ニトリのカラーボックスでリビング学習環境を整える
子どもが来年、小学生になります。
昔ならこのタイミングで学習机を買うのが通例だったようですが、いまは住宅一般が狭くなっていることもありリビング学習を行う家庭も多く、我が家でもしばらくはリビング学習のままでいいかな、と判断しました。
というか、自分も学習机を与えられたものの、居間のこたつや、台所で勉強していた記憶があります。
ただ、教科書などは自分で片づけられるように、また自分のお気に入りのものを飾ったりする「自分の空間」があると嬉しいし、成長につながると思い、リビングの片隅を子どもコーナーにしました。
机は、姪っ子からのおさがりです。幼児のころから使っていて、しばらくはこのままにします。
隅っこにワイン箱を置いているのですが、基本ここにランドセルを置いてもらうことにします。
勝間さんの言うところの、歯磨き以下の労力で子どもがランドセルをしまえるように、です。
で、カラーボックスです。
ニトリのカラーボックスの良さ
カラーボックスなんて、どれも一緒でしょう、と思いの方も多いと思いますが、各種の主婦向け雑誌はこぞってニトリを推しています。
ニトリを推す理由としては、
・棚の高さが調整できる
・底面と最上面の棚も移動可能(床面を浮かせられる)
・引き出しレールの取り付けが可能、レール単体も安い
・ボックスサイズの収納カゴも豊富
・側面にもカゴやフックの取り付け可能
・安い(3段・1,200円程度)
というところです。
実際、置いてみてベルメゾンとかにありそうなランドセルラックと何ら遜色のない感じに仕上がったので、収納ボックス含めて総額3,000円ほどでこの環境が整うなら非常に満足です。
リビング学習の是非
リビング学習の是非については、「場所は関係ない、やり方と親のかかわり方だ」という意見もあれば、「東大生の半分はリビング学習」といった怪しい調査結果(*1もあるようで、様々です。
まあ、小学校一年生に限って言えば、平日の家庭での学習時間は30分程度が最も多い、という(例によってベネッセの*2)調査もあるので、たかだか30分程度の時間をどこで過ごすか、というのは些細なことなのかな、と思います。
子どもが大きくなれば、自然と自分の部屋が欲しくなるだろうし、そのときには確実に机は必要になるので、それまではなんとかこの環境のままいけたらいいな、と思います。
*1:調べてみると、テレビ番組の調査なので信頼性に欠けます
子育ては自己犠牲なのか?論
「あたしおかあさんだから」の件
絵本作家の「のぶみ」さんは、個人的な好き嫌いでは「嫌い」です。
今回の件も、また「のぶみ」案件か、とそんなに興味はありません。
論点は、下記の記事で中野円佳さんが解説しています。
当たり前だけど、お母さんだからといって我慢することはないし、我慢せずに子育てしてもお母さんです。それはお父さんでも一緒です。
ブラック企業で働いていたら精神的にとても強くなりました、長時間労働でがっつり稼いでたくさん遊びました、それらは事実で正しくても、それを歌にした途端にブラック賛歌の根性論になります。
この件については以上です。
でも、子育てをしていて、これって自己犠牲のうえに成り立つものだよね、と思う場面は多々あると思います。
これについては、さまざまなメディアが記事にしています。
「子育ては自己犠牲なのか?」論
「子育ては自己犠牲なのか?」という言説は、これまでも何度も消費されてきた子育て世代にとって格好のネタなのです。
だからこそ、商業作家もそこに目をつけるわけですが。
2009年 ベネッセの調査より「4割の母親が自己犠牲は仕方がない」 東洋経済
2012年 主夫「ムーチョ」さんのブログ
2014年 「googirl」
2015年 「親の楽しみのために、週1でベビーシッターに預けることの賛否」
2015年 上の記事を受けての個人ブログ「こりつく手帖」
自己犠牲観は根強い
ちなみに、2016年のベネッセの調査((第5回 幼児の生活アンケート レポート[2016年]│ベネッセ教育総合研究所では、「子どものためには自分ががまんするのはしかたがない」という自己犠牲的な考えの子育て観の割合は増えています。
ただし、就業形態別にみる必要があるのと、母集団の母親の就業状況に注意が必要です。
まず、アンケート回答者は圧倒的に専業主婦家庭が多く、次いでパート、常勤と続きます。またパートタイム、専業主婦家庭での増加が顕著ですが、常勤者での子育て観の変化はほとんど見られません。
フルタイムの割合が05年に比べ、15年はほぼ2倍となっていますので、「自分の生き方も大切にしたい」と思い、フルタイムの仕事をしている女性は増えている、と解釈できます。
「自己犠牲」の価値観は、就業形態との相関が強いとも言えます。
家庭だけでなく、経済社会でのより多くの女性活躍を期待するのであれば、「子育ても大事だけれど、自分の生き方も大切にしたい」という雰囲気を醸成するほうがよいということになります。
もちろん、自己犠牲的な価値観が悪いということは絶対にありません。子育てにおいて、自己犠牲が全くないという状況もほとんど無いでしょう。
自己犠牲的な価値観が強まる背景には、先行き不安な現代での「子育て不安」、地縁・血縁等の希薄化、依然として残る男性の長時間労働など、様々な要因があると思います。それらを受けて、子どもを守ることを重視する生き方もまた正しい選択の一つです。
どちらの選択肢も尊重するという選択
自己犠牲を自分なりに受け入れて、そのうえで子育てにウェイトを置いて生きる、というのもひとつの選択肢としてあるべきですし、こうした論争においては、どちらかの価値観をつぶすのではなく、どちらの生き方も認めて、多様な選択肢を残していくことが望ましいと思います。否定された価値観で生きることもまた生きづらく、敵対するのもただ疲れるだけです。
「ガンガンいこうぜ」なのか「みんながんばれ」なのか「いのちをだいじに」なのか、どういう作戦で子育てをしていくのか、また時代や環境にあわせてどのタイミングで作戦を変えるのか。
時には自己犠牲をすることもあるし、そうでないときもある。喉元すぎれば熱さも忘れ、価値観も変わります。
日々そういうことに悩みながら、お父さんやお母さんは生きています。
幼児の見る虚無動画の選別と排除
親の価値基準で子供向け動画は排除されるべきか?
以前、こちらの記事が話題になりました。
まず我が家の状況ですが、子どもが1歳くらいの頃にiPadを購入。
子どもも触れる場所で共有していたので、小さいころからタブレットは自然に使っていました。
以前であれば「てべり」というアプリ、最近では「Youtube Kids」などを使っていますが、こうしたアプリでは検索をしなくても、あらかじめ設定された好きなカテゴリから子どもが自由に好きな動画を見ることができます。
虚無動画は、一度幼児向けの動画を見ると、「おすすめ」欄に表示されるようになります。虚無動画の再生回数は非常に多いものもあり、再生回数に応じて、レコメンドされるからです。
上述のアプリなどを使用することで、そうしたオススメを排除できます。
そのようにして、私は子どもの動画コンテンツを意図的に選別・排除しています。
さて、親の価値基準によって子どもに与えられる動画コンテンツは選別されるべきでしょうか?
幼児の好むテレビ・アニメ
とりあえず、幼児はいまどんなアニメを見ているんでしょうか?というところで統計をみてみます。
2017年6月に実施したNHKの幼児視聴率調査です。
サンプルは東京圏に住む2~6歳児1000人。
テレビの視聴時間は、録画やDVD、そしてyoutubeに取って代わられつつあり、長期的には減少傾向ですが、依然1時間40分という視聴時間を保っています。
そして、NHKの調査だからでしょうか?圧倒的にEテレの割合が高いです(下図)。
まあ、親が無条件で安心できるのがEテレなのかもしれません。
そして、よく見られている番組ですが、プリキュアや戦隊モノがほぼ入っていません・・!意外と賞味期限が短いのがこれらの番組のようです。。
最近では、これらをすっ飛ばしてドラえもんやクレヨンしんちゃんに行ってしまうのかもしれません。
ちなみに、これ書いているときに、6歳児の娘に「何のアニメが好き?」と聞いたら、「英語であそぼ、クックルン、0655、ちびまる子ちゃん、プリキュア、サザエさん、天才てれびくん」等が挙がりました。
親の趣味と、典型的な6歳児の傾向が入り混じっています。
子育て中の方は、上記の図に書かれたテレビ番組の内容はおおよそ把握していることと思います。それぞれの年齢での人気上位はだいたいこんな傾向です。
インターネット動画視聴は急増
さて、本題のネット動画です。
全体平均で47分。それほど多くはありませんが他の視聴に比べ急増しているのと、月齢が低いほど視聴時間が長い、というのが特徴的です。
月齢が上がるにつれて遊びの幅も広がり、ネット動画に頼らずとも長い時間を過ごせる、ということかもしれません。たしかに、小さい頃の方が無駄にテレビを見ていたような気がします。
このレポートではグラフなどはありませんが、モバイル端末での視聴が増加しているようです。スマホ利用に関しては、ほかの統計にもありますが、育児中の親のスマホ所有率は92%*1とあるので、それも納得です。
エルサゲートの排除
まず、虚無動画と区別されるべき、「子どもに見せてはいけない動画」があります。
一見、子供向けに見えて、実は性的な内容や残虐性のある内容を含んでいる、という動画をエルサゲートと呼びます。
悪質なイタズラ目的であったり、人気コンテンツを一部使用し広告収入のみを目的とした明らかな違法動画であったり、と明らかに排除すべきコンテンツの一つです。
これらに対しては、Youtube本体も対策を講じており、国内でも注意を呼び掛けるメディアが増えています。
虚無動画とは?
