京大卒の主夫

京大は出たけれど、家庭に入った主夫の話

学習机を買うかどうかのはなし

先日、兄と一緒に遊んでいた時、年末に実家に帰ったら子どもの学習机見てみようかな、という話を切り出されました。

じつは、うちの娘も、サンタへのお願いに「机がほしい」と書いているくらいに欲しがっています。でも、ウチの場合、家具系のものはサンタにはお願いしないのです。

 

兄のブログ(と兄弟関係)をご存知の方は承知しているかもしれませんが、うちの実家は家具屋です。

www.smartstyle-blog.net

 

なので基本的には、実家で買おうと思っています。

 

さっそく、母親に聞いてみたところ、

さすが、回答が早い。

参考に送ったのは、これ。 杉工場。

夜には、父親から電話が掛かってきて、他にもオススメを教えてもらったのですが、お酒を飲んでいてすぐに忘れたので、

 

えっと、高野木工。

 

あと、堀田木工はこれか。

 なるほど、高けぇ。

LINE中の「飛騨木」、飛騨産業のことと思われますが、

kitutuki.co.jp

お値段は見ていません。

 

ちなみに、ダカフェ日記などで有名なのは広末木工、モモナチュラルという店名で展開してるのが脇木工です。日本の木工産業もまだまだ捨てたものではありません。ニトリや無印に負けずに頑張ってほしいです。

 

続 ダカフェ日記 (ダカフェ日記)

続 ダカフェ日記 (ダカフェ日記)

 

 

 

さて、基本的には天然木のものが流行りで、それを買う人が多いようです。

大人になっても使える、シンプルなものが好まれていますし、私もそれがいいと思っています。

まあキズは付きやすいですが、ヤスリ掛けしてオイル塗ればだいたい消えます。

 

それでも、お客さんの望む価格帯はベルメゾンと同程度なので、まあ接客大変ですね。大塚家具も危機に陥るわけです。

[rakuten:bellemaison-interior:10056227:detail]

…正直、ベルメゾンでも全然いいんですが、問屋が卸してくれません。

 

ちなみに、今はリビング学習しています。

一応、小さい机はあるし(だいたい散らかしてて使えないけど)、大きめのダイニングテーブルを買っているので、そこで勉強することもできます。

といっても、学童で宿題を終わらせることも多いので、親としてはまだ学習机いらんやろ、と思っています。

でも、いとこの子が机買ってもらうってなったら、自分も欲しいと思うのは自然なことなので、せっかくだし帰省の際に一緒に見に行く感じになるかなぁ、というところです。

 

lazyplanet.hateblo.jp

 

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勝間式・調理システムによる標準化について

勝間式・食事ハック

ようやく読みました。面白かったです。

勝間さんは、いうまでもなく大変優れた仕事人なので、業務の効率化・標準化の視点をそのままそっくり家事にも応用しています。その考え方の揺らぎが全くなく、非常に心地よいリズムで読み進められます。

勝間式 食事ハック

勝間式 食事ハック

 

 「勝間さんといえば、ホットクックでしょ?」というくらい、ホットクックのイメージが先行していると思いますが、実際には、ホットクック以外のこともたくさん書かれています。

個人的には、ホットクックは導入する予定はないので、その部分のほうが興味深くよませてもらいました。

katsumakazuyo.hatenablog.com

 

ホットクックに対する、個人的な考えは下記に書いています。

要は、「そこまで今の食生活を変えるシステムは導入できない」という判断です。

lazyplanet.hateblo.jp

 ホットクックはただの道具ですが、それを日常の調理に組み込むのは勝間式ともいえる「システム」です。そのシステムを導入するには、これまでの業務のやり方を踏襲するのではなく、新しいシステムに合わせた新しい働き方が必要になります。(今までの業務に合わせてシステムの側を変えることは、標準化の手続きとしては不適切です)

勝間さんの提案は、いうなれば新しい働き方改革(家庭編)みたいなものです。

雑感

とりあえずの感想を列挙します。

・具だくさんみそ汁、最高

・大豆いいよね

・納豆は買った方が楽じゃない?

・蒸し料理、最高

・オリーブオイル高い(安いのがニセモノなのは知ってる)

・高い塩は旨い

Amazonフレッシュ、地方民は無理(PrimeNowには実は野菜ある)

・豆乳はLOHACOでもAmazonでも普通に手に入る(賞味期限長い)

・調理家電の電源問題が課題

・導入するなら、ガス台の上が一番(コンロを封印)

・私は味のバラツキが好き

・やっぱり焼いた肉は旨い

・食事は宗教に近いので、安易に勧めない

 

下記、少し詳細な説明です。

バラツキと標準化

個人的な根本問題がここです。そもそも、「味のバラツキ」を問題と思うかどうか、です。勝間さんのロジカルな調理法は徹底して「いつも同じ味を作る」ことを目指しています。レストランなどでプロに求められるのも、それですね。

 

でも、個人的には「味のバラツキ」が結構好きです。

工場で作られた製品は標準化された同じ品質のものばかりだと思いますが、手作りで職人が作り上げたものは一品一品その味が異なりますよね。もちろん手間がかかる分、後者のほうが高いですが、世の中にはそういうもののほうに価値を感じる人も多いです。

システムによる標準化は、その「手作り感」を徹底して排除します。品質を一定水準に保つためのものなので、当たり前ですが。

「手作り感」に価値を感じている人には、標準化はあまり魅力的には映らない、ということです。むしろ、価値を毀損するものです。

 

このあたりは対立させると、宗教戦争になりかねないので、どちらがいいかというものではなく、個人の価値観や事情、生活環境と照らし合わせつつ、あくまで自己決定のもとに自由に選択すればいいと思うのです。長い人生のなかで、事情が変わってやり方を変えることもあるでしょうし。

 

私の場合、作っている途中で急に気が変わって味を変える、ということが良くあります。その結果、変なものになることもありますが、それはそれとして最初に味を決めてその通りに作る、ということができない(したくない)性格なので、合わないなぁと思います。

「蒸す」という調理法

これ、すごくいいなぁと思います。これについて、書かれた部分はほとんど同意しかないのですが、ただ蒸すだけなら「かき混ぜ」が要らないんですよね。

そこで、いま気になっているのが、下記の「大同電気鍋」です。

amanoshokudo.jp

単純にレトロでかわいい、というのでまず惹かれたのですが、価格も1万円ちょっと、台湾という蒸し調理が一般的であろう文化で作られているので、その機能は充分。操作方法も、超シンプルで大きさもほどほど。

レシピも調べてみればいろいろありそうです。 

台湾の「いいもの」を持ち帰る (講談社の実用BOOK)

台湾の「いいもの」を持ち帰る (講談社の実用BOOK)

 

 調味料はいいものを

これも同意です。 歯磨き粉もそうですが、毎日少量しか使わないので、高いものを買っても長い時間でみればコスパは良いと判断しています。

 

最近気に入っている塩は下記のものです。と言っても、たくさん使うのは躊躇してしまう貧乏性です。。

セルマランドゲランド ゲランドの塩(顆粒) 1kg

セルマランドゲランド ゲランドの塩(顆粒) 1kg

 

 

醤油は、(妻の実家のある)加賀の醤油を使っています。慣れ親しんだものなので、ということでこちらを使っていますが、とても甘い醤油なのが特徴です。砂糖の量もこのおかげでかなり減らせます。

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(実際には違う醸造所のものですが、ネットでは売ってませんでした)

 

オリーブオイルは、たぶん下記のものをコストコで多少安く買っています。良いかどうかは分かりませんが、安っぽくはないです。

やっぱり肉が好き

油で焼いた肉は旨いですね。ビールもうまい。

勝間さんも触れていますが、体に悪いとか深く考えると健康に良いものしか食べられなくなり、それはそれで精神的によくないので、健康リスクは自覚しつつも、やっぱり肉は旨いです(語彙がない)。

しかも小さい子どもがいると、肉無しの生活というのはかなりの困難が予想されます。大事なのは「ムリしない」ことです。標準化して、結局ストレスが溜まっていては本末転倒ですから。

 

なので、今日も私は肉を食べます。

 

 

lazyplanet.hateblo.jp

 

小さい財布とキャッシュレスのはなし

財布は小さいほうがいい

以前は、長財布を持ち歩いていました。

財布を小さくしたいと思ったのは、財布を小さくしたら家計のやりくりがしやすい気がしたからです。というか、家計を見直したら財布も小さくて済むのではないか、と思い至ったからです。

 

まあどんなのでもいいんですが、これぐらいの財布だけを持ち歩くようになりました。

これなら、ポケットにもすっと入るので、スマホと財布と鍵だけ持って出かけても手ぶらでいけます。

 

以下、財布を小さくするためにしていることです。

電子マネーの活用

楽天に入社した友人の新卒研修で作らされた楽天カードを持っているので、主に楽天Edyを活用しています。たいていのコンビニで使えて、スーパーなども対応しているところが多く、使えなくてもクレジットカードとして使えるので、ほとんどの買い物を楽天カードで済ませています。

最近は、楽天ポイントを消費するのに、楽天ペイも使っています。よくEdyと間違えられるのがつらいです。

 

また、いま某大手系列のスーパーで働いているので、WAON付きの従業員カードが使えます。これも系列店で買い物するときに便利です。学用品の類が従業員割引で買えるのはありがたいです。

 

PayPayやらLINEpayやらOrigamiやら、いろいろ最近は出てきましたね。

使えるものは使っておきましょう、ということでとりあえず全て使っています。今日からまたOrigamiでローソンの乳酸菌飲料の無料クーポン始まっています。

電子マネー払いでマネーフォワード連携

電子マネーやカードの支払いは、支払い過ぎに注意が必要です。そのため、マネーフォワードなどの家計簿アプリは必須です。電子マネーやクレジットカードで支払っていれば、何の入力をしていなくてもほぼ家計簿は完成されています。

マネーフォワードがなければ、本当に電子マネーもクレジットカードも湯水のように使ってしまいがちなので、気を付けて見ています。

 

現金を使う機会は本当に少ないので、毎月1万円程度を手元のキャッシュ(小口現金)として見ています。(というか不明な出費があれば、ほぼ現金払いのなにかです)

 

小銭収納

家の棚に、小銭収納ケースを置いています。100円ショップ等で買えます。財布の中の小銭は、パンパンだなぁと思ったら全てケースに入れています。

保育園の写真購入や着払いの荷物などがあったときなど、ここから小銭をぴったり出せるので、意外と重宝しています。

すぐに10円とか1円がいっぱいになるので、娘の貯金箱に入れたり、近所の神社のお賽銭にしています。

ポイントカードアプリ

意外とこれ系のアプリも充実してきました。JAFやドンキホーテ、ヨドバシ、東急ハンズなど、あんまり使わないですけど、一応アプリだけ入れています。ポイントカード群がすっきりします。 

ちなみに、楽天ポイントはなぜかよく貯まります。というか、ヘビーユーザーですね。。

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楽天ポイント、なぜか貯まってる。

キャッシュレスへの不安

こちらは、2018年4月に経済産業省が出したレポートです。

「キャッシュレス・ビジョン」「クレジットカードデータ利用に係るAPIガイドライン」を策定しました(METI/経済産業省)

