事・育児のウエイトは重めになります。それ以降は、子ども自身でできることが格段に増える一方で、思春期特有の悩みなどが発生するため、そうしたときに親としての役割を徹底したいです。
2.職業人としてのスキル
スキルの棚卸なので、少しだけ過去の話をします。
一般的なサラリーマンのキャリアとしては、新卒でベンチャーの企画室勤務、その後IT企業の総務人事部という約7年ほどのキャリアがあります。規模的にはどちらも売上高約50億円、人数100~400人程度の中小企業です。
その間、総務人事にまつわる一般事務レベルのことは大概経験してきたと思います。
作業的なものだけ挙げれば、社会保険、給与計算など労務全般、採用事務、衛生管理、就業規則改定、登記事務、事業所開設、移転事務、オフィスレイアウト、株式事務、総会対応、持株会、Pマーク対応、設備管理、福利厚生事務、経理仕訳、銀行口座管理、入金消込、振込その他、損保販売、社内イベント、プレスリリース作成、HP作成(委託)、SEO、リスティング・アフィリエイト広告運用…etcでしょうか。
だいたいパソコンと電話があって、字が書ければ、できる仕事です。一つ一つの作業はある程度知識は要りますが、それは覚えるだけです。 それに比べれば、家事のほうがよほど複雑です。
その他、「名もなき作業」みたいなものもいっぱいあったと思います。夜の付き合いも非常に多かったです。某議員の選挙応援というグレーなものも。7年間で大概の裏方仕事はやったような気がします。
一番長く従事していたのはWeb広告まわりの業務で4年ほど。給与計算は3年ほど。労働強度が高かったのはオフィス移転(と、それにまつわる諸手続き)です。
ウェブ広告は、黎明期~勃興期のころで、1年でワード単価が10倍になるような相場を経験できて楽しかったです。リクルートみたいなジャブジャブ広告費を使う企業に、少ない予算でどう戦うか、みたいなとにかく徹底した細かい運用をしていました。基本的に広告業者は大半が外れなので、自社で運用担当者(広告業者の言いなりにならない人)を育てるのがベストです。
給与計算は省力化の難しい作業です。正直、嫌いです。RPAもその効果は薄いのではないかと思います。そのあたりの理由は下記に詳しいです。
上記記事を要約すると、人事のシステムは一貫性がない、というところに尽きます。タレントマネジメント、給与計算、勤怠管理、採用、交通費・定期・経費管理、健康管理。今はSmartHRさんがAPI連携含めて頑張ってこれらを統合しつつありますが、まだ完全一元化まではできていないのでは、と思います。
主夫経験を経て思うことは、「みんな働きすぎ」「無駄な管理多すぎ」です。
家事も手抜きすればいい、という風潮がようやく広まりつつありますが、同じように(仕事を手抜きするという意味でなく)社員を縛らないもっと自由な組織風土が広まっていいと思います。ルールを守るのは、当然として。
それに近い考え方としての自立型組織については、下記のが有名ですね。話半分に読めば、面白いと思います。
3.趣味・発信
写真という趣味
「写真」を撮るのは趣味です。
が、せっかくのいいカメラを使わないのももったいないので、最近ボランティアでイベントの写真係しています。会社イベントでも撮っていたのですが、以前のエントリー機では暗い場所での撮影ができず、あまり発揮できなかったので、残念でした。
また、Snapmartなどのストックフォトサイトで、加工してアップして小遣い稼ぎをしています。写真で金になる、というほどの成果はでていません。
今年だけでいえばせいぜい2,3万円ほど。来年にはカメラ代が回収できそうです。そしたら、マクロレンズでも買おう。
主夫としての発信
この「ブログ」がメインですが、Slack等での情報共有も少しずつ始めています。
「主夫」と呼ばれる人はよくブログを書いたり漫画を描いたりしていますが、それは主夫がマイノリティであって、ときに誤解されやすい脱落者と思われがちだからこそ、その存在を知ってほしいという思いが強く、それと同時に自分自身も生き方に迷いながら、主夫+αのモデルケースを開拓しているからだと思います。
私も経験的には主夫4年目。「主夫」「父親」「働き方」や「育児」に関しては、知見がだいぶ溜まってきているので、それなりに書こうと思えば書けると思います。なぜそれらを発信するのか?といえば、少しでも必要な人に必要な情報が届けられたらいいな、と思うからです。
ちなみにはてなブログpro代は余裕で元取れました。よかった。
今後のこと
定期的に情報を発信・共有すること
これを続けたいです。もっと主夫的な仕事をする人が増えたらいいな、と思っています。男性が「働く」という以外の生き方も選択できる社会の方が、余裕があってのびのびと暮らせそうだからです。
個人的には、夫婦で攻守交代できる関係が理想だと思っていますが、それには社会の側も変わる必要があります。今のところ、一旦キャリアを降りた男性がブランク期間を経て再びキャリアコースを積み上げるのは相当困難です。「主夫もキャリアのひとつ」という考えは、それを乗り越えるためのキー概念です。
「仕事を辞めて数年は専業主夫してても、再び同じくらい稼げる社会」が理想です。
生活の知恵の共有
同時に、主夫でなくても、仕事で悩んでいる人、「困りごと」を抱えている人、「生きづらさ」を感じている人たちとのつながりを広く持ちたいです。誰かを助けようという高尚なものではなく、お互いの生き方の「面白さ」を共有して、生活の知恵を分かち合えるゆるやかなつながりが生まれたらいいなと思います。
一方で、そうした活動はおそらくあまりお金にはならないので、定期的に入る収入というのは、今後もある程度確保したいです。
とはいいつつも体力的にオフィスワークは週20時間程度、プラス在宅が限界です。誇張ではなく、本当に外に出られなくなることがあるからです。外に出られないときはほぼ一日中寝ていますが、それでも家事と育児だけは欠かさずやっています(質は下がるけど)。
それはそれで、そういう稼ぎ方でもなんとか生きていけるというモデルケースを自分でも体現したいです。
家事と育児という日常だけは、ずっと続くものなので、うまく折り合いをつけながら付き合っていきたいです。それが「主夫」の本業なので。
主に大人向けの絵本のはなし
今週のお題「読書の秋」
お題が「読書の秋」だったので最近買った絵本の話から、いろいろと連想して主に大人向けの絵本を紹介します。ただのお題記事なので、細かいことは気にしないでください。
そらからきたこいし
鉛筆と木炭だけで書かれた、とても綿密なタッチの絵本です。twitterで話題になっていても、著者のtwitterはあまりやる気ないようで、いい感じに病んでるのも好感触です。細かい鉛筆画を描く人の、そういう内面が好きです。
まっくら、奇妙にしずか
- 作者: アイナールトゥルコウスキィ,鈴木仁子
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
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鉛筆画といえば、この人の本が(古本界隈では)有名です。 シャープペンシルだけで書かれた繊細な絵は、分かりやすく言えば『レベルE』の妄想世界のような狂気にまみれています。でも、人はそういうのに、つい触れたくなります。話も支離滅裂なので、子ども向けではありません。
フォーニコン
同じく、子ども向けではないのが、こちら。
トミー・ウンゲラー自体は、『すてきな三人組』などでよく知られている絵本作家ですが、こちらで描かれているのは、偏屈な性的描写の激しいエロティックな機械装置の数々です。絵本作家だからといって特別なことはなく、人は内に秘めた性癖があって当然です。人は矛盾した感情を同時に持つことのできる生き物です。
- 作者: トミー=アンゲラー,いまえよしとも
- 出版社/メーカー: 偕成社
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ムナーリの機械
意味の分からない機械装置といえば、ブルーノ・ムナーリのこの絵本です。何の役にも立たないような発明品の数々がここにあります。見ていて飽きません。ムナーリはこれに限らず、優れたデザインの本を出しているので、いずれ子どもにも見せたいです。
すきまのじかん
こちらもまた、内容的には子どもも読めますが、分かりづらいです。ひくまの出版はすでに倒産していて、 古本屋を探しまわってようやく手に入れた本です。とても優しく柔らかい絵は何度でも見返したくなります。
アイスクリームの国
- 作者: アントニーバージェス,ファルビオテスター,Anthony Burgess,Fulvio Testa,長田弘
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2000/11
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長田弘の選んだ『詩人が贈る絵本』シリーズとして、みすず書房から出された本です。7冊のシリーズが第二弾まであり、全14冊。一冊あたり2,000円というただの贅沢品です。古本屋で500円程度で売られていたら、反射的に買います。
とっくに絶版になっているのですが、大阪のクレヨンハウスに普通に売ってました。平野紗季子さんの『生まれた時からアルデンテ』で触れられていて、読んでみたいなと思った絵本です。 内容はタイトルどおりで、とても素敵です。
ブルッキーのひつじ
大人の大好きな絵本作家といえばゴフスタインです。あと、ゴーリーも。
ブルッキーのひつじは、娘が保育園で歌を覚えてきたので、本も買いました。 かわいいこひつじの話です。シンプルな絵で、物語も単調です。