こういったエルサゲートの動画には、ほとんど遭遇したことはありませんが、それと虚無動画は区別して考えた方がいいでしょう。
虚無動画には、広告収入目的のものはあれど、こういった悪意はありません。
虚無動画をいくつか例示すると、
・食玩やおもちゃ屋のおもちゃを開封し、それについて解説する動画
www.youtube.com/watch?v=-6WpR4Vfps0(※リンクは貼りません)
・よくわからない絵描き歌
www.youtube.com/watch?v=qDXHlz9gGrs
・海外のよくわからない映像(下記リンク参考)
とある幼児が好む”虚無Tube”の実例 - 光景ワレズANNEX
などがあります。
もともとのネジ子さんのブログにもありますが、
YouTuberがアップしている動画において、音楽はフリー素材のものか、「それ著作権とか大丈夫なやつ……?」と心配になるようなやつで、無闇につけられた効果音はひたすらうるさく、画面に登場する人物は衣装が工夫されているわけでもなく、発声の仕方もめちゃくちゃで、そもそも幼児が好んでみる動画には同じ年頃の子供が出ていることが多く、幼児の奇声が聞こえてくることも多い。なんでわざわざ他人の子供が奇声を発する様子を動画で見せられなければならないのか?とかく、視覚的に美しくなく、聴覚的にも聴きやすさがなく、内容も面白くない、というコンテンツが延々再生されているのである。つらい。
という感想がまさに当てはまるような動画です。
youtuberの動画は、良し悪しはあれど多少見栄えを整えたり、楽しさが伝わるような工夫をしたり、それなりに音響もこだわったりと、素人なりに動画を作り込み、その面白さを伝えています。
ウェブの世界では広告収入だけを目的としたゴミみたいなサイトのことを「スパムサイト」と呼ばれますが、それの動画版だと言って差し支えないでしょう。
アフィリエイトサイトに敏感な方はそうしたサイトの特徴をよくご存じでしょう。まさに中身のない、ただ幼児の好みそうなものが配置されているだけのワードサラダのような動画が虚無動画とよばれるものです。
虚無動画の選別と排除の是非
さて、これらの虚無動画に対し、私たちはどのように接すればよいでしょうか?
以下は個人の見解です。
私は、遠慮なく選別と排除を行います。
子どもがそれを見ていることに対し親自身がストレスを感じ、日常のコミュニケーションに齟齬をきたす可能性があるから、です。
残念ながら、親の意識の程度にかかわらず、子育ては選別と排除の連続になります。
与えるおもちゃ、見せるテレビ、ゲーム、ときには付き合う人まで、親は直接あるいは間接的に選んだり、選ばせたりします。たとえそういう自覚が親になくても、です。
もちろん選別と排除があったとしても、子どもはいつか排除したものにたどり着くでしょうし、そうしたときに親子間のルールを反故にしたり、目を盗んだりすることもあると思います。
それも自然な子どもの成長だと思います。
ただでさえ、育児においてはいろいろなストレスに晒されるのに、たかが虚無動画のためにイライラしながら、見せることもありません。もっと面白い(と親が思う)動画はいっぱいあり、それらは十分に子どもも楽しめるからです。
虚無動画という選択肢を取らなくても、HuluでもNetflixでもAmazonビデオでも、良質なコンテンツを低額で自由に見せられるものがいっぱいあります。
その他、一般的な解としては、子どもたちのインターネット利用を考える会の発行する「未就学児の情報機器利用 保護者向けセルフチェックリスト(3歳から6歳)」などを参考にするとよいと思います。
なんだかPTAの会報みたいな作りですが、そのほうが安心感あるのかもしれません。
自分の知識に自信が無かったり、判断に迷うことがあれば、参考になると思います。
より子どもが大きくなったら、動画コンテンツの広告収入の仕組みや、それを悪用したサイトや動画などについても説明すればよいと思います。そうした共通認識があったうえで、子どもが自分の好きなものを見ることは、私は制限しないつもりです。
いまは、簡単に自分で動画編集もアプリでできるので、実際に自分たちで動画を作ったり編集したりするのもいい学習になると思います。動画作成の難しさや伝え方、意外と質の高いものが作れるということが分かると思います。
Youtubeに関しては、今の子どもたちの世代にとっては避けて通れないものであり、学校内でも話題の一つに上るものだと思います。
ただ、基本的にはYoutubeもTwitterなどと同様にSNSであり、SNS上には悪意を持った他者や、話を聞かない・文脈を理解できない他者もいっぱいいるし、何かを発信すればろくでもないクソリプも送られてくる、ということは子どもと共有し、そのためにブロックという機能があるのだと教えていかなければならないかと思います。
「断ること」をしないことが、いかに私たちの生産性向上を阻害し、成長を阻害し、ストレスをためるかということは、きっと勝間さんが教えてくれます。
*1:ベネッセ研究所・2017年 乳幼児の親子のメディア活用調査
なぜ家事の時間は短縮されないのか?
10年間で5分
(JTB総合研究所 2017年12月12日記事より)
タイトルと、見出しでお分かりだと思いますが、この10年で短縮された1日当たりの家事の時間が5分である、というのがこの数字です。
(2006年データはSTATデータベースより抽出)
ここでは15歳以上としていますが(※根拠数字を探すのに苦労しました)、統計の取り方次第でまた若干時間は変わるのですが、一日5分と聞くとそれほど短縮されていないように思いますし、何千万人という人の365日の総家事時間を考えると、かなり短縮されているのかもしれません。
そもそも、総数の数字は平均時間ですが、男性+女性=家庭内の数値、というほうが自然な気もします。
また、2006年時点でもすでにかなりの家事は最新家電によって短縮されている、と言えるかもしれません。
一方で、家事の時短に関する話題は事欠きません。多くの時短本が出版されていたり、
新製品も次々と開発されています。
なぜ、家事の時間は短縮されないのでしょうか?
労働時間は短縮されたのか?
そもそも、家事以外の仕事、オフィスワークの労働時間は減少したのでしょうか?
特に、ここ数年で電通の過労死自殺の件も含め、長時間労働の問題が再び注視され始め、『働き方改革』は企業の喫緊の課題となっています。
また、当然のことながら、様々なマネジメントシステムや、クラウド、電子申請など、業務を効率化するための技術は進んでいます。それらは、作業的な業務から労働者を解放し、判断業務などのより高度な業務に集中させ、また労働時間を短縮させるものでもあります。
労働時間に関する統計はいくらでもあろうかと思いますが、正規・非正規雇用や人員数、景気の変動などさまざまな要因から、なかなか一般統計では把握しづらいので、リクルート研究所が直近で行った調査結果を見てみます。
『働き方改革』の推進に関する実態調査 2017 | 人材・組織開発の最新記事(コラム・調査など) | リクルートマネジメントソリューションズ
こちらは、実際に働き方改革を進めている企業の人事担当向けに行ったアンケートの結果で、161社の有効回答を得ています。
働き方改革の成果として長時間労働者・労働時間の減少を感じている企業は4割程度、と対策をおこなっていても、実態としては改革は進んでいる、とは言い難い状況のようです。
ちょっと長い表で見づらいのですが、なぜ働き方改革が進まないのか?リクルート研究所では、その課題をうまく分類しています。
割合が多いものを挙げると「現場や他部署との連携が難しい」や「社外を含めた商習慣を変える難しさ」等、自分や自分の身の回りだけで解決できない課題が見られます。
このあたり、家事の時短にも通づるところがあるかもしれません。自治会やPTA、義父母との付き合いなど、自分だけではどうにもならない阻害要因はあると思います。
また夫婦間でも共通認識が必要かもしれません。「ホットクックによるスマートクッキングを導入するぞ!」と夫が宣言しても、「やっぱり季節のものはほしいよね」と妻が季節ごとに手の込んだ料理を作っていては家事時間は減りません。
「従業員間の不公平感への懸念・反発」という項目もあります。「食洗機やホットクックに任せてお前ばっかり楽しやがって・・!」みたいな感じでしょうか?あるいは義父母世代との家事の進め方等のコンフリクトはよくあるかもしれません。
そのほか、目的や優先順位が不明確、予算や権限不足、自分の仕事がなくなるかもという懸念、など家事に当てはめてみて考えると、なかなか面白いです。
なぜ家事の時間は短縮されないのか?という問いに対する答えのヒントが見えてくるように思います。
なぜ家事時間を短縮するのか?
そもそも、なぜ家事時間を短縮するのでしょうか?
これも、長時間労働にその理の一つを見出すことができます。
下記のリンクは独立行政法人経済産業研究所の行った『労働時間が生活満足度に及ぼす影響』の調査結果です。
https://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/17j073.pdf
途中の細かい分析は端折って、結論だけ読みますと、
全サンプルにおいては所得の影響を含めた総合効果においても、非金銭的効果においても労働時間が 10 時間半を超えたところから急激に生活満足度が低下することが見出されている。
男性サンプルに限った場合にも同様の傾向が見出されている。
他方で、女性に関しては 6 から 7 時間程度で生活満足度が平均以下となり、その後も徐々に生活満足度が低下していく傾向が見出されている。
とあります。*1
女性に関しては、労働時間は7時間程度でも、その前後の家事労働が平均で150分ありますので、9時間半程度と、体力差やジェンダーを考慮すると妥当なところなのかと思います。
長時間労働は、生活満足度に負の影響をもたらします。
だから、会社の仕事も家の仕事も、長時間やらないほうがいいです。もちろん一時的に負荷がかかるイベントは双方あると思います。決算時期に忙しいのと同様に確定申告は大変ですし、オフィス移転が大変なのと同様にマンション購入や引っ越しは大変です。
このレポートは大変出来が良く、次のようにも述べています。
男性女性にかかわらず、長時間労働が是正されることは配偶者が早く帰宅することに他ならず、家庭を支えるサポーターを得ることに他ならない。
家庭を支えるサポーターが増えていくならば、現在のような女性の状況や共働きの労働者の状況は改善されていくと考えられる。
健康面はもちろん、家庭生活を含めた生活全体の満足度にも長時間労働の問題は大きく影響します。
一方で労働時間が減らすことによって起きる様々な軋轢があることも分かります。
10年間で得られたわずか5分の短縮時間も、さまざまな阻害要因と戦ってようやく勝ち取ってきた結果なのだと思います。
日本人の家事慣行は見直されるべき、といった記事をたまに見かけますが、日本の労働慣行もまたそう言われ続けていながらなかなか変われないのと同様に、すぐには変われるものではありません。
時短テクニック的なものは、比較的共有しやすく情報もたくさん溢れている時代ですので、ノウハウが手に入らないことは無いと思います。
そういったものを取り入れる際には、時短テク導入時のコンフリクトを想定しつつ、うまく風土として定着させていきたいですね、というところです。
*1:生活満足度は「あなたは今の生活にどの程度満足していますか?」という問いで計測、平均値は1~5段階で3
東京都保育ニーズ実態調査を読みとく
そろそろ、また保育園の当落情報で一喜一憂する季節ですね。
東京都の実施した、「東京都保育ニーズ実態調査」(平成29年8月~9月実施)の速報版が出ていましたので、ちょっと覗いてみました。
東京都といえば、待機児童対策としてベビーシッター代の補助に関する予算を通したことで、最近話題になりました。
都内でシッターを利用する場合、月平均で約三十二万円(一日八時間で二十日間利用)かかるとされる。新制度では、月二十八万円を上限に補助することで、自己負担を月最大四万円程度に抑える。千五百人分の予算を計上し、所得制限は設けない。
おそらく、その政策の元になっている統計データになるのかと思われます。
共働き世帯は約7割
調査は、0歳~5歳の子どものいる家庭に対し行われ、サンプル数は約38,000件。
まず気になるのは、父母ともに働いている共働き世帯の割合です。
結果を見ると、23区内では母親の32.7%、23区外では37.9%が無職いう結果となり、6~7割が共働き世帯となりました。
また、母親のほうが就業日数は短い場合が多く、また居住地近辺での勤務が多いという結果になっています。
母親が帰宅時間のピークは17時~18時台、父親の帰宅時間のピークは20時~21時台と、このあたりは肌感覚的にもその通りだなぁ、という感じはします。
公立認可園の希望と実態のギャップが最も大きい
希望していたサービスと実際に利用しているサービスのギャップを示したのが下のグラフになります。
複数回答可なところが、少し掴みにくいのですが、認可公立園、認可私立園、幼稚園の順に希望順位が高く、東京独自の施策である認証保育園(他の自治体であれば認可外保育園)、認定こども園と続きます。
上位のサービスで最もギャップが少ないのが幼稚園です。幼稚園は比較的ニーズが満たされていると考えられます。
ベビーシッターは希望者の母数が少ないですが、それは価格の高さからそもそも検討されていないからでしょう。今後、予算案次第で、希望者が殺到する可能性はあります。助成される人数は少なそうなので、ギャップは相当広がりそうですが。
約3割が保育・教育を考慮して転居をする
それだけが理由で引っ越しをする家庭は少ないと思いますが、妊娠・出産前の居住地から保育・教育サービスの良さを考慮して引っ越してきた家庭は約3割という結果です。
もっとも、家族が増える、というライフイベントは、引越しやマンション購入を考える絶好のタイミングでもあるので、子どものことも考えるのは当然のことかもしれません。祖父母などとの同居がなく引っ越す余裕さえあれば引っ越したい、という人も多いのではないかと思われます。
認証保育園と認可保育園の価格差は2万~3万
東京は、高所得者でも認可保育園の保育料は比較的安いようです。認証保育園や小規模保育所が割高です。認可園に落ちたら、倍近い価格を払うことになる、というのはなんとも辛い話です。月に2万~3万円あればもう一部屋ある広いマンションも借りれそうです。
保育料の適正価格は?