 

とてもよくまとまっているレポートで、ここでは日本のキャッシュレスが進まない現状として、次の4つを挙げています。

  1. 盗難の少なさや、現金を落としても返ってくると言われる「治安の良さ」
  2. きれいな紙幣と偽札の流通が少なく、「現金に対する高い信頼」
  3. 店舗等の「POS(レジ)の処理が高速かつ正確」であり、店頭での現金取扱いの煩雑さが少ない
  4. ATM の利便性が高く「現金の入手が容易」

逆に言うと、中国などでは、上記のような環境が整わなかったので、一足飛びにキャッシュレスが進んでいるわけですね。 

経産省的には、上記のレポートを出した時以上に、焦っているのではないでしょうか。消費増税も迫っており、頻繁にキャッシュレスに関する話題を提供しています。

meti-journal.jp

実際のところ、一般の人の現金に対する「安心感」「信頼」の牙城を崩すのは難しいと思います。クレジットカード決済はずいぶん前からあるにも関わらず、全ての支払いをクレジットカードで行うのは少数派です。

ちなみに、キャッシュレス化を望むかどうかというアンケートでは下記のような結果になっています。

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女性のほうが慎重であるものの、女性の場合、年代が上がるにつれてキャッシュレス化を望む傾向があるのは面白いですね。

これ、こういう施策を大手スーパーなどの小売でやってるからかもしれません。スーパーにとっては、メインターゲットは既に60代以上になっています。

小売側はカード会員も増やせるし、消費者にとっては割引・還元率は大きいです。

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先日もPayPayの高還元率が話題になりました。私もワイモバイル使っててプレミアム会員なので、何もしていないのに1000円分のポイントが貯まりました。

www.paypay-corp.co.jp

そうやって、徐々に「お得感」を出していくしかないのかもしれません。下記の記事にもありますが、「現金」を持つことが明らかなペナルティ(損失)になる社会であれば、徐々に現金は少なくなると思います。

diamond.jp

もちろん、日本においては地震というリスクもあります。スマホのバッテリーも停電などで電源が無ければ充電できないし、そもそもレジが動かなければスマホ決済できなくなります。

 

結局のところ、キャッシュレス化していても、最小限のカードと小銭が入る「小さい財布」は持たないといけないのかな、というところです。

小さい財布、便利です。

『社会学はどこから来てどこへ行くのか』という問い

タイトルの本を読みました。

ある程度、文系の思想史に明るい人、社会学系統の大学院生向けだと思います。出てくる著名な研究者、知らなくても読めるけど、知らないと何の話か全く分からない気がする。というところで、あまり親切な本ではありません。

私も正直、深い議論になると訳が分からないので、下記は表面的なところの紹介になります。

社会学はどこから来てどこへ行くのか

社会学はどこから来てどこへ行くのか

 

著者のブログから

これについては、著者である筒井先生、稲葉先生がそれぞれはてなブログで書いています。

shinichiroinaba.hatenablog.com

 

jtsutsui.hatenablog.com

稲葉先生がブログに書いている通り、社会学は地味な学問なんだから地味にやろうよ」というメッセージは、読んでいてすごく伝わります。稲葉先生は俯瞰している立場で、あまりメッセージは発信していませんが。

「地味にやろうよ」という発信は、ここ最近メディアに出ている「社会学者」?のイメージが相当に悪いという危機感からくるものではないかと思います。

その辺は、私も同じようなことを書いています。

lazyplanet.hateblo.jp

ツッコミどころとしては、この4名は派手にメディアに出るタイプの社会学者でもないし、筒井先生はややジェンダー寄りであるものの、 全員男性が語っておりゲストにすら女性が出てこない、たまに上野千鶴子先生の話は出てくるけど、すぐに炎上してしまってイチャモン付けられることの多い界隈の話題がない、というところです。

あえて、触れなかったのかもしれません。 

現代思想2018年7月号 特集=性暴力=セクハラ――フェミニズムとMeToo

現代思想2018年7月号 特集=性暴力=セクハラ――フェミニズムとMeToo

 

 

社会学』ってなんだ?

話の中心は、これに終始しています。

社会学は、「社会問題を研究する学問である」としつつも、じゃあ「社会問題」って何?誰が決めるの?本当に問題なの?それを調べてどうするの?というところが、バラバラで、標準的な手続き・理論がありません。

 

筒井先生のブログでは、

社会問題は、それ自体多様で、異質な人々が交錯するところにあり、また時代と社会に応じて移ろいやすい。こういった社会問題にアプローチするには、もう少し人々の問い/方法/理論(概念)の方に近づいていく必要がある。この方向を突き詰めるのがエスノメソドロジーだが、それ以外の社会学も、問い、方法、理論を人々のそれから受け取っている度合いが(他の学問に比べて)格段に強い

としていて、「社会」あるいは「人々」という対象がそもそも概念的に緩いものだから理論としても緩く、ある種の素人くささやいい加減さがある、と指摘しています。学問としての標準的な手続きが弱いのです。

筒井先生は「それでいいじゃん」という立場だと思いますが、それではダメだという危機感を募らせているのが北田・岸の両名です。

 

ちなみに、北田先生は社会学の理論を、岸先生は主に沖縄をフィールドに質的調査(インタビューなど)をそれぞれ得意分野に持っています(筒井先生は家族社会学の分野で量的調査を)。北田先生は本当はサブカルの話をさせるととても面白いのですが、それは封印されるようです。

ともかく、皆全然違うことをしているのに「社会学」をやっている、と。そのふわっとした感じはどこからくるのか。

 

社会学」だけ見てるとなかなか見えてこないし、難しい話に込み入ってしまうのですが、この本を読んでいて他の学問と比べてみるとわりと分かりやすいと感じました。

全く異なるものとの比較

理系の実験や経済学などのシミュレーションの場合、同一条件下で、同じものを比べる、というのが大前提にあると思います。同じ条件である作用を施したAと何もしていないBで結果はどうなるのか?というものです。当たり前の話ですね。

でも社会学にはそれがありません。同一条件下の社会なんてものは存在しないし、行為者である人間もまた同一の存在はいないからです。だから、大規模な調査でも、国際比較してフランスとドイツと日本の少子化対策の違い、みたいなのを調べたりします。

 同じ統計を使っていても、その比べ方が違う、と。同質なものではなく、異質なものどうしを比べる、というのが一つの特徴です。

 

ただ、アフリカで貧困層のフィールドワークをして聞き取り調査をしている人に、じゃあ今度はインドで調べてみたら?と言ったら、その人はとても怒ります。それは全然違うものだし、私が調べたいのはそういうことじゃない、と。

「比較」はあくまで一つの手段で、その対象だけしか調べないということも社会学では有り得るからです。

社会学以外の専門の人からみたら、「訳が分からないよ」となると思います。

 

対象そのものを取り扱う

比較をする場合、多くの場合、状態や性質の変化を見るはずです。こういう経済状態でこうした施策をしたらどう変わるか?をシミュレーションしたり、Aという物質にBという物質を加えたら、どうなるか?など。

しかし、例えば「ボランティア」という社会的事象について研究をするとき、手始めに行うのは、「ボランティア」とは何か?という問いです。

「ボランティア」という言葉自体、比較的新しいものです。が、昔にもそういう言葉ではなくても似たような行為はありました。また、ボランティアにも様々なものがあります。その当人がボランティアであると意識せずに、ボランティア行為をしていることもあります。何をもってボランティアとするかはとても恣意的なものです。

そのような定義自体が移ろいやすいものを(無理やり)定義する、そしてそこに内在する課題・問題点を抽出するという作業から、研究が始まります。

それは、A→A’という変化を見るというより、徹底してAだけを研究するというものです。

Aという言葉の定義はどのように変わってきたか、どのような社会で多く見られる、Aという行為をしている人は何を考えているのか、その集団の内部では何が起こっているのか。

・・・とか、やってるとそれだけで卒論レベルのものが終わってしまいます。大規模な調査は学生にはできないし、せいぜい統計にあたって概要を語り、一部の集団において聞き取りをする程度が精一杯でしょう。

「ボランティア」の誕生と終焉―〈贈与のパラドックス〉の知識社会学―

「ボランティア」の誕生と終焉―〈贈与のパラドックス〉の知識社会学―

 

アフリカの例えに話を戻すと、フィールドワーカーは、アフリカの貧困層を調べるにあたって、当然その社会の成り立ち、構造を把握して歴史的な事情も頭に入れたうえで、彼らのおかれた状況での生き方を観察しています。

それでも、観察される側とする側の関係性のなかで、十分な答えを引き出すための時間と労力は、それこそ膨大なものを費やしています。なぜ、そこまで徹底するのか、というほど徹底してようやく面白い研究に結びつきます。 それと同等のレベルで比較するには、同等の年月をそれに費やすことになります。単純に、リソースの限界があります。

都市を生きぬくための狡知―タンザニアの零細商人マチンガの民族誌―

都市を生きぬくための狡知―タンザニアの零細商人マチンガの民族誌―

 

上記の本は、 徹底した観察から生まれたものの最たる例だと思いますが、小川さやか氏は約10年近い年月をアフリカ零細商人のコミュニティで過ごしています。彼女自身の存在がコミュニティに与えている影響ももちろんあるのですが、そうした中で紡がれた関係から彼女が観察した世界は、とても面白いものです。

比較は社会学において大事だけれど、問いに対する解法の部分において、絶対ではないということです。

ハンセン病療養所を生きる―隔離壁を砦に

ハンセン病療養所を生きる―隔離壁を砦に

 

 他者を理解できるのか?

では、そこまでの年月を費やして「何か」を理解しようとして、本当にその何かを理解できるのか?という疑問も生まれます。

それはマジョリティからの一面的な理解でしかないかもしれないし、ある意味で「理解する」ということ自体が、一方的に意味を押し付けるような暴力的な行為でもあります。誰だって「オタクって~だよね」とか「フェミって~だよね」とか分かった風に言われたら嫌です。そのような「理解」の仕方は間違っていると思います。

対象を慎重に取り扱うこと、その集団の集団らしさを損ねないこと、一定の方向性に導かないこと、そうした方法論を学び、丁寧に言葉を聞き取り、その対象を記述します。

その記述は「理解」ではなく、対象そのものを「スケッチしたようなもの」です。そうやって、ある事象の輪郭を浮かび上がらせるような作業をしているだけです。理解したいけど、理解してはいけない気がする、というジレンマのなかでちょうどよい距離感を探っています。

そうした、慎重な態度・立場を取る、というのも社会学らしさなのだと思います。

 

社会学は人気なのか?

社会学は、なぜか人気があります。私が大学にいた頃も、軽く定員越えしていましたが、幸いなことにサボる人ばかりで授業で席があふれることはありませんでした。

今も、(文学部の中では)就職に有利、などという理由から人気のようです。まともに社会学を学んでいたら、社会を斜に見ることしかしないので、就職には悪影響しかないのですが、たぶんそんなことはないようです。

一般的な感覚だと、社会学=楽のイメージが強いのだと思います。

「社会」を扱うわけで、それこそ何を対象として研究やっても許される空気感がある。なにも興味がないけど、とりあえず「何か」に属さなきゃいけないから社会学に行く、という学生も多いはずです。必然的に質も悪くなるし、中途半端に学んだ人が社会学出身の知識人としてメディアに出てしまうと本当にろくなことにならない、ということも発生します。

 

ただ、教育課程のなかで、フィールドワーク・統計などの授業も組み込まれつつ、概念や理論も一通り学ぶと思うので、バランスの良い学問ではあると思います。

統計学入門 (基礎統計学?)