- 作者: M.B.ゴフスタイン,谷川俊太郎
- 出版社/メーカー: ジー・シー
- 発売日: 1989/03/01
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ゴフスタイン作品の多くは、末盛千枝子さんが「すえもりブックス」にて多く出版されています。すえもりブックスは倒産してしまいましたが、その後「現代企画室」という会社が、復刊しています。
絵本ガイド・絵本論
末盛さんの上記のエッセイも、絵本ガイドとして読めるのですが、オススメの絵本ガイド本は、こちらの『絵本をたべる』です。
紹介されている絵本の数が圧倒的に多いうえに、一つ一つの説明が丁寧で、章立てに使われているテーマ設定も良いです。絵本の世界にどっぷり足を踏み入れるのに、十分に準備が整います。
木坂涼さんは、主に翻訳の絵本が多いですが、まずハズレがありません。どんな人なんだろうと、その人となりがわかるエッセイを読んでみたくて、こちらを買いました。とても静謐な言葉を大切にする詩人です。
- 作者: ポールアザール,Paul Hazard,矢崎源九郎,横山正矢
- 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
- 発売日: 1957/01/01
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べつに私は絵本の専門家でもなんでもないのですが、現代的な絵本の理論的支柱を形作った古典的な本の一つが、こちらかなと思います。絵本のもつパターナリズム(お仕着せがましさ)を徹底して否定しています。ちょうど、この本が刊行されて以降、日本の名作絵本の勃興期が始まります。
そういえば昔、こんな記事も書いていたようです。
私は、アニメ絵の絵本はどうでもいい。
主語は親である「私」で、絵本を手に取るのは「私の娘」です。
以下、その前提で書きます。
児童文学の『アニメ絵』論争
絵本・児童書の"萌え絵"論争については、私は子どもたちがそれに飛びつくなら、それで結構なことだと思っています(そもそも私は萌えを感じないので、以下『アニメ絵』とします)。
絵本萌え絵論争が囂しいですが、弊社の「せかいめいさくアニメえほん」は作家さんたちに「萌え絵を描いてください」とお願いしたものではなく「子ども自身が飛びつく絵を」という発注のため「なぜ萌え絵にしたのか」としきりと質問され困惑、担当者も何度説明しても理解してもらえず苦慮しています。 pic.twitter.com/KqhLzAj2vJ
— 河出書房新社 (@Kawade_shobo) 2018年11月8日
河出書房新社さんのtwitterでも「子どもが飛びつく絵」と称しているとおり、マーケティング的に徹底された絵なのだと思います。まあ、そんな「あざとい」マーケティングに乗りたくない、という気持ちは個人的には分かります。ただそれは、消費者心理の問題で、この問題の本質ではありません。
『萌え絵』を問題視している人は、それが子どもの健全な育成を脅かすものである、と真剣に思っている人は一部の過激派だけで、マクドナルドのハンバーガーのようなものでおいしいけれどそればっか食べてると体によくないよね、くらいの感覚ではないかと思います。
それは感覚的にわかる話です。でも、子どもが読む絵本は決してこのアニメ絵本だけではないので、「そればっかり食べている」という状況は私にはあまり想像できません。
いつ頃からこういう絵になったのか、とか売上・貸出部数の変遷など調べてみると面白そうなので、本当はこういうのをデイリーポータルさんあたりにやってほしいのですが、ちょっと期待外れでした。
シンデレラの絵
いまシンデレラを子どもに読ませようとしたら、アニメ絵に限らずいろんな絵のものがあります。
こちらはFFシリーズでおなじみの天野さんのイラスト。
こちらも有名なデザイナーですね。石津ちひろさんは『リサとガスパール』シリーズなどの翻訳で有名です。
- 作者: アナミルボーン,カール・ジェイムズマウントフォード,Anna Milbourne,Karl James Mountford,みたかよこ
- 出版社/メーカー: 大日本絵画
- 発売日: 2017/01/20
- メディア: 単行本
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こちらは仕掛け絵本になっています。仕掛け絵本は子どもの興味を惹きやすいです。
岩波書店からはこちら。やや古風ですが、かわいいイラストです。福本さんもまた、『おさるとジョージ』シリーズや『としょかんライオン』などの名訳者です。
そして、この河出書房新社のアニメ絵本。なにが、今までのと違うかといえば、値段ですね。381円(税抜)。上北ふたごさん(姉妹)は、『プリキュア』シリーズで有名です。
ちなみにポプラ社さんも、古めかしい絵柄のシリーズで出されていましたが、2018年3月にリニューアルされています。
(いや、あんまり変わってない?)こちらも350円とお手頃な値段設定です。
どのシンデレラを選ぶのも自由
仮にアニメ絵のものしか選択肢がないなら、絵のタッチが好みじゃないとか、そういうので少し困るかもしれませんが、 シンデレラの絵本は上記のようにたくさんあります。アニメ絵が好みじゃないなら、好みのイラストレーターのデザインした絵本を選択することができます。たくさん選択肢があるのはシンデレラに限らず、他の童話でも同様です。
選択肢がたくさんあるのはいいことです。
「せかいめいさくアニメえほん」は確かに安く、子どもがとっつきやすい簡単な造りになっています。それに比べれば、ほかの絵本は値段は高いですが、図書館でも比較的借りやすく、借りてみて子どもの反応がいいものは買うなど取捨選択して買ったり、たいていの名作絵本はリセールバリューがあるのでメルカリやヤフオクで高く売ったりできます。
そして、アニメ絵の絵本が入口であってもべつに構わないですが、少なくとも子どもが小さいうちは、どのシンデレラを選ぶかは購入者である親(私)の趣味です。
絵本は、 子どもが読むものですが、小さいうちは『読み聞かせ』をします。絵本の読み聞かせそれ自体が親子のコミュニケーションとなるので、絵本の教育効果が高いのだと思われますが、親が気に入らないものを読み聞かせても、「気に入らない」という感情を抑え込まないとそれが伝わってしまうし、感情を抑え込むのもストレスです。
絵本を与えているうちは親の趣味、そのうち自分で選ぶようになったとき、好きなように選ばせつつも『地雷』を踏まないようにそっと見守る、という程度でいいのかなと思います。地雷というのはアニメ絵の絵本ではなく、本来子どもを想定読者としていない(やや過激な)本のことです。
「私」はアニメ絵の絵本を買うか?
じゃあ、実際にお前はアニメ絵のシンデレラを買うのか、と言われればたぶん買わないです。価格が安いので、本屋で娘が見つけてこれ欲しいといえば反射的に買うかもしれませんが、わざわざ買い与えることはしません。
私はプリキュアシリーズ大好きで先日も15周年の映画を観てきましたが、かといってそれだけが好みなわけではありません。
他にももっと読んでほしい素晴らしい絵本がたくさんあるし、絵本に限らず観てほしい映画やアニメ、してほしいスポーツ、一緒にしたい遊びなどがいっぱいあります。
サブスクリプションでにぎわう昨今のコンテンツ事情は、人の時間を簡単に奪います。エンタメ・趣味の領域は、今まさに時間の奪い合いが行われています。
もちろん、どのような時間の使い方をするかは、個人の自由ですが、より魅力的なコンテンツサービスが増えるにつれて、その取捨選択が難しくなっています。
子どもと私の可処分時間でどのようにポートフォリオを組み立ててバランスよくコンテンツを摂取するかは、子育ての日々をより楽しく充実したものにするために意識したい重要なものです。
選びとる技術
選択肢は多様にあります。ただ、選ぶものが多すぎて難しい時代なのかもしれません。いろいろ選べるよ、というのはたくさん選択肢を知っている強者の論理だ、という認識は私も強く持っておきたいと思います。
これまで「選択肢を増やして選べるようにする」ことを大切にしてきた側面はあるが、「たくさん選択肢あるんだから自分で選べばイイじゃん」という考えは、強者の論理であることを最近強く認識している。「転職すればイイじゃん」「転校すればイイじゃん」「選びとる」ことはものすごく難しい。
— 野口晃菜 Akina Noguchi (@akinaln) 2018年11月10日
「選びとる」という技術を、もっと子どもにも伝えていきたいし、私もずっと学び続けたい、と思います。そして、なるべくマウンティングせず、よく知らなくて困っている人に、「選択肢」と「選びとる技術」をうまく伝えていく術を身につけたいです。
ひきこもりの働き方と就労支援
ひきこもりの働き方
下記の記事に呼応して書きます。あんまりまとまってないので、ご承知ください。
「主夫」をしていて思うのは、主夫も慣れてくるとだんだん「ふつう」になることです。「ひきこもり」も長期的になるとそれが「ふつう」の状態になると思うのですが、それって結構すごいことだなぁと思うのです。
どんな分野のものであっても、長年続けているものであれば、それなりに知見は溜まってくるし、後進にアドバイスすることもできます(やめとけ、というのも含めて)。
マイナスの文脈で語ることはいくらでも出来ると思うのですが、それを一つの現象ととらえて見ると、面白いし何かできないかな、と考える対象になります。
「ひきこもり」もまた、その経験はなにかに役立てられないかな?と思うのです。単純にナレッジを共有するプラットフォームみたいなのがあっても面白そうです。
就労はゴールなのか?
