京大卒の主夫

京大は出たけれど、家庭に入った主夫の話

日常と接続すること

二度続けて、長文を書き綴ったので、少し閑話休題

 

はてなブログとブックマーク

私の場合、ブログもブックマークもtwitterと連携させていません。

私のtwitterアカウントはリアルでの知人・友人も多く、職場のつながりなどもあるとてもリアルに近いSNSとして活用しています。

一方、はてなアカウントも特に本名や素性を隠してはいないのですが、どこかで「リアルとは切り離した存在」として活用しています。

 

はてなブックマークは、2008年頃から、見続けています。このブログもリリース時にドメインだけ取得しています。

ただ、ブックマークコメント(以下、ブコメ)を書くようになったのは、会社を辞めて主夫になってからでした。

その理由は、単純で「失うものが何もないから」です。無敵の人と一緒ですね。

ブコメやや攻撃的な物言いでないと多くの人に伝わらない、注目されない、ということが往々にしてあります。

100字という制限で簡潔に書くこと、コメントの鋭さが求められる場であること、ユーザーに理系エンジニアが多く論理的な言い方がウケること、などさまざまな要因から、そのようにしています。

実際にそういう物言いのほうが、トップブコメになりやすい、というのは実体験に基づいています。

また、攻撃的な物言いは、主に個人ではなく社会や組織・会社に対して行っています。「障害は社会の側にある」という言葉がありますが、社会や組織の集団心理・制度・環境によって個人が苦しめられる場面が世の中にはたくさんあります。

しかし、会社員という立場は、社会の側の人間であり、しかも経営に近い職種で働いていた私にとっては、それは内部批判に近いもので、発言と私個人が結びつけられたら社内で腫物扱いされるというリスクもありました。

主夫になったことで、社会から疎外されたわけではありませんが、そうした地位を脅かされるリスクは無くなりました。

「失うもの」がなくなった途端にネットで強い発言をするネット弁慶にまさになったわけですが、鬱々とした気分のなかで、憂さ晴らしに強者になれる、承認欲求が簡単に満たせられる道具としてブコメが機能していた、というのは、私個人も同様だったと思います。

 

「社会」を斜に構えて捉える

「社会」を学問の対象とした社会学は、よく「社会」の外側からしか物事をみていない、社会のことを知らないくせに斜に構えている、大学という特殊性のある組織に絡められている奴に言われたくない、などという批判を受けます。

実際に、学部生時代に、全く社会性のない院生に絡まれて嫌な思いをしたこともあり、進学するか悩んでいた時、上記の批判が心の内にあり、就職を選択しました。

社会を知らないで社会を語ることはできない、と。

主夫という存在は、数的には圧倒的にマイノリティで、一般的なキャリアコース、レールからは外れた存在です。社会の外側に完全に出ることは不可能ですが、中心からは少しずれた立ち位置にいます。

そうした立ち位置だからこそ、はてなを利用し、ブックマークにコメントを残しています。斜に構えて、好き放題に社会を批判することができます。

それが誰かの役に立つかどうかは分かりません。ただの暇つぶしでもあるし、ときに間違った方向に議論がいかないよう修正したい、という思いでコメントすることもあります。

長くて無駄な記事を読まなくてもブコメを読めばだいたいわかる、読まなくていい記事だとわかる、というのもブコメの利点です。はてなを眺めていると無駄に時間を消費するので、結局のところ時短にはならない、と思いますが。

 

ネット上のトラブル

幸いにして、私は一度もトラブルに巻き込まれたことはありません。

はてな村で一般的な手斧を投げ合うという作法、炎上するような煽る発言、それらはすべてお遊びである、と捉える人もいれば、それが唯一承認欲求を満たすことのできる世界だ、と捉える人もいます。

言うまでもなく、ネットでは相手の顔がみえません。だからこそ、本来はリアル以上に丁寧なコミュニケーションをもって、冷たい文字記号に誤解の無いように意味を込めます。

私も、慎重に言葉を選んで書き込んでいるつもりですが、反射的にキツい物言いをしたり、ときに怒りを示すために意図的に表現を強め、毒も吐きます。

ネット上で顔を出すことは、それほど恐れていません。隠していても本気で探されたら、すぐ見つかるからです。私を特定するメリットもありません。TwitterFacebookInstagramでは時々顔を出しています。

それでも、パブリックに情報を発信する場とプライベートの日常を発信する場は接続したくない、という気持ちがあります。

ネット上のトラブル回避のためであれば、そもそも全く別のペルソナを設定し顔も出さず特定されないようにすべきですが、日常と接続された素性の分かる人の言葉のほうが信用に足る、ということもあります。ブロガーはじめ情報発信する人は、その境界線をどこに引けばいいのか、と悩みながら日々の出来事を書き綴っていることと思います。

私もTwitterにブログ情報を載せたほうがより多くの人に見てもらえるかな、と思うこともありますが、やはりその接続をすることが少し怖いです。

自分の中の「怖い」という気持ちが、まだうまく説明できないでいて、このような文章になってしまったのですが、端々にそうした不安とそれでも言葉を止めるつもりはない、という思いを汲み取っていただけたら幸いです。
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