統計学入門 (基礎統計学?)

 

少なくとも普通に勉強すれば、ニュースがフェイクかどうかという一般的な基礎教養(統計の母集団の怪しさ、手法の正しさ、グラフのごまかしなど)は、とりあえず理解できるようになると思います。

社会学を学ぶとこんないいことあるよ、というメリットといえばこのあたりかもしれません。加えて、幅広い視点の取り方、問いの立て方を学ぶ、というところで学問としての差異化をどこまでできるか、というところかな、と。 

社会学入門 -- 社会とのかかわり方 (有斐閣ストゥディア)

社会学入門 -- 社会とのかかわり方 (有斐閣ストゥディア)

 

 

社会問題そのものを研究する意義

社会学の良さは、そうした間口の広さと、様々な方法論を学べる教育課程にあると思いますが、一方で社会学という割に「社会」においては役に立たないじゃん、という評価をしばしば受けることがあります。

社会問題や特定の事象だけにスポットを当てて、研究することの多い社会学では、「問いの立て方」「それに対する答えの組み立て方」「正しい手続きによる正しいやり方での調査」といった部分にはとてもこだわりを持っているが、肝心の答えの部分でほとんど提言をできていません。

社会学はどちらかというと、その前段階の部分を重視しているからです。他の学問からすれば、社会学は扱うものの「素材」を作っている学問として役に立っています。

ニート」なんて言葉を作ったり「~ハラスメント」という言葉を作ったり、「~の誕生」とか「~世代」とか言ってみたり。それ自体役に立つものではないけれど、それらが「素材」として使われることで、問題に光が当てられ、議論を呼び起こすことができます。

 

それでも結果が重視される昨今では特に、ただ偉そうに現状分析してるだけのインテリと言われたり、それで結局何がしたいのかわからない、と言われたりします。

そのあたりの問題意識から、うまく社会にコミットできる提言をするために、今のカリキュラムが統計手法重視になっているのかと思いますが、だからと言ってそれまで重視してきた手続きの部分を疎かにしちゃいけないよね、というのが北田先生のいう「普通の学問」としての社会学のコアなところなのかと思います。

 

その学問が「役に立つかどうか」という話自体、かなり整理の必要なものだと思いますが、「役に立つかどうか」で言えば、計量的に調査して提言まで持っていくやり方も、質的調査で深くまで対象を掘り下げて観察するやり方も、それぞれの面白さがあって、結局は「なにかの役には立ってるかもしれない」というところでしょうか。 

lazyplanet.hateblo.jp

普通の学問、ってそういうもんじゃないのかな、と思います。『ドラえもん』のように、いつでも役に立つものが出てくるとは限りません。

 

「社会」というあやふやなものをどう取り扱えばいいのか?という、そもそも論を中堅の社会学者たちが改めて議論する、という企画を立てるところからも彼ら(北田・岸)の危機感は非常に感じますが、そういう危機感は当事者だけが感じ取って頑張っていただいて、周りは面白く読んでいける本かと思います。

音楽性の違い、とかでバラバラにならないことを願っています。バラバラにまとまっていてください。

 

尚、本文は私個人の雑感にすぎないので、ガチに「社会学」 をやってる人の感想ではない、というところをご注意ください。私はただの趣味人です。

 

ということで、そろそろ普通の主夫ブログに戻ります。

 

※文中の書籍群はオススメの社会学系の本です。 

家(チベ)の歴史を書く (単行本)

家(チベ)の歴史を書く (単行本)

 

 

間接部門にも家庭にもハイスペPCは必須です

これ、開発やSEの人に限ったことではないです。経理や人事などの間接部門、さらには家庭を含むすべての働く人のPCは高スペックなほうが幸せです。

エンジニアにクソスペックのPCが割り振られていた現場についての個別事例について: 不倒城

 

いまどきスマホですら2秒で起動するのに、会社のPCが数分掛かるとかおかしいでしょ。

そのほか、会計ソフトや基幹システムを起動するときも同様です。

SSD化やメモリ増設による速度改善で、1日あたり20分時短できるとしたら、1年間の約240日でいくらの時短になるかと時給計算してみれば、すぐに元が取れるの分かるはずです。


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家庭のPCも同じです。時短調理で数分の時短をするより、ハイスペックなPCでサクサクとネットショッピングしたほうが時短になります(その時間が無駄使い、という議論はもちろん置いといて)。

いまどき、保護者会や自治会等でもパソコンで文書作成するのは当たり前になってきてるし、写真の保存、音楽等のコンテンツ管理もまだまだパソコンが必要です。

 

 

家庭の場合、それ以上に重要なのがネット回線の速度です。

ゲーム、動画、スマホ、PC、タブレット、家族がそれぞれ使うと、それなりの接続台数になります。それが遅いだけでストレスだし、動画が止まってる時間はそれこそ不必要な時間です。スプラトゥーン2の対戦時に、突然回線落ちしたら仲間に迷惑かけてしまいます。

 

もちろん家計との相談にはなりますが、起動早くする、動画を止めない、程度の環境なら、ホットクック1台分位で済むんじゃないかと思います。ホットクックの値段、知らんけど。

 

全ての家庭と会社に快適なPCライフを!(スマホよりお送りしました)

 

 

我が家のサブスクリプション整理

サブスクリプション(定期購読)型のサービスが流行ってます(以下、サブスク)。

 

分かりやすく言えば、月額何円払えばサービス使い放題、みたいなやつです。

昔からあるものでいえば、携帯電話のオプションだったり、怪しい通信会社の契約だったりと悪質なものが目立っていましたが、最近はHuluやNetflixみたいな映像配信・applemusicやSpotifyなどの音楽配信などをはじめとして、様々な業種に展開されています。

詳しくは下記がまとまってて分かりやすいです。

『世界を席巻するサブスクリプションビジネス』KDDI調査 2018年10月) 

サブスクリプション――「顧客の成功」が収益を生む新時代のビジネスモデル

サブスクリプション――「顧客の成功」が収益を生む新時代のビジネスモデル

 

こうしたサービスが増えること自体は、生活をとても便利にするのですが、家計的に言えば、月額の固定費がそれだけ増えることになります。

我が家においても、定期的に見直し・乗換・サービス停止をしています。

 

以下、自分が使っているものを紹介しつつ整理してみたいと思います。

1.Amazonプライム会員 年間3,900円

ひと月あたり325円で送料無料、Primeビデオ、Primeミュージックなどが使えます。

特に説明は不要ですね。

子どもが、もっぱら見ているのは「ちびまる子ちゃん」です。

ミュージックは寝る前に使っています。少し贅沢な使い方としては、背景音楽の良い静かな映画を聴きながら寝る、というものです。

 

Amazon自体でモノを買うことはほとんどありません。Amazonはあらゆる製品のデータベースだと思っているので、調べものやブログカードでの活用がメインです。

アフィリエイトでたまにポイントが入るので、それを消費する程度。

2.Kindle Unlimited 3か月299円(キャンペーン価格)

上記の値段は、キャンペーンの値段です。その後、解約予定です。定期的にキャンペーン価格で登録して解除を繰り返しています。

この金額以上の本で読みたい本があれば、元は取れます。

3.Amazon music Unlimited 月額380円

これはAlexa用です。Echoでしか使わないので、この値段です。アレクサに呼び掛けて 「ない」と言われるのがストレスなので、加入しています。

 

4.楽天マガジン 月額380円

magazine.rakuten.co.jp

雑誌の多くはこれで見ています。だいたい読むのは、LDK、MONOQLO、&Premium、CasaBrutusくらいでしょうか。最近、ダイエットが気になってたので、Tarzanなども読んでました。

KindleUnlimitedは正規の値段だと月額980円です。しばらく契約していて、購入の8割が雑誌だったので、こちらに切り替えています。全く問題はありませんでした。

5.朝日新聞デジタル 月額980円

digital.asahi.com

正直割高です。月300本まで有料記事が読める、というコースです。「有料記事で読めないじゃん!」というプチストレスを解消するためのサービスです。ちょっと納得いかないけど、仕方なく契約しています。

新聞各紙の共通コースがあればいいなと思います。

6.絵本ナビプレミアム 月額360円

www.ehonnavi.net

こちらは既に解約済みです。

使い方によってはとても使えるサービスです。

絵本読み放題、読み聞かせ配信、学習漫画無料、なぞなぞ読み放題、クーポン配布、レビューポイント2倍など、いろいろ特典が多いです。

 

デジタルコンテンツが多すぎて活用できず、しかも紙の絵本がいっぱいある状況なのでコンテンツ過多と判断しました。

7.任天堂スイッチオンライン 年額4500円

www.nintendo.co.jp

これがないと、スプラトゥーン2でバトルできません。

家族分登録するので、ファミリープランです。あわよくば、もう少し特典を充実させてほしいです。正直、サービス不足です。

 

8.Think!Think! 月額300円

think2app.hanamarulab.com

子供向けの知育アプリです。最近有料化しましたが、月額300円で良質なコンテンツが与えられるなら、まあいいかなと思っています。

9.コストコ 年額4400円

www.costco.co.jp

別にサブスクでもないのですが。年会費払ってるあたりAmazonに似ています。

コストコは、別に超安いわけではなく、単純にそこそこおいしいお肉がそこそこの値段で買えて、ほかの日用品も安いものは安い、という感じです。

そして、日本で買えるチーズのなかではコストコのチーズが一番旨くてコスパが良いです。(と私の上司が言ってました*1

 10.Yahoo!プレミアム会員 無料

ワイモバイル契約しているので、無料なんですが、Yahoo!ショッピングのポイントが倍率高くなる、っていうメリットがあります。

ついでにEnjoyパックっていうのにも入っており、かつYahoo!カード会員なので、5の付く日などは、非常に還元率が高いのが魅力的です。

 

なんか、もっと有りそうな気がしますが、とりあえず以上です。Amazon系の出費が多いなぁ。新聞はたぶん解約します。

サブスクの今後

基本的に、サブスク系のビジネスはモノ系との相性はあんまりよくない気がしています。ボックス型定期配送、ファッション、コインランドリーやクリーニング、美容院、宿泊、家具など、基本的には必要以上にコンテンツが供給過多で使い切れない印象です。

オンラインサービスも供給過多なのは確かですが、こちらである程度選別できるのと、モノとして邪魔にならない点が、ポイントですね。今後またいろいろ情勢が変わるかもしれませんが。

 

ちなみに、子ども向けだとこんなのもありますね。

toysub.net

 

私の前職も、法人向けのクラウドサービスを提供する会社だったので、ビジネスモデル的にはサブスクに近いものでした。

システムが安定していて、カスタマーサポート*2が充実していることが最低限の条件で、いかに解約率を抑えつつ、利益を上積みしていけるか、というのがこの手のビジネスの勘所です。