必ずしも、そうとは限りません。
「ひきこもり」が長期化すればするほど、当事者も家族も社会から孤立した状態になります。
ひきこもり当事者の高齢化は近年その問題が指摘されていますが、まずは「孤立した状態を見つける」「定期的に家族が他のだれかに会うきっかけを作る」「現状と当面1年くらいの生活をなんとか乗り切るための知恵を出し合う」などが一つのゴールになるかと思います。
「就労」はその後の話です。
下記の記事でも、「就労支援」がケアとして機能する条件が紹介されていますが、より詳しくは「ケアとしての就労支援」という本の中に書かれています。
・当事者がすでに治療を受けるなどして、心身ともに安定していること
・当事者が就労を希望しているか、なんらかの興味を示していること
・当事者と家族との関係が良好であること
・当事者の特性に見合った職場ないしトレーニングコースがあること
・当事者に家族以外の親密な対人関係があること(『ケアとしての就労支援』p.4)
ケアとしての就労支援 こころの科学 メンタル系サバイバルシリーズ (こころの科学増刊)
- 作者: 斎藤環,松本俊彦,井原裕
- 出版社/メーカー: 日本評論社
- 発売日: 2018/05/21
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フルタイムの就労が当たり前ではない
一度、無職期間(主夫)を経て思うのは、「フルタイムの就労」はそれだけでハードワークだということです。鬱などのリワークでもそうですが、一度無理した体で同じようにもう一度働くのはしんどいので、通常は産業医と上司と相談しながら段階的に時短勤務を経て、通常業務に戻ります。
「就労」と聞くと、なぜかフルタイムで外に働きに出ることを想定しがちです。でもフルタイム就労が当たり前、という意識を一旦脇に置いておく必要があります。
「フルタイムで働くことが当たり前」なのは変、です。
ひきこもりであれば、なおのこといきなりフルタイムはしんどいので、全く収入にはならなくても、月1、週1などの働き方でもいいと思います。もちろん、そうした働き方が、クラウドワークスや派遣会社などの労働集約型でキャリアアップも期待できないところに搾取されてしまう気持ち悪さも分かりますが。
月に一度でも立派な就労である、という認識を持つこと自体が、自己肯定感にもつながるし、それが社会全体に広まれば、たとえば専業主婦・主夫だってもっと生きやすいし、生きづらさを抱える人の心的負担が軽くなるのではないかと思います。
下記の記事は、子育ての文脈で「魚の釣り方」の比喩を使っていますが、スモールステップをうまく作ることは、仕事でも、就労でもとても重要なことです。
「ひきこもり」じゃないと支援されないのか?
こちらの記事を見て、思ったのは、カテゴライズされないと支援されないという障害者福祉の現状です。
特別支援も福祉もそうなのだけど、支援を受けるためにカテゴライズされなきゃ受けられないのがいまの制度。そして、そのカテゴリーがスティグマになっていると、尊厳が損なわれてしまうことが多い。だからといってカテゴライズされないと「障害受容が云々」といわれ、支援に繋がらない。これ、変えたい
— 野口晃菜 Akina Noguchi (@akinaln) 2018年10月14日
そもそも、ずーっと家にいて何もしない人だけが「ひきこもり」ではなくて、ひきこもり未満の一見普通に見えるけどうまく働けない人ももっとたくさんいるよね、というところで、むしろ支援の対象として認められている人のほうが恵まれている、という状況もあるのではないかと思います。
そのあたりのことは、下記の記事でも少し触れています。
ひきこもりの生存戦略
FPの畠中雅子さんは、ひきこもりの当事者が、ずっと働けないという状態に陥ったとしても、彼らがひとりで生きていけるように、親が生前にその道筋を整える具体的な方法を示しています。
高齢化するひきこもりのサバイバルライフプラン 親亡き後も生きのびるために
- 作者: 畠中雅子
- 出版社/メーカー: 近代セールス社
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これは、あくまでもそうした「プラン」 を立てることで、「絶望した先の見えない状態」から救うことを目的としています。最悪のプランを想定し、様々な制度を調べることで、ずっとこのままなのかなという閉塞感を断ち切って、「まあなんとかなるかも」とすこしラクに考えることができます。
ラクな気持ちになって、それが当事者と家族の回復へとつなげられたら、それはそれでとても良いことです。
嫌われがちな「おっさん」を救うために
そういえば「主語が大きい」という話は下記の記事でもしていました。「おっさん」は社会では嫌われがちな存在ですが、当然おっさんにもいろいろあります。
傲慢で権力を振りかざすおっさんもいれば、うまく社会と関われず苦しんでいるおっさんもいます。後者のおっさんは、運が悪ければ誰にも気づかれず野垂れ死ぬし、何かの拍子で「無敵の人」になる可能性もあります。
高齢化したひきこもり問題は、おっさんの生きづらさにもつながります。「おっさん」を敵視する社会では、支援自体に賛同が得られず、より一層支援が難しくなります。
まとめ
ニャートさんのアイデア出しは、とても面白いし、今後もできれば一緒に考えていきたいと思っています。たくさんの人で、考えたり学んだりするなかで、「ひきこもりの働き方」に限らず、「生きづらさ」を抱える人が、それでも生き抜くための方法を見出したいです。
フェミとオタクと社会学者という釣り針
閑話です。
このブログは主夫の書いている育児ブログですが、一応、文学部の社会学専攻卒なので、ここ最近の騒動はあまり他人事には思えません。
一通り統計も研究の作法も習ってはいるので、なるべくは資料にあたりつつ、自分ごとについては「主夫」というフィールドで調査をしている感覚で、身近なものをなるべく社会と照らして書いているつもりですが、あら探しをすれば当然たくさんほつれてるところはあると思います。
以下、だらだらと綴ります。
質の担保について
社会学に限らず、学問の質、論文の質、学会の質、それぞれをどのように規定し、担保するか、という問題は、それぞれの扱う専門領域で異なってくるかと思います。過去の偉大な思想家たちの時代に査読なんていうシステムがあったかは知りませんが、それでもそうした思想家の本はその後の研究に大きな影響を与えています。社会学でいえばウェーバーとかデュルケムとかがその始まりでしょうか。でも、彼らはあまり統計的な手法は取っていません。
社会学でも統計的調査がメインのものであれば、統計手法やその分析については査読などの方法で正当性・信頼性を高めることはできるし、理論の援用についてもその扱いが間違っていれば指摘できると思います。
一方で、参与観察(フィールドワーク)やインタビュー、オーラルヒストリー研究等においては、そのすべてを録画・録音していたとしても、完全に信頼性を担保することは難しいと思います。聞き取り者との関係性、その時の雰囲気、言葉と言葉の間、それらすべてはその研究者本人でしか感じ得ることができないものだからです。
結局のところ、基本的な論文の形式(読める日本語)などが整っていることは当然として、その内容については一つ一つ見ていくしかないわけで、それが論文であれ、著書であれ、ウェブ記事であれ、不明瞭な部分や間違っている部分があれば、学問の内外問わず、批判されるべきです。
(※うちの子の日記です)
社会学者とSNS
総じて、社会学者はSNSをよくやる割には、マーケティングが下手だと思います。
ウェブマーケティングに精通した専門家ではないので当たり前なんですが、観測範囲の狭いSNSに時間を費やすことはそれこそ主夫である私でもできることなので、せっかく研究環境の整った場所と地位に身を置いているのであれば、ご自分の研究に専念したほうがいいのではないか、と思います。
SNSで不毛なやり取りを繰り返すのではなく、専門性の高い環境の中で良質な研究を積み上げていくことのほうが、結果として社会学の学問的な評価は高まるはずです。
だいたい社会学の価値を下げているのはSNS上で賑やかな人たちです。
SNSをやるのであれば、仕事としてプロとして自覚していただいたうえで自説のプロモーションなりをしていただきたい、というのは社会学徒の端くれからのお願いです。それこそ、研究会でも開いてどういう発信の有り方が望ましいのかマーケテイングの専門家を交えて議論していいものだと思います。
炎上の意味を考える