4万円。「家の近くに施設もスタッフも十分な認可保育園があるとき、いくらならその保育園に入りたいですか?」という回答に対し、最も多かった答えです。
また、0歳児が最も高い価格で、年齢が上がるにつれて、利用したいと思う価格は徐々に下がるという結果です。
現状の利用者の認可公立園の平均値が28,000円ですので、現行料金は割安感がある、と言えます。
また、こちらのデータと就学前児童の人口推計をもとに、価格変動後の保育ニーズ・待機児童数のシミュレーションも行っています。
現行の保育料よりも1万円高くなれば、平成32年にはニーズとのギャップが5.1万人、2万円高くなればマイナスに転じる、としています。
もちろん、価格によって保育園をあきらめる場合、女性が就業をしない選択を取ることが考えられるので、こうした施策は単純には取らないだろうと思われます。
またベビーシッター代補助金の上限設定が自己負担4万円程度としているのは、このあたりのニーズに沿ったものでしょう。
待機児童対策は?
結局のところ、待機児童対策はどうするのでしょう?というところは速報版からはあまり読みよることはできません。
人口推計によれば、現行の制度のままでは、平成32年の待機児童数は14万人です。ベビーシッター代の補助は1500人程度ということですので、焼石に水といった状況です。
東京都は、下記のような取り組みを行い7万人分の保育枠の確保をする、とHPに掲載していますが、具体的な数値の根拠は分かりません。
現在、都内の実数上の待機児童数は、8500人程度とされていますが、潜在ニーズを含めれば、10万人単位での不足、という推計になるものの、上記の施策を行ったうえでもなお不足といった状況です。
であれば、今後保育料の値上げがされる、といったことも十分に考えられそうです。
一方で、国の施策では、保育料無償化の動きが進んでいます。主な対象は3~5歳になりそうですが、負担割合の設定次第では、保育ニーズがさらに増大する可能性もあり、「誰が保育料を負担するのか」というのが待機児童の根本問題になりそうです。
いうまでもなく、利用者の負担が無くなり、その分が税金で賄われれば、受益者以外の負担が増え、実質的な独身税になります。
個人的には保育無償化は、高所得者層が得をするだけの施策であって、低所得者層はもともと負担感が少ないのではというのが、この実態調査からも読み取れるものなので、反対です。
幼児教育の重要性は認識しつつも、小学生になればほぼ全員が読み書きそろばん程度はできる日本において、さらなる応用力が身につく幼児教育を今の給与水準の保育士に求めるのは酷なように思います。無償化するカネがあるなら、保育士の専門性と質の向上に使ってほしいです。
今住んでいる地域と、東京はまた全然異なる保育事情があるなぁ、と細かな点は気になりつつ、とても参考になる資料でした。
うちの子は、もうすぐ卒園です。
ホットクックのもたらす効果の考察
ホットクックとは?
勝間和代さんのブログ、連日すごい勢いで更新されていますが、そのなかでも話題の一つがホットクックによる調理です。
ホットクックは、SHARPの製品で、「水なし自動調理鍋」という名前で商品紹介がされています。
炊飯器などの保温調理器や電気圧力鍋と大きく違うのは、「かきまぜ」ができる、ということです。これによってカレーやシチューなども簡単に作って保温しておける、としう仕組みです。
勝間さんは、自炊のほとんどをこれで調理している、とのことです。
もちろん、作れるメニューは限られるので、炒め物系をふだん多く作る家庭にとっては、出番が少ないかもしれません。
と、ここまでは、勝間さんのブログを読めばわかることなんですが、
ホットクック導入の面白いところは、火も油も使わないことで、台所がほとんど汚れない、ことだと思いました。
台所の汚れのない生活
仮に勝間さんのように、ホットクック、炊飯器、食洗機のみを用いた自炊生活をしたとします。(まな板、包丁などは勿論使いますが)
台所に、フライパンも、油も、コンロすら置かないので、平らな台と、シンクさえあればOKです。
まな板で食材を切り、ホットクックに入れてスイッチを入れます。コメを研ぎ、炊飯器で炊きます。サラダを作る場合は、加えて野菜を切って盛り付け、食事。
食事後は、食洗機で洗います。大きな鍋だけは自分で洗う必要があります。
食材に肉を使えば、油汚れは出ますが、汚れるのはシンクのみです。ホットクックでの調理なら、油はねも心配なさそうです。
台所の油汚れ、結構厄介です。
コンロ周りはすぐに汚れるので、使用後毎回拭かなければならないし、魚焼きグリルも使用後はもちろん、毎回洗います。(そうでない家庭もあると思いますが)
コンロからそれなりに距離のある冷蔵庫の上は放っておくと油の汚れがこびりついています。そのあたりまで油が浮いていくのだと思うと、台所の上空はかなり油で汚れています。レンジフードは言わずもがな、です。
勝間さんは、台所にiPadを据え置き、Boseのスピーカーを置いているそうですが、それも汚れの心配が必要ないからこそ、できることなのでしょう。
油汚れからの解放は、掃除する手間の時短、というだけでなく、普通なら置けないものも台所に置ける、という恩恵も受けます。このことが、台所という空間を大きく変え得るのではないか、と感じています。
時短はそこまでメリットを感じない
正直、ふだんの生活で調理自体にかかる時間って、そんなにかかりません。
手間のかかる料理をしないので、肉や野菜などの食材を適当に切ってフライパンに入れて、調味料で味を洋風か和風か、中華にするか、を決めて整えます。その間に小鍋でみそを溶いて、みそ汁をつくれば、一汁一菜の出来上がりです。
魚を焼くときは、魚をグリルに入れて焼くだけ。煮物は、すぐには出来上がりませんが、作り置きや弁当のおかずなどにする場合に作っておきます。プラスの一品にもなります。
平日夕方の調理時間は、だいたい10分~15分くらいです。
手間かけておいしいものを作りたいときは、もちろんもっと時間をかけて作ります。
そのときは、妻も子どもも一緒に作ることもありますし、何にしようかと考える時間も含めて「料理」自体を楽しんでいます。なので、時短する「調理」とはまた別です。
ホットクックも導入すれば、それ自体を楽しみたくなりますが、それを「調理ロボット」として使いこなすまでには、少し時間が必要になりそうです。
ホットクックに8、9割方アウトソースすれば、導入の効果もありそうですが、普通に炒め物もするし、ホットクックも使う、というやり方だとその効果は半減するか、もしくは二重運用となって1.5倍の時間がかかる可能性もあります。どんなアウトソーシングにも言えることですが。
本当に時短したいなら、ホットクックのみに生きる覚悟が必要になります。
台所という空間がなくなる
ホットクックを前提に考えれば、「台所」のイメージが大きく変わりそうです。
システムキッチンは、とても充実した機能を持った家具ですが、もっとずっとシンプルな形で済むかもしれません。
洗い場のほかには、ただホットクックを置くスペースと、食材を切るスペースがあるだけで十分になります。
レンジフードもコンロも必要ないので、そのスペースは縮小できますし、大きな鍋もフライパンもいらないので収納も最低限で済みます。
台所の壁に本棚を作ってもいいでしょう。蒸気には気を付けないといけないですが、油汚れの心配はいらないので、そうしたものも置くことができます。
あるいは、空いたスペースに電子レンジや炊飯器をホットクックと並べて置く、というのはとても作業効率が上がりそうです。レンジ台などのキッチン棚も不要になります。
排水さえうまくいけば、台所に洗濯機が置いてあってもいいと思います。ほぼすべての家事がそこに集約されるので、さらに効率が上がりそうです。
台所、というよりは家の中の「作業場」みたいな感じでしょうか。そうするとやっぱりパソコンもスピーカーも置きたくなります。
必要なのは思い切り
先述したとおり、「ホットクックを導入したスマートクッキング」さらには「台所空間の変革」を実現するには、ほぼすべての調理をホットクックで行う、完全ホットクック食でなければなりません。
炒め物をするためにフライパンを残していては、省スペースにならないし、コンロの上以外に、ホットクックを置く余剰スペースは(※我が家には)ありません。油汚れからの解放という恩恵も、完全ホットクック食でなければ授かれません。
そこまで思い切った食生活の転換ができるかどうか、というのがホットクック導入における最大の壁です。
これまでの調理スタイルを一新し、新しい文化を迎え入れることになります。覚えた料理の技術も一旦ほぼリセットされます。
ホットクック自体はそれほど高価なものではないと思いますが、それを導入し最大限に効果が発揮できるように運用するには、これまでの文化を大きく見直し、受け入れる体制をまず整えなければなりません。
あとは運用次第で、相応のコスト削減と効率化が期待できるでしょう。
なんだか胡散臭いコンサルみたいな締めになっていますが、要はモノは使い方次第だなぁ、というところで、一方向に吹っ切れるプロの運用方法に改めて感心し、今日も炒め物をします。
はてなブログProにしてみました
主夫に対するハラスメントはあるか
電通のセクシャルハラスメントの話が盛り上がりましたが、そろそろほとぼりも冷めたころと思い、このタイトルです。
が、結論からいえば主夫としてはあまりハラスメントを受けた経験は少ないです。
それでも、誰でも少なからず経験はあると思います。最初に入った会社では、ずいぶんなハラスメントを受けた記憶があります。
電通関連の記事を読む限り、某氏が受けたものは、あまりにもひどいハラスメントであるのは間違いありません。
「主夫」というマイノリティを自称していると、多少なりともハラスメントはあります。それは期待されている性別役割と異なるから叩かれる、という意味ではセクハラだし、家事労働一般を低レベルなものとみなし賃金労働(生産性)至上主義の立場から叩く、という意味ではパワハラに当たるように思います。
ハラスメントとは?