加えて、コミュニティの形成などカスタマーが自走していく仕組みが加わると、かなり強いのではないかと思います。

 

個人的に、今後利用したいと思っているのが、Schooです。

schoo.jp

これもまた、時間をどのように捻出するか、というコンテンツマネジメントが重要なサービスですが、いろんなテーマがあって、自分自身にも子どもにも良さげなのがあれば、一緒に見てみる、という使い方もできるかなと思っています。

 

なにかオススメのものがあったら、ぜひ知りたいです。

 

カスタマーサクセス――サブスクリプション時代に求められる「顧客の成功」10の原則

カスタマーサクセス――サブスクリプション時代に求められる「顧客の成功」10の原則

 

 

*1:某大手スーパーの日販系バイヤーの部長

*2:最近はカスタマーサクセスって言いますね

ボランティア以上に過重な東京五輪労働への懸念

東京オリンピックパラリンピックのボランティアは、とりあえず目標の人数には達したようです。

www.nikkei.com

一方で、そのうちの何割が離脱するのか、実際に来てくれるのか、さらには専門性の高い運転などの移動サポートなどの集まりにくい業務の補充人員など、まだまだ課題は多いと思います。

 

外国人材が多いことも懸念されていますが、国際的なスポーツボランティアの界隈では、わりとマネジメント層は慣れているのではないかと思われます。簡単なコミュニケーション程度なら、スタッフ同士でもすぐできるようになるでしょうし。

lazyplanet.hateblo.jp

 

ところで、ボランティアに参加する人は、ある程度、利他的な意識もあるでしょうし、珍しい経験ができるという利己的な目的も達成でき、業務量に対する負担感は少ないのではないかと予想しています。本当に大変だと思ったら、それこそ簡単に辞めるでしょう。

一方で、簡単に辞められないし、責任を重く背負っているのが、普段から東京で働いている、あるいは期間限定で送り込まれるはずの地方の労働者です。宿泊・清掃・飲食・交通・警備・小売等のさまざまな業種の人たちは、このオリンピック期間は大変な繁忙期になることが予想されます。

 

そのあたりのことが、下記の連合総研のレポートにまとまっているので、ご紹介です。

オリパラを支える人々のやりがいを守る−そのための健康安全対策−(PDF)

 

1964東京五輪時の宿泊業から

なかでも興味深いのが、帝国ホテルの労働組合の執行委員長の寄稿です。

帝国ホテル労組30年史によると、帝国ホテルの料理長が選手村の料理長を任されたものの、ホテル業界のコックだけでは手が足りず、全国からかき集められた150名もの洋食店のコックたちとの共同作業であった

 とのことです。

忙殺される地方のコックたちは、我慢の限界を越え、総引き揚げ寸前であった。現場責任者は社長に詰め寄り禁酒令を解かせ、そして墨字で「オリンピックは日本の面目」と大書きし、コックたちにこう言った。「飲んでもいいから外には出るな」と、翌朝見ると「空瓶が並んでいるわいるわ」責任者は思わず笑いだしたという。

全然笑い話ではないですね。日本の面目のために、忙殺されながらもなんとか乗り切った当時の状況が伺えます。

 

現在東京のホテルのベッド数が10万ほど、外国人観客の一日当たりの客数が8万人と予想されており、ボランティアの宿泊先とかを考えなければ、一応ベッド数は足りるようです(←足りてない)。

もちろん、稼働率はずっと100%です。ホテル内に滞在する時間帯もおそらくバラバラになるため、通常よりも長時間スタッフを配置する必要も指摘されています。

加えて、10000人以上の選手と関係者が選手村に宿泊します。その数は約17,000床、その管理運営は誰がするのか不明ですが、清掃・メンテ人材の取り合い合戦が予想されます。

レポートでは、現状のホテル業界の就労状況を踏まえると、現スタッフの長時間労働が助長されるのではないかとし、勤務インターバル制度の導入などを訴えています。

 

宿泊業だけでみても、この状況です。

 

リクルートワークスは、大規模かつ一過性の雇用が81.5万人分生まれるとしています。そのうち、約30万人は建設業なので、2020年の五輪期間に必要な雇用は約50万人と推計されます。こうした短期的な雇用を一番歓迎しているのは、派遣業などの人材業界だと思いますが、ボランティアに10万人近い雇用を取られつつ、さらにさまざまな業種で人材の取り合いとなり、集まらなければ、既存のメンバーで不足分を補うために働くことになります。

オリンピックがもたらす雇用インパクト | 就業構造・人材移動

 

下記の記事では、ボランティアの11万人も加味して92万人としていますが、懸念事項は同じです。そして打開策は「外国人労働者」だそうです。なぜ、いま国会でホットなのかは、このへんの事情も考えられたものですね。

www.yomiuri.co.jp

 

ボランティア募集が既に始まっていて人材の青田買いが始まっていることを考えると、短期間のアルバイト募集といえども、こちらも早めに募集を開始しないと人材不足のツケは現スタッフが負うことになります。

その先にあるのは、オリンピックなんてやらなきゃよかったという後悔で、同じことが大阪万博でも起きるのではないかという不安しかありません。本来、子どもたちに夢を見せる場であるはずのところで、大人が負の感情を見せてしまうのも、あまりいいものではないですね。

 

こうした文字通りお祭り騒ぎの五輪期間を、個人レベルで可能な限りストレスなく過ごすために必要なのは、「東京以外の場所で過ごすこと」です。リモート勤務でもサバティカル休暇でも、観光客の減少が予想される地方に行けば、歓迎されるかと思われます。尤も、地方でも東京への出稼ぎ人員の流出で、人手不足かもしれませんが。

 

ボランティアのことばかりが注目されがちですが、ふつうに働いている、ふつうの人たちも、とっても大変なことが予想される、というのは、懸念事項として考えておきたいです。

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「文系大学教育は仕事の役に立つのか?」という問い

タイトルの本を読みました。

文系大学教育は仕事の役に立つのか―職業的レリバンスの検討

文系大学教育は仕事の役に立つのか―職業的レリバンスの検討

 

タイトルだけでお腹いっぱいになりそうな本ですが、一応雑感を。

 

こちらの本は、教育学者の本田由紀先生の監修のもと、数名の大学の先生が書いています。

本田さん自身は、「レリバンス」という概念のもと、教育の効果の計測に取り組まれています。

レリバンスとは、関連性・意義、または有意味性という意味で、2つのモノとの間につながりがあるということなんです。つまり、教育内容というものは、子どもたちの現在や将来の生活にとって関連があり、意味があることだということです。

Benesse発2010年「子どもの教育を考える」 - 教育の第一人者からのビデオメッセージ2010年に向けて〜教育への提言 - 本田由紀先生 第1回 - 教育研究開発センター

参考:『社会的レリバンスの高い教育課程設計と評価のあり方について』(PDF)

 

本の内容を簡潔に述べれば、文系大学教育のカリキュラムにおいて、「授業の双方向性」「職業的レリバンス」の要素が盛り込まれていれば、仕事の役に立つ可能性が高い

教育学・心理学など、資格の取得やそのまま職業につながりやすい分野では「役立ち感」は高く、しかし経済学・社会学経営学などは幅が広すぎるためか「役立ち感」は無い。また、選抜度の極めて低い大学では、資格取得すら効用は薄く、それらは「学生の自信回復」ではなく単なる「就職対策(就職率向上のための施策)」になっている。

当たり前だけど、パーソナルな「無駄感」は、授業に出なければいくら内容が良くても意味がないので、本人の授業態度が大きくかかわる。ソーシャルな「不要感」は、大学への期待の裏返し・不満からくるもので、授業態度が真面目な人ほど高い。

 

というところを、できる限り計量的に調査・分析している、という内容でした。当たり前ですが「役に立つ」という答えを前提として、どう大学の教育に生かしていくかという議論が中心です。

 

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以下、批判点です。

そもそもの問いの立て方

ちょっと前にブロガー界隈で流行った「大学なんて行く意味ない」論争のような話はずっと以前からあり、それに真っ向から回答するために、こんなタイトルの本になったと思うのですが、その問いに意味はあるのか、というところがまず疑問です。

eulabourlaw.cocolog-nifty.com

ジョブ型社会のタテマエの下でホンネとしてひそかに行っている人間力採用がはじめから堂々たる正義として存在している以上、大学教育は「その付与するスキルに対応するジョブがあるのか」という本質的な意味での過剰論などはそもそも存在の余地はなく、人間力がどれだけ磨かれるか否かなどという次元でしか論じられない

というところで、そもそもの労働市場側が大学での教育を重視していなければ、全く意味がない話になります。ところが、この本の中では、労働・人事・人材育成といった労働市場側の専門家側からの視点はありません。教育学の本なので、そういうものなのかもしれませんが、「職業的レリバンス」を謳うのなら、そっち側も必要なんじゃないの?と思います。

 

どうでもいいですが、だいたいのブロガーはわりといい大学を出て、それなりの会社に一度は就職していますね。

 

「いつ」役に立つのか?

これは調査の母集団についての疑問です。入社して1,2年の仕事を一人で回せないような時期の社会人に「大学教育は仕事の役に立ちましたか?」と訊いたところで、それこそ国家資格の要るような一部の職業を除けば「よくわかりません」となる人が大半ではないでしょうか。

では、入社何年目にその効果が現れるのか、現れないのか、ある段階で再び「学び直し」をした段階で有益なものになるのか、など、より長期的に見る必要がありますが、拙速に変革を迫られている大学側にそんな長期的な視点で観察する余裕がないのかもしれません。

否定的な言説を否定しづらい空気

「いやいや、実はすごく役に立つよ!」とか「それって役に立つ必要ある?」みたいなことが言いづらい、言ってもなんだか虚無感に襲われる感覚があります。

もちろん、「役に立つ/立たない」の話を、教育的投資の観点で語れば、文系学部卒業者の年収は決して低くはないので私的収益率は高い、とかそういう話はできると思います。

でも、この問いの前提としては、教育の中身を論じなければ、私的収益率や社会的収益率の低い(気がする)「役に立たない学部」は廃止される、という危機感からきているために、レリバンスなどの概念を使って「学問が役立つ」ことを説明していく必要があります。

ところが、総じて大学生活が個人的経験で語られ、専門分野が全く同じでもゼミ単位、担当教授単位で全くその密度も粒度も異なるという、効果を検証するにはそもそもバラツキが大きすぎる「中身」の問題は取扱いが難しく、ふわっとした否定的な空気を打ち消すほどの厳密な調査分析は、ほとんど不可能なんじゃないか、というのがこの本で感じた率直な感想です。

 

 

 「なぜ勉強しなくちゃいけないの?」という子どもの問い

一応、子育てブログらしく終わろうと思うのですが、この子どもの問いに親はどう向き合うべきか?というのは、親になったらいずれ直面する問題だと思います。

この場合の「なぜ」もただ目先の課題が面倒なだけなのか、より本質的な問いなのかは見極める必要があると思いますが、本質的な問いだとすれば、それはググって良さげな回答を答えるよりは、「じゃあ一緒に考えようか」ぐらいのほうがいいんじゃないかな、と思います。

 

