京大卒の主夫

京大は出たけれど、家庭に入った主夫の話

教育格差は当然なのか?

以前、こちらの記事が話題になりました。ベネッセと朝日新聞が共同で実施した「学校教育に対する保護者の意識調査」の最新版の結果をふまえた記事です。

www.asahi.com

 

詳しい統計データは、こちらから。

berd.benesse.jp

問題の設問は、次のようなものです。

所得の多い家庭の子どものほうが、よりよい教育を受けられる傾向があると言われます。
こうした傾向について、あなたはどう思いますか。
1.当然だ
2.問題だ
3.やむをえない

 その結果がこのようになっています。

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このグラフをどう捉えるか、というところがこの問題の焦点です。

「当然」と考える人は1割ほど、半数は「やむをえない」と回答しており、「問題だ」と考える人も3割います。経年変化を見ると、「当然」の割合が増えており、問題と考える人は少なくなっています。

 

さて、この問いに対してあなたならどう答えますか?

格差の容認か追認か

朝日新聞は、この結果について「教育格差の容認」ととらえています。

特に、高学歴で、経済的ゆとりがあり、都市部に住む保護者ほどその傾向が強い。調査に加わった専門家は「社会の分断が進んでいることの表れだ」と懸念する。

教育格差、「容認」の考えを持つのはどんな保護者?:朝日新聞デジタル

 

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たしかに、ゆとりがある世帯のほうがその傾向は強くあるのですが、一方でゆとりがない世帯においても、年々格差を認める傾向が強くなっており、一概に社会の分断とも言い切れない側面があります。

ただ、よく知られているとおり、日本は教育投資に対する私費の割合が国際的にも非常に高い国であり、特に高等教育においてその傾向が顕著です。

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https://www.oecd.org/japan/Education-at-a-glance-2015-Japan-in-Japanese.pdf

統計調査を見なくても、体感レベルで習い事や塾にお金がかかるということは分かると思います。学校教育だけで不十分ということは決してないとは思いますし、先生もすごく頑張っていると思われますが、それ以上に私費を投じている子どもとは差が生まれてくるのは、感覚的には当然のように思います。

 

あくまで推定でしかないのですが、教育格差は「当然」「やむをえない」と答えた人の中には、こうした現状を追認する形で答えたのではないでしょうか。

教育投資の私費の割合が高い以上、お金を持っている人のほうが有利という現状は、本来教育は平等に受ける権利があるという感覚を麻痺させているようにも感じられます。

 

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教育格差は当然だけど

個人的には、上記の問いに対しては「やむをえない」けど「問題」だ、と答えたいです。つまり、設問の3択が間違っています。教育格差は当然という現状だからこそ、教育の機会均等に予算を振ってほしい、と感じています。

そもそも格差はなぜ問題なのか?という問いを持たれる方もいるかもしれません。

が、格差が生じることは社会的に多くの不利益もたらします。貧困層の増加は、福祉や医療費の増大を生じさせますし、税収の減少にもつながります。富裕層ばかりが得をする社会では、社会全体に不満と不安が満ち溢れ、犯罪率も高くなります。

これらはすべて社会的なコストです。

公的な教育投資は、子ども自身の未来だけでなく、子どもたちの未来の社会をよりよくするために、使われるべきものです。

このあたりの教育の社会的な便益については畠山勝太氏*1がいろんなサイトで論じているところなので、彼に譲ります。

synodos.jp

 

そういえば、うちの子も小学生になってから、二つ習い事を始めています。

また「習い事」についても書きたいと思います。

*1:ちなみに彼は高校時代の同級生・・・。