京大卒の主夫

京大は出たけれど、家庭に入った主夫の話

プライムデーに乗せられて買ってしまったもの

お題「プライムデー2018」

つまらない小ネタ記事ばかりですみません。

お題の通りですが、なんだかんだで乗せられて買ってしまったものがたくさんあります。お題の通り広告記事なので、興味のない方は読み飛ばしてくださって構いません。

まあバーゲンで安くものを仕入れるの主夫の仕事ということで。

 

 
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基本的には、「もともと欲しいもの」しか買わない、原則です。

また、Amazonも粗悪品がかなり多いECサイトです。聞いたことのないメーカーのものは買わない、というのもまた必須のルールです。

 

ドライブレコーダー 

今までつけてなかったのが問題なんですが。そこそこ評判の良いAnker製品です。

SDカードも合わせて。ここのSDカードは色がおしゃれなのでよく買ってます。

 

 

www.gizmodo.jp

 

・ラバーゼ 鉄フライパン

30%オフだったので。24cmのものを持っていますが、よりたくさんのものを作るとき用に。前々からほしかったので、みつけてラッキーでした。大きいですが、このシリーズは鉄フライパンにしてはかなり軽いです。

ラバーゼ 有元葉子の両手フライパン 30cm 鉄製 IH オーブン対応 LB-095

ラバーゼ 有元葉子の両手フライパン 30cm 鉄製 IH オーブン対応 LB-095

 

 ・OXO ポップコンテナ

買い増しです。最近、妻と子供が寒天にはまっていて、保存容器が不足していました。

ポンと真ん中のボタンを押すと簡単に密閉できて、開けるときも真ん中のボタンがそのまま取っ手に変わります。類似品はいろいろありますが、この手軽さはOXOのものだけです。

OXO 保存容器 プラスチック 1.6L ポップコンテナ2 新タイプ レクタングル ショート 11234600

OXO 保存容器 プラスチック 1.6L ポップコンテナ2 新タイプ レクタングル ショート 11234600

 

 

 ・ストック飲料

コカ・コーラ製品2つで10%オフでした。夏場、どうせすぐ無くなるので、購入。

・Tシャツ

在庫切れだったので、楽天のを貼っておきます。値段は同じで777円です。かわいいかどうかは判断を委ねます。安いですが、プライムデーは関係ありません。

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 ・fire TV stick

プライムデーで買うのが一番安いと判断。妻がゴールデンカムイにはまっていてFOD契約していたのもあって。問題はテレビ裏がごちゃごちゃすることです。

BenQあたりのモニターを買って、寝室につけようかな、とも思ったのですが、それなりに高いのでやめました。

Fire TV Stick

Fire TV Stick

 

HDMIポートが埋まっているので、こちらを購入。 AmazonTVやSwitchの電源をつければ自動的に切り替わるので、便利です。

この辺は、PrimeNowで買ったらさらにクーポン1000円引きでした。 上の二つで4000円です。

Kindle Unlimited

既に解約して、楽天Magazine に移行しているのですが。以前加入していて、購入の9割が雑誌でした。そのため月額380円の楽天Magazineで十分と判断しています。

ただ、2か月で99円なので、そのあいだに99円以上の欲しい本が1冊でもあれば得だな、と判断して再加入しました。

 下記は、Unlimitedで借りた本です。

障害のある子が「親なきあと」にお金で困らない本

障害のある子が「親なきあと」にお金で困らない本

 
読むバンコク: 『歩くバンコク副読本』

読むバンコク: 『歩くバンコク副読本』

 
セックスと超高齢社会 「老後の性」と向き合う (NHK出版新書)

セックスと超高齢社会 「老後の性」と向き合う (NHK出版新書)

 
「だましだまし生きる」のも悪くない (光文社新書)

「だましだまし生きる」のも悪くない (光文社新書)

 
承認をめぐる病 (ちくま文庫 さ 29-8)

承認をめぐる病 (ちくま文庫 さ 29-8)

 
日本の子どもの自尊感情はなぜ低いのか (光文社新書)

日本の子どもの自尊感情はなぜ低いのか (光文社新書)

 

 

Amazonのkindle本がセールだと聞いて

なんか安くなってると聞いて、いくつか買いました。なるべく、ブログのポリシーに近いものだけご紹介です。

 

愛と家事

愛と家事

 

先に出された私家版(zine)も持ってるのですが。紙の本の方が味わいがあります。たしか、ご本人もはてなブログやってた気がします。淡々とした視点が好きです。

夜学舎

 

生活の発見 場所と時代をめぐる驚くべき歴史の旅

生活の発見 場所と時代をめぐる驚くべき歴史の旅

 

 フィルムアート社の作品が半額なのは珍しい気がします。今年はじめに出された本。長いので、電子書籍向きじゃない気がします。

 

「その日暮らし」の人類学 もう一つの資本主義経済 (光文社新書)

「その日暮らし」の人類学 もう一つの資本主義経済 (光文社新書)

 

 光文社新書は50%ポイント還元です。紙の本は持ってます。アフリカで小商いの参与観察フィールドワークを長年してきた小川さやかさんのその日暮らしのススメです(ちょっと違う)。でも面白いです。

 

結婚と家族のこれから 共働き社会の限界 (光文社新書)

結婚と家族のこれから 共働き社会の限界 (光文社新書)

 

 こないだ楽天で買ったばかりでした、畜生。家族社会学の筒井先生。2年前の本ですが、知見は十分に先端を行ってます。家族や家事、子育てについて語るなら、避けては通れない本です。

 

 先日紹介した『「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす』も『「育休世代」のジレンマ』も、ブレイディみかこさんの『労働者階級の反乱 地べたから見た英国EU離脱』も光文社新書ですね。

あ、あと伊藤亜紗さんの本も面白いです。

 

目の見えない人は世界をどう見ているのか (光文社新書)
 

 

 

私たちは子どもに何ができるのか――非認知能力を育み、格差に挑む

私たちは子どもに何ができるのか――非認知能力を育み、格差に挑む

 

月替わりセールみたいですが。まだざっとしか見てないのでこれから読みます。日本語版の前書きを駒崎さんが書いてますが、分かりやすく情動を駆り立てるタイトルも彼の入れ知恵かもしれません(褒めてます)。

 

 

 ちょっと、お安くなってます。特になにか役に立つわけでもないのですが、いろんな人の人生を面白く切り取ってみせてくれるこの著者が好きです。最近、『空をゆく巨人』という未発表ノンフィクションで受賞されてましたので、新刊が楽しみです。

 

基本的に電子書籍はあまり買いません。普段は雑誌の読み放題とマンガくらいです。ただ、急ぎで読みたいとき、安いときなどは読みづらさを我慢して購入します。Amazonに限らなければ、クーポンやポイント還元で、だいたい常に20%オフ以上で買えますし。

 

今日はなんとなく、スマホからの投稿でお送りしました。指疲れるー。

 

「おっさん」の生存戦略

「若者」をやめて、「大人」を始める

タイトルの本を読みました。はてなでもお馴染みの、シロクマの先生の本です。単純に面白かったです。

p-shirokuma.hatenadiary.com

どんな本かと言えば、「生きづらい今の世の中、いつのまにか大人になってしまった私たちはどうやって人生を過ごしていけばいいでしょうか?」という問いに、丁寧に寄り添って答えを探っていく本です。

最終章は、もう悟りの境地です。成熟した大人としてソフトランディングし、人生をゆっくり降りていくための考え方を懇切丁寧に説明しています。

同時に、面倒な「おっさん」にならないためにはどうしたらいいか?という生存戦略にも答えている本だと感じています。

 おっさんは差別されてもいいのか?問題

note.mu

bunshun.jp

とりあえずNewsPicksさんに倣って「おっさん」をここでは「凝り固まった価値観やルール」みたいなものに縛られてアップデートを怠っている大人、と定義しましょう。

で、「何でもかんでもおっさんのせいかよ」と、そんなことをおっさんが言い出す時点でもうめんどくさいんですが、「でもわかるよその気持ち」という思いもあります。

当たり前ですが、おっさんも差別されていいはずがありません。

むしろ昔に比べておっさんも生きづらくなっている、といえます。

いろいろな理由で、ただ年上だから、というだけで敬われる機会は少なくなっています。同時に、若い世代の成長力やスピード感などが武器になりやすい、特にネットではそれが目立ちやすい、ということがあります。

「おっさん」だって苦労している。それはすごくわかる。人は誰でも年を取ります。体力が落ちて、代謝も悪くなり、ぜい肉が増える。若い世代との交流を積極的に持っていなければ、流行の話についていけなくなる。そうした努力も億劫になってくる。そんなふうに、みんな年を取ります。

 

おっさんが「社会のあらゆる問題を押し付けられている気がする」と感じるとしたら、それはおっさんの自覚のある人の素直な気持ちだと思います。

きちんと成熟した「おっさん」はそんな風に感じないはずだ、という論はそう感じている善良なおっさんにとって残酷です。普通のおっさんが普通に生きてて感じる空気感、「生きづらさ」はどこからくるのでしょう。

「おっさん」の主語がでか過ぎ

皆ちょっと主語が大き過ぎるんではないでしょうか。上で仮に定義したものの、その定義だとあっちではこの人おっさんだけど、こっちでは意識高い系の若者だよね、みたいなこともあり得ます。

仮想敵としている「おっさん」は、「一定の地位にあって、その地位を利用して、誰かに凝り固まった価値観やルールを押し付けて苦しめる大人であって、古い価値観やルールで動いていても攻撃してこない利害関係のないおっさんまで敵視することはないのではないかと思います。

街で大声で「おい、おっさん!!」と叫んだら、いろんな人が振り向きます。その中にはキモくてカネのないおっさんもいれば、地位も権力もあってパワハラ・セクハラ好き放題のおっさんもいます。

加害・被害関わらず、不幸な事件の当事者になりがちなのは前者のおっさんで、「おい!」なんて怖くて声が掛けられないのが後者です。前者のおっさんが救われない社会なのであれば、それは弱いおっさんに対して差別的な社会です。

とりあえず「おっさん」に呼び掛けるときは、注意深くその特徴を捉えた呼び方をしていただきたい。じゃないと、年を取った自覚ある人は皆後ろ指差されたような気持ちになります。不必要な分断が生まれます。

そして、冒頭紹介した本にも書かれていることですが、おっさんがおっさんであることを否定せず受容することのほうが、面倒なおっさんにならずに済むのではないかと思います。

そんな、何者にもなれないおっさんの考えたおっさんの生存戦略*1でした。

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*1:タイトルもこの文言も某アニメからの借用です

児童虐待を考える

先週末、ファザーリングジャパン関西の主催で行われた勉強会に参加してきました。

お題目は、先日の児童の虐待死をうけての、児童虐待についてのはなしです。

www.facebook.com

オレンジリボン運動の理事をされている高祖常子さんの講演後、グループワークで話し合う形式のものでしたが、専門的に従事されている方も参加されていたので、いろいろと勉強になりました。