社会問題としての大学の在り方でいえば、個人の体験で語ることはNGですが、子どもに対しては、個人の体験を語ることも大事だなと思います。

私は、本が好きだし、普段生きているだけでは知りえないようなことを深く深く掘り下げて研究している人が見せてくれる世界をありがたく享受しています。そうした地道な仕事を続けている人に心から敬意を払いたいし、それを間近で見ることのできる大学教育もまた、とても面白いものだと思っています。 

子どもの難問

子どもの難問

 

今週のお題「読書の秋」

追記

『レリバンス』という言葉が気になって、この本にたどり着いたのですが、いまいちその使いどころが難しいです。

子どもの教育の主流はSTEM教育になりつつあって、学習塾・教材系の業界もそれに力を入れています。

それはそれでいいことなんですが、一方で非認知能力・あるいは文脈を読むといった文系的(?)能力に近いものの有用性をどのように実証しつつ、それらも子どもにバランスよく摂取させるには、というところを親としては悩んでいます。

まあ、それでも義務教育行ってればある程度のことは全て習ってくるのですが。

 

落書きの「意味」を考える

なんとも反吐の出る話なので、精神的に調子のいいときに読んでください。

東京入国管理局さんのツイート: "~落書きは止めましょう~ 11月19日早朝,港南大橋歩道上にて。 表現の自由は重要ですが,公共物です。 少しひどくはないですか。。。… "

落書きはよくない。それは皆分かる。でも、この落書きの意味するところと、入国管理局がこれを固定ツイートにすることの意味が問われている。英語と国語と社会の応用問題として、中学生レベルのいい教材では。

2018/11/21 12:57

 こちらの話です。

落書きは悪い

当たり前の話です。小学生でもわかることです。はい、解散。

 

では、「はい、解散。」で終わらせていいのかどうか、なぜそれで終わらないのか、という意味について考えたいと思います。「落書きは悪い」だけで終わらせるのは、あまりにも思考停止すぎます。

 

そこで、その先の議論にいくために「落書きは悪い」という考えを一旦頭の中から消してください。

社会科学界隈ではよく「括弧に入れる」と表現します。事象の善悪、事実関係については一旦問わないで(そうしたものは別の専門家に議論を任せて)、それらがどういう文脈で語られているのかを、その意味を見る考え方です。

HUNTER×HUNTERで言えば、ゴンが詐欺師と鑑定士の巧妙な駆け引きを善悪に頓着せずに、面白がるシーンがありますが、そんな感じです(たぶん)。

 

実際、このツイートだけでは自作自演なのかもしれないし、詳細なことは何もわかりません。そのため、「落書き」の真偽・善悪の判断を保留します。

 

なぜ、この落書きを書いた人は、”落書きをせざるをえなかった”のでしょうか。

そして、ツイート主である東京入国管理局はどのような意図があり、なぜこれほど批判されたのでしょうか。

落書きは悪いけど

次のような問題を設定します。

いじめっ子といじめられた子がいました。いじめられた子は、「○○にいじめられた」と校舎の壁に落書きして、自殺しました。いじめっ子はその落書きを見つけ、写真に撮りツイートします。「少しひどくないですか・・」と。

さて、この後いじめっ子のツイートは批判されるでしょうか。あるいは、落書きは悪いよね、と同調されるでしょうか。

 

極端な問題設定ですが、これによく似た事象ではないかと思います。

 

もう一つ、べつの問題設定をします。

いじめられっ子の机にいじめっ子が落書きをしました。それをいじめられっ子が写真に撮りツイートします。「少しひどくないですか・・」と。

さて、その後拡散されたこのツイートにはどのような反応が集まるでしょうか。

 

「意味」を考える

行間を読め、とか文脈を考えろ、とかよく言われるように、どのような立場の人が、どのような場所で、どのような時代背景の元で、どのような事柄について、どのような意図で、どのようにそれを表現したか、によって、その行為や言説の意味は変わります。

 

落書き=悪いこと、という本質は変わりないのに、上の二つの設問の感じ方は全く違ったのではないでしょうか。(もちろん、受け取り方は自由です)

 

今回、多くの人がそのツイートを批判した、ということの意味を、ぜひこの発言者には考えてもらいたいです。あるいは、発言者がそんなことも考えられないくらい判断能力を失っているのであれば、ぜひともすぐに休養を取ってほしいです。

 

個人的にはこんな軽率なツイートをする人にはtwitter運用は任せたくないなぁと思うし、組織的に是認された上でこれがツイートされてるなら、それほどまでこの組織は病んでるのか、と思う次第です。

そして、このツイートが批判されなくなった社会を想像すると、本当に怖いなと思います。 

 

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学童保育の「従うべき基準」の参酌化

学童保育の基準廃止

先日、こんなニュースがありました。

digital.asahi.com

こちらの記事、何の説明もなくて分かりづらいのですが、厚労省の出している学童保育の「従うべき基準」が「参酌(参考)すべき基準」に変更される、というものです。

そのなかの最も重要なところが、

行基準は、1教室に職員は2人以上、そのうち1人は保育士や社会福祉士などで、かつ都道府県の研修を受けた「放課後児童支援員」などと定めるとしていたものが、基準の事実上の撤廃により、一定時間の研修を受けていない職員が1人だけで対応することも可能になる

 ということです。

ちなみに「参酌すべき基準」の定義ですが、

・条例の制定に当たっては、法令の「参酌すべき基準」を十分参照し、これによることの妥当性を検討した上で判断しなければならない

・法令の「参酌すべき基準」を十分参照した結果としてであれば、地域の実情に応じて、異なる内容を定めることは許容

・「参酌する行為」を行わなかった場合は違法

というものです。(条例委任する場合の基準設定の類型

制定過程のどこかでこの基準に触れ、実情と照らし合わせたという議事録があればOKという感じでしょうか。感覚的にはかなり緩いですね。

 

これに対しては、基準を堅持するよう、全国学童保育連絡協議会などが主体となって厚労省に20万人の署名を集めた請願書を提出していました。

なぜ、今回厚労省が「参酌化」に踏み切ったのかといえば、学童の児童数が1人だろうと40人だろうと、1教室に職員2人以上という基準が一律だからです。それに対し、少子化が進み、児童数が少ないのに職員が集まらないという苦労をしている地方の知事などが反発した、というのが今回の経緯です。

なお、自民党からは、2018年6月に質の維持を求める決議が出されています。

blogos.com

一律の基準は必要なのか?

おそらく論点は「規模に応じた水準への見直し」ではないか、と思います。今回の件は、地方分権会議での地方に判断を委ねたいという趣旨のもとで行われたものです。5月の議事要旨などでは、

事実上、地域の中で子育て経験も大変豊富で、地域の子どもたちのこともよく知っていて、人望のある方がいらっしゃる場合、恐らく、昨日今日おいでになった○○士という資格保有者の方よりも、そのような方にお任せする方が安心だとおっしゃる地域の保護者の方々もいるのではないか。

高知県知事)

というやや不安になる意見や、

地域全体で放課後事業を実施している場合、実際に地域住民の声が直に地方公共団体に入るため、参酌化しても地方公共団体が危ない運営をするわけがない。

というやはり不安の残る意見も見られます。そんな人望のある人が低賃金で学童指導員やってくれますかね?というところや、民営の学童保育でほんとに地域住民の声が届くでしょうか?、など、ちょっとお花畑気味なのが怖いです。

地域自治体独自の基準については、先行して行われている県や市町村もあり、児童数に応じて人数を加配することを条例で取り決めている自治体もあります(さいたま市など)。

児童の集団の規模、あるいは都市の規模に応じた人数配置の基準をなぜ決められないのかよくわかりませんが、自治体にそれらが委ねられているのであれば、親としては自治体の動向をよく見ておく必要がありそうです。

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専門性の低下の懸念

学童の入所児童数は年々増えていますし、学童で子どもが過ごす時間はとても長いです。できれば、そのなかで過ごす時間も、よりよい時間を過ごしてほしいなあと思っていますし、そうした環境を構築できる専門性ある人材に子どもを任せたいです。

f:id:lazy-planet:20181120110008p:plain

全国学童保育連絡協議会(ぜんこくがくどうほいくれんらくきょうぎかい)より)

しかし、学童指導員の処遇も決していいものではありません。

toyokeizai.net

幼児教育無償化にともなって、保育園のニーズが増え、よりそちらでの人材不足が加速することと思われます。保育士の獲得競争の過程で、保育士給与も改善されれば、保育士資格などを持つ専門性のある指導員もそちらに流れる可能性もあり、一歩も二歩も遅れている学童の現場においては専門性のある指導員の不在、という質の低下が懸念されます。

私の住んでいる市でも、指導員のフルタイム・正社員化などの要望を保護者団体で出しているようなのですが、市のほうはかなり渋っているようです。「放課後」児童育成事業なのに、どうしてフルタイムなの?という感覚のようです。

これについては、以前フランスの学童保育について書いた記事で触れたように、日中の学校での教員補助や遊びの見守りなど、学校内への関わりを増やしていくことはできないだろうか、というのが私の意見です。

lazyplanet.hateblo.jp

べつに学童保育の「資格」 については、お花畑のような知事の発言にある子育てに詳しい地域で顔の広い人であっても信頼できる専門性があれば構わないのですが、「資格」以外で専門性を保てる保証は何かあるかなぁ、と思う次第です。

 

主夫+αのキャリアポートフォリオ

主夫の私ができること

主夫って何ができるの?と聞かれることが多いけど、結局はその人に拠りけりです。

 

その人の生育環境・キャリア・仕事経験が、家庭内の仕事の仕方に大きく影響を与えるからです。

システムが好きな人は、GoogleやSlack、Trelloなど様々なツールでタスク管理・効率化をすると思うし、医療系の仕事に従事していれば、衛生管理分野に強くなり、飲食系であれば料理に強くなります。

FJK(ファザーリングジャパン関西)で知り合うアクティブな父親たちは、そうした本業×父親という文脈でさまざまな活動をしていて、面白いです。

 

ふと、私になにか掛け合わせるスキルはあるだろうかと思ったので(無くてもいいんですが)、自分自身の棚卸しのために書き留めておきたいと思います。

 主に、「家事」「ジョブ」「趣味」という3つの軸で話をします。

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(※なんか怪しいセミナーの広告みたいになってしもうた・・)

1.家事・育児のスキル

料理・洗濯・掃除・修繕・備品管理・書類整理・遊び・習い事・旅行企画・予防接種・子ども書類手続き・自治会・PTAなど、まあ全般できます。

詳しい仕事内容は下記に書いています。

lazyplanet.hateblo.jp

私の家事・育児は、下記に書くような総務系の仕事に大きく影響を受けています。

書類管理や備品管理などのTipsもそうですが、「そこにいる人が本来業務に集中できる環境を作る」という点で家事と総務は似ています。そして、なるべくなら「主担当」がいなくても回る仕組みを作ります。

今、私が会社にいたら、そこらじゅうにアレクサやダッシュボタン、タブレットを散らして置いておくと思います。プリンタの用紙が無い、というだけで総務を呼ぶような会社は嫌です。

少なくとも、子どもが小学校を卒業するまでは、しばらく家事・育児のウエイトは重めになります。それ以降は、子ども自身でできることが格段に増える一方で、思春期特有の悩みなどが発生するため、そうしたときに親としての役割を徹底したいです。