言葉の定義をしっかりしておかないと、議論が混乱します。
セクシュアル・ハラスメント、セクハラについては男女雇用機会均等法において、その語の定義や事業主の義務規定が定められています。
職場におけるセクシュアルハラスメントは、「職場」において行われる、「労働者」の意に反する「性的な言動」に対する労働者の対応により労働条件について不利益を受けたり、「性的な言動」により就業環境が害されることです。
職場におけるセクシュアルハラスメントには、同性に対するものも含まれます。
http://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11900000-Koyoukintoujidoukateikyoku/00.pdf
(※事業主が職場における性的な言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置についての指針)
ここでいう、「職場」とは労働者が通常就業している場所以外の場所でも同様で、労働者が業務を行う場所であれば「職場」に含まれます。
職場におけるセクハラは、「対価型」と「環境型」に大別されます。
対価型とは、「仕事あげる代わりに女紹介しろ」みたいなもので、
環境型とは、「常にエロ本が机の上に出しっぱなしな職場」みたいなものです(意訳)。
また、これに加え「ジェンダーハラスメント」も広義のセクハラ(※注1)とします。
いわゆる「女のくせに」とか「そろそろ結婚しないの?」とか「この童貞が」といった言動です。
そのため、性的な嫌がらせ(わいせつ行為やそれに準じるもの)に限らず、性別を理由とした相手を不快にさせる行為一般は、程度の差はあれど、すべてセクハラと定義します。
さらに詳しくは下記のリーフレットをどうぞ。
企業における人権研修シリーズ『セクシュアル・ハラスメント』
http://www.moj.go.jp/jinkennet/asahikawa/sekuhara.pdf
また、パワーハラスメント、パワハラについても厚労省の定義があるので、見てみます。
「同じ職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場内の優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は職場環境を悪化させる行為」
です。
さらに、下記のものを典型例として掲げています。
1)身体的な攻撃
暴行・傷害
2)精神的な攻撃
脅迫・名誉毀損・侮辱・ひどい暴言
3)人間関係からの切り離し
隔離・仲間外し・無視
4)過大な要求
業務上明らかに不要なことや遂行不可能なことの強制、仕事の妨害
5)過小な要求
業務上の合理性なく、能力や経験とかけ離れた程度の低い仕事を命じることや仕事を与えないこと
6)個の侵害
私的なことに過度に立ち入ること
セクハラとパワハラでは、 やや定義や成り立ちの背景が異なりますが、いずれにしても、「過度に立場の優位性を利用した、あるいは性的な言動、性別役割意識に依拠した言動により、不当な扱いを受けたり、不当な環境を強いられたりして、精神的・身体的苦痛を与えられる」ことを広くハラスメントと捉えたいと思います。
さて、ようやく本題です。
主夫の私が「主夫」として受けたハラスメントです。
「ヒモ」というレッテル
いつからこの言葉があるのか知りませんが、女性に稼いでもらっている男性のことを「ヒモ」と呼ぶ蔑称があります。
家庭内の仕事をメインとしているので、当然一般的にフルタイムで働く男性よりも収入は低くなります。
「男性は稼いでなんぼ」「奥さんがかわいそう」「毎日何してんの?」
さまざまな角度から「ヒモ」である状態を叩かれます。
「主夫」になる、と腹をくくっている以上、こうしたことは当然言われると思っているし、案外自信をもって主夫だと言ってると言われなかったりするんですが、それでもこうした言動には出くわします。
また、お金の使い方にいろいろ文句を言われます。
「奥さんに養ってもらってるくせに、そんな高いコートを買うな!」
みたいなやつです。
他人の家庭の懐事情に踏み込まないでほしいですね。上記の例はそれをネタにしたムーチョさんも怒られて当然ですが。
採用されない
主夫をする男性もお金を稼ぎたい時があります。主婦がパートに出るのと一緒です。
でも仕事をするにあたって、まず、採用の壁にぶつかります。
男性はずっと働いていて当たり前、キャリアが断絶した時点で何かしら怪しい人物である、というステレオタイプのあるなかで、多くの場合採用面接に臨むことになります。
いうまでもなく、圧倒的に不利です。その先入観を払拭させるほどの好感度を印象づけられるか、が主夫の就職活動においては重要になります。
が、もちろんこれも、採用時に性別で採否を判断するセクハラの一種です。正直、色眼鏡で見られている感はヒシヒシと感じました。
もっとも、最近はアルバイト情報誌にも「主婦・主夫大歓迎!」といった両性併記のものが多く見られます。アンケートの項目にも「主夫」という選択肢が普通にあります。広告掲載上の規定やユーザビリティの問題なのかもとは思いますが、一応そうした配慮まで至るようにはなったようです。
それでも、現実に主夫が応募してきたら先に述べた先入観が強く働くのだと思います。
男女問わず、キャリアの断絶はやはり不安要素です。その間に、どんな自己研鑽をしたか、といったことを採用上聞かれるのは全く問題ないと思いますし、自分自身も主夫をしていた経験は、決してマイナスではないと思っています。
だから、訊かれたら堂々と答えたいのですが、こうした場合、訊かれるまでもなく不採用…といった場合が多かったです。
居場所がない
いざ採用が決まり、働きに出たもののうまくコミュニティになじめない、あるいは男性パートを受け入れる環境が整っていない、というケースもあります。
私もいまパートで働いていますが、 今の職場でも男性のパート内勤社員は初めてだったそうで、社内的に少し混乱させてしまったこともあります。
例えばロッカールーム。これまでは女性社員しかいなかったので、男性用の部屋がありませんでした。(別に要らないから、いいです、と今に至りますが)
それに限らず、繁忙期の一時的なパート(お歳暮や年末調整、健康診断など補助)といったものは、応募者のほとんどが女性です。そこで仲良くみんなでランチ、というときにやっぱり男性はなかなか誘われません。(今はありがたいことに誘ってくれます)
これまで、男性がいなかった場所に男性が現れることで、その居場所が確立されてない、という問題がこれまたあります。
女性専用車両に一人乗っている男性、のようなものです。それでも別に違和感なく受け入れてくれたらそれでいいのですが。。
すごく旧態依然としたある大企業では、昼休みに『休憩室』でお弁当を食べてたら、次の日呼び出され「ここは女性しか使っていないんだから空気読め」と言われて追い出されたこともあります。テレビを見ながら楽しく女性たちが談笑しているなか、節電のため暗い自席で一人お弁当を食べていました。
その会社はやはり居心地悪く、すぐに辞めました。
まとめ
思ったより主夫であるときのハラスメントは少ないです。
「ハラスメント」はその性質上、何らかのコミュニティ内で起こるものだからだと思います。
主夫は、一応個人事業主のように働くことができます。地域やパートの仕事など何らかのコミュニティには属しますが、そのコミュニティは互いに深入りすることもあまりありません。
正社員で働く職場であれば、深いつきあいが求められます。そうした働いていた時に受けたパワハラのほうはずっと強烈に今も夢に出てきます。
下記の記事にもありますが、働きながら子育てをする場合のパタハラも意外とダメージが深いです。
本記事とは少しずれますが、これもまた男性が受けやすいハラスメントの一つかと思います。
これといった解決方法が具体的にあるものではありませんが、「ハラスメントとはなにか」を正しく認識し、具体的な事例を把握したうえでうまく迂回路を探る、といったことをきちんとそれぞれの組織の中で定期的に研修していただければなぁ、と思うところです。
(注1)
下記の記事によれば、性的でないが、性別に関係する不快な言動は、均等法上はセクシュアルハラスメントとは区別されているものの、”国家公務員のセクシュアル・ハラスメントの防止等に関する人事院規則10-10においては、性別により差別しようとする意識等に基づく発言(例えば、「男のくせに根性がない」、「女には仕事を任せられない」、「女性は職場の花でありさえすればいい」などの発言や、「男の子、女の子」、「僕、坊や、お嬢さん」、「おじさん、おばさん」などと人格を認めないような呼び方をすること)や行動(例えば、女性であるというだけで職場でお茶くみ、掃除、私用等を強要すること)は、セクシュアル・ハラスメントになり得る言動である"とされています。
また"EUでは男女均等待遇改正指令(2006/54/EC)において、セクシュアルハラスメントとともに、セクシュアルな性質ではない、性別に関連する職場のハラスメントについて規定"されています。
このことから、本記事では、ジェンダー・ハラスメントも広義のセクハラと定義します。
www.jil.go.jp
「いじめは楽しい」か?
いじめは楽しいのか?