そして、SNSを発端に、タイトルにあるような登場人物が主語になる話題は最近よく燃えています。話がかみ合わなかったり、尾びれがついたものだったり、いろんな事情があるにせよ、いろんな方面から反発がくるような問題提示の仕方については、その意味について考える必要があるのではないかと思います。
これは最初の記事が大きく炎上し、それを踏まえたうえで2発目の炎上記事となったものですが、この記事を見る限り、このトーンで語られる言葉はそれほど反発を呼ぶものではなく、これが初発の記事であれば、さほど騒動にはならなかったのではないかと思います。
このブログも非常に冷静な視点で書かれています。
私は、このキャラのことを全く知らないので、彼女については語ることができません。
が、こちらの記事を読んで、VRという仮想現実上のキャラクターである以上、現実の社会の影響を受けざるを得ない「社会を映す鏡」としてこのキャラクターが語られてるのだと感じました。
ドラマでもマンガでもアニメでも、「社会を映す鏡」は、社会学者が大好きなものの一つです。「エヴァ」だったり「逃げ恥」だったり、分析するの好きです。
もちろん、社会学者が取り扱うのは「社会」であって、「鏡」ではありません。だから、鏡そのものであるこのキャラクターを批判することはないし、批判すべきは「社会」の側なんですが、その点で誤解されたり、もし実際にキャラクターを攻撃していたりするのであれば、それは反省すべき点だと思います。
フェミとオタク
どちらも主語が大きいです。「社会学者」も非常にあいまいな定義です。
主語を大きくして語ると、関係のない人まで巻き込むし、相手への敬意も薄れます。
フェミもオタクも一枚岩ではない、ということは当たり前のことですが、まず相手は誰なのかを具体的に意識して議論する必要があります。
なぜネット記事の見出しは主語が大きいのかと言えば、それが「釣り針」だからです。
自分のことが書かれているのかも、と思うとクリックして内容を確認したくなります。そして多くの場合、それらは見当違いのことであり、多くの批判を招きます。その批判がまた、新しい訪問者を呼びます。主語が大きいほど、PVが取りやすいのです。
「妄想は誰にも止められない」
オタク文化を学ぶうえで、参考になるのが「げんしけん」という漫画です。
大学のオタサークルを描く漫画ですが、このなかでも「オタク嫌悪」の女性キャラが何人か登場します。その子たちが、どのようにその文化を受け入れていくのか、というのがこの漫画の一つの主題になっています。
「妄想は誰にも止められない」というのは、この漫画における数多くの名言の一つですが、それが頭の中にあるうちは、誰にもそれを止める権利はありませんし、止めることもできません。それをどこまで公にしていいのか、というところが表現の「マナー」の部分だと思うのですが、「マナー」それ自体が社会の中の常識というあいまいなもので規定されているものだからこそ、その線引きが難しいものになります。
オタクの多くの人は控えめで、それらの表現物をきちんと隠して持ち出していることと思います。彼らに「隠す」という行為をさせているものは、社会の無意識の「抑圧」であり、「どうして自分の好きなものを堂々と宣言できないのか」「私たちは大多数の圧力によって行動を制限されている」など、「抑圧されてきた側(女性や性的少数者)」を守るための(フェミニズムと同じ)論理で語ることができてしまいます。
少数者を責め立てるような論理でこれらのことを語ってしまうと、自分自身が行ってきたこととの矛盾が発生してしまうばかりか、多くの反発を招く結果にしかなりません。
「げんしけん」での「オタク」をめぐるそれぞれ攻防は、少なくとも相手のことを受容したうえでうまく折り合いをつけていきます。その過程を学ぶための資料として、大変参考になる漫画です。
「気づいたらなっているもの」
もう少し「げんしけん」の話です。もう一つ名言があるとすれば、「オタクはなろうと思ってなるものでなく、気づいたらなってるもの」というものです(うろ覚え)。
これもまた、いろいろなことに当てはまる表現です。「フェミ」になろうと思ってなくても、一通りの理論をある程度学問的に習って理解してしまうと、その立場で語らざるを得なくなります。twitter界隈の「フェミ」はよく知りませんが、アカデミズムにおける「フェミニズム」は、それほどきちんと筋が通ったものです。単純に面白いです。
でも、だからこそ無自覚に自分の考えが「当たり前」になっているのではないか、と疑う必要があります。本来きちんと説明を積み上げなければ相手に伝わらないものなのに、それもなしにいきなり拒否反応を示すことは、やっぱり誤解を招く行為だと思います。
住み分けが本当に正しいのか?
公共空間における表現という意味では「住み分け」「ゾーニング」をすべきだ、という議論があります。この手の話はずいぶん昔からあり、たとえば下記の記事は2010年のものです。
オタクの文化は性的なもの一色では当然無いし、アニメ絵が全て規制されるべきかといえばそんなことはありません。社会的な文脈によって、それらは性的にも健全にもなり得るものであって、一概に線引きするのが難しい。
そうしたものをゾーニングをする場合、「誰が」ゾーニングするのかによって、全くその意味合いが変わります。そして限られた区画のなかでしか表現できなくなる人にとっては、それ自体が弾圧に感じることもあるでしょう。
公共領域においては誰にとっても素晴らしい最善解はなく、誰にとってもちょうどよい最適解を目指す必要があります。そのゾーニングが「正しい」かどうかを決めるのは、どのような人なのか、社会なのか、それこそ社会学者が追及すべき課題でもあります。
娘を持つ親として
当然、娘を持つ親として子どもを守りたい、という思いを持っています。ただ、おそらく絶対に手に取ることもじっと見ることもないだろうコンビニ本よりも、手に取る可能性の高い『HUNTER×HUNTER』のほうがずっと避けて通りたい本です。
説明するまでもなく普通に読む分にはとっても面白い漫画ですが、とても残虐で歪んだ内容を伴っています。『ゴールデンカムイ』なんかも同様です。
それらを読ませるまでには、段階を踏みたいと思っています。段階を踏まずにそれらに触れさせるのは、念能力もないのに、いきなり能力者と戦うようなものです(洗礼*1ですね)。
インターネットなども同様で、ネットの海にはゴミがいっぱいあることや、個人情報の重要性、ネット特有の文化、マナーなどを身につけさせるなかで、いつかオタク文化に触れることもあると思います。そのときに十分な耐性をつけていれば、それほどリスクを与えることは無いのではないかと思います。
子どもたちが、自分自身が性的な対象や被害者になるかもしれない、という危機感は、残念ながら常日頃からくる警察からの「不審者情報」によって身についています。毎週のように不審者情報のプリントを持たされ、親のメールに配信され、一人で出歩かないように、と皆が注意して行動しています。
オタク文化が自分の子どもに危害を加える可能性よりも、ずっと高い確率で、子どもたちの身近なところに危険性が潜んでいます。それは時に分かりやすい悪意ではなく、善意の形をして子どもたちに近づいてくることもあります。
親としてはその身近な危険から身を守ることを第一にリソースを集中させたいです。それに比べれば、ゾーニングの問題は些細なことのように思えます。
とにかくさけんでにげるんだ わるい人から身をまもる本 (いのちのえほん)
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- 出版社/メーカー: 岩崎書店
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まとめ
フェミニズムも社会運動である以上、発信力の強いtwitterを使いたくなる気持ちもよくわかるのですが、まずは落ち着いてください。相手にわかる言葉を、最低限の敬意を、お互いに。自戒を込めて。
*1:何も知らない状態で能力を伴った攻撃を受けることで、非常に大きな痛みを伴うものの、その後の能力開花が早い。
はじめてのサッカー観戦と子どもの団体スポーツ
女子サッカーを見に行く
先日、「放課後の時間を考える」という記事を書いたところで、子どもの習い事、あるいは子どものスポーツについて、いろいろと興味が出てきました。
そこで、スポーツ観戦なんて人生で2,3度しかない私ですが、偶然チケットをいただいたので、女子サッカーを見に行くことにしました。
見に行ったのは、INAC神戸レオネッサとセレッソ大阪堺レディースの試合。
日本代表にも多く選手を輩出している、INAC神戸ですが、そのホーム最終戦をノエビアスタジアムで観戦しました。
(※とてもきれいなスタジアムでした)
なぜ見に行くのか?
