「若者」をやめて、「大人」を始める
タイトルの本を読みました。はてなでもお馴染みの、シロクマの先生の本です。単純に面白かったです。
どんな本かと言えば、「生きづらい今の世の中、いつのまにか大人になってしまった私たちはどうやって人生を過ごしていけばいいでしょうか?」という問いに、丁寧に寄り添って答えを探っていく本です。
最終章は、もう悟りの境地です。成熟した大人としてソフトランディングし、人生をゆっくり降りていくための考え方を懇切丁寧に説明しています。
同時に、面倒な「おっさん」にならないためにはどうしたらいいか?という生存戦略にも答えている本だと感じています。
おっさんは差別されてもいいのか?問題
とりあえずNewsPicksさんに倣って「おっさん」をここでは「凝り固まった価値観やルール」みたいなものに縛られてアップデートを怠っている大人、と定義しましょう。
で、「何でもかんでもおっさんのせいかよ」と、そんなことをおっさんが言い出す時点でもうめんどくさいんですが、「でもわかるよその気持ち」という思いもあります。
当たり前ですが、おっさんも差別されていいはずがありません。
むしろ昔に比べておっさんも生きづらくなっている、といえます。
いろいろな理由で、ただ年上だから、というだけで敬われる機会は少なくなっています。同時に、若い世代の成長力やスピード感などが武器になりやすい、特にネットではそれが目立ちやすい、ということがあります。
「おっさん」だって苦労している。それはすごくわかる。人は誰でも年を取ります。体力が落ちて、代謝も悪くなり、ぜい肉が増える。若い世代との交流を積極的に持っていなければ、流行の話についていけなくなる。そうした努力も億劫になってくる。そんなふうに、みんな年を取ります。
おっさんが「社会のあらゆる問題を押し付けられている気がする」と感じるとしたら、それはおっさんの自覚のある人の素直な気持ちだと思います。
きちんと成熟した「おっさん」はそんな風に感じないはずだ、という論はそう感じている善良なおっさんにとって残酷です。普通のおっさんが普通に生きてて感じる空気感、「生きづらさ」はどこからくるのでしょう。
「おっさん」の主語がでか過ぎ
皆ちょっと主語が大き過ぎるんではないでしょうか。上で仮に定義したものの、その定義だとあっちではこの人おっさんだけど、こっちでは意識高い系の若者だよね、みたいなこともあり得ます。
仮想敵としている「おっさん」は、「一定の地位にあって、その地位を利用して、誰かに凝り固まった価値観やルールを押し付けて苦しめる大人」であって、古い価値観やルールで動いていても攻撃してこない利害関係のないおっさんまで敵視することはないのではないかと思います。
街で大声で「おい、おっさん!!」と叫んだら、いろんな人が振り向きます。その中にはキモくてカネのないおっさんもいれば、地位も権力もあってパワハラ・セクハラ好き放題のおっさんもいます。
加害・被害関わらず、不幸な事件の当事者になりがちなのは前者のおっさんで、「おい!」なんて怖くて声が掛けられないのが後者です。前者のおっさんが救われない社会なのであれば、それは弱いおっさんに対して差別的な社会です。
とりあえず「おっさん」に呼び掛けるときは、注意深くその特徴を捉えた呼び方をしていただきたい。じゃないと、年を取った自覚ある人は皆後ろ指差されたような気持ちになります。不必要な分断が生まれます。
そして、冒頭紹介した本にも書かれていることですが、おっさんがおっさんであることを否定せず受容することのほうが、面倒なおっさんにならずに済むのではないかと思います。
そんな、何者にもなれないおっさんの考えたおっさんの生存戦略*1でした。
*1:タイトルもこの文言も某アニメからの借用です