 先日も長々とこの件については書きましたが、

lazyplanet.hateblo.jp

実際に私たちにできることはほとんどありません。見かけたら、189で通告。

腐らない飴ちゃん

勉強会の中では「正直それほどでもない場合、でも子どもが泣いていて声を掛けたいときはどうしようか?」という話の中で「鞄の中にシールを入れておく」という意見もありました。

以前、twitterでこんなやり取りがありましたが、飴よりずっと安全で長持ちです。 

腐らない飴ちゃん的存在。

それに限らず、子育て世代に優しい世界、雰囲気みたいなのが大事なのは言うまでもありません。

スウェーデンのはなし

高祖さんは、育児系フリーペーパー『miku』の編集長もされているそうで、そのウェブ記事ではこんな取材もしているようです。

www.kosodate.co.jp

スウェーデンでは明確に法律で定めているとのこと。

1979年にスウェーデン国会が可決した子どもへの体罰禁止と屈辱的な取扱いの禁止を盛り込んだ「親子法改正案」

子どもは世話と、安全と、質のよいしつけを享受する権利を有する、子どもはその人格と個性を尊重されながら扱われなくてはならず、体罰にも、その他のいかなる屈辱的な取扱いにも、遭わされてはならない。

http://www.kodomosukoyaka.net/pdf/2009-sweden.pdf

冊子。セーブ・ザ・チルドレンスウェーデンスウェーデン社会保健省

虐待の連鎖は約3分の1程度

よく親が虐待を受けていたら、その親も子を虐待してしまう、ということが言われます。が、実際には、複数の要因が重なって起こることが多い、と考えるほうが自然でしょう。

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第 20 回児童虐待防止対策協議会 平成29年度厚労省

殊更に、虐待の世代間連鎖のみを強調すると、他の要因を見落としてしまう、というリスクもあるということは重要な指摘です。

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子供の生活実態調査の詳細分析について 東京都福祉保健局 第一部より)

元データを探すのに苦労しましたが、おそらくこのあたりが根拠になっているのではないかと思われます。たしかに暴力を受けたことによる相関はあるかと思いますが、そのほかの環境要因も十分に考えられるでしょう。

要は、親に対してのみその責任を負わせるのではなく、社会的・経済的な環境要因も改善しなければ虐待を防ぐことはできない、ということであり、親個人の負の体験だけでそれらは説明することはできない、ということに尽きます。

「しつけ」と「体罰」と「虐待」

digital.asahi.com

digital.asahi.com

朝日新聞が二度にわたって、この点を取り上げています。

「しつけ」と「体罰」は違う。体罰は明確に虐待です。学校教育法でも、体罰はしてはならないと定められています。(にもかかわらず民法には明文化されていませんが)

体罰の禁止及び児童生徒理解に基づく指導の徹底について(通知):文部科学省

なぜ体罰がダメなのかは、以前の記事と下記の記事に詳しいです。

benesse.jp

愛の鞭ゼロ作戦

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事前に、それなりに自分でも勉強してきたつもりでしたが、それでもまた新たに学ぶことがたくさんありました。前回の記事を補強する意味でも、今回学んだことを粒度バラバラですが、記しました。

 

日常と接続すること

二度続けて、長文を書き綴ったので、少し閑話休題

 

はてなブログとブックマーク

私の場合、ブログもブックマークもtwitterと連携させていません。

私のtwitterアカウントはリアルでの知人・友人も多く、職場のつながりなどもあるとてもリアルに近いSNSとして活用しています。

一方、はてなアカウントも特に本名や素性を隠してはいないのですが、どこかで「リアルとは切り離した存在」として活用しています。

 

はてなブックマークは、2008年頃から、見続けています。このブログもリリース時にドメインだけ取得しています。

ただ、ブックマークコメント(以下、ブコメ)を書くようになったのは、会社を辞めて主夫になってからでした。

その理由は、単純で「失うものが何もないから」です。無敵の人と一緒ですね。

ブコメやや攻撃的な物言いでないと多くの人に伝わらない、注目されない、ということが往々にしてあります。

100字という制限で簡潔に書くこと、コメントの鋭さが求められる場であること、ユーザーに理系エンジニアが多く論理的な言い方がウケること、などさまざまな要因から、そのようにしています。

実際にそういう物言いのほうが、トップブコメになりやすい、というのは実体験に基づいています。

また、攻撃的な物言いは、主に個人ではなく社会や組織・会社に対して行っています。「障害は社会の側にある」という言葉がありますが、社会や組織の集団心理・制度・環境によって個人が苦しめられる場面が世の中にはたくさんあります。

しかし、会社員という立場は、社会の側の人間であり、しかも経営に近い職種で働いていた私にとっては、それは内部批判に近いもので、発言と私個人が結びつけられたら社内で腫物扱いされるというリスクもありました。

主夫になったことで、社会から疎外されたわけではありませんが、そうした地位を脅かされるリスクは無くなりました。

「失うもの」がなくなった途端にネットで強い発言をするネット弁慶にまさになったわけですが、鬱々とした気分のなかで、憂さ晴らしに強者になれる、承認欲求が簡単に満たせられる道具としてブコメが機能していた、というのは、私個人も同様だったと思います。

 

「社会」を斜に構えて捉える

「社会」を学問の対象とした社会学は、よく「社会」の外側からしか物事をみていない、社会のことを知らないくせに斜に構えている、大学という特殊性のある組織に絡められている奴に言われたくない、などという批判を受けます。

実際に、学部生時代に、全く社会性のない院生に絡まれて嫌な思いをしたこともあり、進学するか悩んでいた時、上記の批判が心の内にあり、就職を選択しました。

社会を知らないで社会を語ることはできない、と。

主夫という存在は、数的には圧倒的にマイノリティで、一般的なキャリアコース、レールからは外れた存在です。社会の外側に完全に出ることは不可能ですが、中心からは少しずれた立ち位置にいます。

そうした立ち位置だからこそ、はてなを利用し、ブックマークにコメントを残しています。斜に構えて、好き放題に社会を批判することができます。

それが誰かの役に立つかどうかは分かりません。ただの暇つぶしでもあるし、ときに間違った方向に議論がいかないよう修正したい、という思いでコメントすることもあります。

長くて無駄な記事を読まなくてもブコメを読めばだいたいわかる、読まなくていい記事だとわかる、というのもブコメの利点です。はてなを眺めていると無駄に時間を消費するので、結局のところ時短にはならない、と思いますが。

 

ネット上のトラブル

幸いにして、私は一度もトラブルに巻き込まれたことはありません。

はてな村で一般的な手斧を投げ合うという作法、炎上するような煽る発言、それらはすべてお遊びである、と捉える人もいれば、それが唯一承認欲求を満たすことのできる世界だ、と捉える人もいます。

言うまでもなく、ネットでは相手の顔がみえません。だからこそ、本来はリアル以上に丁寧なコミュニケーションをもって、冷たい文字記号に誤解の無いように意味を込めます。

私も、慎重に言葉を選んで書き込んでいるつもりですが、反射的にキツい物言いをしたり、ときに怒りを示すために意図的に表現を強め、毒も吐きます。

ネット上で顔を出すことは、それほど恐れていません。隠していても本気で探されたら、すぐ見つかるからです。私を特定するメリットもありません。TwitterFacebookInstagramでは時々顔を出しています。

それでも、パブリックに情報を発信する場とプライベートの日常を発信する場は接続したくない、という気持ちがあります。

ネット上のトラブル回避のためであれば、そもそも全く別のペルソナを設定し顔も出さず特定されないようにすべきですが、日常と接続された素性の分かる人の言葉のほうが信用に足る、ということもあります。ブロガーはじめ情報発信する人は、その境界線をどこに引けばいいのか、と悩みながら日々の出来事を書き綴っていることと思います。

私もTwitterにブログ情報を載せたほうがより多くの人に見てもらえるかな、と思うこともありますが、やはりその接続をすることが少し怖いです。

自分の中の「怖い」という気持ちが、まだうまく説明できないでいて、このような文章になってしまったのですが、端々にそうした不安とそれでも言葉を止めるつもりはない、という思いを汲み取っていただけたら幸いです。
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精神的な障害や病気を抱える人への公的支援・福祉サービス

精神的な障害・病気・困りごと、さまざまな「生きづらさ」を持ちながら、働くにはどうしたらいいか、というテーマについて、考えることが多くなりました。

 

そういった生きづらさを抱える人の存在が可視化されてきた、という現代的な背景もあるし、自分もそうした生きづらさを抱えることになって、同じ状況に置かれた人たちの存在が無視できなくなった、ということもあります。

僕はいま、パートの仕事をしながら主夫として家事や子育てをしていますが、鬱病で長期的な通院をしています。

公的な支援を受けなければ、その通院費と処方薬費は、年間で10万円をはるかに超えます。そのためいくつかの福祉サービスを利用しながら、日々の生活を賄っています。

障害などの困難さを抱える人が継続して安定的に暮らすには、公的・私的問わず、さまざまな社会的資源からその支援を引き出す必要があります。

そのうえで、公的支援による最低限の生活保障や援助をベースに、一定水準の生活を保つための就労を+αで行うことで、より安定した暮らしが期待できます。

週5日フルタイムの正社員という働き方は、もはや一般的ではなくなってきています。公的支援をベースに+αの就労をする、という考えに基づき、フルタイム就労に固執しなければ、困難さを抱えていても働ける可能性を探れるのではないか、と思います。

まず、ここから始めなければ、「生きづらさを抱えながら働くには」というその先のはなしに進めないので、前提となる社会的資源についてみてみたいと思います。

 

(長いので、最後だけ読みたい人は目次から読み飛ばしてください)

 

1.有職期間がある、あるいは休職する時

まずは、もともと働いていたというケースを想定します。その場合、労働保険・健康保険などさまざまな保険料を払ってきているので、受ける給付の種類も多く手厚いものとなっています。

傷病手当金

鬱などの精神的な事由に限らず、長期の休職を余儀なくされるときは、こちらの傷病手当金の給付を受けることができます。

健康保険に加入していれば、月額報酬の約6割が保障されます。健康保険は、必ず支払う義務がありますが、こうして万一働けなくなった時にその生活を保障される権利もあります。

こちらは、最大で1年6か月の保障期間があります。会社の就業規則などで1年未満しか休職できない、という場合、退職したとしても、仕事に就けない状態であれば継続給付できます。

病気やケガで会社を休んだとき | 健康保険ガイド | 全国健康保険協会

・リワークプログラム

うつ病などの、精神的な病気で一度休職すると、復帰の際に元通り働けるとは限りません。多くの場合、前と同じような100%の力は出せません。そのため、復職してもまたすぐに休職してしまう、という事案が多く発生してしまいます。

そうしたとき、スムーズに復職できるよう支援するのが、このリワークプログラムです。定期的にある場所に通い、作業をし、人とコミュニケーションをとる、という社会的なリハビリを行います。

公的なところでは、独立行政法人 高齢・障害・求職者雇用支援機構(地域障害者センター)がこのプログラムを提供しています。ただし、ここのプログラムは本人・主治医・事業主がチームとなって取り組むことを必須としており、会社に一定の理解がなければ、受けられません。