スポーツを「見る」というスポーツ体験を子どもにさせたい、というのが第一の理由です。実際に見に行くことで、子どもにもゆっくりとサッカーのルールを教えることができるし、プロのプレーの巧さや迫力を体感できるのも楽しいし、勉強になります。
そんなに教えるほどサッカーのなにかを知っているわけではないのですが、まあ一応ルールや今のプレイはなんだったのか、という解説くらいはできます。
スポーツ観戦のハードル
スポーツ観戦って、興味のない人にとっては結構ハードル高いですね。
まずスタジアムまでの移動時間と交通費を払って、最寄り駅からそれなりに歩いてスタジアム内も広い。
そのうえ、試合の内容は予測不可能です。ぐだぐだの試合になるか、ベストマッチになるか、分かりません。会場内は、夏は暑く、冬は寒い。ほぼ選手と同じ環境下で過ごすことになります。もちろん、観戦にはお金もかかります。ビールも飲みたくなります。
実際に見に行ったら面白いなぁと思うのですが、それでも「見たい」と思わせるだけの魅力をどのように興味のない人に伝えるか、というのはスポーツマーケティングの初手の課題だと思われます。
スポーツ系情報へのアクセス
スポーツクラブのホームページは総じて見づらいです。
ゴリゴリのイカついデザインで、かつどのサイトも似たようなギラギラ感を出しています。一方、女子クラブのページは、明らかにお金がないことが分かる質素なサイトです。選手の写真も、素人が撮ったような写真です。
スポーツ選手はアイドルではないので、べつにメイクした顔を載せろというわけではないのですが、いまどき企業の社員紹介でもそれなりのクオリティで作られてますよ、というレベルの話です。
そもそも、デザイン的にすごく見づらいHPばかりなのは気のせいでしょうか。ゴテゴテ・ギラギラしててどれもエグザイルかよ、みたいな。スポーツ系のHPってそういうものなんでしょうか。。 https://t.co/VbWA4HBUR0
— yuki ota (@lazy_planet) 2018年10月31日
そんなレベルの状態のところで、SNSをもっと、とか言ってる関係者のツイートを見て、思わず苦言を呈したくなりました。ご自身たちはnoteで発信されてるのに、そのUIの設計を自分のチームのHPに反映できないのはなんでなんだろう?と思います。
「見せたい情報」ばかりがあって、訪問者が「見たい情報」が得られる作りになっていない、ところが問題なのだと思われます。
とはいうものの、twitterで最近この界隈の人たちをウォッチし始めていて、いろいろ頑張ってるなぁと思うことも多いので、それがより幅広い層に届くことを応援したいと思います。
チームスポーツへの参加
さて、話を自分の子どものことに戻します。
実際に、自分の子どもにスポーツを習わせるとき、水泳や体操など個人で行うものはフィットネスジム市場の伸展もあって、都心であっても近所で運営しているところも多いかと思います。
一方で、チームで行う集団スポーツだと、近くにクラブやあるいはスポーツチームのキッズ向けプログラムがあるかどうか、によって、その参加のハードルが変わります。
スポーツ教育に熱心な親は、わりと遠くまで車で送り迎えしたりしているようですが、自分がスポーツをしない親だとなかなかそこまで意識が向かわない気がします(というか私がそうです)。
子ども自身にしても、「見る」体験から実際に自分が「する」というところまで、興味が移行するかは分かりません。が、「する」に至った場合も、そのときに地域に参加のしやすいそれなりの「クラブ」がないと成り立ちません。
現状のクラブと親の負担
地域の中でそうした「クラブ」の役割を果たすのがスポーツ少年団だったり、部活であると思うのですが、それらにまつわる話題で賑やかなのは、「親の負担」です。
そもそも活動時間が平日の夕方であれば、共働き家庭の親は送り迎えが困難です。
また、多くのスポーツ少年団は月謝の費用が比較的安い代わりに、親がコーチへのお茶出し、ビブス(ゼッケン)の洗濯、練習の付き添いなど当番制でそれらの係が回ってくることもあります。土日の試合などがあれば、弁当、送迎、応援、打ち上げなどに忙しくなります。
親の負担感や子どもの地域スポーツの現状については、下記の笹川財団の2017年の調査が比較的母数も大きく、詳細に調べられています。
※小学生のスポーツ活動における保護者の関与・負担感に関する調査研究
(http://www.ssf.or.jp/Portals/0/resources/research/report/pdf/2017_report_37r.pdf)
親の負担感データ
レポートをみると、子どもの所属するクラブの運営団体は、全体の割合としては民間クラブ7割、地域クラブ3割であるものの、団体競技になると、地域クラブの割合が高くなります。
また、自分の子ども以外に対する関与としては、下図のようになり、地域クラブのほうが親の仕事が多いことが分かります。
また、現状子どもにスポーツをさせている母親のやりがい・負担感が下図です。
意外と「やりがい度」が高いです。が、個人的にはこの手の「やりがいがある」というのは指標としてはプラスともマイナスとも取れないと思っています。そう思わなきゃやってられない、というのも含まれるからです。いわゆる「やりがい搾取」につながりかねないのも、よろしくないです。
一方、スポーツをしていない子どもの親のさせていない理由が下図の通りです。負担感や本人のやる気・やる環境がないなど、が上位です。
もちろん、親のスポーツへの興味の有無で、地域でスポーツできる場所を調べたりする意欲なども変わってくると思うので、そのあたりを調べた別の調査があれば、またご紹介します。
地域とスポーツ
スポーツ少年団の登録人数は減少傾向にあります。
PDFで見づらくされていたので(たぶんわざと)、 グラフ化しました。理由は、指導者不足や上記に上げた親の負担感、スポーツ以外の習い事との競合など、さまざまに考えられると思います。
実際、ボランティアに近い形で、たまたま地域の中にいたスポーツの上手い人が指導している地域クラブよりは、きちんとした給与体系で組織の中でしっかり訓練されている指導者のもとでスポーツをさせたほうが、親としても安心感あるし、より効果的に上達するように思います。もちろん、民間運営のものであれば、月謝も入会費もそれなりに高く、親の資本力に左右されてしまう、というのが問題ですが。
このあたりの問題意識は、スポーツビジネス関係者も共通に持っているようで、地域スポーツについて様々な仕掛けをしようといま試みているものと思われます。
ちなみに、民間の運営する団体競技クラブでは、リーフラスのものが全国的で規模も大きいのかなと思いますが、このあたりは私もまた調べてみたいと思います。
まとめ
話がだんだんまとまらなくなってきたのですが、最初に戻します。
スポーツ観戦自体はとても楽しいものだったので、また機会があれば行きたいなぁと思うし、行きたいと思う魅力的な施設が増えればいいなぁと思います。それで、必ずしも子どもの体力向上につながる機会にならなくても、「なにかを楽しむ」ということの選択肢が増えれば、それ自体がその子の文化資本になります。そのうえで、地域で実践できる場が増えれば、なおありがたいことです。
スポーツでも音楽でも、何でも気まぐれに楽しんでくれたらいいと思います。
大津市PTA運営の手引きが見づらいので、一枚にまとめた
大津市のPTA運営の手引き
内容もまあまともで、なかなか良い資料だと思います。
が、いかんせん資料が見づらいです。下記から詳細がダウンロードできます。
ついに出た!!!
— 井上哲也 (@biwakoinoue) 2018年10月26日
日本初 教育委員会⇒校園長
「学校園管理者のための
PTA運営の手引き
~誰もが参加しやすいPTA活動をめざして~」
大津市教育委員会
教育委員会、学校園校長、PTA連合組織、PTA等に情報提供の場合のダウンロードは→https://t.co/pDfT7ARghd
つづく pic.twitter.com/iCRBl0hLRf
(※手引きをもとに執筆者作成、一部表現の変更有り)
…いや、これも細かすぎて見づらいですね。PDFだと多少読めるかも。
【追記】つーか見えねぇ。下記、ほぼ全文です。
任意加入の原則
1.強制加入の問題 | ||
① | 概要 | PTAは任意の団体であり、その入退会は会員の意思で決められるべきものであるが、本人の意思を確認することなく、また、加入は任意であることを説明せず、子どもの入学に合わせ自動的に保護者が会員になっている。 |
② | 現状 | PTA総会や入学・入園前の説明会で、PTA加入の任意性についての説明は概ねできているが、説明の内容が不十分。 |
③ | 学校の リスク |
総会等で管理職及び教職員が同席しているにもかかわらず、適切な説明をPT A会長等が行わないまま、自動的(半強制的に)に保護者が会員となることを容認している。(同じ役員・会員として)PTA役員に対し、適切な改善について、協議、指導ができていない。 |
④ | 対応策 | ◎…理想 〇…最低限遵守 △…改善が必要 ×…違法性が問われる |
◎ | 【明確な意思表示】 PTA会長等が、入学・入園説明会等に、各会員から入会届を取得。 |
|
〇 | 【消極的な意思表示】 入学・入園説明会等において、PTA会長がPTAの必要性と任意性について説明のうえ、「基本的に皆さんに加入していただきたい。何らかの理由があって、加入できない場合は、いつでも反対の意思表示や脱会届けなどにより不加入の手続きをしてください。」と説明。 |
|
△ | 【会員が意思表示する機会が無い】 PTA加入の必要性と任意性についてPTA会長等が説明のうえ、「皆さん会員になっていただきます。」と説明しただけでは、本人の同意を得たとはいえない。 |
|
× | 【任意性の説明なし】 加入の任意性の説明をしていない。 |
役員強制
2.役員の強制の問題 | ||