「いじめ」に関する話はとてもナイーブで、個々のケースによることも多いので、あまり深い話が語られることはないかもしれません。
一方で、子を持つ親としては当然、心配のタネではあります。
自分の子がいじめられる、あるいはいじめるようになってしまったら。
子どもの意志は尊重されるべきで、子どもの世界には親が介在しないほうが好ましい場合もある一方で、一種の社会問題と化している「いじめ」の問題については、子ども同士のいさかいというよりも、社会構造や子供の発達心理の観点から、大人が導くべき部分もあるかもしれません。
以下、『子どものための精神医学』滝川一廣を片手に、少し、この問題を掘り下げてみたいと思います。
(※書影はAmazonより拝借)
伝統的いじめ
一番分かりやすい「いじめ」は「ジャイアン」です。ガキ大将、親分的な存在がいて、その下にスネ夫のような子分がいて、「のび太」といういじめられっ子をいじめる。
これほど、わかりやすいいじめはないと思います。親や先生の目にも止まりやすく、悪いことをしている、というのはすぐにわかります。
同時に、それは深刻な事態ではないことも表しています。ちゃんと大人も助けることができるし、のび太も「どらえも~ん」と助けを呼ぶことができる、からです。
見えにくいいじめ
一方で、今あるいじめの構造は、より複雑なものになっていると考えられています。
いじめる・いじめられるの構造が分かりやすく対立するのではなく、同質的な集団の中で、任意の一人がその的となり、いじめが集団心理によって行われる、という「いじめ」が、現代的ないじめとして問題になっている、と指摘されています。
こうしたいじめの場合、きっかけとなるいじめの主体が見つかっても、まさかこんな深刻な事態になるとは思わなかった、ということが起こります。
いじめの主犯者がいない、からです。
社会や文化の同質性は、それから逸脱するものを容易に見つけ出し、排除します。
子どもどうしのコミュニケーションはテレビの影響を受けることはもちろん、大人の社会の縮図でもあります。それゆえ、彼らは「まわりの空気を読むことに長け、その場を盛り上げ、笑いに変えることで取り仕切るような司会者的な芸能人」を、理想のモデルにします。
その司会者自身は、誰も排除していません。場を盛り上げて、みんなが楽しい環境を作ろうと努めています。
ところが、その場の空気が「そのなかで一番面白くない奴」を排除していくのです。
こうして、その場についていけないものは「明日からお前クビな」ではなく、徐々に気づかないうちにフェードアウトして、いなくなっても皆知らんぷりをしている、という状況になります。
いわゆる「干される」という状況ですが、子どもの世界でもそれが無意識のうちに再現されてしまいます。
そうした孤独感や無力感が、物理的な暴力よりもダメージを与えるのに効果的であるのは、社会経験のある大人の方がより実感しているのではないでしょうか。
逃げる、という選択
大人は、そういう時に「逃げる」という行動を取ることもできることを知っています。
職場で干されたとき、地域で村八分にあったとき、自分の意志と責任でそこを離れることができます。
しかし、居場所がずっと「学校」であり、地域のつながりも希薄になり、それ以外の「遊び場」や「逃げ場」といったゆとりのない生活環境においては、逃げるという選択肢が思いつきません。
そういった選択肢が与えられれば、きっと救われるケースは多いと思います。
いじめが激化する理由
そして、いじめが激化する理由は「楽しいから」だけでは説明がつきません。
「いじめ」の主体がいないことで、「いじめ」がエスカレートしても誰も罪悪感に苛まれることはない、という状況において、初めて「いじめ」は限度を超えます。
この「いじめ」が限度を踏み外し、「犯罪行為」に類するものや「自殺」までに追い込むものにしてしまう背景を、『子どものための精神医学』の著者は、「無意識の集団心理」と分析しています。
限度を超えた事態が起きたとき、「司会者」はおそらく主犯格として捉えられるでしょうが、本人は「そんなつもりはなかった」と答えるでしょう。
統計データから
さて今更ですが、現状把握として、統計データを見てみます。
まず、最新のデータから。
平成28 年度「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/29/10/__icsFiles/afieldfile/2017/10/26/1397646_001.pdf
平成23年以降、小学校での認知件数が急増しています。単純にとらえれば、「いじめ」の主戦場は小学校に移っている、とも言えますが、学齢の低い年齢ほど「ばれやすい」いじめをしている、あるいは見守りも厚く、目に留まりやすいということも考えられます。
むしろ、高校生の「いじめ」の認知件数が上がっていないことが気がかりです。
「いじめ」に対する意識の高まりから、その監視機能が高まっているにもかかわらず、認知件数が上がらないのは、先に見たような「いじめ」の構造の変化などの要因が考えられるます。
もちろん、学齢とともに精神的な安定が保たれる点では、高校生にもなればいじめは少なくなるのは自然なことですが。
つぎに、NHKの統計調査「中学生・高校生の生活と意識調査・2012」です。
https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/yoron/social/pdf/121228.pdf
「友達がいじめられているのを見て、あなたはどうしましたか?」という問いに対する答えです。「いじめている人を注意した」が15.5%、「いじめられている人を助けたり励ましたりした」が32.9%です。
約半数の人が、「何もしなかった」とも言えるし、半数の人は直接的なアクションを起こしている、とも言えます。
対象が中学生以上なので、主戦場からは外れますが、親や学校の目の届きにくい子ども同士の関係性のなかで自浄作用が期待できるのは好ましいことです。
そうしたアクションを起こせる子どもの分母をいかに増やせるか、といったことも一つの社会的な課題のように思います。
それには、大人自身がサイレントマジョリティにならない、という姿勢を見せることが、一個人レベルでできることかと考えます。そうした大人の行動を見て、子どもは育つからです。
「いじめ」はどんな状況でも起こりうるものだと思います。家庭環境、経済的環境、身体的要素、障害の有無、などさまざまな個人の努力ではどうにもならない「同質性からの逸脱」は防ぎようがないからです。
仮にそれらの条件がイコールでも、やはり「みんな一緒がいい」は成り立ちません。それぞれが持つ価値観はそれぞれにあるはずで、一律に「面白い」と思える笑いを共有するのはプロの現場でも難しいものです。
「みんな一緒がいい」が成り立たないにも関わらず、それを求めたがる、という病もまた、どうしようもないものなのかもしれませんが、だからこそ「多様性を認めること」の重要性が問われているように思います。
なんだ、結局ポリコレか、となってしまいますが、「ポリコレ棍棒」もまた戦局を逆転させるだけの道具にしてはならない、ということは肝に銘じておきたいことです。
お酒に酔った勢いなので、熱い内容になってしまったのはご了承くださいませ。
今年買ってよかったもの。電子機器中心に
今週のお題「今年買ってよかったもの」
年末に、よく現れては嫌われる話題ですね。
私もあまり好きではありませんが、はてなに似合うようなものしか紹介しないので許してください。
アフィリエイトの嫌いな方は別タブでAmazon検索をしてください。
家電の更新サイクル
だいたいどんな電化製品も10年持てばいいほうで、7,8年目ごろには何かの機能が壊れながらも使い続けるのではないでしょうか。
一緒に暮らし始めて約8年、結婚前から使ってるものも多い我が家では、やはりそんな風に壊れ始めたものが多くあったので、今年から来年にかけて、ちょうど更新の時期に入っています。
大きなものでは、テレビを買い替えました。
こんなやつです。(たぶんこれの型落ち)
まあ、4Kでもないし、事業売却の決まったメーカーのものですが、モノは良いです。
・テレビに存在感を持っていかれたくないので32型以上に大きいテレビは置きたくない
・32程度の大きさならハイビジョンで十分(フルもいらない)
・この型のものは、スピーカーが前面にあるので、比較的音が良い
というところが買いどころです。
2TBレコーダーと合わせて7万円弱で購入し、前のテレビはメルカリアッテで売ったので、実際5万円ほどで買い換えました。
来年は、洗濯機を買い替える年になりそうです。
PCの更新サイクル
パソコンもまた、定期的に更新が必要になります。
4,5年ごとに買い替えていますが、ちょうど今年がその時期だったうえ、接触不良でときどき画面が映らなくなったりと不具合もあったので、思い切って買い換えました。
こちらはちょうど発売と同時に購入したので、9万円で20%ポイント付と、かなりお安く買えました。
以前のパソコンはやっぱりメルカリで売っています。メルカリ大事です。なので、実質5万円くらいか。
高級感ある見た目がいいですね。
ベゼルの薄い感じがとても良く、ちょうどA4サイズです。
SSDなので、動作も快適です。
スペックは物足りないと思いますが、本体には必要最低限のものだけを積み込んで、重いデータなどは、NASを購入してそちらに置いています。
ITエンジニアでもない文系出身の主夫ですが、設定は簡単でした。
HDD一台しか積めないものをNASと呼んでいいのかは知りません。
設定で各種クラウドサービスと相互同期できるのでバックアップはそれでいいかと割り切っています。
写真・音楽・動画。重いデータはすべてこちらに入れています。それらがネットワークにつながってる、というだけでとても便利です。
タブレットやスマホから操作できるアプリもあるので、家にあるほとんどの端末でデータの共有ができています。
もちろん、PCからのアクセスも何の問題もなく、PCも快適に動いています。
ゆくゆくは子どもにもパソコンを持たせることになりますが、そのときもNAS上にフォルダを作っておけば、比較的安価なパソコンでも十分遊べるかな、と思います。
モバイル環境
まとめ
「文字環境の砂漠」での幼児教育
おはようございます、物のないオシャレ新婚家庭にあこがれる主夫です。
下の写真はきれいな状態の我が家ですが、普段はこんなではありません。
下の写真がふだんのそれです。
インスタやFacebookにはアップしないやつですね。
まあ、洗濯ものとかお皿とかを放置して、子どものおもちゃも着替えも散らかしっぱなしだと、すぐにこうなります。
「物のないオシャレ新婚家庭」ではこういうことにならないのでしょうか?素朴に疑問ですが、たぶんなってるんじゃないかと思います。
オシャレ新婚家庭とは?
”「物のないオシャレ新婚家庭」は「幼児教育に適した環境」ではない”というのがまとめの趣旨かと思われますが、発言者も「私見」と言っているので、その主張は根拠に乏しいのでしょう。しかし、ひとつひとつの発言は、子育て家庭としては気になる部分なので、よくよく検証してみたいと思います。
類人猿は皆、もっとも身近にいる人(主として親)が何に興味を持つかで、それを見ながら育ちます。知育玩具に親は真剣な興味はありません。ので知育玩具では不十分で、生活の中に、文字と数字があり、それを通じて大人同士がコミュニケーションする必要があると思います。
— norico arai (@noricoco) 2017年12月1日
いきなり主語でけーな!です。
この発言の趣旨としては、知育玩具といった「人為的に作られたモノ」ではなく、生活の中に「自然と溶け込んでいるモノ」で子どもは学ぶ、そして、「親の興味のあるものに子どもは興味を持って育つので、生活のなかの文字や数字にもっと関心を持ってほしい」というところだと思います。
その後、その例のツイートが続きます。
まず、「月日、曜日」が漢字で入っているカレンダーを壁にかけて、それでイベントの共有をしてほしいです。たとえば「12月10日日曜日、ディズニーランド」のようにです。カレンダーは数の並びを自然に理解するのに非常に有効な手段です。
小1で「じゅういち」を「101」と書く子、相当います。赤ちゃんが生まれる前に、必ず、数字がきちんと入っている、文字盤の時計を壁にかけてほしいです。デジタル時計もあるのはかまいませんが、それでは、3ケタのひき算ができるまで、「6時まであと何分」を把握できません。
@noricocoできれば、紙の新聞を購読してください。それが嫌なら、せめて本を買ってください。それを読む姿を子どもに見せてください。
自分が本を読まないのに、本を読む子に育てるのは難しいです。というわけで、おしゃれな家は、読解力の敵、と私は思っています。
順番に科学的に示していくつもりですが、どういう仮説があるかは、予めお伝えしました。小学校の教科書で必要な語彙を身に着けるのは不可能です。語彙検定しても難しいです。それでは語にリアリティがないので。
時代劇お勧めです!