また、通常支援期間も長く、もっと短期で戻りたいといったニーズや休職規定に会わないなどといったことも発生し、何より都心部ではかなりの予約待ち状態になっています。

www.jeed.or.jp

そのため、下記のうつ病リワーク研究会に加盟している、医療機関にて通所サービスを案内されることが多いです。この場合、私費負担が発生します。3割負担のままだとかなりの出費になるため、躊躇する人も多くいるかもしれません。

www.utsu-rework.org

自立支援医療

上記のような医療リワーク支援は毎日長時間の治療をする通院のようなもので、それを受けるには、治療費を含めかなり費用がかかります。そこで、自立支援医療制度という通院に伴う医療費や薬の処方費を軽くする制度を使うことができます。この制度を利用することで原則医療費が1割負担、月額上限10,000円で通院治療を行うことができます。

申請は各自治体の福祉課などにある自立支援申請窓口で行います。その申請書のなかに医師の診断書も必要となりますので、主治医に書いてもらいます。診断書は医師によっては高額ですが、病気は長期化するものと思って初期段階で書いてもらうことをお勧めします。こちらは遡って支援を受けることはできません。

www.mhlw.go.jp

・休業(補償)給付

うつ病などの病気の原因として、長時間労働など労務上の問題や心理的負荷との関連が明らかである場合には、労災認定を経て休業補償給付をうけることができます。

こちらは、労災保険に拠るもので、労働局・労働基準監督署に請求します。

主に、会社での就業中に起きた事故などを想定した制度のため、会社側で手続きが行われることが多く、事業主の証明も必要なため、実際には会社側が渋るケースが多いかと思われます。

ただし、長時間労働の例でいえば、

・極度の長時間労働(発病日直前の1ヶ月間におおむね160時間を超える時間外労働)を行った場合
・発病直前の2ヶ月間に1ヶ月当たりおおむね120時間以上の時間外労働を行い、その業務内容が通常その程度の労働時間を要するものであった場合
・発症前おおむね6ヶ月の間、恒常的長時間労働(月100時間程度となる時間外労働)がある場合

職場のメンタルヘルス|事業者のための参考指針集

などが、心理的負荷の事例として当たると厚労省が認定基準を策定しています。こうした客観的な証拠が示せるものがあれば、請求に踏み切っても良いかと思います。

会社と不毛なトラブルになることはまた大きな心理的負担となるので、法定代理人を立てることもまた有りだと思います。その場合は社労士に相談です。

労災認定までは平均8か月程度と時間がかかります。またうつ病などの場合、私的な事由なのかどうかなど曖昧なケースもあり、認定基準も厳しいとされています。

傷病手当金の申請と同時に休業給付の請求手続きも行い、傷病手当金を受けつつ、労災認定が下りた時点で休業補償給付に切り替えるのがベターかと思います。

休業補償給付では、通院にかかる費用や交通費も無料になるほか、給与保障も8割傷病手当金よりも優れた補償内容となっています。

www.mhlw.go.jp

2.無職・退職時

障害年金

年金というと退職後に受け取るイメージが強いですが、障害がある人は現役時にも受け取ることができます。

国民年金に加入している期間の病気等であれば(または未成年時の障害であれば)障害基礎年金、厚生年金に加入している期間の病気等であれば障害厚生年金を受けることができます。

なお、きちんと保険料を納付していることなどが前提となります。最寄りの年金事務所に申請書をもらい、申請します。こちらも支給決定までに半年~1年ほど時間がかかります。

また、手続きの際には、配偶者や親の収入証明や戸籍謄本、所定の診断書などが必要で、特に初診~現在の通院先が異なるケースや源泉徴収票などが手元にないケースなど、書類を作成し提出するまでにかなりの労力がかかります。窓口の対応も、場合によってはきつい言動をされることもあり、心理的負担の大きいものになります。

何より、本人や親族にとっても「障害」を認めるという過程が生じるので、申請以前に受け入れられるかどうか、ということも重要になります。

障害年金|日本年金機構

国民年金・厚生年金保険 障害認定基準|日本年金機構

精神障害者保健福祉手帳

この手帳の交付により、日常生活や社会生活上のさまざまな支援を受けることができます。具体的には、自立支援医療費給付手続きの簡素化、駐車禁止除外指定者標章の交付、交通機関の運賃の減免、就労に際しての障害者枠の利用など、自治体によっても異なりますが、多方面での支援を受けることができます。

特に、就労にあたっては、平成30年度から精神障害者も雇用義務の対象となり、雇用することで企業は納付金を払わずに済み、報奨金が受け取れるなど企業側のメリットも増すため、手帳を持っていることをオープンにした就労がしやすくなった、という面もあります。

www.mhlw.go.jp

・就労移行支援事業所サービス

リワークに近い形ですが、就労移行支援事業所で、主に無職の障害を抱える人が就職を目指すために、就労までの訓練や面接指導、インターンなどを経て就職するまでのサポートを受けることができます。

就労移行支援事業所を利用するには、行政が発行する福祉サービス受給者証が必要です。市区町村の窓口(障害福祉課等)で、障害福祉サービスの支給申請の手続きを行い、認定されれば利用可能です。近隣の就労移行支援事業を行っている企業や団体と契約します。

費用は自己負担1割ですが、月額上限が住民税非課税世帯以上、年収600万以下で9,300円、それ以上で、37,200円とまあまあかかります。

また、地域によっては若年層向けや(主に育休後の)セカンドキャリア形成のための就労支援事業を行っているところもあります。こちらは無料相談できるところが多いはずです。

works.litalico.jp

(※公的な機関のリンクをなるべく載せたいのですが、一番分かりやすいのがLITALICOだったので、こちらを載せておきます)

・住民税・健康保険・年金・保育料等の免除・減免申請

意外と見落としがちなのが、こちらです。働いていて、休職・退職となった場合、前年の所得があれば住民税は前年所得に応じた額を払う必要があります。健康保険や年金もほぼ同様です。そこで、現在所得がなく、生活が困窮しているということを市役所に証明し、減免・免除してもらう必要があります。

子育て中で、保育料などを支払っている場合なども同様です。また、保育を必要とする事由も「就労」から「傷病によるもの」へ変更する手続きも合わせて必要です。減免が認められない、認められてもまだ費用負担を感じる場合は、児童扶養手当から保育料を充当させる手続きもできます。

 

以上、網羅的ではないかもしれませんが、一旦これで締めます。

まとめ

・自発的な意志がなければ支援は受けられない

以上、長々と説明しましたが、それらすべて、自発的に申請・申し込みしない限りはどれも受けることはできません精神科医から提案され、手続きの存在を教えてくれることはあっても、一緒に窓口までついてきてはくれません。アウトリーチ(訪問などで困窮を発見してもらうこと)を期待できるほどの社会資源は現状ありません。

 

私の場合、鬱がこんなに長く付き合うものという自覚がなかったため、そんなに医療費も使わないだろうと自立支援医療も初めの1年ほど受けていませんでした。また、すぐに復職したいと思っていたので、数か月かかるリワークもあきらめて、人材会社を使って正社員で再就職しました。

結果、健康保険も切り替わるので傷病手当金も6か月しかもらえず、再就職しても鬱がひどくなりすぐに辞めることになって、その後の生活がかなり苦しくなりました。

失業手当の給付も自己都合退職のため半年先で、障害年金の認定(3級)も1年以上かかりました。住民税などの減免申請のことも知らなかったので、気づいた時には既に払い終わっていました。

今も通院し短時間就労しながら障害年金も受け取っていますが、ようやく比較的安定した生活が送れるようになるまでに4年近くかかっています。

 

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・ケアとしての就労支援

まず、障害や病気を抱えている人の優先順位はそれらを治すこと、治らないものであれば、日常生活のなかでうまく付き合う方法を見つけること、が第一だと思います。

病気やケガのときには無理に働くよりしっかり休養を取るべきだ、という一般論です。

ただし、その状態が長期化する場合においては、現実的な話として、経済的な面でも精神的な面でも「就労すること」が重要になります。

家族に依拠したり、最終手段として生活保護を受給するなどで、就労しないで生き残ることもできますが、「自立できない辛さ」・「社会や身近な人に迷惑をかけてる気がする感」といった負の感情が、もともとの障害や病気に加わり、生きづらさが雪だるまのように膨れ上がることになります。

就労の副作用として、精神的な安定や環境の改善が認められるなら、「就労」の前後含め、それにまつわるすべての支援は障害や病気のケアや治療につながります

「就労」はケアである、という前提にたって、それではどんな仕事に就けるのか、より悪化することなく、精神的にも安定できる負担のない働き方とは何か、そのために周囲ができること、本人ができることは何か、といったことを今後考察します。

  

 

子どもの虐待と親権について

親権と子ども

www.kinokuniya.co.jp

タイトルの本を読みました。

弁護士の先生二人によって書かれ2017年12月に出版された新書で、大変充実した内容のものです。親権についての基本的な説明のほか、親権を特に意識せざるをえない、離婚と虐待のケースについて詳しく述べられています。

最近起きた事件のように、とても辛い内容も含まれるので、精神状態の良い時に読むことをお勧めします。私も何度も立ち止まりながら、読み進めました。

 

離婚と虐待は、全く別物のようで、親密性のある家族としての形が歪み、崩れていくという意味では似通った部分があります。

そのとき、子どもの最善の利益を守るために親権』があります。

字面どおりだと親の権利なのに、なぜ子どものためのものなのでしょうか。

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親権とは何か

親権は、民法の第820条に定められています。

親権を行う者は、子の利益のために子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う。

民法第820条 - Wikibooks

「 監護」とは、身の回りの世話をすること、です。そのなかに広義では教育なども含まれます。離婚時に、親権のなかでも監護する権利、『監護権』をめぐって争われることもあります。

親権は、未成年の子に適用されるものであり、子が成人したり、未成年でも結婚すれば成人とみなされ、親権は終了します。

親権を行う者には、権利だけでなく、義務もあります。民法以外では、学校教育法で義務教育を受けさせる権利もあります。

これらの権利は、全て子どもの利益のためにあります。これが大前提になります。

 

「しつけ」と「虐待」

親が「しつけ」と称して、子どもに殴る蹴るなどの暴行を振るい、虐待に発展することがあります。

では、「しつけ」と「虐待」の違いはなんでしょうか。

民法の第822条を見てみます。

親権を行う者は、第820条の規定による監護及び教育に必要な範囲内でその子を懲戒することができる。

民法第822条 - Wikibooks

ここでいう『懲戒』とは、子どもを叱責したり打擲したりする、という身体的・精神的な苦痛を与えることで、子の非行を是正するものです。

民法にもこうした条文が残ってしまってること自体、とても微妙な話ですが、第820条の規定によれば、子どもの利益にならないものは、懲戒ではなく、ただの制裁・体罰です。