① | 概要 | 役員のなり手がなく、強制的に役員を割り当てたり、出席していない会員に役員を割り当てたり、また、役員免除の理由として、病気や家庭の事情などの個人情報を公開し、審査するなど人権問題になりかねない事態も見受けられる。 |
② | 現状 | 半強制的に役員を割り当てる、家庭事情や健康上の理由で役員になれない人に配慮する等を目的に、できない理由書を提出してもらい、多くの人の前で審査している。 |
③ | 学校の リスク |
他の会員のいる前で、家庭の事情や健康上の理由などを述べさせたり、読み上げたりする人権侵害とも言われかねないようなやり取りがなされているにも拘らず、教育公務員は知らん顔(抑止も中止もしない)していると見られる。 |
④ | 対応策 | ◎…理想 〇…最低限遵守 △…改善が必要 ×…違法性が問われる |
◎ | 【本人の意思に基づく役員選考】 立候補制度などを活用するよう助言。 |
|
〇 | 【選考方法、過程の見える化】 事前に選考方法や選考過程を明らかにし、後から疑義が生じないよう助言。また、一定配慮の必要な会員に対しは、個人情報の保護を徹底する選考の在り方について皆で協議するよう助言。 |
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△ | 【押し付け合い】 「自分はやりたくない」、「あの人にさせておいたらいい」など、自分以外であればいいという発想で他の会員に押し付けられている。どうすれば負担感の少ないPTA活動となるのかを皆で協議するよう助言。 |
効率化
3.PTA事業や事務の見直し | ||
① | 概要 | 会議や事業の準備等で夜遅くまで行われ、役員の負担が大きい。市への苦情も多い。また、やる気のある役員が多く集まると「昨年以上」の成果を求める傾向があり、事業がさらに膨らむ。一方で、役員が毎年改選のため、前年の事業を実施するだけで精一杯となっていて、継続的な改革に着手できない。 |
② | 現状 | 会議時間は、教職員の働き方改革に合わせて、終了時間を設定するなど一定の改善はできているものの、大きな事業の直前には作業が深夜に及ぶこともある。 このままではいけないと思いながらも、役員が毎年替わり、前年の事業を実施するだけで精一杯で、事業の見直しには至っていない。また、改革しようとしても、反対にあったりすると「取り敢えず1年やったら終わる」という諦めも出る。 |
③ | 学校の リスク |
PTA役員や会員が、連続して夜遅くまでPTA事務に従事していて病気になる場合が想定。学校園運営の管理者として、遅くの会議等について一定の制限を設けるなど、施設管理者として一定抑制を行うことが必要。 また、PTA役員は毎年変わるが、教職員は他校園も含め長年PTA活動に携わっており、課題や改善事例の情報は一定把握している。同じ会員として、改善事例の情報を提供し、改善の方向性を提示すことで、PTA役員の協議を促すことが求められる。 |
④ | 対応策 | ◎…理想 〇…最低限遵守 △…改善が必要 ×…違法性が問われる |
◎ | 【地域や民間の活力を活用】 地域学校協働活動などが始まり、地域の力を学校園運営だけではなくPTA活動にも協力いただけるような支援体制を考え、PTA役員に助言。 |
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〇 | 【会員の協力、事業の縮小】 特定の役員に負担がかからないように、参加可能な会員が協力できる体制を整えるよう助言。また、身の丈にあったPTA活動について、事業規模の適正化に向け、協議するよう助言。 |
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△ | 【前例踏襲】 何の問題意識もなく、前例を踏襲。 |
個人情報の問題
4.個人情報の問題 | ||
① | 概要 | 学校園運営目的で取得した保有個人情報をPTA運営のため、本人の同意を得ずにPTAに提供している。 |
② | 現状 | 学校園運営の必要性から取得した個人情報について、殆どの学校園で会員のPTAに提供することを説明しているが、一部の学校園では十分説明できていないところもある。 |
③ | 学校の リスク |
学校園が保有する個人情報を提供する場合は、しっかり会員の同意を得る必要があり、同意を得ず提供すると個人情報保護条例違反となる。また、PTAが独自で取得した個人情報については、取得や管理方法に問題がないように適切に助言。 |
④ | 対応策 | ◎…理想 〇…最低限遵守 △…改善が必要 ×…違法性が問われる |
◎ | 【PTAが直接会員から個人情報を取得】 PTAが入会時や進級時に、会員から直接に個人情報を取得。この場合、学校園には個人情報保護条例上の義務や責任は生じない。 |
|
〇 | 【適正な手続きを経て提供】 学校園が保有する個人情報をPTAに提供することを伝え、どうしても同意しない場合には、不同意の申し出をしてもらうよう説明。 |
|
△ | 【通告だけで提供】 保有個人情報をPTAに提供しますという説明だけでは、本人の同意を得たとは言えない。 |
|
× | 【通告しない】 学校園が保有する個人情報をPTAに提供することすら説明をしない。 |
会費の引き落とし
5.会費の学用品費との同時引落しの問題 | ||
① | 概要 | PTAの会費を、学校園徴収金に合わせて指定の銀行口座から引落し、学校事務が行っている。これはPTAの事務を学校園が肩代わりしていることになり、代理人として付与される権限とその範囲を委任契約書で明確に規定する必要がある。 |
② | 現状 | PTA会費を独自で徴収している学校園は2校のみ。その他は、学校園徴収金に合わせて会費の引落し。 その中には、銀行へ提出する口座引落依頼書に「PTA会費」という項目があることをもって、同意を得たとしている学校園が多くあり、また、学年通信等で事後に口座から引落し徴収金の明細にPTA会費を明記しているという学校園がある |
③ | 学校の リスク |
下記の2点のことを整理する必要。 1点目は、任意の団体であるPTAの事務を学校園が肩代わりするという問題と、2点目は、会費の納入に係る本人同意の問題。 1点目、既に委託契約書の例を示して通知しており、契約の無い学校園は本来の業務外の仕事を勤務時間内に行っていることになり、職務専念義務違反を問わる可能性がある。 2点目、本来的にPTAが会員からの同意を取得すべき。学校園は、その結果に基づいたPTAとの間で交わす委任契約に基づき、学校園徴収金に併せて徴収事務を代行しているに過ぎないので、学校園が同意を取得する必要はない。 |
④ | 対応策 | ◎…理想 〇…最低限遵守 △…改善が必要 ×…違法性がある |
◎ | 【会費はPTAが直接徴収】 PTA会長等が会員から口座引落しなど独自の手段で会費を徴収。その前提として、入会時に会費の額や納入方法について事前に説明したうえで同意し入会するという入会届を取得。 |
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〇 | 【会費を学校園徴収金に合わせて徴収】 入会等において、PTA会長等からしっかりと会費額やその徴収方法について説明し、同意を得たうえで入会。同意できない場合には、不同意の申し出をしてもらうよう説明。 |
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△ | 【本人同意を得ずに徴収】 本人同意の取得はPTAの事務であり、学校園では確認できないが、委託契約の締結時には、同意を得ている旨の確認を確実に行う。 |
|
× | 【委託契約が未締結】 PTAの事務を学校園が行う場合、委託契約は絶対に必要。契約の無い学校園は職務専念義務違反を問わる可能性がある。加えて、既に委託契約書の例を示して通知しており、職務命令違反を問われる可能性もある。 |
使途不明金・寄付
6.会費使途不透明の問題 | ||
① | 概要 | PTA会費をあてにして、学校備品・修繕などが行われているケースがある。寄付としての手続きを取りPTA側の善意であれば問題ないが、学校側が依頼し、寄付と言う形をとるようお願いすることは不適切ではないか。 |
② | 現状 | 現在は寄付という手続きを経ているものについては、問題ない。 が、不適切な事案もあり学校園運営に関わる経費については、当然に地方公共団体が負担することは、学校教育法や地方財政法で定められています。実態を把握し適切に対処。 |
③ | 学校の リスク |
使途については、教職員が参加する総会において、会計報告、予算説明等が行われているので、明朗で明確な説明責任が果たされるよう適切な助言が必要。 備品等の寄付については、実態として学校園側が主導して行った場合には、関係法令に違反する可能性がある。 |
④ | 対応策 | ◎…理想 〇…最低限遵守 △…改善が必要 ×…違法性が問われる |
◎ | 【必要な予算は市で確保】 学校園運営に関し必要な物品は、市の予算で措置 |
|
〇 | 【ルールに基づいた事務手続き】 PTAとして、卒業などの機会に、子どものより良い教育環境を整えるために、学校園が要求することなく善意により記念として寄付を頂く場合は、寄付採納の処理を行う。PTAは、会計規程をしっかりと作成し、また、その使途を詳細にしっかりと会員に説明。 |
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△ | 【学校園がPTAに依頼】 学校園が寄付という形をとりながら、備品購入等をPTAに依頼。 |
|
× | 【寄付などの手続きの不備】 寄付採納の手続きをしない。また、PTA会費で修繕工事をするなど所管所属に相談や報告をすることなく行う等。 |
PTA未加入者の子どもへの教育的配慮
PTAは『Parent-TeacherAssociation(保護者と親による会)』の略ですから、子どもとは無関係な組織です。
