先日、学童についての記事を書きました。その後、twitterで何件か学童関係者からの反応があり、また興味に任せていろいろと調べています。
『学童』と何か
そもそも『学童』が何を指すのか、というところを明らかにしないとそもそもの議論が始まらない上に、地域によってその形態も内容もかなり異なるという実情が思った以上に根深く議論を難しくしています。
この記事では、学童とは「放課後児童健全育成事業」を指すものとします。
すなわち、『保護者が労働等により昼間家庭にいない小学校に就学している児童に対し、授業の終了後等に小学校の余裕教室や児童館等を利用して適切な遊び及び生活の場を与えて、その健全な育成を図るもの』です。(放課後児童健全育成事業について)
そのうえで、「どんな放課後の過ごし方が理想なのか?」という問いを考えたいと思います。その問いを考えたなかで、浮かび上がった学童の課題感は下記の三つです。
現状の学童の課題
- 学校の時間よりも長い『放課後』の時間が疎かにされているのではないか?
- 学童で過ごす子どもが増える一方で、インフラとして脆弱なのではないか?
- その原因として指導員の処遇の悪さ、不安定さがあるのではないか?
そのほか親の負担感や地域格差・経済格差など、課題を挙げればきりがないと思いますが、主にこの3点について焦点を当てます。
そこで、今回はフランスの学童保育との比較から、放課後の時間について考えます。
参照するのは、髙崎順子さん(@misetemiso)の下記のレポートです。
【配布のお知らせ】
— 髙崎順子 (@misetemiso) 2018年9月17日
フランスの学童保育に関して、報告書を自主制作しました。
この画像以下、A4全14ページの内容です。
色々考えた結果、ご興味ある方にのみ無料でメール配布しようと思います。読まれたい方はDMくださいませ。
読みやすさ重視ではない、情報メインの内容です。予めご了承ください。 pic.twitter.com/k9xmDjWWKx
無料でいただいていいのか、申し訳ないくらい大変優れたレポートです。
表紙に、その要旨がまとめられていますので、まず引用させていただきます。
ー ハード面の「場所」だけではなく、そこで展開されるソフト面の「時間」のあり方が重視されている
ー「時間のあり方」を左右する学童保育指導員・支援員の職業化が進み、多くの場合、自治体のフルタイム・正職員として雇用されている
ー 学童保育指導員が児童と過ごす時間が、学校教員とほぼ同じだけ長い(放課後・休日以外の学校生活でも、学童保育指導員が従事)
ー 学童保育指導員の数が多く、保育以外の文化・スポーツ系など、人材が多彩である
それぞれの項目について、レポートを踏まえたうえで、考えたいと思います。
放課後の「場所」ではなく「時間」として捉える
まず、第一に、フランスの『学童』政策は、放課後の場所の確保・充実ではなく、時間としてそれらを捉えている、という点です。
このあたりは、フランスの学童保育の成立背景からくるものと思われます。
フランスの学童は学校周辺サービス(Service périscolaire)という役務分類の元、一般的には余暇センター Centre du loisirと呼ばれている。
正式名称は法律上異なるものの、成立時の呼称が現在も続いているようです。以下でも、フランスの学童保育を「余暇センター」として記述します。
余暇センターの成立背景は下記の論文にわかりやすくまとめられています。
フランスにおける学校支援と青少年の地域公共空間 : 余暇センター (Centre de loisirs) を中心に
こちらの論文に拠れば、フランスの余暇センターは80年代に大きく捉え直されている、としています。
それは、やや結論的に述べれば、それまでの文化・スポーツなど多様な余暇活動からより教育的な活動へとシフトしていく。
とあるように、学校外における学習補助の意味合いが強まるのですが、それは単に補習をするのではなく、『余暇活動・文化』としての学習という性質の強いものでした。
余暇センターは、学校生活から排除されがちな子どもを学校へとつなげ、生活を見直し、リズムを整える、という機能を持ち合わせた、『学校周辺事業』として学校と家庭のあいだに立ち現れます。
そして、それは明確に、
子どもの解放された(自由な)時聞が、新しい不平等な時間となってはならない。社会はそれを組織し構造化する手段を与えられるべきである。
と打ち出され、教育の不平等を解消させるものとして発展します。さらには、後述しますが、社会的に排除されがちであった「スポーツや芸術はできるけど学校の勉強は不得意」といった子どもをそのまま学童指導員としての職につなげることで、そうした層の貧困化を防いでいます。
「余暇時間」という自由な時間を重視する考えは、バカンスの国ならではのものかもしれませんが、こうした方針が80年代~90年代にかけて確立され、その後余暇センターは対象年齢も地域も含め急速に拡大していきます。
このように『自由時間』をどのように過ごすか?という前提から、制度や組織が組み立てられています。そして、その質の担保のために指導員の処遇も保たれています。
なぜ指導員の待遇が良いのか?