体罰は子どもの利益にならない」という研究結果も多数あることから、身体的な制裁をすることは、この権利の濫用とみなすこともできます。冒頭の著者は明確に、この立場を取っています。

www.tokyo-np.co.jp

さらに、著者は、次の表現を引用して体罰がなぜいけないのか?を分かりやすく示しています。

1.体罰は、それをしている大人の感情のはけ口であることが多い

2.体罰は、恐怖感を与えることで子どもの言動をコントロールする

3.体罰は、即効性があるので、他のしつけの方法がわからなくなる

4.体罰は、しばしばエスカレートする

5.体罰は、それを見ているほかの子どもに深い心理的ダメージを与える

6.体罰は、ときに取り返しのつかない事故を引き起こす

森田ゆりしつけと体罰

とても分かりやすく、説得力のある言葉です。

digital.asahi.com

こちらの記事にもありますが、子どもは恐怖からは何も学びません。

実際には、大人も感情的になって子どもに酷いことを言ったり、叩いたりすることもあると思います。人間は間違ったこともたくさんします。子育てはときに過酷で忍耐も求められるものです。

なので、叩いちゃダメと分かっていても叩いてしまうこともあると思います。

でも、ダメだと自覚し、叩いたことを反省しきちんと謝り、そうしないための工夫や別の方法を探ることができるのなら、それもまた親としての成長過程ではないかと思います。

子どもには学ぶ権利もあるし、遊ぶ権利、だらだらする権利もあります。直接的な暴力がなくとも、学校に行かせないというネグレクトも、過度に詰め込み教育をすることも、ときに虐待になります。

間違った考えや認識に基づいた教育によって、子どもの権利が侵害されているのであれば、子どもの発達段階に応じた適切な教育を受けさせるよう、親に促す必要があります。

「虐待」と「親権」

虐待を受けている子どもを助ける「一時保護」の大きな壁になるのが「親権」です。

子どもが健全に育てられるために設けられた権利が、その保護の妨げになってしまうのがなんとも悲しいです。

なぜ、それが壁になってしまうのでしょうか。順を追ってみていきます。

 

虐待の種類は、下記のように厚労省が分類しています。

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児童虐待防止対策 |厚生労働省

これらの虐待を見かけた大人は、児童相談所などに「通告」する義務があります。

第六条 児童虐待を受けたと思われる児童を発見した者は、速やかに、これを市町村、都道府県の設置する福祉事務所若しくは児童相談所又は児童委員を介して市町村、都道府県の設置する福祉事務所若しくは児童相談所に通告しなければならない。

児童虐待の防止等に関する法律(平成十二年法律第八十二号)|厚生労働省

 「児童虐待を受けたと思われる」児童なので、確信がなくても大丈夫です。判断は児童相談所がすることです。また、110番しても、児童相談所に共有されます(法律上)。

この「通告」から、子どもの保護への道筋が始まります。無関係な一般人にできることは、実際にはここまでです。

その後、下記のような手続きを経て、一時保護に至るようです。

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子ども虐待対応の手引き|厚生労働省 第5章より)

一時保護をした段階で、親権はまだ親のもとにありますが、児童相談所の所長は、保護者の引き取りを拒むことができます。また、適切な治療を受けさせたり、養育することができ、親権者がそれを不当に妨げてはいけない、としています。

 一時保護期間は、強制的に子どもを守ることができますが、その間にも親への関わりが重要になります。親は、無理やり引き離した児童相談所に不信感を抱いています。

「人さらいだ!」と敵対視している相手に、虐待をしない家庭環境を整えるよう指導することは、大変困難なことです。児童相談所は、その困難さに立ち向かいつつ、子どもの安全の確保に全力を尽くしています。

 

そして、一時保護から長期的な里親委託などを行うには、家庭裁判所の承認が必要になります。

裁判所|児童虐待-家庭裁判所のかかわり-

このいわゆる児童福祉法28条措置』という家裁の審判は、長期的に親から子を引き離す強い決定力を持つためなのか、確実に虐待がある、という状況でなければ通らないようです。

先日の虐待死の事件でも、香川の児童相談所はおそらく通らないだろうと判断し、この措置を取らなかったようです。専門家の判断なので、この選択が正しかったのかどうかは私にはわかりません。幼稚園に通っていることで、定期的に社会とのつながりが持てる(監視できる)ということもあったようです。

 

「パパ、ママいらん」でも「帰りたい」 亡くなった5歳児が、児相で語っていたこと

 

その後、東京に転居し、幼稚園にも通わせず社会とのつながりも絶たれてしまった、というところあたりが、この事件の明暗を分けたところだったと思います。ある意味では親が狡猾だった、とも言えます。

 

各関係機関が緊密に連携し適切な対応を取る、というのは制度上はすでに確立されています。通告後、『要保護児童対策協議会』というものが設置され、そこに必要な関係者が加わります。

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要保護児童対策協議会の概要

関係機関が、早期発見・早期の解決に向けて迅速に動くことはもちろん、数年にわたって観察・指導・保護といったケアをしていく必要もあります。独立の機関だけでは人的にも権限的にも、それは不可能であり、複数機関が連携して取り組まなければ、子どもを救うことはできません。

「要保護児童対策地域協議会(子どもを守る地域ネットワーク)スタートアップマニュアル」の公表について|厚生労働省

それでも、なお「親権を奪う」ということは慎重に行われることとなっており、子どもは本来「親に育てられる権利」を持っているのです。

子どもは、必ず産みの親がいます。国連が定め、日本も批准している児童の権利に関する条約では、

児童は、できる限りその父母を知りかつその父母によって養育される権利を有する(第7条)

児童がその父母の意思に反してその父母から分離されないことを確保する(第9条)

「児童の権利に関する条約」全文

ということが、書かれています。子どもが親に育てられる権利は尊重されるべきものなのです。

ただし、第9条では、

ただし、権限のある当局が司法の審査に従うことを条件として適用のある法律及び手続に従いその分離が児童の最善の利益のために必要であると決定する場合は、この限りでない。このような決定は、父母が児童を虐待し若しくは放置する場合(略)において必要となることがある。

としています。全ては、児童の最善の利益のために優先されます。

 

また、「親権の停止」という手続きもあります。

児童相談所長には、親権停止の審判を家庭裁判所に申し立てる権限が認められています。また、医療ネグレクト(手術の必要な子どもに対し、親が同意しない)ケースでもこの親権停止の手続きが利用されます。

「親権喪失」という親権を失わせる最も重い手続きは、実際に行われるケースは少ない、という状況から、より簡易的な手続きである「親権停止」の手続きが新たに設けられています。親権停止もまた、2年という期限付きのものです。これらの手続きにいちいち期限が設けられているのは、親の更生を期待しているからです。

(参考)児童虐待から子どもを守るための 民法の「親権制限制度」 | 暮らしに役立つ情報 | 政府広報オンライン

 

実際には、親権停止の手続きが取られる件数はまだ少ないようです。親権停止後も、2年の間に児童相談所は保護者と向き合わなければなりません。2年の期限後、再申請しなければ、子どもは親の元に戻らなければならないからです。

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裁判所|児童福祉法28条事件の動向と事件処理の実情

 

子どもの最善の利益のために

繰り返し、このフレーズが立ち現れます。未成年の子どもは未熟な存在ですが、一人の人間として人権をもった存在です。

一方で、子どもは大人に迎合しがちな特性があり、誘導的な質問に流されやすく、虐待されてもなお優しくされたときの気持ちを思い出し、親に会いたいという気持ちが生じることもあります。

だからこそ、正確な子どもの気持ちを把握しつつ、子どもの気持ちを尊重しつつ、その安全を確保することに難しさがあるのだと思います。

『子どもの最善の利益のために』というのは判断に迷ったときに、必ず思い出さなければならないキーフレーズです。

社会的養護としての受け皿たる公的機関は連携をとりながら、できる限りすべての子どもを掬い取ろうとしています。けれども、どうしてもこぼれ落ちてしまう子もいます。

そうしたとき、社会の構成員である私たちが、多少なりとも知識を身につけ、適切な機関へつなげることができれば、救われる子が少しでも増えるのではないかと思います。

 

NPO法人フローレンスの駒崎弘樹さんやサイボウズの青野慶久さん等が発起人となり、具体的な政策提言のための署名を行っています。

単純に児相の「マンパワー不足」だけが問題ではないですが、法的措置に踏み切れない組織構造なども十分理解した上での提言かと思われます。内容の賛否はあろうかと思いますが、こうした具体的な行動はできる限り支援したいと思います。「もう一人も虐待で死なせたくない」という気持ちは、私も同じです。

www.huffingtonpost.jp

 

<参考リンク>※記事中のものと重複するものもあります

政策レポート(児童虐待関係の最新の法律改正について)|厚生労働省

裁判所|児童虐待-家庭裁判所のかかわり-

児童虐待から子どもを守るための 民法の「親権制限制度」 | 暮らしに役立つ情報 | 政府広報オンライン

児童虐待防止対策 |厚生労働省

子どもの虐待について | オレンジリボン運動 - 子ども虐待防止

児童虐待、いじめ、ひきこもり、不登校等についての相談・通報窓口 - 内閣府

平成29年における少年非行、児童虐待及び子供の性被害の状況について|警察庁Webサイト

社会保障研究【特集:要保護児童支援の現状と課題:国際比較からの示唆】

 

地震のときにできること

先日、大阪北部で最大震度6弱地震が起きました。

我が家も、6弱の揺れを受けて、本棚から物は落ちたりしましたが皆無事でした。

 

小学生の子どもが登校後だったので、学校からの一斉メールによりお迎えの指示をうけて、迎えに行きました。低学年は、それほど実感のない様子でしたが、高学年の女の子のほうが不安が大きく泣いている子も多くいました。

 

家に帰ってテレビをつけても地震のニュースばかりで、子どもの不安と興奮を招くだけだと思い、撮りためておいたプリキュアの再放送を見たり、先日アップデートされたスプラトゥーン2をやって、やり過ごしていました。

 

都市ガスは揺れを感知して自動的に止まるシステムになっています。東京での震災でも経験済みだったので、外のガスメーターのボタンを押せばすぐに再開できました。

 

子どもにアニメを見せつつ、ペットボトルに水道水を詰めたり、ご飯を炊いたり、料理をしたり、と、次の大きな余震に備えられることをしておきました。

 

幸い、いまのところ大きな余震はありません。

 

地震に備えて(モノ)

以下、主に我が家でしていることです。

・防災用品を常備。1年に1度はチェック

・水・お茶・缶詰・レトルト食品のストック

・アウトドア用品やカセットコンロはそのまま防災グッズに

 

我が家では、お茶は十六茶、水はLOHACOで、残り1ケース程度になったときを発注点として発注しています。在庫は常に多めです。

 

キャンベルのスープは、普段使いでも多用していますが、備蓄も兼ねて多めにストックしています。定番のシーチキンも同様です。

普段使うものをそのまま防災備蓄に使うことで、備蓄品の賞味期限や数量などを点検する手間を省くことができます。

 

アウトドア用品は、そのまま災害時にも役立ちます。

家の中から出すのが大変な場合、車に常に置いておけば運ぶのが楽です。

また、冬の鍋料理にカセットコンロを使う人も多いかと思いますが、これもガス停止時に役立ちます。ボンベのストックも。(スーパーは一瞬で欠品します) 

 

 

とはいえ、今回の場合、交通の回復もわりと早く、モノの不足はほとんど起きていません(今のところ、ですが)。ただ、水が使えない、ガスが使えないなどの場合、上述のようなストックがあれば、とりあえずは安心です。