(引用ここまで)
すみません、すごく長く引用しましたが、「私見」とあるとおり私的なイメージが散見されます。
まず、発言主の思うオシャレ新婚家庭とは“月日、曜日等が漢字で書かれていないカレンダーをかけ、壁掛けカレンダーに予定を共有せず、時計はデジタル時計を使用し、紙の新聞や紙の書籍がない”という家庭のようです。(※時代劇は完全に発言主の趣味かと思われるのでカット)
文字だけでは、少しイメージがわかないかもしれません。
なので、意識高い系オシャレ女子のまとめサイト「キナリノ」さんをご紹介。
別タブで開いてください。
さて、イメージできましたでしょうか。
モノや本など、散らかりやすいきれいな家、収納しやすい家、はたしかに比較的新しい家においては、トレンドのようです。
(出典)https://plaza.rakuten.co.jp/mikipan/diary/201412230000/
また、カレンダーですが、こんなかんじでしょうか?
ナチュラル系雑貨の代表格、"fog linen work"のカレンダー、アラビア数字とモノトーンの絵だけで構成されたシンプルなオシャレカレンダーです。私も欲しい。
オシャレなデジタル時計のイメージが全くわかないのですが、数字の書かれていない時計は子どもにとって少しわかりづらいかな、と思ってこちらを挙げておきます。
さて、次に実際に、統計調査に当たってみたいと思います。
ベネッセ研究所統計データから
幼児教育にかんするデータ、ここではベネッセ教育研究所のものを借ります。
幼児期から小学生の家庭教育調査・縦断調査
こちらの調査、2012年に大規模な幼児~小学校までの親を対象としたアンケートをとり、なおかつ数百の家庭に対し2012年から5年間継続してデータを取り続けているタテヨコ調査です。
まず、2012年のデータから。
結果の要旨では、
・小学校入学までに、「文字・数・思考」の力は伸びていくが、「学びに向かう力」は必ずしも伸びない。
・ 「生活習慣」が定着している子どもは、「文字・数・思考」「学びに向かう力」がより高い。
・小1時の振り返りで幼児期に文字・数に親しむ習慣が高かった場合、小1時に「勉強が終わるまで集中」は 72.0%、低かった場合は 48.7%と差が出る
幼児期から小学1年生の家庭教育調査 報告書 [2012年]│ベネッセ教育総合研究所
とあります。確かに、文字・数に親しむ習慣が少ないと、その後の学習意欲に影響があるとあります。もちろん、これには違う相関関係が含まれる場合もあります。そのためにこの調査では、タテの経過観察を継続しています。
そこで、タテの2016年の報告を見てみます。
以下、引用です。
小学校以降の学習や生活に大切な「学習態度(自分から進んで勉強する態度)」は、幼児期の育ちが土台となっている。
幼児期に、「生活習慣」「学びに向かう力(=非認知的的スキル)」「文字・数・思考」の順序で育ち、それが小1、2での「学習態度」につながった。
また、この3つの力を幼児期に身に付けることで、小学校以降も伸びることが確認できた。
(出典)http://berd.benesse.jp/up_images/publicity/pressrelease_20170515.pdf
ここで「学びに向かう力」というあいまいな言葉は、次のように定義されています。
「自分の気持ちを言う、相手の意見を聞く、物事に挑戦するなど、自己主張・自己統制・協調性・好奇心に関係する力」(非認知能力)
また、「生活習慣」は「トイレ、食事、あいさつ、片付けなど、生活していくために必要な習慣 」としています。
少し、わかりづらいのですが、下の表を見るとわかりやすいです。
小学校以降の「学習態度」には、文字・数字・思考といった要因も影響を与えますが、それだけでは「学習態度」の向上にはつながらず、「学びに向かう力」「生活習慣」の要因も大きい、というのがこの表から分かります。
それゆえに、「学びに向かう力」や「生活習慣」を幼児期に基礎づけることをこの調査では重要視しています。
というのも、文字や数字は、かなり多くの子どもが実際に就学前から「できる」のです。
この表は、2012年の大規模調査のものですが、多くの項目で9割以上の年長or小1生ができるようになっています。
とすれば、文字や数字の習得には、環境要因はほぼ影響しないことになります。また、「文字や数字に親しむ」というのは、現状ほぼ全ての子どもができている分野であり、そのほかに親が意識しなければならない大切なことがある、ということが言えます。
それが、「学びに向かう力」であり、「生活習慣」である。そして、それらが、「学習態度」つまり向学心・学習意欲など「もっと知りたい」という知的欲求をもって自主的に取り組めるか、というところをにつながるとしています。この調査ではそうしたものを「教育」として重視しています。
まとめ
オシャレな新婚家庭がそもそも、「文字環境の砂漠」かどうかは分かりませんし、知りません。もともとの発言主も身近な「生活」のなかからの学びを訴えていると思うので、それ自体が間違いというわけではないと思います。
要は、日々のかかわりの中で「頭を使ったやりとりをしているかどうか」ということだと思いますが、そのやりかたは、時代劇でも、知育玩具でも、ベネッセのワークでも、絵本の読み聞かせでも、なんでもいいのだと思います。
重要なのは関わり方で、それは、やらせっぱなしではない、一緒にやる、考えさせる、自分の意思を尊重させる、といったことです。
それが全く無い環境であるとすれば、それは教育環境の砂漠といえるのかもしれませんが、オシャレ新婚家庭は勝手なイメージですが意識高そうなので、上記のような関わりはしているのではないでしょうか。
そういうのが大切だという話が、なぜか文字のない家は悪い、というナゾのまとめになってる、ように感じました。
以上です。
アレクサと子ども
Amazon Echoのアレクサさん
Amazon Echoを買いました。
リビングでPrime musicやAmazon Radioの音楽を聴くためです。
音はスピーカーにつないでいるので、とても良いです。
あと、反応もとてもいいです。
「アレクサ、なんか音楽かけて」といえば、最近は私の嗜好に合わせてエレクトロニカをかけてくれます。
マイミュージックにいろいろ入れているので、「haruka nakamuraの音楽かけて」とか「paniyoloの音楽かけて」と言えば静かなインストゥルメント音楽がリビングに響きます。
邦楽を聞く場合は、ラジオのほうがよさそうです。「Jポップのラジオかけて」と言えば、最近の曲もかけてくれます。
と、普通の説明はこれくらいにしておきます。
本題は、「子どものいる家庭にアレクサさんが来るとどうなるか?」です。
ロボットと子ども
我が家にはもともとルンバちゃんがいます。出かけるときにルンバちゃんお願い、と言って(ボタンを押して)お出かけします。最近は子どもも慣れてきましたが、2,3歳のころは始動音が鳴ると、怖がってソファの上に飛び乗っていました。
6歳になった娘は、アレクサさんとは、すぐに仲良しになりました。操作方法を子どもに説明しなくても、声で話しかけている私の真似をするだけでいいからです。
真似をするだけで覚えられる、というのはとても直感的で便利です。
Alexaさん、とっても便利。適当に音楽かけてる。「次の曲かけて」とか「この歌なに?」とかは、娘がすぐに真似して覚えた。まさに直感的。
— yuki ota (@lazy_planet) 2017年12月5日
ロボットが普及する未来
正直、いまのアレクサさんにできることはあまりありません。
スピーカーとして音楽をかけたりするのは優秀ですが、それ以外のことはほとんどできません。問いかけにもうまく反応しないことも多いし、思い通りに音楽をかけてくれないことも多いです。
いまは、まだAI(学習する機械・ロボット)の分野においては、黎明期の製品なので、多くのことは望んでいません。
でも、子どもたちが大人になるころ、20年後の世界には、もっと多くのことができるのだと思います。そのときに、「子どもたちはどのようにロボットに接するんだろう?」と考えたとき、「いま私たち大人がしているように接する」気がしたのです。
アレクサさんは、子どもの遊び相手にもなってくれます。
「アレクサ、じゃんけんしよう!」と何度も何度も誘われても、嫌な顔一つせず、ずっと相手してくれています。「ごめんなさい、今は分かりません」と言いながらも、子どもの問いかけに常に答えてくれます。
でも、文句も言わずなんでもやってくれるから、といってなんでもやらせてはいけない、というのは「ドラえもん」が教えてくれています。
思い通りに動いてくれないからといって「ポンコツロボット」なんて言ったらドラえもんは起りますが、アレクサさんはまだ怒るほどの感情を持ち合わせていません。
いま、私たち大人が、いうことを聞かないアレクサに「この役立たず!」と言ってしまったら、そういう風にロボットを扱っていいんだ、というふうに子どもたちは受け取るような気がして、「子育て家庭におけるAIとの接し方」もまた、ネットとの付き合い方のように、子どもと一緒に考え、学ばなければならない題材であると思いました。
アレクサさんにどう話しかけるか、どう接するかをみて、今の子どもたちは育つのだと思うと、黎明期のいま丁寧に優しくしなきゃという気がするので、アレクサが言うこと聞かなくても「バカ!」とか「役立たず!」とか言わないようにしたい。
— yuki ota (@lazy_planet) 2017年12月6日
親の行動を見て育つ
こないだ、こんな話題がありましたが、これって要は、親の行動を見て子どもは育つから、大人がもっと身近にある文字に関心を持とうね、という話です。
感覚的な話になるので、本当はじっくり検証すべきだとは思いますが、肌感覚としてはたしかに子どもは、往々にしてまわりの大人や親の行動をみて育つものです。
オシャレ新婚家庭の家に文字がないかどうかは分かりませんが(意外とあふれているように思いますが)、アレクサさんとの会話もまた、子どもがどんな言葉を使い、どんなふうにロボット(や人)と付き合っていくか、というところに大きく影響を与えるのではないか、という仮説を投げかけて、動向を見守っていきたいと思います。
服を着るならこんなふう
主夫の服装
最近、更新頻度が高いのはただの気まぐれです。タイトルはあからさまにパクりです。
主夫クラスタ界隈では、たまに服の話題が上がります。
僕はいつも「アイロンかかった襟付きシャツ、サンダルは履かない」というスタイルを守ってるんだけど、これは社会的マイノリティである育児男性が身を守るためのもの。育児界隈でだらしない格好のおじさんがいると不審者扱いする女性がいるからな… 窮屈だけど、そこはマイノリティゆえの妥協点
— ムーチョ@ホームステイのホスト (@mucho) 2017年10月23日
平日の昼間にもスーパーや近所に出かけることが多い主夫は、「昼間にふらふら出歩いている怪しいおっさん」扱いされることがしばしばあるようです。