これは、”自治体のフルタイム・正職員として雇用されている”こと、”放課後・休日以外の学校生活でも、学童保育指導員が従事”していることにあります。
彼らは、給食時の補助や、休み時間の監督として、放課後の時間だけでなく昼間の時間も学校の中で仕事をしています。
そのため、フルタイム・正社員で働くことができ、一定の給与が保障されています。
このことは、多量な業務を抱える教員の負担軽減にも繋がっています。日本の教員負担を減らす、という意味合いでも、こうした指導員のあり方は大いに検討すべきものだと思います。学童の対象を中学生まで広げれば、中学の部活の指導員としての雇用も生まれ、もちろん部活動への教員の負担は軽減されます。
ただ、彼らのことを「余暇担当」「余暇専門員」としてまるで「子供と遊ぶだけの簡単な仕事」のような認識で、彼らの職務時間だけが長くなれば、安定した地位と収入は得られない可能性があります。
専門性のある職業としての指導員
現状の日本の学童においても、指導員の研修を受けることが義務付けられ、一定以上の専門性が求められていますが、指導員の数は最低2名いればいい、という制度にとどまっており、絶対数も少なく、児童数の多い学童保育は多くの無資格の非正規補助員によって成り立っています。
フランスにおいては、学童の指導員という職業は、文化・スポーツで一定の功績を残しつつも、プロレベルには達せず安定した収入を得ることのできない、といった中間層の非正規・無職の人たちを救うセーフティネットとしても機能しています。
日本の学童事業と並行して行われる放課後教室などの課外活動には、地域の保護者や町内会の青年らが指導にあたることがありますが、総じてボランティア的な要素が強く、それらは正当な対価を払われているとは到底言えないものになっています。
逆に言えば、彼らがほぼ無償に近い形でそれらを担っていることで、文化・スポーツの専門性を持った人材市場が地域社会に生まれていません。
当然、彼らは指導員としての研修を受けているわけではありません。一部の部活動などに見られるような根性論的な体育会系思考が、そのまま地域社会に生きる子どもたちに刷り込まれてしまうリスクもあると思います。
児童の発達段階に応じた保育の基礎のうえに、文化・スポーツの専門性を備えた人材が地域社会で活躍できる場が生まれることは、子どもにとっても質の高い保育を受けることができる、という大きなメリットになります。
フランス式の導入の難しさ
やや過大評価気味に書いてきましたが、当然デメリットもあります。まずは人件費・費用面です。莫大な公的資金と親の所得に応じた応能負担が必要となります。現状は、民間の習い事、民営学童が、より教育的・文化的な時間を過ごすための場として機能しています。もちろん、高い費用を払える親の資金力に委ねられていて、その結果として教育格差が生まれています。
教育格差を生じさせないために、現状の『習い事・塾産業』を解体し、公的な学童の場に専門人材が活躍できる新たな市場を作る必要がありますが、さまざまな経済界の非難を浴びることは目に見えています。
公設民営、指定管理者といった方法も考えられますが、公的教育に民間企業が関わると、今度は親の側が保育業界のそれと同様に強い抵抗感を覚える可能性があります。『くもん教室』が学校内で学童保育やってて、問題ないと思えればいいのですが。
放課後時間における、日本の『習い事』という慣習が、公的な質の高い学童保育の導入を難しくさせているのではないか?
という新たな問いがここに見つかります。
新・放課後子ども総合プラン*1に書かれている、NPOや民間事業者の参画を~というくだりが、安易に受け入れられないのは、それが本当に子どもの時間の質を高めることにつながるのかどうか、私たちが丁寧に見極めなければならないからです。同時に本当に指導員の改善につながるのかどうか、というところも見極めることが必要になります。
保育園の民営化でよくトラブルになっているものの一つが、職員の処遇改悪です。習い事市場における『先生』も、大学生だったり主婦・主夫のパートだったり、もともと薄給で決して待遇が良いものではありません。
そこで、常勤での雇用は本当に可能なのか?という視点が重要になってきますが、そこまでの文意は新・放課後子ども総合プランからは読み取ることができません。決して教育に予算を十分に投入しているとはいえない今の状況で、この先転じて予算が配分されるとは期待していません。
親の応能負担は今後増えるだろうと思われますが、それだけでは不十分で、学校教育における教員と学校周辺教育における指導員とでどのように業務をシェアし、それぞれに予算を投じられるか、といった根本からの議論がなされるべきなんだろうと思います。
『習い事』については、また次の機会に書きたいと思います。取り急ぎ、フランスの学童レポートを読んで、日本の親なりに考えたことは以上になります。
髙崎さん、貴重なレポートを提供してくださり本当にありがとうございました。