 

写真は、昨日の15時時点での、吹田市内のスーパーの棚です。乾麺・ペットボトル(水)に欠品が多く出ています。一方、パンや肉・野菜などは豊富にあります。

多くの人が、この先の余震を恐れて買い貯めしています。

周辺の工場や配送センターが停電などで止まってしまったところなどは、再開まで時間がかかり一部欠品が生じています。また、一部店舗では、施設自体の点検が終わらないと営業再開できないなどの事情もあるようです。

それでも、なるべく欠品が出ないようにフル回転させてる小売や物流・工場の人たちに感謝ばかりです。

地震が起きたとき(情報)

・職場への安否確認の連絡・災害伝言板の確認

・居住地域のライフライン情報

・過度な情報の遮断

 

職場の安否確認は各社のBCP対応マニュアルに従って行うことと思います。

私の場合、連絡手段は災害伝言板への入力だったのですが、格安SIMの場合、アプリを起動してもキャリアの掲示板には接続せず、『171web』への入力になります*1

災害時TOP画面 | 災害用伝言板(web171)

こちらを上司と共有する必要があります(できてませんでした、すみません)。電話はつながらずLINEはつながったので、まあLINEが一番なのかもしれません。

 

交通機関の情報や、電気・ガス・水道などのライフラインの情報は、twitterが早いです。が、正確性に欠けています。

大阪のどの地域の状況か、いつの時点の情報か、を正確に把握する必要があります。なるべく、市役所やガス・電力会社などの一次情報を探します。

3.11の東京では恵比寿から荒川区まで、ほぼ歩きました。が、twitterで駅名検索し、復旧や遅延がありつつも一部路線が使えたことでわりと早めに帰宅できました。

 

いま北摂地域の多くの市役所のHPは緊急用に置き換わっています。そちらが一覧性の高い情報元となっていますので、基本はそこにアクセスするのが良いかと思います。

 

そして、過度の情報はストレスにつながります

どうしても気になってしまうのですが、スマホだけのチェックにしておいて、テレビはなるべく見ないほうが良いかと思います。

 

地震当日は、子どもが休みになったので私も会社を休み、翌日は妻が子どもを連れて出社、私は普段通りに出社しました。

ほぼ全員が出社していて、日本人すげー、と思いましたが、子どものいない主婦や単身者の話を聞くと、一人でいる方が不安だから会社のみんなに会えてホッとする、と話していました。案外、普段通りの生活をしていたほうが、安心することもあります。

 

正直、まだ不安を抱えながら過ごしている方もたくさんいるかと思います。今日は大雨警報も出ている地域もあり、二次災害も心配です。

この先なるべく大きな被害なく、平穏な生活に戻れますよう心から祈っています。

 

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*1:ワイモバイルの一部端末はソフトバンクの利用が可能。私の端末は未対応でした

「社会の受け皿」ってなんだ?

最近、痛ましい事件がなんだか続いていて、そのたびにテレビを消して情報を遮断しています。それでも、どうしても耳に入ってくる情報は心苦しく、犠牲に遭った方の冥福をお祈りして、こんなことは二度と起きてほしくない、と思うばかりです。

 

blog.lalamiamor.net

これを読んでいて、本当に壮絶なリアルを語った重い話だな、と思いました。

もともとのnenesanの記事も読んでいて、やはり反射的に、「そうした人でも生きられるような環境を作る、というのがせめてもの予防策なのでは」とコメントしたくなったのですが、それはただのきれいごとに過ぎない、と思い何も書くことはできませんでした。

nenesan0102.hatenablog.com

「社会社会言うけどその社会って一体何よ?って感じがする。地域コミュニティ?学校や職場の同僚?法制度?行政や政治家?自分より上の世代?その辺の通行人?」

この、ブコメの端的な物言いが、「社会の受け皿」という言葉のむなしさをよく表しています。

「社会の受け皿」ってなんだ?

社会の受け皿って、なんなんでしょう。

社会の一員である私たちは、どう受け止めたらいいんでしょうか。

 

私自身も、鬱を抱えていて働けなくなったクチですが、だからといってそういう人の生きづらさを「分かる」なんて、とてもおこがましくて言えません。

人それぞれ、「障害」といってもその程度の差は大きく、その人の周辺環境や関係性、経済状況、などによっても全然深刻さは違ってくるでしょう。

 

理想を言えば、そうした障害の程度に応じて、適切な治療と対人援助・生活指導にアクセスできて、かつ家族などの主たるケアラーにも配慮ができるような専門家が充足していることが、「社会の受け皿」たるものなのかと思いますが、こうした分野で尽力されている専門家の数は実際には限られていて、公的なリソースも不十分です。

 

実際には公・民・共・私のあらゆるリソースを使いこなして、自身の生活と障害を持つ対象者の生活を継続的にハンドリングしていく力が、主たるケアを行う家族に求められます。現実に、ケアをするにも生活するにも、お金を稼がなければならないし、助けてくれる「誰か」は事件が起こったときだけしか同情してくれない。

彼らの日常は日々、ずっと続いているけれども、周りの人はその断片だけを見ることしかできない。

 

ただ普通に働いて生きるだけでも大変なのに、どれほどの熱量をもってケアを続けなければならないのか。そして、それがいつまで続くかも分からない、解決するかもわからない、という状況は、簡単に人を壊します。

 

では、どうしたらいいのでしょうか。

発達支援の専門家であり、現場での理解も深い野口晃菜さんは、下記のように言葉をつづっています。

note.mu

ひとを増やしたり、資源を増やしたり、仕組み化するのはもちろん、していかなければならないと思う。同時に、孤立している誰かがいたら、誰かが踏み込まないと難しかったりするのかもしれない、とも今回思った。無理やり踏み込むのはよくないけれど、ある種の「おせっかい」「心配性」が命を救う時があるのかもしれない。一人で踏み込んで距離をつめるのではなく、みんなで距離を縮めていく。そういう風にありたい、と改めて思う。

一人の人に、できることはほとんどありません。みんなで、やるしかない。

虐待であれば189、怒鳴り声やケンカの声があれば110。

鳴き声や怒鳴り声が聞こえても、もしかしたら全然大したことないかもしれないし、育児で悩んでいて本当に困っているのはお母さんやお父さんのほうかもしれない。それでも、専門家につなぐことができれば、解決の糸口は見つかるかもしれない。もちろん専門家でも解決できないかもしれない。

通りすがりに、激しく子どもを責め立てるような親に出会ったら。大声で喚き散らす中年のオッサンに出会ったら。お金をせびるおばあさんに出会ったら。とにかく、189か110。声を掛けて止めるのは怖いと思う。止めるなら必ず2人以上で。

通りすがりの僕らは、後のことまでは、責任が持てないし、持たない方がいい。

 

もし、自分の家族が重い障害を背負ったら。専門家の意見を仰ぐ。たくさんの人に話を聞いてもらう。話をする。どうにもならなくなったときの逃げ場所を作る。

 

もし、自分が障害を背負ったら。子どもへの憎悪が止まらなかったら。

頼れる人をとにかく頼る。いろんなことをあきらめる。専門家を探す。話をする、なんとか生きられる工夫をする。

 

安楽死」は、法的に認められる可能性は低い。それを認めることは「社会」が、受け皿としての器がないことを自ら表明することに他ならないから、です。

なるべく見つかりやすいように、かつ静かに、後処理のしやすい形で自殺するのが、本当にどうしようもなくなった時にできることなのかもしれませんが、それもまたとても悲しいことです。

救いようがない話ですが、どうにかして生きていくしかないのだと思います。

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運動会、どこから撮るか?どう撮るか?

先日、運動会がありました。最近は、春に運動会が行われるのも一般的になってきました。ウチの学校は、たまたま今年だけだそうですが。

 

はじめての小学校の運動会でしたが、保育園の時とは規模も迫力も全然違い、とても見ごたえのあるものでした。入ったばかりの一年生は、とってもかわいいダンスを披露してくれました。

 

さて、運動会の思い出を残す写真や動画、どこからどう撮るか、が今回の主題です。

実際の作例と撮影位置を図解しながら、ご紹介します。

機材について

まず、軽く機材の紹介だけ。

撮影に使用したカメラはオリンパスの『OM-D EM-1』です。

olympus-imaging.jp

オリンパスの最上位モデルです。ただし、2013年製の前世代のものを中古で最近購入したものです。

レンズはこちら。

olympus-imaging.jp

こちらもミラーレスが出る以前(2006年)のフォーサーズ式のレンズで、マウントアダプタと合わせて中古で購入しています。お値段はボディとレンズ、アダプタ合わせて6万円ほど。

フォーサーズ式のセンサーを使うオリンパス製品はフルサイズに比べ焦点距離が2倍になります。

さらに、デジタルテレコン(撮影時に真ん中をトリミングして2倍にしてくれる)機能を使えば、35㎜換算で720㎜まで撮影することができます。

最大距離までズームすると、照準がブレやすくなるため、三脚も必須です。ただし、三脚は周りの迷惑になるため、基本的に1本だけ伸ばした1脚状態にします。

これで、だいたい20メートル離れていても、身長1メートルの子どもの全身が撮れるイメージです。

運動場について

さて、運動場は下記のようになっています。横が約60m、縦が30mくらいでしょうか。

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保護者席には各々のレジャーシートが敷かれているので、そこに立ち入って撮影することはできません。グラウンドの右下エリアがゴールテープなどが張られる「見せ場」であり、三角の青色の部分は、「譲り合い席」という名の「戦場」となっています。撮影可能な箇所を青で示しています。

玉入れ

うちの子は紅組でした。事前の資料によれば赤は右側、ということで、本部席のテントの後ろに陣取ります。この距離なら十分に届きそうです。f:id:lazy-planet:20180607161034p:plain

そして、撮影した写真がこちら。

(ISO100、絞りf/5.9、1/400秒、焦点距離144mm×2.0)

はい、後ろ姿。

図の小さな点の位置から動いてくれません。こぼれたボールを取る写真がかろうじて顔が写ってるくらいで、投げるアクションはすべて後ろ姿という結果に。。

気を取り直して、他の競技に行きましょう。

かけっこ

さて、かけっこです。こちら、ゴール位置に陣取るお父さんで、譲り合い席は戦場化していて、すでに割り込む余地はありませんでした。結果、下図の→の起点あたりからゴールの瞬間を狙います。

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写真がこちら。

(ISO100、絞りf/6、1/400秒、焦点距離154mm×2.0)

周りに誰もいないのは、ぶっちぎりで1位だから・・・ではなくビリだからですね。でも頑張って走ってました。えらい。

 

ダンス

 さて、ダンスです。ポンポン(であってる?)をもって踊ります。

動きがやや複雑なのですが、はじめに円形で踊った後、隊列が変わり、円が3つに。そのあと正面に向かって一列に並ぶよう。しかし、事前に把握していたのは円の位置のみ。正面は結局左端のほうに並んだため、中央から撮影。

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(ISO100、f/6.3、1/200秒、180mm×2.0テレコンからさらにトリミング)

円形のところを撮影しています。色味は少し変えています。移動が伴うと、なかなか大変です。カメラだけ見ていると、見失うので、必ず肉眼でも確認を。

 