そのため、見た感じちゃんとしておこう、という意識が働きます。
かといって、窮屈すぎると家事もしづらいし、せっかく会社勤めしてないのにスーツみたいな恰好は嫌だ、という思いもあります。
あまりお金をかけすぎるのも、今度はかえって「稼いでないくせにいいもん着やがって・・」ということが気になってきます。
私も、あまり気にしすぎず、かといって手を抜きすぎずといったバランス感があり、かつ動きやすい服装をここ数年心がけて、ほぼそれが確立してきました。
ということで主夫の私なりの「服を着るならこんなふうに」を披露したいと思います。
基本のユニクロ
別にユニクロでなくてもよいのですが。
白のオックスフォードシャツをベースにします。
ユニクロ以外にも無印、GU、グローバルワークなどの量販店で買えます。
・ガシガシ洗濯OK、干してそのまま着るだけ
・適度な素材感で、カジュアルダウンできる
・白いので清潔感あり、ボトムスなんでもOK
・安くて常に売ってるので、汚れたらすぐ代替可能
・初夏は袖折り、冬はカーディガンやインナーダウンと合わせ、ほぼ一年中着れる
というのがオススメポイントです。
常にクローゼットにあれば、迷うことがないので朝の時短にもなります。
定番すぎて、他の人とかぶっても何も気にならないのもいいです。
価格は割引価格で1枚1,200円程です。
細身のボトムス
意外と値が張るのがパンツ、いわゆる「ズボン」です。いつから「パンツ」と呼ぶようになったんでしょう。そのパンツですが、元ネタの『服を着るならこんなふうに』にあるように、細身(にみえる)ものを選びます。
ユニクロでもよいのですが、定番ブランドのもののほうがよりシルエットのきれいなものが手に入ります。アーバンリサーチ、とかナノ・ユニバースとかです。
上記に上げた2ブランドは、各地にあるアウトレットモールでも手に入りやすいほか、定期的にファミリーセールを開催しています。
バーゲンのなかでもファミリーセールが最も安く、私はいつもそこでまとめ買いをしています。開催時期は2月、8月と季節の終わりにその季節のものを売っています。
価格帯としては、1本1,000円~2,000円で購入しています。ユニクロ並みに安く、たまに日本製のものも手に入ります。
色は、ベージュ、黒、ネイビー(紺)、ジーンズ系、をそれぞれ持っていれば、着回しに困らないと思います。
シンプルなスニーカー
子どもを連れていろんな場所に出かける機会も多いので、歩きやすさ(そして脱ぎやすさ)優先で考えます。
好みはいろいろあろうかと思いますが、ここでは、デザインのシンプルさでいわゆるローテクのスニーカーを選びます。代表的なのはコンバースです。
ただコンバースはちょっと、という人も多いかと思うので、もう少し落ち着いたブランドで、オススメをいくつか挙げていきます。
・スペルガ イタリアのスニーカーブランド。シンプル、定番商品。
・ムーンスター 九州の久留米にあるメーカー。ピンキリですが最上位のものを。
・INN-STANT スロバキア製のスニーカー。シンプルなラインが入ったデザイン。
・スプリングコート フランスのブランド。もとはテニスシューズで通気性がよい。
・マカロニアン ユニセックスな丸いデザインですが、シンプルで履きやすい。
等です。
アフィリエイトのリンクはありませんので、各自ググってください。
それぞれ、定価だと6,000円~10,000円程度といいお値段しますが、楽天やzozoのセールで、定価の2割~半額まで落ちます。メルカリやヤフオクにも多く出品されています。
靴に関しては定価どおりの耐久性と履き心地になるので、どうしても最低価格はこれくらいになるかと思います。
夏
季節ごとの話になります。
夏、体型に自信のある方(おなかの出ていない方)は、無地のTシャツ一枚ときれいなボトムスで十分かと思います。
そうでない方は、半袖のオックスフォードシャツもあります。あ、必ずシャツはズボンインせずに出してください。お腹周りをごまかすためです。
オックスフォードシャツの生地は厚く、あまり夏向きではありませんが、ヨレっとしたシャツを着るよりもずっとマシです。
夏場にハープパンツを履く場合は、よほど筋肉質でない限り、5分丈が限度です。極力避けるか、もしくは9分丈のパンツなどでも、十分風通しよく着られます。
冬
冬はオックスフォードシャツの上にカーディガンかVネックのニットをプラスします。
青、グレー、茶などの色があれば十分だと思います。中のシャツが一緒でも、色が変われば見た目も変わります。
アウターは暖かさと耐久性を考慮して、撥水性のあるダウンかマウンテンパーカーを選びます。子どもとの外遊びにも対応できて、ちょっとした雨や雪にも強いので、ウールのものよりも良いかと思います。
ダウンは、NANGAという老舗メーカーと定番ブランドとの提携商品がコスパに優れています。定価だと高価なものですが、毎年ある商品なのでヤフオク・メルカリで約半額の15,000円~20,000円ほどで手に入ります。
マウンテンパーカーは、私はFIDIRITYというブランドのものを使っています。このブランドもまた比較的値下がりしやすく、それなりの品質のものが定価の半額程度で買うこともできます。価格は10,000円~15,000円ほどです。
まとめ
・基本的に無地のシンプルなものを。
・だらっと見えない素材感のものを。
・定価で買わない。底値を狙う。
・メルカリ・ヤフオクも使う。
です。
服のことで頭を悩ませることなく、快適な主夫ライフをお過ごしください。
なぜ、賃金は上がらないのか?
あまり主夫には関係のない賃金のお話です。
景気は回復しているのに、賃金は上がらない、というのはよく聞く話ですが、実際のところどうなんでしょう?というシンプルな疑問からのエントリです。
相変わらず議論は散らかっていますが、なるべくデータに当たったつもりです。
1.非正規雇用
パートタイムで働く人(≒ざっくりと非正規労働)は、年々増えています。
厚労省によると、平成 28年 10月1日現在の正社員以外の労働者割合は 37.2%、うちパートの労働者割合は27.4%となっています。(概況PDF p.5あたり)
約4割が非正規雇用です。
お役所PDFで見づらいですが、こんな感じで増えてます。高齢者が多いですね。
当たり前かもしれないですが、非正規雇用の賃金は低いです。
これも厚労省の資料です。そして、パート労働の場合、どの年齢であってもほとんど賃金が変わりません。もちろん雇用年数に応じて上がることもあると思いますが、上り幅は推して知るべしです。ある意味ジョブ型のとても成果主義で、平等な制度ともいえます。
2.労働生産性
「生産性と賃金~雇用拡大と生産性のねじれ~」第一生命経済研究所 担当 熊野英生
http://group.dai-ichi-life.co.jp/dlri/pdf/macro/2017/kuma171116ET.pdf
それぞれの産業で、IT化、最近では学習機能を備えたAIなどによって効率化が進められています。だから、各産業とも生産性は向上しています。でも、全体としての生産性では、ほとんど上がっていません。飲食や介護といった業界の、いわゆる労働集約型のサービスがそれを押し下げているからです。
労働集約型のサービスは生産性が悪いにも関わらず、就業者数は、産業別で唯一増えています。高い生産性(≒儲かってる)企業からは人が減り、儲からない企業に人が集まる、という現象です。
いわゆる人手不足業種の背後にあるものは何か?;求人意欲と、アウトプットレベル、労働生産性の関係|その他の研究・分析レポート|経済産業省
より詳しい業種別のグラフは上記の経産省レポートにあります。
本当はみんなが儲かっている企業にシフトしたほうが、給料は上がるでしょう。でも、儲かっている企業ほど効率化が進んでおり、「人」を採用するにあたっては狭き門になっています。
人手不足が言われる医療・介護・保育など、すべて労働集約型ですが、これらも国の公定価格がある以上、賃金上昇は簡単には見込めません。
平成29年版厚生労働白書 −社会保障と経済成長−(本文)|厚生労働省
ちなみに、医療福祉等の分野は急速に産業人口が増加しつつあり、その影響は決して無視できるものではありません。
3.労働分配率
経済分析第195号 経済分析第195号(特別編集号)|内閣府 経済社会総合研究所
企業がその日々の営みで生み出した付加価値(利益)は、労働者や株主、国や社会へと配分されます。そのうちの労働への分配率を、労働分配率といいます。
一般に、好景気なときほど株主や社会への分配が大きくなるので、労働分配率は下がるといわれていますが、近年は株主重視の経営などの影響もあり、全体として労働分配率は減少傾向にあります。
http://www.esri.go.jp/jp/archive/bun/bun195/bun195b.pdf
計算方法により複数指標(出典参照)がありますが、おおむね減少傾向。
労働分配率は、雇用の問題というより企業の戦略の問題です。会社を継続し発展させるために投資を労働(人)か資本(モノ)にするか、あるいは留保する(カネ)か、の経営判断です。
ボーナスをもらったら多くの人は貯金をするそうです。今の景気をボーナスと考えれば、企業も同じ傾向がある、とも言えます。
もちろんボーナスをそのまま現金で持つことはあり得ず、何らかの金融投資をしていると思います。今の景気がずっと続くはずがない、というのはみんな肌で感じているようです。予備的貯蓄をする、という行動をみんなが取り、消費を控えています。
そうした「デフレマインド」を払拭する、というのがアベノミクスでした。
4.日銀政策
いわゆるアベノミクスの政策の柱ともいえる日銀の政策は、量的金融緩和によって2%物価水準を維持してデフレマインドを払拭する、ということです。
でも意味が全く分かりません。総裁本人の言葉を見てみましょう。
【講演】黒田総裁「『量的・質的金融緩和』と経済理論」(スイス・チューリッヒ大学) : 日本銀行 Bank of Japan
日銀の政策は、とにかく日銀がたくさんの債権を買う、そしてお金を発行する、ということです。それによって、長期的な金利を低くコントロールして、企業が投資に回す資金を増やします。金利が低ければ、お金は借りやすいし、預けていてもしょうがないからです。それによって株価が上がり、景気が良くなった「感じ」がします。
一般の人も黒田さんの言ってることがよくわからなくても、日銀が「何か」をしていることはわかります。ひたすら異次元の~というフレーズを使って印象付けてきたからです。株高もあって、実際に景気が良くなるかも、という期待が働きました。
そうすると、物価も上がります。たくさんの人が買い物するようになるので、需要が高まって価格も上がるからです。物価が上がれば、人の値段も上がります。つまり賃金も増えるはずです。
ところが、そういう手はずだったはずが、実際にはそうなりませんでした。物価が下落する要因が多く、いまだに物価目標を達成していないからです。