 

2.職業人としてのスキル

スキルの棚卸なので、少しだけ過去の話をします。

一般的なサラリーマンのキャリアとしては、新卒でベンチャーの企画室勤務、その後IT企業の総務人事部という約7年ほどのキャリアがあります。規模的にはどちらも売上高約50億円、人数100~400人程度の中小企業です。

その間、総務人事にまつわる一般事務レベルのことは大概経験してきたと思います。

 

作業的なものだけ挙げれば、社会保険、給与計算など労務全般、採用事務、衛生管理、就業規則改定、登記事務、事業所開設、移転事務、オフィスレイアウト、株式事務、総会対応、持株会、Pマーク対応、設備管理、福利厚生事務、経理仕訳、銀行口座管理、入金消込、振込その他、損保販売、社内イベント、プレスリリース作成、HP作成(委託)、SEO、リスティング・アフィリエイト広告運用…etcでしょうか。

だいたいパソコンと電話があって、字が書ければ、できる仕事です。一つ一つの作業はある程度知識は要りますが、それは覚えるだけです。 それに比べれば、家事のほうがよほど複雑です。

 

その他、「名もなき作業」みたいなものもいっぱいあったと思います。夜の付き合いも非常に多かったです。某議員の選挙応援というグレーなものも。7年間で大概の裏方仕事はやったような気がします。

 

一番長く従事していたのはWeb広告まわりの業務で4年ほど。給与計算は3年ほど。労働強度が高かったのはオフィス移転(と、それにまつわる諸手続き)です。

 

ウェブ広告は、黎明期~勃興期のころで、1年でワード単価が10倍になるような相場を経験できて楽しかったです。リクルートみたいなジャブジャブ広告費を使う企業に、少ない予算でどう戦うか、みたいなとにかく徹底した細かい運用をしていました。基本的に広告業者は大半が外れなので、自社で運用担当者(広告業者の言いなりにならない人)を育てるのがベストです。

 

給与計算は省力化の難しい作業です。正直、嫌いです。RPAもその効果は薄いのではないかと思います。そのあたりの理由は下記に詳しいです。

www.lacras.co.jp

上記記事を要約すると、人事のシステムは一貫性がない、というところに尽きます。タレントマネジメント、給与計算、勤怠管理、採用、交通費・定期・経費管理、健康管理。今はSmartHRさんがAPI連携含めて頑張ってこれらを統合しつつありますが、まだ完全一元化まではできていないのでは、と思います。

 

主夫経験を経て思うことは、「みんな働きすぎ」「無駄な管理多すぎ」です。

家事も手抜きすればいい、という風潮がようやく広まりつつありますが、同じように(仕事を手抜きするという意味でなく)社員を縛らないもっと自由な組織風土が広まっていいと思います。ルールを守るのは、当然として。

それに近い考え方としての自立型組織については、下記のが有名ですね。話半分に読めば、面白いと思います。

ティール組織――マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現

ティール組織――マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現

 

 

3.趣味・発信

写真という趣味

「写真」を撮るのは趣味です。

が、せっかくのいいカメラを使わないのももったいないので、最近ボランティアでイベントの写真係しています。会社イベントでも撮っていたのですが、以前のエントリー機では暗い場所での撮影ができず、あまり発揮できなかったので、残念でした。

また、Snapmartなどのストックフォトサイトで、加工してアップして小遣い稼ぎをしています。写真で金になる、というほどの成果はでていません。

今年だけでいえばせいぜい2,3万円ほど。来年にはカメラ代が回収できそうです。そしたら、マクロレンズでも買おう。

 

主夫としての発信

この「ブログ」がメインですが、Slack等での情報共有も少しずつ始めています。

「主夫」と呼ばれる人はよくブログを書いたり漫画を描いたりしていますが、それは主夫がマイノリティであって、ときに誤解されやすい脱落者と思われがちだからこそ、その存在を知ってほしいという思いが強く、それと同時に自分自身も生き方に迷いながら、主夫+αのモデルケースを開拓しているからだと思います。

 

私も経験的には主夫4年目。「主夫」「父親」「働き方」や「育児」に関しては、知見がだいぶ溜まってきているので、それなりに書こうと思えば書けると思います。なぜそれらを発信するのか?といえば、少しでも必要な人に必要な情報が届けられたらいいな、と思うからです。

ちなみにはてなブログpro代は余裕で元取れました。よかった。



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今後のこと

定期的に情報を発信・共有すること

これを続けたいです。もっと主夫的な仕事をする人が増えたらいいな、と思っています。男性が「働く」という以外の生き方も選択できる社会の方が、余裕があってのびのびと暮らせそうだからです。 

個人的には、夫婦で攻守交代できる関係が理想だと思っていますが、それには社会の側も変わる必要があります。今のところ、一旦キャリアを降りた男性がブランク期間を経て再びキャリアコースを積み上げるのは相当困難です。「主夫もキャリアのひとつ」という考えは、それを乗り越えるためのキー概念です。

「仕事を辞めて数年は専業主夫してても、再び同じくらい稼げる社会」が理想です。

 

生活の知恵の共有

同時に、主夫でなくても、仕事で悩んでいる人、「困りごと」を抱えている人、「生きづらさ」を感じている人たちとのつながりを広く持ちたいです。誰かを助けようという高尚なものではなく、お互いの生き方の「面白さ」を共有して、生活の知恵を分かち合えるゆるやかなつながりが生まれたらいいなと思います。

lazyplanet.hateblo.jp

 

一方で、そうした活動はおそらくあまりお金にはならないので、定期的に入る収入というのは、今後もある程度確保したいです。

とはいいつつも体力的にオフィスワークは週20時間程度、プラス在宅が限界です。誇張ではなく、本当に外に出られなくなることがあるからです。外に出られないときはほぼ一日中寝ていますが、それでも家事と育児だけは欠かさずやっています(質は下がるけど)。

それはそれで、そういう稼ぎ方でもなんとか生きていけるというモデルケースを自分でも体現したいです。

 

 

家事と育児という日常だけは、ずっと続くものなので、うまく折り合いをつけながら付き合っていきたいです。それが「主夫」の本業なので。

主に大人向けの絵本のはなし

今週のお題「読書の秋」

お題が「読書の秋」だったので最近買った絵本の話から、いろいろと連想して主に大人向けの絵本を紹介します。ただのお題記事なので、細かいことは気にしないでください。

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そらからきたこいし

そらからきたこいし

そらからきたこいし

 

 鉛筆と木炭だけで書かれた、とても綿密なタッチの絵本です。twitterで話題になっていても、著者のtwitterはあまりやる気ないようで、いい感じに病んでるのも好感触です。細かい鉛筆画を描く人の、そういう内面が好きです。

twitter.com

 まっくら、奇妙にしずか

まっくら、奇妙にしずか

まっくら、奇妙にしずか

 

鉛筆画といえば、この人の本が(古本界隈では)有名です。 シャープペンシルだけで書かれた繊細な絵は、分かりやすく言えば『レベルE』の妄想世界のような狂気にまみれています。でも、人はそういうのに、つい触れたくなります。話も支離滅裂なので、子ども向けではありません。

 フォーニコン

フォーニコン

フォーニコン

 

 同じく、子ども向けではないのが、こちら。

トミー・ウンゲラー自体は、『すてきな三人組』などでよく知られている絵本作家ですが、こちらで描かれているのは、偏屈な性的描写の激しいエロティックな機械装置の数々です。絵本作家だからといって特別なことはなく、人は内に秘めた性癖があって当然です。人は矛盾した感情を同時に持つことのできる生き物です。

すてきな三にんぐみ

すてきな三にんぐみ

 

 ムナーリの機械

ムナーリの機械

ムナーリの機械

 

意味の分からない機械装置といえば、ブルーノ・ムナーリのこの絵本です。何の役にも立たないような発明品の数々がここにあります。見ていて飽きません。ムナーリはこれに限らず、優れたデザインの本を出しているので、いずれ子どもにも見せたいです。

すきまのじかん 

すきまのじかん

すきまのじかん

 

こちらもまた、内容的には子どもも読めますが、分かりづらいです。ひくまの出版はすでに倒産していて、 古本屋を探しまわってようやく手に入れた本です。とても優しく柔らかい絵は何度でも見返したくなります。

 

アイスクリームの国 

アイスクリームの国 (詩人が贈る絵本)

アイスクリームの国 (詩人が贈る絵本)

 

長田弘の選んだ『詩人が贈る絵本』シリーズとして、みすず書房から出された本です。7冊のシリーズが第二弾まであり、全14冊。一冊あたり2,000円というただの贅沢品です。古本屋で500円程度で売られていたら、反射的に買います。

とっくに絶版になっているのですが、大阪のクレヨンハウスに普通に売ってました。平野紗季子さんの『生まれた時からアルデンテ』で触れられていて、読んでみたいなと思った絵本です。 内容はタイトルどおりで、とても素敵です。

生まれた時からアルデンテ

生まれた時からアルデンテ

 

ブルッキーのひつじ 

大人の大好きな絵本作家といえばゴフスタインです。あと、ゴーリーも。

ブルッキーのひつじは、娘が保育園で歌を覚えてきたので、本も買いました。 かわいいこひつじの話です。シンプルな絵で、物語も単調です。

ブルッキーのひつじ

ブルッキーのひつじ

 

ゴフスタイン作品の多くは、末盛千枝子さんが「すえもりブックス」にて多く出版されています。すえもりブックスは倒産してしまいましたが、その後「現代企画室」という会社が、復刊しています。 

絵本ガイド・絵本論

小さな幸せをひとつひとつ数える

小さな幸せをひとつひとつ数える

 

末盛さんの上記のエッセイも、絵本ガイドとして読めるのですが、オススメの絵本ガイド本は、こちらの『絵本をたべる』です。 

絵本をたべる

絵本をたべる

 

紹介されている絵本の数が圧倒的に多いうえに、一つ一つの説明が丁寧で、章立てに使われているテーマ設定も良いです。絵本の世界にどっぷり足を踏み入れるのに、十分に準備が整います。  

ベランダの博物誌

ベランダの博物誌

 

木坂涼さんは、主に翻訳の絵本が多いですが、まずハズレがありません。どんな人なんだろうと、その人となりがわかるエッセイを読んでみたくて、こちらを買いました。とても静謐な言葉を大切にする詩人です。 

本・子ども・大人

本・子ども・大人

 

べつに私は絵本の専門家でもなんでもないのですが、現代的な絵本の理論的支柱を形作った古典的な本の一つが、こちらかなと思います。絵本のもつパターナリズム(お仕着せがましさ)を徹底して否定しています。ちょうど、この本が刊行されて以降、日本の名作絵本の勃興期が始まります。

 

そういえば昔、こんな記事も書いていたようです。

lazyplanet.hateblo.jp

私は、アニメ絵の絵本はどうでもいい。

主語は親である「私」で、絵本を手に取るのは「私の娘」です。

以下、その前提で書きます。

児童文学の『アニメ絵』論争

www.cyzowoman.com

 

絵本・児童書の"萌え絵"論争については、私は子どもたちがそれに飛びつくなら、それで結構なことだと思っています(そもそも私は萌えを感じないので、以下『アニメ絵』とします)。