つまり、PTA活動は、学校園に通うすべての子どもたちの福利のために保護者と教師が自発的に行う活動であって、PTA会員の子どもたちの福利のために行われる活動ではありません。
従って、入園・入学式や修了・卒業式などでは、PTAから紅白まんじゅうや学用品が各児童生徒に贈呈されることがあります。
これらの費用はPTA会費から出されますが、もちろん、PTA会費は「学校園に通うすべての子どもたち」のために使われるものですので、PTA会費を支払っていない保護者の子どもであっても証書入れの筒や胸につけるリボン、学用品を受け取れない、ということはありません。
というところです。
業務効率化・役員負担・役員決めなどの項目については、「助言する」などとしか書けないところが非常にあいまいで残念ですが、任意加入や個人情報・会費の問題、そして「非会員の子どもへの配慮」に具体的に言及しているところが好印象です。
いまのところ、自分の娘の学校のPTAについて特段不明瞭な点や不満な点があるわけではありませんが、もしなにか問題にぶつかったとき、これを手元にプリントアウトして、対処したいと思います。
名前のないレシピの話『子どもはレシピ10個で育つ。』レビュー
子どもはレシピ10個で育つ。
とても分かりやすいタイトルの本のご紹介です。
料理が苦手でも得意でも、料理は毎日の連続で、子育て期間は約20年続きます。
日々の料理の「負担感」をいかに軽減するか、というのは、育児を安定的に続けるために必要な技術と言えると思います。
著者の上田さんは、フランスで修業した料理研究家ですが、双子の息子がいます。その双子のための料理を作ってきたナレッジをこの本に詰め込んでいます。
この本のことを知ったのは、写真家の馬場わかなさんのtwitterです。案外に写真が少なくて若干不満ですが、とても素晴らしい写真を撮る方です。この本のオススメポイントの一つです。
以下、内容について触れつつ、オススメどころを紹介します。
基本的に見開きにTipsが一つずつ書かれている構成になっています。
献立についての考察が1/3
料理を長いスパンで考えたときに、重要なのがひとつひとつのレシピよりも献立(計画)の策定です。冷蔵庫のなかにあるもので作る、というのが家庭料理の基本ですが、その中身も補充・収納・管理する必要があり、それらを過不足なく使い切るには、それなりのテクニックが必要になります。
多くの料理本で見落としがちなこの部分を端折ることなく、丁寧に書いています。
そのなかに、「子どもはレシピ10個で育つ」についても触れられています。
細かい小技を丁寧に言語化
「油と塩を先に入れる」「困ったらとりあえず肉を焼く」「大きく調理して、食べるときに小さくする」など、細かいTipsがたくさん散りばめられています。というか、今の自分の調理法に近く、そうそうこれ、というものが多かった印象です。
ホットクックを推奨する勝間和代さんの小技もとても合理的なんですが、自分とはかけ離れていて、その感覚はないんですよね。彼女の調理方法を実践する場合、生活習慣そのものからガラリと変える必要があります。
レシピはおまけ
レシピはおまけのように最後にあります。おまけのように、としているのは「必ずしもこれを作れ」というものではなく、「ウチの場合はこうですよ」という参考事例のようなものだからです。
というか、『大きな具材の炊き込みごはん』以外、結構めんどうなレシピが載せてあるので、私にはあんまり参考になりませんでした。
私は、揚げ物系はスーパーのお惣菜で済ませるし、ソース系はハインツの缶を使います。コストコのチーズを合わせれば、とてもおいしいグラタンができます。
名前のないレシピ
ここからはウチの夕ご飯のメニューのはなしです。
ご飯とみそ汁
ご飯とみそ汁は、だいたいいつも用意します。
ご飯は朝に予約、みそ汁は20分ほどでメインの料理と並行で作ります。
みそ汁の具材を多めにすることで、一汁一菜でも十分に満足感のある食事になる、というのは土井善晴さんの本のとおりです。
みそ汁のためにホットクックを使う、というのはやや贅沢な気はしますが、平行稼働が苦手な人はアリだと思います。
単品サラダ
うちの子は、ほとんど生野菜しか食べてくれないので、ミニトマトをひとつかみして洗って皿に置いたもの、ニンジンやキュウリを短冊状に切って塩を添えたもの、などがサラダになります。所要時間は1分です。
この単品一つ、というレシピはこの本でも紹介されています。野菜を茹でただけのもの、切ってトーストしただけのもの。蒸すのもレンジでOKです。所要時間3分ほどで終わります。
単品メイン
メインは、いつもその場で作りながら考えます。
とりあえず、肉を焼く。味付けは作りながら考えます。
(鶏・豚・牛)×(和・洋・中)でバリエーションは様々です。
とりあえず、魚を焼く。肉が続いたら魚にします。
だいたい鮭・鯖どちらかです。
(※これはサンマですが)
肉や魚は、業務スーパーなどで安い胸肉や鮭を買っておいて、味噌・酒・醤油・塩・麹など組み合わせを変えたものをジップロックに漬けておくこともあります。
下味だけで、味の変化が得られるので、毎日食べても飽きません。下味つけてれば夕食時の調理は時短で済むし、おいしさが違います。肉単品で炒めるか、ラップしてレンジだけでもOKです。
(下味をつけてレンジでチンした蒸し鶏です)
具材有りメイン
時間があるときは、肉・じゃがいも・ニンジン・玉ねぎを炒めます。
そのあとカレーになるか、シチューになるか、肉じゃがになるかはわかりません。気分です。カレーと言っていたのに、気づいたら肉じゃがでした、ということもあります。
とりあえず、「なにか」の食べ物になります。
揚げ物
お惣菜の揚げ物は、レンジ→グリルモードで熱々で外もカラっとするし、余分な脂も抜けます。うちで使っている下記のレンジでは、ボタン一つでレンジであっためた後にグリルができます。
スーパーは調理済みのいわゆる中食市場が伸びていて、自店調理式のおいしい店も増えてきました。安くて手軽なので、遠慮なく利用しています。
揚げ物ではないですが、餃子もうちは冷凍のものを使います。油も引かなくていいのでラクです。普段は味の素餃子ですが、Oisixの冷凍ほうれんそう餃子はとてもおいしいです。
麺類
子どもが喜ぶので、ほとんど「うどん」です。最近はスーパーでもコンビニでも、安くておいしい乾麺が手に入ります。ご飯を炊き忘れたときはたいてい乾麺を茹でます。
具材も乾燥しててOKです。油揚げ・刻み葱・わかめなど。ネギ苦手なので入れませんが。
(※相模屋さんは最近いろいろ攻めてる商品が多くて楽しいです)
チャーハン
うちの子は、納豆好きなので、納豆チャーハンをよく作ります。納豆とごはんを混ぜて炒めて納豆についているタレをかけるだけです。フライパンはこびりつきますが、作り方は簡単です。
この本では、みじん切りがめんどうなので、代わりにすりおろしてみては?と提案されていますが、すりおろしも面倒では?と思います。納豆は初めから細かいのでラクです。
鍋
これからの季節は鍋ですね。たぶん、週1でやると思います。味はいろいろあります。
まとめ
この本は夫婦で共有して読んだのですが、「そもそも、うちも10個くらいしかレシピなくない?」というのが共通の感想でした。
味付けや具材など細かく分類すれば、たくさんあるのかもしれません。ただ、ざっくり手順を分ければ、10通りくらいしかないよね、というところだと思います。ほとんどは、名前もないようなレシピです。
料理に苦手意識を持っているのであれば、10通りのパターンを身につければよい、と思えば身構えることもないのかもしれません。
この本の著者も『同じ手順で、違う味』という変化をつけることを楽しんでいるのだと思います。
もちろん、『毎回味が違うのが、嫌』と言う人もいます。その場合は、ホットクックなど標準化できるシステムを導入したほうがいいと思います。
それぞれの家庭にあった家事の最適化ができたらいいですね。
(※トピシュ@tpoishuさんにもブコメでレコメンドさせていただきました。twitterでの言及ありがとうございます…!)
今回の記事の中では、日本人が凝る傾向がある料理について土井善晴さんの本を紹介しましたが、"京大卒の主夫"の@lazy_planetさんから『子どもはレシピ10個で育つ』という本を推奨頂きました。
— 斗比主閲子 (@topisyu) 2018年10月28日
10/24発売の本で、私は未見であるものの、ご参考までに共有しておきます。https://t.co/lATog10jaY
小学校の連絡はたしかに紙だけど、
連絡は紙!
下記の記事。まあ、その通りです。
欠席連絡が一番面倒ですね。近隣の友達に「休みます」という旨を書いた連絡ノートを学校に持っていってもらう、というものです。
そのへんのアナログさについては、このブログでも、詳しくは下記の記事でかいています。ちなみに、うちは公立校です。
これは地域ネットワークの必然性をあえて作るために、やってるものではないかと思われます。面倒なやり取りが発生するシステムをわざと作って、子ども同士、親同士でつながりを作りやすくする、というものです。
私は、上記のように解釈しています。
わざと、面倒なシステムを作ってるんだ、と。
実際、本当に緊急な連絡は、全てメールで配信されています。
近所に不審者が出たので、集団下校しています、今日の放課後教室(※学童とは別です)は雨で中止です、地震や台風など災害発生時の対応、などなど。
それできるんなら、普段の連絡もメールのほうが楽じゃない?と思うのです。先生もそんなのとっくに分かってると思います。
単焦点プロジェクタで授業
あれ?意外とシステム化してるじゃん、と思ったのが授業参観のこの一コマです。
単焦点プロジェクタで教科書をホワイトボードに写し出して、そのうえの文字を先生がなぞっています。子どもの教科書と同じように表示されていて、しかも見やすくていいですね。
商品検索すると、こちらのものでしょうか・・。なかなかいいもの使ってます。
算数の授業などでも、同様にしていました。黒板、いらなくない?
