先週末、ファザーリングジャパン関西の主催で行われた勉強会に参加してきました。
お題目は、先日の児童の虐待死をうけての、児童虐待についてのはなしです。
オレンジリボン運動の理事をされている高祖常子さんの講演後、グループワークで話し合う形式のものでしたが、専門的に従事されている方も参加されていたので、いろいろと勉強になりました。
先日も長々とこの件については書きましたが、
実際に私たちにできることはほとんどありません。見かけたら、189で通告。
腐らない飴ちゃん
勉強会の中では「正直それほどでもない場合、でも子どもが泣いていて声を掛けたいときはどうしようか?」という話の中で「鞄の中にシールを入れておく」という意見もありました。
以前、twitterでこんなやり取りがありましたが、飴よりずっと安全で長持ちです。
私いざという時のために、大抵バッグにこのハンデルシャウスのポケットパズルを忍ばせてるんですけど、鞄のスペースに合わせて一本の棒状にも平たい板状にもできてしかもせいぜい500円くらいと、腐らない飴ちゃん的存在としてかなり優秀なのでお勧めしたいです。https://t.co/b0KdLxALpI
— よく眠りたまに色々考える主婦 (@toppinpararin) 2018年2月24日
チラシやA4用紙、ノートの切れっ端などでサッとなにか(ハートや容れ物など)折れる技術も、腐らない飴ちゃんとして使えるかもです。
— yuki ota (@lazy_planet) 2018年2月24日
腐らない飴ちゃん的存在。
それに限らず、子育て世代に優しい世界、雰囲気みたいなのが大事なのは言うまでもありません。
私の気持ちをまとめてみた。 pic.twitter.com/QXwAl6Ff1k
— 白熱灯 (@hakunetsutou) 2018年6月12日
スウェーデンのはなし
高祖さんは、育児系フリーペーパー『miku』の編集長もされているそうで、そのウェブ記事ではこんな取材もしているようです。
スウェーデンでは明確に法律で定めているとのこと。
1979年にスウェーデン国会が可決した子どもへの体罰禁止と屈辱的な取扱いの禁止を盛り込んだ「親子法改正案」
子どもは世話と、安全と、質のよいしつけを享受する権利を有する、子どもはその人格と個性を尊重されながら扱われなくてはならず、体罰にも、その他のいかなる屈辱的な取扱いにも、遭わされてはならない。
http://www.kodomosukoyaka.net/pdf/2009-sweden.pdf
(冊子。セーブ・ザ・チルドレン・スウェーデン、スウェーデン社会保健省)
虐待の連鎖は約3分の1程度
よく親が虐待を受けていたら、その親も子を虐待してしまう、ということが言われます。が、実際には、複数の要因が重なって起こることが多い、と考えるほうが自然でしょう。
殊更に、虐待の世代間連鎖のみを強調すると、他の要因を見落としてしまう、というリスクもあるということは重要な指摘です。
(子供の生活実態調査の詳細分析について 東京都福祉保健局 第一部より)
元データを探すのに苦労しましたが、おそらくこのあたりが根拠になっているのではないかと思われます。たしかに暴力を受けたことによる相関はあるかと思いますが、そのほかの環境要因も十分に考えられるでしょう。
要は、親に対してのみその責任を負わせるのではなく、社会的・経済的な環境要因も改善しなければ虐待を防ぐことはできない、ということであり、親個人の負の体験だけでそれらは説明することはできない、ということに尽きます。
「しつけ」と「体罰」と「虐待」
朝日新聞が二度にわたって、この点を取り上げています。
「しつけ」と「体罰」は違う。体罰は明確に虐待です。学校教育法でも、体罰はしてはならないと定められています。(にもかかわらず民法には明文化されていませんが)
体罰の禁止及び児童生徒理解に基づく指導の徹底について(通知):文部科学省
なぜ体罰がダメなのかは、以前の記事と下記の記事に詳しいです。
事前に、それなりに自分でも勉強してきたつもりでしたが、それでもまた新たに学ぶことがたくさんありました。前回の記事を補強する意味でも、今回学んだことを粒度バラバラですが、記しました。