河出書房新社さんのtwitterでも「子どもが飛びつく絵」と称しているとおり、マーケティング的に徹底された絵なのだと思います。まあ、そんな「あざとい」マーケティングに乗りたくない、という気持ちは個人的には分かります。ただそれは、消費者心理の問題で、この問題の本質ではありません。

『萌え絵』を問題視している人は、それが子どもの健全な育成を脅かすものである、と真剣に思っている人は一部の過激派だけで、マクドナルドのハンバーガーのようなものでおいしいけれどそればっか食べてると体によくないよね、くらいの感覚ではないかと思います。

それは感覚的にわかる話です。でも、子どもが読む絵本は決してこのアニメ絵本だけではないので、「そればっかり食べている」という状況は私にはあまり想像できません。

 

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いつ頃からこういう絵になったのか、とか売上・貸出部数の変遷など調べてみると面白そうなので、本当はこういうのをデイリーポータルさんあたりにやってほしいのですが、ちょっと期待外れでした。

dailyportalz.jp

 

シンデレラの絵

いまシンデレラを子どもに読ませようとしたら、アニメ絵に限らずいろんな絵のものがあります。 

シンデレラ

シンデレラ

 

こちらは、 『魔女の宅急便』の著者、角野栄子さん翻訳です。

 

天野喜孝名画ものがたり シンデレラ

天野喜孝名画ものがたり シンデレラ

 

こちらはFFシリーズでおなじみの天野さんのイラスト。

 

シンデレラ (ひきだしのなかの名作)

シンデレラ (ひきだしのなかの名作)

 

 こちらも有名なデザイナーですね。石津ちひろさんは『リサとガスパール』シリーズなどの翻訳で有名です。

 

シンデレラ (めくりしかけえほん)

シンデレラ (めくりしかけえほん)

 

 こちらは仕掛け絵本になっています。仕掛け絵本は子どもの興味を惹きやすいです。

 

シンデレラ

シンデレラ

 

岩波書店からはこちら。やや古風ですが、かわいいイラストです。福本さんもまた、『おさるとジョージ』シリーズや『としょかんライオン』などの名訳者です。

  

シンデレラ (せかいめいさくアニメえほん)

シンデレラ (せかいめいさくアニメえほん)

 

そして、この河出書房新社のアニメ絵本。なにが、今までのと違うかといえば、値段ですね。381円(税抜)。上北ふたごさん(姉妹)は、『プリキュア』シリーズで有名です。

 

シンデレラ (世界名作ファンタジー4)

シンデレラ (世界名作ファンタジー4)

 

ちなみにポプラ社さんも、古めかしい絵柄のシリーズで出されていましたが、2018年3月にリニューアルされています。

はじめての世界名作えほん 13 シンデレラ

はじめての世界名作えほん 13 シンデレラ

 

(いや、あんまり変わってない?)こちらも350円とお手頃な値段設定です。 

 

どのシンデレラを選ぶのも自由

仮にアニメ絵のものしか選択肢がないなら、絵のタッチが好みじゃないとか、そういうので少し困るかもしれませんが、 シンデレラの絵本は上記のようにたくさんあります。アニメ絵が好みじゃないなら、好みのイラストレーターのデザインした絵本を選択することができます。たくさん選択肢があるのはシンデレラに限らず、他の童話でも同様です。

 

選択肢がたくさんあるのはいいことです

 

「せかいめいさくアニメえほん」は確かに安く、子どもがとっつきやすい簡単な造りになっています。それに比べれば、ほかの絵本は値段は高いですが、図書館でも比較的借りやすく、借りてみて子どもの反応がいいものは買うなど取捨選択して買ったり、たいていの名作絵本はリセールバリューがあるのでメルカリやヤフオクで高く売ったりできます。

 

そして、アニメ絵の絵本が入口であってもべつに構わないですが、少なくとも子どもが小さいうちは、どのシンデレラを選ぶかは購入者である親(私)の趣味です。

絵本は、 子どもが読むものですが、小さいうちは『読み聞かせ』をします。絵本の読み聞かせそれ自体が親子のコミュニケーションとなるので、絵本の教育効果が高いのだと思われますが、親が気に入らないものを読み聞かせても、「気に入らない」という感情を抑え込まないとそれが伝わってしまうし、感情を抑え込むのもストレスです。

style.nikkei.com

 

絵本を与えているうちは親の趣味、そのうち自分で選ぶようになったとき、好きなように選ばせつつも『地雷』を踏まないようにそっと見守る、という程度でいいのかなと思います。地雷というのはアニメ絵の絵本ではなく、本来子どもを想定読者としていない(やや過激な)本のことです。

 

「私」はアニメ絵の絵本を買うか?

じゃあ、実際にお前はアニメ絵のシンデレラを買うのか、と言われればたぶん買わないです。価格が安いので、本屋で娘が見つけてこれ欲しいといえば反射的に買うかもしれませんが、わざわざ買い与えることはしません。

 

私はプリキュアシリーズ大好きで先日も15周年の映画を観てきましたが、かといってそれだけが好みなわけではありません。

他にももっと読んでほしい素晴らしい絵本がたくさんあるし、絵本に限らず観てほしい映画やアニメ、してほしいスポーツ、一緒にしたい遊びなどがいっぱいあります。

サブスクリプションでにぎわう昨今のコンテンツ事情は、人の時間を簡単に奪います。エンタメ・趣味の領域は、今まさに時間の奪い合いが行われています。

もちろん、どのような時間の使い方をするかは、個人の自由ですが、より魅力的なコンテンツサービスが増えるにつれて、その取捨選択が難しくなっています。

note.mu

子どもと私の可処分時間でどのようにポートフォリオを組み立ててバランスよくコンテンツを摂取するかは、子育ての日々をより楽しく充実したものにするために意識したい重要なものです。

 

 

選びとる技術

選択肢は多様にあります。ただ、選ぶものが多すぎて難しい時代なのかもしれません。いろいろ選べるよ、というのはたくさん選択肢を知っている強者の論理だ、という認識は私も強く持っておきたいと思います。

 「選びとる」という技術を、もっと子どもにも伝えていきたいし、私もずっと学び続けたい、と思います。そして、なるべくマウンティングせず、よく知らなくて困っている人に、「選択肢」と「選びとる技術」をうまく伝えていく術を身につけたいです。

 

ひきこもりの働き方と就労支援

ひきこもりの働き方

下記の記事に呼応して書きます。あんまりまとまってないので、ご承知ください。

nyaaat.hatenablog.com

「主夫」をしていて思うのは、主夫も慣れてくるとだんだん「ふつう」になることです。「ひきこもり」も長期的になるとそれが「ふつう」の状態になると思うのですが、それって結構すごいことだなぁと思うのです。

どんな分野のものであっても、長年続けているものであれば、それなりに知見は溜まってくるし、後進にアドバイスすることもできます(やめとけ、というのも含めて)。

マイナスの文脈で語ることはいくらでも出来ると思うのですが、それを一つの現象ととらえて見ると、面白いし何かできないかな、と考える対象になります。

「ひきこもり」もまた、その経験はなにかに役立てられないかな?と思うのです。単純にナレッジを共有するプラットフォームみたいなのがあっても面白そうです。

就労はゴールなのか?

必ずしも、そうとは限りません。

「ひきこもり」が長期化すればするほど、当事者も家族も社会から孤立した状態になります。

ひきこもり当事者の高齢化は近年その問題が指摘されていますが、まずは「孤立した状態を見つける」「定期的に家族が他のだれかに会うきっかけを作る」「現状と当面1年くらいの生活をなんとか乗り切るための知恵を出し合う」などが一つのゴールになるかと思います。

「就労」はその後の話です。

下記の記事でも、「就労支援」がケアとして機能する条件が紹介されていますが、より詳しくは「ケアとしての就労支援」という本の中に書かれています。

news.yahoo.co.jp

・当事者がすでに治療を受けるなどして、心身ともに安定していること
・当事者が就労を希望しているか、なんらかの興味を示していること
・当事者と家族との関係が良好であること
・当事者の特性に見合った職場ないしトレーニングコースがあること
・当事者に家族以外の親密な対人関係があること

(『ケアとしての就労支援』p.4) 

フルタイムの就労が当たり前ではない

一度、無職期間(主夫)を経て思うのは、「フルタイムの就労」はそれだけでハードワークだということです。鬱などのリワークでもそうですが、一度無理した体で同じようにもう一度働くのはしんどいので、通常は産業医と上司と相談しながら段階的に時短勤務を経て、通常業務に戻ります。

「就労」と聞くと、なぜかフルタイムで外に働きに出ることを想定しがちです。でもフルタイム就労が当たり前、という意識を一旦脇に置いておく必要があります。

 「フルタイムで働くことが当たり前」なのは変、です。

 

ひきこもりであれば、なおのこといきなりフルタイムはしんどいので、全く収入にはならなくても、月1、週1などの働き方でもいいと思います。もちろん、そうした働き方が、クラウドワークスや派遣会社などの労働集約型でキャリアアップも期待できないところに搾取されてしまう気持ち悪さも分かりますが。

月に一度でも立派な就労である、という認識を持つこと自体が、自己肯定感にもつながるし、それが社会全体に広まれば、たとえば専業主婦・主夫だってもっと生きやすいし、生きづらさを抱える人の心的負担が軽くなるのではないかと思います。

下記の記事は、子育ての文脈で「魚の釣り方」の比喩を使っていますが、スモールステップをうまく作ることは、仕事でも、就労でもとても重要なことです。 

topisyu.hatenablog.com

 

 

「ひきこもり」じゃないと支援されないのか?

news.livedoor.com

こちらの記事を見て、思ったのは、カテゴライズされないと支援されないという障害者福祉の現状です。

そもそも、ずーっと家にいて何もしない人だけが「ひきこもり」ではなくて、ひきこもり未満の一見普通に見えるけどうまく働けない人ももっとたくさんいるよね、というところで、むしろ支援の対象として認められている人のほうが恵まれている、という状況もあるのではないかと思います。

そのあたりのことは、下記の記事でも少し触れています。

lazyplanet.hateblo.jp

 

ひきこもりの生存戦略

FPの畠中雅子さんは、ひきこもりの当事者が、ずっと働けないという状態に陥ったとしても、彼らがひとりで生きていけるように、親が生前にその道筋を整える具体的な方法を示しています。 

高齢化するひきこもりのサバイバルライフプラン 親亡き後も生きのびるために

高齢化するひきこもりのサバイバルライフプラン 親亡き後も生きのびるために

 

これは、あくまでもそうした「プラン」 を立てることで、「絶望した先の見えない状態」から救うことを目的としています。最悪のプランを想定し、様々な制度を調べることで、ずっとこのままなのかなという閉塞感を断ち切って、「まあなんとかなるかも」とすこしラクに考えることができます。

ラクな気持ちになって、それが当事者と家族の回復へとつなげられたら、それはそれでとても良いことです。

嫌われがちな「おっさん」を救うために

そういえば「主語が大きい」という話は下記の記事でもしていました。「おっさん」は社会では嫌われがちな存在ですが、当然おっさんにもいろいろあります。

lazyplanet.hateblo.jp

傲慢で権力を振りかざすおっさんもいれば、うまく社会と関われず苦しんでいるおっさんもいます。後者のおっさんは、運が悪ければ誰にも気づかれず野垂れ死ぬし、何かの拍子で「無敵の人」になる可能性もあります。

