京大卒の主夫

京大は出たけれど、家庭に入った主夫の話

「文系大学教育は仕事の役に立つのか?」という問い

タイトルの本を読みました。

文系大学教育は仕事の役に立つのか―職業的レリバンスの検討

文系大学教育は仕事の役に立つのか―職業的レリバンスの検討

 

タイトルだけでお腹いっぱいになりそうな本ですが、一応雑感を。

 

こちらの本は、教育学者の本田由紀先生の監修のもと、数名の大学の先生が書いています。

本田さん自身は、「レリバンス」という概念のもと、教育の効果の計測に取り組まれています。

レリバンスとは、関連性・意義、または有意味性という意味で、2つのモノとの間につながりがあるということなんです。つまり、教育内容というものは、子どもたちの現在や将来の生活にとって関連があり、意味があることだということです。

Benesse発2010年「子どもの教育を考える」 - 教育の第一人者からのビデオメッセージ2010年に向けて〜教育への提言 - 本田由紀先生 第1回 - 教育研究開発センター

参考:『社会的レリバンスの高い教育課程設計と評価のあり方について』(PDF)

 

本の内容を簡潔に述べれば、文系大学教育のカリキュラムにおいて、「授業の双方向性」「職業的レリバンス」の要素が盛り込まれていれば、仕事の役に立つ可能性が高い

教育学・心理学など、資格の取得やそのまま職業につながりやすい分野では「役立ち感」は高く、しかし経済学・社会学経営学などは幅が広すぎるためか「役立ち感」は無い。また、選抜度の極めて低い大学では、資格取得すら効用は薄く、それらは「学生の自信回復」ではなく単なる「就職対策(就職率向上のための施策)」になっている。

当たり前だけど、パーソナルな「無駄感」は、授業に出なければいくら内容が良くても意味がないので、本人の授業態度が大きくかかわる。ソーシャルな「不要感」は、大学への期待の裏返し・不満からくるもので、授業態度が真面目な人ほど高い。

 

というところを、できる限り計量的に調査・分析している、という内容でした。当たり前ですが「役に立つ」という答えを前提として、どう大学の教育に生かしていくかという議論が中心です。

 

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以下、批判点です。

そもそもの問いの立て方

ちょっと前にブロガー界隈で流行った「大学なんて行く意味ない」論争のような話はずっと以前からあり、それに真っ向から回答するために、こんなタイトルの本になったと思うのですが、その問いに意味はあるのか、というところがまず疑問です。

eulabourlaw.cocolog-nifty.com

ジョブ型社会のタテマエの下でホンネとしてひそかに行っている人間力採用がはじめから堂々たる正義として存在している以上、大学教育は「その付与するスキルに対応するジョブがあるのか」という本質的な意味での過剰論などはそもそも存在の余地はなく、人間力がどれだけ磨かれるか否かなどという次元でしか論じられない

というところで、そもそもの労働市場側が大学での教育を重視していなければ、全く意味がない話になります。ところが、この本の中では、労働・人事・人材育成といった労働市場側の専門家側からの視点はありません。教育学の本なので、そういうものなのかもしれませんが、「職業的レリバンス」を謳うのなら、そっち側も必要なんじゃないの?と思います。

 

どうでもいいですが、だいたいのブロガーはわりといい大学を出て、それなりの会社に一度は就職していますね。

 

「いつ」役に立つのか?

これは調査の母集団についての疑問です。入社して1,2年の仕事を一人で回せないような時期の社会人に「大学教育は仕事の役に立ちましたか?」と訊いたところで、それこそ国家資格の要るような一部の職業を除けば「よくわかりません」となる人が大半ではないでしょうか。

では、入社何年目にその効果が現れるのか、現れないのか、ある段階で再び「学び直し」をした段階で有益なものになるのか、など、より長期的に見る必要がありますが、拙速に変革を迫られている大学側にそんな長期的な視点で観察する余裕がないのかもしれません。

否定的な言説を否定しづらい空気

「いやいや、実はすごく役に立つよ!」とか「それって役に立つ必要ある?」みたいなことが言いづらい、言ってもなんだか虚無感に襲われる感覚があります。

もちろん、「役に立つ/立たない」の話を、教育的投資の観点で語れば、文系学部卒業者の年収は決して低くはないので私的収益率は高い、とかそういう話はできると思います。

でも、この問いの前提としては、教育の中身を論じなければ、私的収益率や社会的収益率の低い(気がする)「役に立たない学部」は廃止される、という危機感からきているために、レリバンスなどの概念を使って「学問が役立つ」ことを説明していく必要があります。

ところが、総じて大学生活が個人的経験で語られ、専門分野が全く同じでもゼミ単位、担当教授単位で全くその密度も粒度も異なるという、効果を検証するにはそもそもバラツキが大きすぎる「中身」の問題は取扱いが難しく、ふわっとした否定的な空気を打ち消すほどの厳密な調査分析は、ほとんど不可能なんじゃないか、というのがこの本で感じた率直な感想です。

 

 

 「なぜ勉強しなくちゃいけないの?」という子どもの問い

一応、子育てブログらしく終わろうと思うのですが、この子どもの問いに親はどう向き合うべきか?というのは、親になったらいずれ直面する問題だと思います。

この場合の「なぜ」もただ目先の課題が面倒なだけなのか、より本質的な問いなのかは見極める必要があると思いますが、本質的な問いだとすれば、それはググって良さげな回答を答えるよりは、「じゃあ一緒に考えようか」ぐらいのほうがいいんじゃないかな、と思います。

 

社会問題としての大学の在り方でいえば、個人の体験で語ることはNGですが、子どもに対しては、個人の体験を語ることも大事だなと思います。

私は、本が好きだし、普段生きているだけでは知りえないようなことを深く深く掘り下げて研究している人が見せてくれる世界をありがたく享受しています。そうした地道な仕事を続けている人に心から敬意を払いたいし、それを間近で見ることのできる大学教育もまた、とても面白いものだと思っています。 

子どもの難問

子どもの難問

 

今週のお題「読書の秋」

追記

『レリバンス』という言葉が気になって、この本にたどり着いたのですが、いまいちその使いどころが難しいです。

子どもの教育の主流はSTEM教育になりつつあって、学習塾・教材系の業界もそれに力を入れています。

それはそれでいいことなんですが、一方で非認知能力・あるいは文脈を読むといった文系的(?)能力に近いものの有用性をどのように実証しつつ、それらも子どもにバランスよく摂取させるには、というところを親としては悩んでいます。

まあ、それでも義務教育行ってればある程度のことは全て習ってくるのですが。