例えば、原油価格の下落です。ガソリンの値段が安くなって、物にかかるコストが少なくなり、価格を上げなくても需要を満たすことができてしまいました。あるいは、消費税の増税がありました。これもまた、消費を抑制する力が働き、結果として物の需要が高まりませんでした。
そのため株は高いし企業業績もいいけれど、日銀は政策をやめられず、今はそのことが不気味な様相を呈していて、企業も慎重にならざるを得ない、という状況が起きています。上がるはずの賃金も、モノの値段が変わらないので上がりません。
まとめ
上記以外にもロスジェネ世代の問題や、グローバル間競争の影響など様々な要因はあります。でも、一つ一つの要因が密接に関連していると思われるものを4つ挙げました。
雇用は増えました。でも、その多くは非正規雇用です。高齢者の雇用も多い。非正規雇用は、賃金上昇の幅がとても少ないです。
生産性も上がっています。でも、産業人口が増加している分野は、生産性の上げにくい分野であり、そこでは賃金の上昇は見られません。
日銀の政策は功を奏して株価が上がりました。しかし、物価の上昇とともに上がるはずの賃金がそもそも物価が上がらないために目論見通り上がらず、株を持ってる人だけが得をしている状況が続いています。
いろんなレポートがこうした状況を伝えています。が、実際のところそういったデータ分析やレポートに当たる人はほとんどいないと思われます。仕事に忙しくて、そこまで時間がないからです。
ニュースでも、発表された短観などのあとに消費者の声などのインタビューが続き、印象論でしか語られません。
なんとも歯がゆい状況ですが、比較的時間のある非正規雇用の主夫からは以上です。
(参考)日本の賃金はなぜ上がらないかに答える(みずほ総合研究所)
https://www.mizuho-ri.co.jp/publication/research/pdf/today/rt171026.pdf
(参考)景気回復が賃上げにつながりにくい理由 ~「日本特有」の様々な問題 第一生命経済研究所
http://group.dai-ichi-life.co.jp/dlri/pdf/macro/2017/naga201709011koyou2.pdf
政治のはなしと私のスタンス
主夫と政治
お酒の席で政治と野球の話をしてはダメなのと同様に、ブログやネットでも選挙の話はしない方がいいのかもしれません。
言葉だけで何かを伝えるのも難しく、それが言葉として形に残り、後になってまた読み返されることもあることを思うと、躊躇してしまいます。
私も普段は全く政治の話をしません。妻ともほとんど話さないし、友人知人ともそういう会話は避けています。(※はてブは別)
相変わらずとりとめのないスタイルで、思うことだけまとめてみます。
先月、衆議院選挙が行われました。そのときの話題を少し。
私のスタンス
自分の立場は、(あまり自覚はないのですが)日本的な意味合いにおいてリベラルなようです。主夫である自分、を受け入れようとすると、どうしてもそういうスタンスになります。
政策的に自民党に反対しているわけではありません。むしろ、政権が安定し官僚が仕事しやすい環境が続くことは、結果的に政策スピードが速まるのでいいことだと思っています。予算すら全然決まらなかった時代は大変だったでしょう。
それでも、国会での議論は非常にいい加減なものになっています。高いお金を出して選挙を行い、議員に報酬を払うのであれば、せめて仕事はしてほしい。ふつうに議論をして、思想に拠らずエビデンスに基づいた政策を実施してほしい、と思っています。
リベラルとか左派とかよく知らないけど、愛国とか殊更強要しないで、人をみだりに排除したりせず、ちゃんと国会開いて仕事してくれる人達に政治家やってほしいって、そんな高望みなんだろうか。
— yuki ota (@lazy_planet) 2017年10月2日
今回、野党第一党となった立憲民主党がそれをしてくれるかどうかはわかりませんが、とりあえず少しは信じて期待したいと思います。
(※立憲民主党HPより引用)
https://cdp-japan.jp/yakusoku/03/
多様性のこと
よく、多様性はポリコレ問題とセットで叩かれます。Political Correctnessなので、直訳すると「政治的正しさ」ですが、「多様性を認めること」と個人的には解釈しています。
CMや広告の表現が過激なものであったり、無自覚に差別的なものである場合、批判が殺到し、いわゆる「炎上」という状態が起こります。
子育て界隈でも、たまに起こります。先日は牛乳石鹸の動画が賛否を呼びました。
こちらの動画では、子育て世代の父親の葛藤を描いています。
子どもの誕生日、まっすぐに帰って誕生日プレゼントを渡すのが正しい、とは分かっていても、仕事で怒られていた後輩と一杯飲んで帰ってくる。妻からは一言釘を刺され、ようやく牛乳石鹸が出てきて風呂のシーン。「さ、洗い流そ」というキャッチコピーで締めくくられます。
昔の価値観に引きずられながらも、今の時代の正しさも頭では理解していて、だけど仕事も家族も完璧にこなす自分じゃなくどこかダメなままの自分でいたい、という父親の(甘えた)気持ちを表現した意図は十分に伝わります。
が、いま子育て真っただ中で奮闘している人はそんな逡巡すらままならないといった状況で日々働いています。
そうした人の気持ちを汲むべきか否か、あるいは一つの表現としてこのCMを認めるか、といった問題がここでは起きています。
男性主体で描かれたストーリーでは、男性の気持ちは伝わってきますが、そのあいだ子どもの面倒を見て、家事をこなし夫の帰りを待っていた女性側の視点はないがしろにされています。少なくとも、牛乳石鹸で簡単に洗い流せるようなものではない大きな認識の違いがあるような気がします。
どちらにしろ、一人ひとり仕事も家庭も、恋愛も、一様では無くなったいま、多様性を認めること、とりわけこれまで無自覚に抑圧されてきた人たちの自由の保障は、大切な政治的イシューとなっています。
個人的なことで言えば、「主夫」という立場もまたマイノリティなものです。
「男なら稼いでなんぼ」という価値観からすれば、「主夫」もまた落ちこぼれなのかもしれませんが、ポリコレ的には、「主夫」もまた男性の生き方の一つ、ということになります。
選択的夫婦別姓のこと
サイボウズの青野社長が提訴されたことは記憶に新しいと思います。
個人的には「姓なんてどっちでもいい」と思っているので、別姓は容認の立場です。
夫婦間で一緒の姓でも、いまは3割の夫婦が離婚します。伝統的な家族、イエ制度を守る立場の人は反対するのかもしれませんが、それは別姓を認めても続けられるもののように感じます。
上場会社の社長が姓を変えるなんて言い出したら超面倒くさいのは、総務で株式譲渡や会社の定款などにかかわった経験からもよくわかります。
さらにいえば、「結婚」という制度自体、かなり身体的な拘束力の強い契約だと感じています。一度契約すれば終身契約でその相手以外の人と性的な関係を持つことは許されません。その罰則も非常に厳しく、契約解消後の関係性を破綻させるだけでなく、子どもがいる場合はその子にも不利益を被ることになります。
現状、多くの人がその契約を違反することが多く、訴訟に限らず不倫などの騒動に伴う機会損失も含めた社会的コストも大きいので、もう少し気楽な契約があってもいいように思いますが、その議論はまた今度にします。
子育てのこと
主夫をしていて、一番政治とかかわりが深い部分が「教育・子育て・介護」という分野だと思います。ミサイルが飛んできても、一人の主夫には何もできません。
今回で言えば、「幼児教育の無償化」は大きな争点となりました。
こちらに関しては、駒崎さんはじめ、保育分野の多くの有識者は否定的でした。現状の制度でも、低所得者の負担は低く、無償化以前に保育園の数が足りていないからです。
私もいま、保育料は払っていません。現行の制度でも「後払い」ができるからです。
その点は大学の無償化でやろうとしていることと一緒ですが、同じ「無償化」という言葉が使われています。
「後払い」の詳しい方法は下記に記載しています。
自治体のこと
自治体レベルの政治は、一番身近で、動かしやすいものです。例えば、通学路で危ない箇所がある、といったことを担当部署に電話してみると、意外と素早く対応してくれます。
ただ保育園や学童にかかわることなどは、制度上決められたものが多く、なかなか動かしにくいものになります。そのときどきの市長などによっても大きく左右されます。
一保護者として、保育行政にかかわる機会は少なく、市役所に入園の申請に行く際に窓口を訪れるほかは、ほとんど担当署員と会う機会もないと思います。
保育園に保護者会が組織されていて、かつその保護者会が自治体の保育運動連絡会などの組織に加入している場合は、保育に関する要望を自治体に対して提出し、議論する機会があります。
保護者として保育行政にかかわる機会として最たるものの一つです。
どの自治体でも共通して直面している課題が、待機児童や保育園の民営化、民間企業の参入、といったところだと思います。
保育園は選ぶことができません。たまたま、入った園が民営化したばかりの園だった、途中で民営化して先生が全員入れ替わったなどの事態にいざ自分が直面すると、こうした問題にかかわらざるを得ないと思います。
どの園も(同じ年収であれば)同じ保育料なのに、園側の都合で体制が不十分でしたでは困るからです。それを防ぎ、保育の質を高い水準で保つには、ある程度政治にかかわっていき、監視の目を強める必要があるのかもしれません。保育運動連絡会などは、そうした役割を担っています。
一方で、こうした組織では保護者の代替わりが早く、団体の熱量が一定ではない、ということが問題解決を遅らせる原因にもなっています。
ベビー用品メーカーに勤める友人の言葉ですが、「喉元過ぎれば熱さ忘れる。ベビー用品は客の世代交代が早いので、クレーム対応には極力コストをかけない」とのことです。保育行政にも同じことが言えます。
待機児童の問題に直面した当事者も、子供が小学校に入るころには忘れています。そこで学童・PTAの問題に直面し、今度はそれらに頭を悩まします。
明るい話をしよう
政治の話はめんどくさいなぁと思います。議論することすら面倒です。冷静にいようと思っていても議論し始めると、どこか攻撃的になってしまいます。
でも、ありがたいことに世の中には、そういう面倒くさいことが大好きで、どんどんかかわっていこうとする人がいます。 そういう人が、身近なところではPTAの会長を引き受けたり、あるいは議員になったりするのだと思います。
ある程度関心は持ちつつ、面倒なことはそういうのが得意な人にお任せする、という距離感も大切です。それも一つの政治とのかかわり方だと思います。
よほどのクライシスに直面しない限りは、政治的なことは忘れて、日常では明るい話をしていたいです。
明るい話ができるのは、よいことです。
- 作者: フランクパヴロフ,ヴィンセントギャロ,藤本一勇,高橋哲哉
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