大玉転がし

全校生徒による競技のようです。図解のようにトラックを半周して玉を転がします。

1年生はスタート地点近くにいました。児童席裏手から撮影すれば距離的には余裕です。

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そして、撮れたのがこちら。

(ISO100、f/6.3、1/250秒、焦点距離154mm)

はい、見事な後ろ姿。

なんでいつもそっち向きにいるんや。。撮影ポイントは間違ってない、はず。なぜか後ろを振り向いた時の写真はバッチリです。

 

 お弁当

(ISO100、f/5.6、1/40秒、焦点距離18mm)

内容のてきとうさは置いといて、目線の高さから、普通に撮るとこんな感じです。運動会の写真は望遠だけではないです。入場門あたりも比較的自由に写真が撮れるので、子ども同士遊んでいる写真なども、近距離で撮ります。

近距離はレンズ交換すればいいんですが、まあ面倒なので今回はレンズ1本で。

 

まとめ

それなりの(最低35mm換算で400mm)望遠レンズがあれば、いわゆるベストポジションの戦場争いをしなくても、いい感じに撮れます(距離的には)。

スマートに遠くから撮る分には、望遠レンズが優れています。

 

あとは、子どもの向きですね。立ち位置が事前に把握できないので、予測したのと逆だった場合、反対側に移動するかどうか、悩むところです*1

個人情報の特定される写真のSNS投稿は禁止ですので、今回後ろ向きのをあえて選んでいるのはありますが、個人的には正面よりも斜め45度くらいのほうが、顔の表情も動きもよく撮れる気がします。

望遠レンズで撮ると、圧縮効果で遠近感がなくなる(遠くのものも大きく撮れる)ので、背景にも気を付けた方がいいかもしれません。

 

実際のグラウンドでどのあたりから、どんな写真が撮れるのか?というのは、あまり図解しているカメラ雑誌もなく、シミュレーションしづらいものですので、この記事が、何かの参考になれば幸いです。

 

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*1:ご丁寧に事前プリントで、何番目に走ります、この円で踊ります、というのは配布されるのですが、円の中の具体的な位置などは分かりません・・

家事はどこまでサボっていいのか?

佐光紀子さんの『「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす』を読みました。

タイトル通りの本で、タイトル以上のことは言っていません。おっしゃる通りです。

ご本人の書いた記事もあるので、これを読めば十分かと思います。

toyokeizai.net

みんなもっと、サボろう。「サボる」ことに抵抗がある方は、以下の文章は全て効率化・合理化と読み替えてください。私は効率化のほうが仕事っぽくて抵抗があります。

 

以前も書きましたが、1日における家事の時間は、こんなに便利なものが増えているのに10年間で5分しか短縮されていません

lazyplanet.hateblo.jp

以前の記事では、家事に限らず労働時間が短縮されない理由として、取引相手や先輩上司などと共同で仕事をするなど、自分ひとりではどうにもできない外部要因が大きいのでは、というところを指摘しています。

一人暮らしであれば家事に時間などほとんどかけないし、自分のペースでできるのでさほどストレスはないでしょう。

でも結婚・同居し、出産を経て、複数人の家族になれば、自分流の家事ではなく、相手の家事の流儀と合わせる必要もあり、また生活スペースを共にする以上、他者と関わらずに家事をするのも不可能です。親と同居ならなおさらです。

また、家の外で他者と関わるPTAや自治会、ママ友・同僚との付き合いだって、立派な家事の一つです。近接地域の関係構築は、生活面での相互扶助を促し、リスクヘッジになるからです。

 

家事の外部化にある抵抗感

家事を外部化することも、家事の時間を短縮する一つの重要な施策ですが、実際にはあまり実施されません。

オートロックのマンションが標準的であるような日本では、家庭の中は私的領域であるという意識が強いこともその一因としてあると思います。

もちろん、セキュリティやプライバシーも重要です。

会社の仕事をアウトソーシングするとき、必ずNDA(秘密保持契約)は結ぶでしょうし、システムを使う場合、そのシステムのセキュリティや個人情報の取扱いについては、必ずチェックするでしょう。

同様に、家事代行などにおいては、他人が私的領域に入り込む以上、セキュリティ・プライバシーそれぞれの配慮が不可欠です。

物を盗まないとか傷つけないとかは当たり前として、あの家こんなに汚かった、とか派手な下着を洗ったとか、外で言われたら困るわけです。

 

家事をサボった時間でできること

だらだらテレビをみたり、ゴロゴロと漫画を読んでてもいいと思うのですが、これが外部化してお金を払っている場合だと、2時間3000円(仮に)で時間を買ってテレビを見ているようで、なんとも無駄遣いしているような気持ちになるんじゃないでしょうか。

 

いや、ゴロゴロするのも大事なんですけど。みんな、もっとだらだらしよう。

 

でも今家事にかけている時間を一日3時間として、そのうち2時間が自由になるとしたら。

本は1冊くらい読めそうですし、ブログの記事も1本か2本書けそうです。1日2時間資格の勉強ができれば、簡単な資格なら数か月でも取得できそうです。

Amazonで映画見たり、お酒飲んだり、ちょっとカフェに出かけたり。それが毎日できるなら、充実してる感ありますね。

 

 

でも、家事はどこまで放っておいていいんでしょうか。

 

サボっていい基準(掃除編)

掃除・洗濯・風呂などの「綺麗にする」系の家事は、衛生上、病気になりやすいカビや埃、雑菌などから守る、という目的で行われますが、実際にはそれ以上に気分的に気持ち悪いからとか、べたつくのが嫌、とか、人目に付くときに困る、などより過剰に行われることが多いです。

 

上述の佐内氏の記事には、

「家事をちゃんとやらなきゃ」信仰にとらわれている女性は多く、なかなか手を抜けない。手を抜くことで罪悪感を抱いてしまうという女性は多い。

日本の主婦のほぼ半数(48.4%)が、「トイレ掃除は毎日すべき」と考えている。これに対し、そう思っている夫は2割弱。また、食器を1日3回以上洗う人の割合は、日本では55.5%。イギリスでは27.3%、アメリカでは8.3%、スウェーデンでは7.7%という大きな開きがある。

トイレ掃除毎日、食器は1日3回以上洗う人が半数もいる、と指摘。

 

また下記の記事には、

toyokeizai.net

日本で明治末期頃から昭和40年代にかけて普及した「ちゃぶ台」が登場する前は、各自の「箱膳」があり、食後に茶を注いで飲み干したり、布でぬぐったりするだけで格納し、食器を「洗う」のは数日に1回だった

というような話もあります。

また、少し前にこうした話題もありました。

togetter.com

せめて月2回は~から始まり、週1、5日に1回、やがて毎日シャンプーへと変遷していきます。

 

なんだか清潔至上主義批判みたいになってきましたが、そんなつもりはなく、でもたまにサボるくらいはいいんじゃないでしょうか、というくらいに留めておきます。

 

参考程度に、楽天リサーチの2013年の調査結果を下記に貼っておきます。母数は多いのですが、ネットアンケートなので、おおよその目安くらいに考えた方がいいと思います。これを見ると週一程度の掃除頻度も多くて少し安心します。

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リサーチデータ(2013年)家庭用洗剤に関する調査|楽天リサーチ

 

また、石鹸や洗剤に関する情報や統計は、日本石鹸洗剤工業会のHPが詳しいです。上述のシャンプーの歴史なんかも載ってます。正しい手の洗い方、みたいな子供向けのポスターもダウンロードできたりと、暇つぶしに見ていると面白いです。

jsda.org

洗剤やシャンプーなどの販売高の推移はこちら。一時的に下がっているのは、環境問題などで化学薬品などが騒がれた時期かと思われます。それ以降順調に推移しているところをみると、繰り返し除菌を訴えるCMの効果は十分に発揮されているようです。

 

ともかく、このあたりの統計と自分の価値観を照らし合わせ、掃除などの頻度を見直してもいいのではないでしょうか。

 

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サボっていい基準(食事編)

食事(料理)については、空腹を満たし栄養を摂る、という最低限の目的のほか、料理の味を楽しむ、時間を楽しむ、などの効用もあります。

ただし、その前後には献立の構想から買い出し、調理、片づけ、皿洗いといった作業が発生し、単純に作って食べるだけではないのがこの家事の時間がかかるところです。

皿洗いの部分は食洗機で自動化できますが、食洗機に入れるまでと食洗機から棚へ片づけるなどの前後の時間も発生するので、実際には皿洗い全体の7割ほどしか自動化できていないのではないかと思います。

献立作成~買い物~調理の時間はどれほど短縮できるでしょうか。

最近では、買ってすぐ食べられるお惣菜などの中食市場がスーパー、コンビニの主戦場となっており、市場規模が拡大しています。

スーパーなどの店舗のリニューアルを業界用語で「活性化」と言いますが、ここ最近活性化されたスーパーは必ず中食コーナーを大きく取り、コーヒーを飲んだり電子レンジで温めたりできるイートインスペースが設けられています。

買ってその場でも食べられるし、家でも食べられるし、便利ですね。簡単に調理できるお惣菜のクオリティもどんどん上がっています。

www.nikkei.com

また下記のアンケート結果をみると、消費者の意識も徐々に変化していることも分かります。

www.jmar.biz

あらかじめ65項目のメニューの選択肢を挙げ、月に1回以上、食卓に登場するメニューを聞きました。主食メニューをみると、主婦の回答では「カレー」「和風めん類(そば・うどん等)」が8割を超えて高く、次いで「パスタ・スパゲッティ」が7割以上、「焼きそば」「チャーハン・ピラフ・焼き飯」「丼もの(牛丼・親子丼等)」「ラーメン等中華めん類」が6割台で続きます

いわゆる単品でいけるお手軽メニューです。カレー、ラーメン、うどん、パスタ、丼もの、焼きそば、チャーハンを月1回以上作ることは、多くの家庭では一般的なようです。この際、週1でカレーでもいいんじゃないでしょうか。献立作成が大幅に楽になります。そしてカレーならホットクックが作ってくれます。

 

また、出来合い品の利用も増加してます。60代の伸びが顕著で面白いのですが、60代のほうがスーパーの新商品に敏感だったり、意外と柔軟に活用する傾向があります。

逆に30代は料理自体への関心の強さもあるようです。料理自体が楽しい、ということであれば、それほどサボる必要もないのかもしれません。忙しくてサボりたいときは出来合い品を買えばいい。

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 そういえば先日、運動会があったのですが、我が家の弁当はこんな感じでした。

ミートボールやからあげ、ミニトマト、ウインナー、さくらんぼ。半分以上は詰めただけですね。買い物の時点で、お弁当作りの半分は終わっています。

お惣菜を買って詰め替えるだけでいいと思います。お弁当。

もちろん、キャラ弁みたいな凝った弁当を作るのも楽しいと思います。子どもが喜んでくれたらうれしいですし。でも、それは暇なときでいい。

 

さて、だんだんまとまらなくなってきました。

 

許容範囲を夫婦ですり合わせる

一般的にどれくらいの時間をその家事に費やしているのか、一週間、一か月という単位での頻度はどれくらいか、といったもののおおよその目安は、統計などから判断できます。ただ、その平均値から、どの程度質を落としても許せるか、という許容範囲は、個々の生活の中での価値観に大きくかかわるもので、特に夫婦間でそのすり合わせをしっかりしないと家事ストレスの原因になります。

洗濯物をきっちり畳むか、干したままにするか、そういった些細なレベルでのストレスの蓄積は甘く見てはいけない、というのは経験上語っておきたいところです。

 

こうした場合、相手が全然許容してくれない、とどちらかが嘆く結果、許容しない側に家事負担が行きがちだったり、許容しないのが悪い、となりがちですが、そうではなく、その相手の価値観は大切な他者と関わって生活する以上、受容しなければいけないものです。そこを強行突破するよりも、他の時短方法を考えたほうが有益です。

 

自分ひとりではどうにもできない外部要因のある作業は、一人ですべて完結させられるものでなければ、どんな仕事にも必ず発生するものです。

 

一般に他部署や他社に影響する業務の効率化は難易度が高く時間がかかります。まずはサボっても影響範囲の少ない場面からサボって、時間のかかる効率化は時間をかけて話し合いながら進めていくのが正攻法かな、というところで本稿を閉じます。

 

 

専業主婦でも共働きでも、尊重される社会

6月1日の記事。同じ日に、似たようなことがそれぞれ書かれていました。

中野円佳さんの記事と、河崎環さんの記事。

news.yahoo.co.jp

wol.nikkeibp.co.jp

私たちには、専業主婦か、働くかの二択しかないのでしょうか?