高齢化したひきこもり問題は、おっさんの生きづらさにもつながります。「おっさん」を敵視する社会では、支援自体に賛同が得られず、より一層支援が難しくなります。

 

まとめ

ニャートさんのアイデア出しは、とても面白いし、今後もできれば一緒に考えていきたいと思っています。たくさんの人で、考えたり学んだりするなかで、「ひきこもりの働き方」に限らず、「生きづらさ」を抱える人が、それでも生き抜くための方法を見出したいです。

 

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フェミとオタクと社会学者という釣り針

閑話です。

このブログは主夫の書いている育児ブログですが、一応、文学部の社会学専攻卒なので、ここ最近の騒動はあまり他人事には思えません。

 

一通り統計も研究の作法も習ってはいるので、なるべくは資料にあたりつつ、自分ごとについては「主夫」というフィールドで調査をしている感覚で、身近なものをなるべく社会と照らして書いているつもりですが、あら探しをすれば当然たくさんほつれてるところはあると思います。

 

以下、だらだらと綴ります。 

質の担保について

社会学に限らず、学問の質、論文の質、学会の質、それぞれをどのように規定し、担保するか、という問題は、それぞれの扱う専門領域で異なってくるかと思います。過去の偉大な思想家たちの時代に査読なんていうシステムがあったかは知りませんが、それでもそうした思想家の本はその後の研究に大きな影響を与えています。社会学でいえばウェーバーとかデュルケムとかがその始まりでしょうか。でも、彼らはあまり統計的な手法は取っていません。

 

社会学でも統計的調査がメインのものであれば、統計手法やその分析については査読などの方法で正当性・信頼性を高めることはできるし、理論の援用についてもその扱いが間違っていれば指摘できると思います。

一方で、参与観察(フィールドワーク)やインタビュー、オーラルヒストリー研究等においては、そのすべてを録画・録音していたとしても、完全に信頼性を担保することは難しいと思います。聞き取り者との関係性、その時の雰囲気、言葉と言葉の間、それらすべてはその研究者本人でしか感じ得ることができないものだからです。

 

結局のところ、基本的な論文の形式(読める日本語)などが整っていることは当然として、その内容については一つ一つ見ていくしかないわけで、それが論文であれ、著書であれ、ウェブ記事であれ、不明瞭な部分や間違っている部分があれば、学問の内外問わず、批判されるべきです。

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(※うちの子の日記です)

社会学者とSNS

総じて、社会学者はSNSをよくやる割には、マーケティングが下手だと思います。

ウェブマーケティングに精通した専門家ではないので当たり前なんですが、観測範囲の狭いSNSに時間を費やすことはそれこそ主夫である私でもできることなので、せっかく研究環境の整った場所と地位に身を置いているのであれば、ご自分の研究に専念したほうがいいのではないか、と思います。

SNSで不毛なやり取りを繰り返すのではなく、専門性の高い環境の中で良質な研究を積み上げていくことのほうが、結果として社会学の学問的な評価は高まるはずです。

だいたい社会学の価値を下げているのはSNS上で賑やかな人たちです。

SNSをやるのであれば、仕事としてプロとして自覚していただいたうえで自説のプロモーションなりをしていただきたい、というのは社会学徒の端くれからのお願いです。それこそ、研究会でも開いてどういう発信の有り方が望ましいのかマーケテイングの専門家を交えて議論していいものだと思います。

 

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炎上の意味を考える

そして、SNSを発端に、タイトルにあるような登場人物が主語になる話題は最近よく燃えています。話がかみ合わなかったり、尾びれがついたものだったり、いろんな事情があるにせよ、いろんな方面から反発がくるような問題提示の仕方については、その意味について考える必要があるのではないかと思います。

news.yahoo.co.jp

これは最初の記事が大きく炎上し、それを踏まえたうえで2発目の炎上記事となったものですが、この記事を見る限り、このトーンで語られる言葉はそれほど反発を呼ぶものではなく、これが初発の記事であれば、さほど騒動にはならなかったのではないかと思います。

rainbowflag.hatenablog.com

このブログも非常に冷静な視点で書かれています。

私は、このキャラのことを全く知らないので、彼女については語ることができません。

が、こちらの記事を読んで、VRという仮想現実上のキャラクターである以上、現実の社会の影響を受けざるを得ない「社会を映す鏡」としてこのキャラクターが語られてるのだと感じました。

ドラマでもマンガでもアニメでも、「社会を映す鏡」は、社会学者が大好きなものの一つです。「エヴァ」だったり「逃げ恥」だったり、分析するの好きです。

もちろん、社会学者が取り扱うのは「社会」であって、「鏡」ではありません。だから、鏡そのものであるこのキャラクターを批判することはないし、批判すべきは「社会」の側なんですが、その点で誤解されたり、もし実際にキャラクターを攻撃していたりするのであれば、それは反省すべき点だと思います。

 

フェミとオタク

どちらも主語が大きいです。「社会学者」も非常にあいまいな定義です。

 

主語を大きくして語ると、関係のない人まで巻き込むし、相手への敬意も薄れます。

フェミもオタクも一枚岩ではない、ということは当たり前のことですが、まず相手は誰なのかを具体的に意識して議論する必要があります。

なぜネット記事の見出しは主語が大きいのかと言えば、それが「釣り針」だからです。

自分のことが書かれているのかも、と思うとクリックして内容を確認したくなります。そして多くの場合、それらは見当違いのことであり、多くの批判を招きます。その批判がまた、新しい訪問者を呼びます。主語が大きいほど、PVが取りやすいのです。

 

「妄想は誰にも止められない」

オタク文化を学ぶうえで、参考になるのがげんしけんという漫画です。

大学のオタサークルを描く漫画ですが、このなかでも「オタク嫌悪」の女性キャラが何人か登場します。その子たちが、どのようにその文化を受け入れていくのか、というのがこの漫画の一つの主題になっています。

「妄想は誰にも止められない」というのは、この漫画における数多くの名言の一つですが、それが頭の中にあるうちは、誰にもそれを止める権利はありませんし、止めることもできません。それをどこまで公にしていいのか、というところが表現の「マナー」の部分だと思うのですが、「マナー」それ自体が社会の中の常識というあいまいなもので規定されているものだからこそ、その線引きが難しいものになります。

 

オタクの多くの人は控えめで、それらの表現物をきちんと隠して持ち出していることと思います。彼らに「隠す」という行為をさせているものは、社会の無意識の「抑圧」であり、「どうして自分の好きなものを堂々と宣言できないのか」「私たちは大多数の圧力によって行動を制限されている」など、「抑圧されてきた側(女性や性的少数者)」を守るための(フェミニズムと同じ)論理で語ることができてしまいます

少数者を責め立てるような論理でこれらのことを語ってしまうと、自分自身が行ってきたこととの矛盾が発生してしまうばかりか、多くの反発を招く結果にしかなりません。

げんしけん」での「オタク」をめぐるそれぞれ攻防は、少なくとも相手のことを受容したうえでうまく折り合いをつけていきます。その過程を学ぶための資料として、大変参考になる漫画です。

 

「気づいたらなっているもの」

もう少し「げんしけん」の話です。もう一つ名言があるとすれば、「オタクはなろうと思ってなるものでなく、気づいたらなってるもの」というものです(うろ覚え)。

これもまた、いろいろなことに当てはまる表現です。「フェミ」になろうと思ってなくても、一通りの理論をある程度学問的に習って理解してしまうと、その立場で語らざるを得なくなります。twitter界隈の「フェミ」はよく知りませんが、アカデミズムにおける「フェミニズム」は、それほどきちんと筋が通ったものです。単純に面白いです。

でも、だからこそ無自覚に自分の考えが「当たり前」になっているのではないか、と疑う必要があります。本来きちんと説明を積み上げなければ相手に伝わらないものなのに、それもなしにいきなり拒否反応を示すことは、やっぱり誤解を招く行為だと思います。

住み分けが本当に正しいのか?

公共空間における表現という意味では「住み分け」「ゾーニング」をすべきだ、という議論があります。この手の話はずいぶん昔からあり、たとえば下記の記事は2010年のものです。

www.itmedia.co.jp

オタクの文化は性的なもの一色では当然無いし、アニメ絵が全て規制されるべきかといえばそんなことはありません。社会的な文脈によって、それらは性的にも健全にもなり得るものであって、一概に線引きするのが難しい。

そうしたものをゾーニングをする場合、「誰が」ゾーニングするのかによって、全くその意味合いが変わります。そして限られた区画のなかでしか表現できなくなる人にとっては、それ自体が弾圧に感じることもあるでしょう。

公共領域においては誰にとっても素晴らしい最善解はなく、誰にとってもちょうどよい最適解を目指す必要があります。そのゾーニングが「正しい」かどうかを決めるのは、どのような人なのか、社会なのか、それこそ社会学者が追及すべき課題でもあります。

娘を持つ親として

当然、娘を持つ親として子どもを守りたい、という思いを持っています。ただ、おそらく絶対に手に取ることもじっと見ることもないだろうコンビニ本よりも、手に取る可能性の高いHUNTER×HUNTERのほうがずっと避けて通りたい本です。

説明するまでもなく普通に読む分にはとっても面白い漫画ですが、とても残虐で歪んだ内容を伴っています。『ゴールデンカムイ』なんかも同様です。

それらを読ませるまでには、段階を踏みたいと思っています。段階を踏まずにそれらに触れさせるのは、念能力もないのに、いきなり能力者と戦うようなものです(洗礼*1ですね)。

インターネットなども同様で、ネットの海にはゴミがいっぱいあることや、個人情報の重要性、ネット特有の文化、マナーなどを身につけさせるなかで、いつかオタク文化に触れることもあると思います。そのときに十分な耐性をつけていれば、それほどリスクを与えることは無いのではないかと思います。

子どもたちが、自分自身が性的な対象や被害者になるかもしれない、という危機感は、残念ながら常日頃からくる警察からの「不審者情報」によって身についています。毎週のように不審者情報のプリントを持たされ、親のメールに配信され、一人で出歩かないように、と皆が注意して行動しています。

オタク文化が自分の子どもに危害を加える可能性よりも、ずっと高い確率で、子どもたちの身近なところに危険性が潜んでいます。それは時に分かりやすい悪意ではなく、善意の形をして子どもたちに近づいてくることもあります。

親としてはその身近な危険から身を守ることを第一にリソースを集中させたいです。それに比べれば、ゾーニングの問題は些細なことのように思えます。  

とにかくさけんでにげるんだ わるい人から身をまもる本 (いのちのえほん)

とにかくさけんでにげるんだ わるい人から身をまもる本 (いのちのえほん)

 

 

まとめ

フェミニズムも社会運動である以上、発信力の強いtwitterを使いたくなる気持ちもよくわかるのですが、まずは落ち着いてください。相手にわかる言葉を、最低限の敬意を、お互いに。自戒を込めて。

 

 

 

*1:何も知らない状態で能力を伴った攻撃を受けることで、非常に大きな痛みを伴うものの、その後の能力開花が早い。