荷物重い問題
これも、先生のほうも騒がれてるのもよくご存じでした。なるべく分散して持ち帰るようにしたり、事前に重いものは授業が少ない日に持ってこさせるようにしているようですが、子どものほうがそれを忘れることも多いです。
ウチの場合は『置き勉』自体は、特に禁止されていません。
宿題も、計算ドリルや漢字ドリルで、それ専用のノートがあるのですが、学校で預かってくれて、宿題のあるページだけコピーして渡してくれます。それだけでも荷物が軽くなるのでありがたいです。
それよりも、n=1の話ばかりで申し訳ないのですが、うちの子はなぜか「秘密のレシピノート」とか「イラスト帖」とか余計な荷物をいつも使わないのに鞄にずっと入れていて、 そのせいで重かったりします。あと、なぜか色鉛筆も。
「なんでこんなの入れてんだよ!」と怒ってみても、子どもには効果がありません。子どもにとっては大事なもののようです。
欲を言えば、ほとんどすべての教科書は学校に置いておきたいです。
文房具も学校と家にそれぞれ置いておいて、手ぶらで学校に行って、手ぶらで家に帰ってこれるのが理想ですね。
以前勤めていた会社では、そんなふうに会社に来ている人もいましたが、それでもなんとかなる世の中です。
給食費その他の振込
こちらも、お金を用意して子どもに集金袋を渡して・・・なんてことはなく、口座引落です。ただ、その引落口座が指定の銀行のみで、平日の窓口に行って証明書をもらわないといけない、というトラップがありました。
ただ、それさえクリアすれば、後は楽チンなので、オリンピックボランティアのフォームよりずっと難易度は低いです。
2,3周遅れてはいるものの…
インターなどに通ってる人の話とかを聞くと児童全員にメールアドレス付与してたり、進んでいるなぁとは思うのですが、私はもともと学校に対する期待値は高くないので、そんなものかなぁと思っています。
それよりも、先生の事務仕事や過重労働のほうがよっぽど問題で、そのストレスが子どもに負の影響を与えていないかどうかの方が心配です。
それに関しては、現状非正規の学童指導員がフルタイムで働いて、昼間の先生の仕事を軽減してくれればwin-winじゃないかなぁと思うのですが(詳しくは下記)、学校と学童が接続していない現状を変える政治的な力はまだ働いていないようです。
まとめ
個人的な感想ですが、学校の業務の一部にシステムを導入したところで、大した負担軽減策にもまして親の働き方に影響を与えるほどのインパクトのあるものにもならないんじゃないかな、と思っています。
むしろシステム化しきれなくて、結局、紙とITとの二重稼働みたいになって、余計に負荷がかかる可能性のほうが大きいです。(←行政システムにありがちなやつ)
そんな話はたぶんシステム屋界隈にいっぱい転がっていると思うのですが、私は専門外なので、「絶対に失敗しない、学校の諸々の業務に対するシステム導入」みたいな話があれば、ぜひ知りたいです。
はてなブックマークが勝手につく問題
いや、本来ふつうに勝手につくものなんですが。
なんか、記事を上げた瞬間に必ず1ついて、しかもだれか分からない(ことがあります)。
ちょっと気持ち悪いなぁ。
ただそれだけなんですが。
そういえば、先日の記事で100記事になりました。わーい。
なぜ幼児教育無償化は問題なのか
ふたたび保育の話になりますが、ちょうど池本美香さんの新しいレポートが日本総研に上がっていたので、ご紹介です。
保育の費用負担の在り方 ─幼児教育無償化を考える─
(http://www.jri.co.jp/MediaLibrary/file/report/jrireview/pdf/10739.pdf)
上記レポの冒頭2ページの要約だけでも、とても参考になるかと思います。
度々このブログでは登場する池本氏の論考ですが、繰り返し『保育の質』について重きを置いて考えられています。
無償化が優先されるのではなく、質の確保が優先されるべきであり、それを普遍的に届けるための手段が無償化なのである。表層的な政治・行政の人気取り、業界支援であってはならない。
この意見については、全く同意しかありません。
それでは、政府の掲げる「幼児教育無償化」政策のなにが問題なのか、具体的に見ていきたいと思います。
8つの問題点
池本氏は、レポートの中で、一般的な問題点を3つ、今回の政府案に絞っての問題点を5つ、それぞれ指摘しています。
一般的問題点
- 長時間保育による、保育の質の低下。保育料負担の軽減によって、親は安価な保育料でより長時間の保育を利用できる。その結果、待機児童問題、保育士不足、保育の質の低下などが、改善するどころか、むしろ悪化する懸念が生じる。
- 無償化に先立ち、行われるべき政策が行われていないまま、家計負担の軽減が先行している。他国では、保育の質を評価する国の機関の設置、監査の義務化、保育士の免許更新制の導入、所得の向上などを行ったうえで、無償化している。
- 無償化の恩恵は高所得層に偏る。幼稚園、認可保育所、認定こども園など大半の施設には、家庭の所得に応じた保育料の減免措置が設けられている。このため、無償化した場合のメリットは高所得層ほど多くなる。
より詳しくは下記参照。
「幼児教育・保育の現場からみた『こども保険』の問題点と改革の方向性(PDF)
政府案に対する問題点
- 認可保育園と認可外保育園の利用者間の格差
- 親の収入(有業性)による格差
- 3歳児未満保育への支援が希薄
- 無償化の予算が不明確
- 無償化の上限が全国で一律設定(地域格差)
どれも大きな問題なのですが、それに対する腹案の前に、議論の前提として幼児教育無償化の中身について説明します。
幼児教育無償化とは?
無償化の具体的な内容
これについては池本氏のレポートで、非常に分かりやすくまとめられていますので、下記の表をご覧ください。
もともとのソースはこちらです。
(幼稚園、保育所、認定こども園以外の無償化措置の対象範囲等に関する検討会 |内閣官房ホームページ)
要点としては、
- 三歳児以上については、幼稚園・保育園ともに無償化
- ただし、認可外については上限を設ける
- 利用できるのは、「保育の必要性」のある世帯のみ
- 三歳児未満については、住民税非課税世帯のみ無償化
というところでしょうか。
個人的には、三歳児未満の保育がほぼ無償化の対象外となっている点が、気に入りません。保育園側としても、負担が大きく人数が割かれる部分であることは承知していますが、親としても当然負担が大きく、『支援』が最も必要な時期だからです。
高所得層の便益の偏り
これも各所で言われているところなのですが、一応。
下記の表が、現在の住民税(所得)に応じた利用者負担費用の一覧です。無償化のメイン対象は「2号認定:満3歳以上」ですが、これらが一律で無料となるわけです。
誰が最も得をするかは、一目瞭然かと思います。まあ、もともとの高所得層の負担がかなり大きいのも確かですけど。隠れた税金、みたいに言われている所以です。
ではどうすればいいのか?
池本氏は5つの提案をしています。
- 施設類型ではなく質を重視した、線引き基準の根本的な転換
- 無償化の対象をおおむね幼稚園の教育時間部分に限定
- 3歳未満についても、就業の有無にかかわらず保育施設に通う権利を付与
- 国の試算の見通しの明確化
- 国・自治体・施設の費用負担に関する情報開示
これは、問題点で指摘している5項目とそれぞれ呼応しています。いくつか説明が必要かと思います。
まず、施設類型ではない質を重視した基準とは、”いかなる施設形態をとろうとも、提供される保育の質こそが重要なはずである”という考えのもと、提唱されています。
現状は、親のニーズや運営主体によって、それぞれ基準や評価が異なり、そもそも所轄機関や監視・評価団体も異なるために、統一的な評価の判断ができずにいます。それを統一しようというものです。
質の高い保育には保育士の高い専門性が必要であり、そうした専門知識を有していることが収入に反映されれば、保育士にとってもプラスに働きます。現状は預かる子どもの人数の多寡で予算が組まれて、保育士の能力はほとんど考慮されず加算も少ないです。
時間について一定の上限を設けることについても、現行の案では11時間保育も8時間保育も全て無償化されてしまいます。だったら11時間預けたほうがお得ですよね?ってなりますし、「長時間働いているほうがお得」って社会は、労働者にとって不幸でしかありません。
また、専業主婦・夫など、仕事をしていない親に対する支援も必要です。保育園に預けていない家庭は、無償化の恩恵を受けることができません。専業主婦・夫のキャリア向上や貧困家庭への支援を充実するのであれば、そうした家庭こそ保育園に入ることができ、さらにはキャリア支援も受けることができるなどの制度があっていいはずです。
そうした支援の全体像が把握しづらいことが議論を難しくしています。よく言われる保育園は厚労省、幼稚園は文科省が管轄だから全く別物で一体化が進まない、というのと同様に、支援にまつわる省庁が複数にわたると途端に動きが鈍くなります。さらに国と自治体の関係もあるので余計にややこしいのです。
まとめ
総じて、幼稚園・保育園にまつわる幼児教育については、制度がどんどん複雑化しています。その割に、「無償化しよう」ということだけが大雑把に決まっています。
そもそも、基準や制度をもっと統一的にしたら、今よりずっと効率的に幼児教育の予算が配分できるんじゃないの?
そして、無償化よりも先にやることがあるんじゃないの?
というのが、今回のレポートの提言です。
なお、ほぼ同様の議論が下記の記事でも書かれています。
こちらも参考になります。