河崎さん(彼女は主婦を経て非常にキレのよい文章を書くライターとして活躍)は、冒頭で、このような疑問を投げかけます。

そして、主婦として資格の勉強をしている際に、「あなた、働いたことがないの? 一度も? 信じられない」という、完全に見下した発言をされ、その後口をきいてくれなかった同じ塾生の女性に出会った経験を話しています。

「真剣に働いている」キャリアウーマンから、そんなに忌み嫌われるものなのか。そんなに話もしたくないほど、価値のないものなのか。

 

中野さんのサロン参加者もまた、主婦としての自分に対するモヤモヤを吐露しています。

「出産後は家族の時間を優先し、自分のキャリアや夢はまた時期が来たら向き合えばよい」と覚悟を決めたものの、割りきれない。主婦の生活は、平日も休日もなく平凡だからか。環境の変化に伴い気心の知れた仲間が少ないからか。バリバリ働き、同僚とワイワイガヤガヤはしゃいでいたあの時間だけが、キラキラを増すばかりです。

主婦になる道を「自分自身」で選んだのに、どうしてすっきりしないのでしょうか。

この場合、自分の心の中にも、どこか無意識のうちに主婦であることに劣等感を抱いていたというケースです。

主婦であることはスティグマ(自分が劣っているというレッテル・烙印)なのか、という議論は、これに始まったことではなく、『女性活躍』 が謳われ始めてから、度々登場します。

スティグマのある人は、自分の行動を過小評価しがちです。スティグマはそうした自己制御機能を持たせるための社会的な烙印だからです。

中野さん(監修)の記事では「主婦が自分で自己肯定感を下げている」としていますが、それは本当に「自分で」なんでしょうか。正確には自己肯定感を下げるように仕向けている、というのが正しいのかもしれません。

 

withnews.jp

そして、多くの議論は、必ず「多様性(様々な選択肢)を認める社会を」で締めくくられます。 

「専業主婦 or NOT」論争の忘れ物とは、専業主婦も働く女性も、どちらも同じ一人の女性の、時期(人生のフェイズ)に応じて見せる姿にすぎないのだという考え方です。

そして、夫婦間のどういった割合で収入を得ているかのバランスこそ違えど、専業主婦であっても子育てや家事や介護に必ずなんらかの責任を負って「働いている」ことには間違いがなく、そこに敬意が払われず存在がまるで無価値のように言われるのも、おかしな話です。 

(河崎環「専業主婦か、働くか」論争の「忘れ物」)

私も、その通りだと思います。

専業主婦でもワーキングマザーでも、どちらも自分で選び取って生きているのなら、それはとても素晴らしいことです。

ここまでの流れに、異を唱える人は少ないでしょう(少なくともここの読者は)。そうした考え方が浸透し、時代が変わりつつある、というのを少しずつ感じるところです。

でも、現実に、多様な選択肢の中から自由に自分のやりたいことを選び取り、偏見も何もなく平穏無事に過ごしていく、ことは決して楽なものではなく、実現するのは奇跡のように難しいように感じます。

好きなように生きられない理由

例えば、明日から好きなように生きなさい、と言われて、会社を辞めて大好きなラーメン屋を始める、という人はあまりいないでしょう。

今ある会社の地位や給与を手放すにも関わらず、それに見合う成功が得られる確信もなく、開業資金の多大な借金を負う可能性もあるからです。

転職や、再就職が可能なレベルの経験や技量・資格のない人にとって、専業主婦とは、そのラーメン屋に近いものになります。扶養に入る、というセーフティネットはあるものの、ブランクのあるなかでの再就職の難しさは、一般に知られている通りです。男性であれば、なおさらです。

その逆もまたしかりです。今ある主婦の暮らしを手放すことが怖い、と思う人もいるでしょう。働いて得られるお金や充実感が、主婦業をする今の自分以上の価値があるのかは、実際に働いてみないと分かりません。

人は、リスクのある行動、不確実な行動を避けます。それは生きるための本能として、正しいものです。

「どんな生き方でも尊重される社会を!」というスローガンは、どんな生き方をしても安心して暮らせる保障がないと成り立ちません。

やり直せる保障、学びなおせる保障、スタートが遅くても早くても認めてくれる保障、障害があっても安心して暮らせる保障、そうしたものがあって、ようやくこの専業主婦or共働き論争は終わるような気がします。

 

「そんな保障のある社会は実現されるだろうか?」

そこで、上記の問いを立てます。「そんな保障のある社会は実現されるのか」「実現のために必要なことは何か」政治家のお仕事の命題みたいな話ですが、実際その通りだと思うので、いろんな政策を調べてみたいと思います。

 

とりあえず、問いを立てるだけ立てといて、この話は終わります。

 

wol.nikkeibp.co.jp

 

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『体操服の下に肌着は着てはいけない』で植え付けられる抵抗感

先日、『 体操服の下に肌着は着てはいけない』という学校の謎ルールについて、学校とやり取りしました(※連絡帳で)。

 

奇しくも、SNSでも話題になっていたことのようで、朝日新聞も下記のような記事を出しています。 

www.asahi.com

 

うちの子は、それほど汗をかく方ではないし、まだ小学1年生なので、個人的にはどっちでもいいのですが、妻が非常にモヤモヤしているのと、子どもが「先生がそう言ったから」と頑なに肌着を着ることを拒否していて(思考停止状態)、険悪なムードになってしまっていたので、学校と少しやり取りすることにしました。

学校と親、それぞれの主張

学校側の主張は、「体育で汗をかいたままの肌着をその後もつけていると、汗で体が冷えて風邪をひくから」というものです。

ただ、子どもは体操服を毎日持って帰るわけではなく、週1で持って帰ってきています。

直に肌が触れた体操服をそのまま置いておくのも不衛生なのでは?という疑問が浮かびます。また、今どきの肌着は速乾性のあるものが多く、汗で体が冷えてしまうのか?どうか疑問です。

さらに、上記の対応は1年中、冬もそうしているようで、肌着着ないのはさすがに寒いのでは?という疑問も浮かびます。

そして、SNS上の議論でもある通り、肌着にはプライベートゾーンを隠す、という役割もあります。さすがに高学年ともなれば、肌着を着る子も多いしそれらは個別に判断できるでしょうが、低学年のうちは気にしなくていいものなんでしょうか。

 

そこで、学校側に、上記の疑問を投げかけてみました。

そのうえで、個別の対応をしていいのであれば、その旨をあらかじめ「お知らせプリント」などで示してほしい。家庭での生活指導と異なるため、子どもが混乱している、と伝えました。

 

回答としては、

・体操服は、毎日洗うために持ち帰っても良い(ただ、そうしない子のほうが多数)。

・体操服が乾かなければ普通の白Tシャツでもよい。

・冬でも汗をかく、高学年は肌着を着ても良いとしている。

そして、

1年生に、人によっては肌着は着てもいいし、着なくてもいい、というと混乱を招く。学校では、一律の指導しかできないため、今後もこうしたことはあると思うが、疑問があれば常になげかけてほしい。個別に対応は考える。

という内容でした。

 

「人と違うこと」への抵抗感

結局のところ、強制力のあるルールでもないので、自由は自由なのです。

でも、1年生の子どもにとっては、学校の先生に「肌着は着てはいけません」と言われていて、自分だけが肌着を着る、ということには抵抗を感じるものです。そりゃそうだろう、と思います。子どもも、皆と違うのは嫌、と言っています。

 

そして、おそらくそうした抵抗感は、高学年になっても続きます。少し発育が早く、自分だけが肌着やスポーツブラなどをつけている、ということに「周囲と違うことをするのは嫌」という抵抗感が生まれても仕方のないことなのでは、と思います。

朝日新聞の記事では有料部分に、もう少しこのことは詳しく記されていますが、子どもだからといって、「自分で管理する権利」を軽視しているのではないか、という批判はされて然るべきだと思います。

 

私も妻もモヤモヤしたのは、謎のルールを押し付ける学校に対してではなく、人と違うことをする抵抗感を植え付ける教育、の思想です。

衛生上の問題やプライベートゾーンの問題は、それに比べれば些細なものです。

 

子どもには、学校と親の考えることをそれぞれ伝えたうえで

『汗をかきやすい子もいるし、恥ずかしい子もいるし、いろんな子がいて、親もいろいろ考える。学校の先生は一人しかいないから、皆に一度に同じことしか言えないけど、本当はいろんなやり方がある。そういうやり方でもいいですか?って先生に聞いたら、「いいよ」って言ってくれたから、自分で考えて好きなようにしていいからね。』

と、伝えました。

 

理解したかどうかは分かりませんが、同じような問題は先生の言うように今後もたくさんあるかと思います。

(強めに言えば)比較的分かってくれる先生なので、今後も少し強気でかつ平和的な解決を心がけていきたい次第です。先生も忙しいのは重々承知していますので、簡潔に連絡帳レベルで済ましたいものです。

 

togetter.com

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私の好きな道具たち(収納編)

以前、キッチン周りの道具について、紹介したのですが、続いて収納です。

ずいぶん前のことなので、半分忘れてますが。

lazyplanet.hateblo.jp

 

収納に関しては、会社での総務経験がかなり生きています。なんだかんだで、5つくらいの会社のそういうのを見てきているので、それなりに最適なやり方はわかってきた気がします。

 

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(リビングの本棚です。あまりきれいではないですが)

 

ニトリ】レターケース

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会社で備品のキャビネットってありますよね。

それをイメージして文房具や乾電池、工具など、必要な備品を収納しています。

でも、あんなに大きいものじゃなくていい。そこで、ニトリのレターケースです。

www.nitori-net.jp

 

これ、家庭で使う備品庫としては、一つ一つがちょうど良く文房具を収納しやすいサイズになっています。さらに仕切り板を使って最大27個のスペースを確保することができ、乾電池のサイズや、付箋の種類などによって仕切るなど、細かい分類も可能となっています。

我が家では、これを二つ並べ、テプラでラベリングしています。

無くなったら、随時LOHACO(アスクル)で補充です。完全に総務時代の仕事と同じです。

(※写真をよく見ると、中身が間違ってるとこもありますね・・)

 

ボックスファイル A4

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lohaco.jp

続いて、ドキュメント収納です。

各種の説明書、保険や携帯・インターネットなどの契約書、妻と僕の雇用関連の書類、保育園・市役所手続きの書類など、それぞれこのA4のファイルボックスに収納して保管しています。

よく、オシャレ収納雑誌では、無印やニトリの真っ白なプラスチックのが紹介されていますが、紙のほうが安いです。

我が家では、このほか、子どものピンク系雑誌(たの幼やプリキュアのぬりえ)など、本棚の見栄えを悪くするものはここに入れて隠しています。

 

ファイルフォルダ A4

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「個別フォルダー A4 5山 25枚 クラフト アスクル」 - LOHACO(ロハコ)

上記のファイルボックスと合わせて欲しいのがこちら。

紙を挟んで入れておくだけの簡単収納で、テプラでラベルをしておけば検索もしやすいという便利ものです。

経理をしていたときなど、請求書の類はこの方式で収納していましたが、これが一番便利です。経理のときは1年ごとにボックスごとダンボールに入れて保管してましたが、家庭での場合はそこまですることもなく、使わなくなったものは定期的に見直して廃棄しています。

 

テプラ PRO

そういえば、当たり前のようにテプラでのラベルが登場してきますが、これは必須アイテムです。

 

できれば高機能なものの方が良いです。印字がカクカクしないのと、早い。マグネットなど特殊なテープに対応、PCから一括で出力可能など、 いろんな面で効率化できます。

無印 ハーフボックス

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www.muji.net

ときどき、買えなくなるので注意が必要なのですが。上の商品の半分の高さのものです。単行本やDVD、その他手紙や便箋・紙ものの雑貨を簡単に整理しています。

単行本をこれに入れる理由は、奥のものが取り出しやすいからです。

そのほか、キッチン下の収納などにもこれを活用しています。

 

アスクルのボックス

右のほうに写っている、絵の描かれた段ボールがそれです。LOHACOで缶詰やビールなどを買うと、大きなダンボールの中に、これが入って送られてきます。

つまり無料でついてくるダンボールです。

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これがサイズ的にもデザイン的にも?非常に優れた収納グッズになっています。

(※A5サイズのものとA4サイズのものがあります)

A4のものはFits系の衣類収納ボックスにちょうど収まります。服などはこれに入れてタテ収納ができます。A4サイズの雑誌がちょうど収まります。

紙袋や梱包材などをストックするのにも使います。また、キッチン下収納で缶詰などの備蓄にも役立ちます。

とにかくサイズ感が良いので、各方面に使える優れたオマケです。

Moheim リンデンボックス PC収納

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私の作業スペースです。ピンクとグレーの木の箱にPCと周辺機器を納めています。

メカメカしいのが嫌なので、木のフラットなデザインを選んでいます。出しっぱなしにしておくので、少しいいものを使っています。

ワイン箱

居酒屋さんで500円で買ったものです。子どものランドセル入れになっています。もう一つ買ってるのですが、それは、私のカメラ道具や本が雑多に収納されています。

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木の箱なので頑丈です。立てて使えば本棚にもなります。出しっぱなしにしておける雰囲気がいいですね。子どももランドセルをここに置くだけなのでラクです。

 

IKEA ごみ入れ 

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少しわかりにくいのですが、キッチンキャビネットの裏の画像です。

ごみを分別するのに、IKEAの製品を使っています。

www.ikea.com

キャビネットの後ろに板を打ち付けて、そこに上の製品を掛けられるようにしました。

牛乳パック・缶・トレイを分別しています。

これの何がいいって、床から浮いていることです。掃除しやすい。価格もお手頃。

 

モノで解決できること

モノで解決できることは、どんどんやりましょう。正直かなりてきとうな家事ですが、収納する場所とモノと量(定置・定物・定量ですね)が決まっていれば、自然とモノは収まるし、探す手間が省けます。

運用についてはあまり書いていませんし、決してこれが万能というようなものでもないですが、モノだけでも参考になれば幸いです。

 

大学無償化で教育格差は是正されるか?

前回の続きです。

lazyplanet.hateblo.jp

前回の記事では、

・大学無償化は低所得者のみ、大半は出世払い

・学費の親負担→学生負担への移行

・学費以外の親の負担は多い

というところを確認しています。

親の負担に依存する以上、親の資力の差によって、大学進学をするか否かのところで、どうしても教育格差は起きそうです。

 

大学無償化は、やはり教育格差を是正する効果は期待できないのでしょうか。

 

教育格差は大学以前から起きている

日本における教育の私費割合が高い、というのは、いろいろなところで指摘されており、今さらここで言うこともないと思います。

文教科学委員会調査室の小林美津江氏のレポートが非常によくまとまっています。

高等教育へのアクセスの機会均等を目指して

いちおう引用します。

公私負担割合については、初等中等教育段階では公費負担割合がOECD平均を上回る水準(OECD平均 91.3%、日本 92.7%)である一方、幼児教育段階と高等教育段階では、公費負担の割合が低く(幼児教育段階:OECD平均 81.2%・日本 44.5%、高等教育段階:OECD平均 69.8%・日本 35.2%)、私費負担割合が高いことが特徴的である

 下記のグラフは、親の世帯収入別にみた学生の割合を2004年と2016年で国立・私立それぞれ比較しています。

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(※日本学生支援機構「学生生活調査」より*1

少しわかりづらいのですが、国立大では年収が高い層ほど割合が増え、私立大では年収が低い層ほど割合が増えています

高所得な親の方が、国立大に通わせやすくなっているのが分かります。

また、高校までの塾などの学習費(習い事を除く)については下記のように推移しています。

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(※文部科学省「子どもの学習費調査」より*2

全体的に学習費は増加傾向にあります。つまり、大学入学以前からすでに塾などの私費が必要となるため、大学無償化による格差是正の効果は低い、といえます。

塾に通えない貧困層は、大学の学費が無償になっても、そもそも(希望の)大学に入るだけの学力を身につけることができない、という状況に陥っています。

どこでもいいから大学に入れ、ということであれば、自宅から通える範囲の難易度の低い大学を目指すことも可能ですが、塾も通えず、高校の授業レベルも低く、大学で学ぶ意義も見いだせない(近場に本当に行きたい・学びたい大学があればいいのですが)というハンデを負うことには変わりありません。

もちろん、塾なんて行かずに大学に入学する人もいるでしょう。しかし、もともと勉強のやり方を理解していて、かつ学校の公的なサポートが充実しており、情報共有できる仲間がいる、など他の面で恵まれていたのではないでしょうか。

 

以前も少し書きましたが、教育の格差は広がっている、という現状を多くの人は追認する形で、仕方ないと思っているのではないでしょうか。

lazyplanet.hateblo.jp

 

海外での先行事例

日本で検討されている所得連動型学生ローン制度は、オーストラリアの制度をモデルにしています。オーストラリアでは、実際に教育格差は是正されたのでしょうか。

オーストラリアでは、そもそも長い間、大学は実質的に無償でした。しかし、高校卒業者の増加に伴い、大学の進学需要が超過状態となっており、大学の維持・運営が困難な状況でした。

そのため、学生の私費負担を増加させる策としてHECSといわれる学生ローン制度を導入しています。日本とこのように状況が少し異なるため、大学無償化策というよりは学費の私費化策といえます

ただ無償→有償という流れにもかかわらず、不利な階層出身者の進学機会に対して,HECS は正の効果も負の効果も与えていないのです。負の効果を与えていない、という点では、評価できるのかもしれませんが、ただ無償であること以上の効果は期待できません。(※「諸外国における奨学制度に関する調査研究及び奨学金事業の社会的効果に関する調査研究」報告書:文部科学省

 

スウェーデンではどうでしょうか。

スウェーデン奨学金は、返さなくて良い給付奨学金と、返済が必要なローン奨学金とでできています。2006年の標準的な学生の需給可能額は4週あたり9.6万円、政府により発表されている最低生活水準よりは低いものの、かなり恵まれた環境にあります。また、9.6万円のうち、給付型奨学金の割合は約30%です。残りの7割を大学卒業後に返済していくことになります。*3

しかし、これだけ給付割合も高く恵まれた状況でありながら、低所得者層の入学促進効果は限定的でした。

 

「なぜ高校卒業後、勉強を続けなかったのか?」と非進学者に質問調査をしたところ、「奨学金」に関する理由はほとんど見当たらなかったものの、「何が勉強したいかわからない」「勉強するより働きたかった」「他のことがしたい」という理由が多数を占めていました。

ここに、この問題の根深さがあるように思います。奨学金で自由に大学に行けるにもかかわらず、その教育の重要性(教育による便益)を認識していない、ということです。

 

 

 

 

高等教育で何を学ぶのか?

高等教育を受けることで、得られる収益としては私的、公的、社会的なものそれぞれあり、一般的には大学を卒業したほうが、生涯賃金は高卒に比べて高くなり、私的にも便益を得られ、稼ぐことで多くの税金を払うので公的にも便益を得られ、治安の改善や福祉負担の軽減といった社会的な便益も得られます。

そのため、大学進学における私費と公費の割合は、それぞれの立場で得られる便益に応じて計算されるべきだ、というのが教育経済学者の一般的な考えです。

 

しかし、その辺りの議論を一旦脇に置いておいて、「大学で何を学べばいいかわからない」という人に、「大学進学による所得上昇効果が高等教育にかかる費用を上回るから借金してでも行った方がいいよ」ということを、どう説得すればいいでしょうか。

 

以前話題になった、『「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由』の記事が頭をよぎります。

lazyplanet.hateblo.jp

底辺校の田舎者に、高等教育がとてもお得であり、かつ可能性を広げるものである、ということをどう伝えていくかが、教育格差を論じるうえで重要ではなかろうか、という筆者の立場は、このような理路のなかでは納得できるものがあります。

 

そのうえで、まあ大学は無償(少なくとも後払い)のほうが、ありがたいのは事実です。キャッシュフロー的にとても助かるからです。

自宅通学と下宿とでかかる費用が全く違う以上、なるべく近場に大学がある、ということも非常に重要な要素です。大学を潰すなら、自宅生と下宿生の生活費の差を解消してからにしていただきたい。

 

無償化に関する議論は、他にも適用条件をめぐっていろいろと炎上していて、まだまだまとまりそうにありませんが、取り急ぎ教育格差の解消については、大学無償化だけでなく、他の施策もあわせて考える必要がありそうです。

 

 

*1:学生生活に関する各種調査 - JASSO

*2:子供の学習費調査:文部科学省

*3:大岡頼光『教育を家族だけに任せない』p.101