京大卒の主夫

京大は出たけれど、家庭に入った主夫の話

政治のはなしと私のスタンス

主夫と政治

お酒の席で政治と野球の話をしてはダメなのと同様に、ブログやネットでも選挙の話はしない方がいいのかもしれません。

言葉だけで何かを伝えるのも難しく、それが言葉として形に残り、後になってまた読み返されることもあることを思うと、躊躇してしまいます。

私も普段は全く政治の話をしません。妻ともほとんど話さないし、友人知人ともそういう会話は避けています。(※はてブは別)

 

相変わらずとりとめのないスタイルで、思うことだけまとめてみます。

先月、衆議院選挙が行われました。そのときの話題を少し。 

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私のスタンス

自分の立場は、(あまり自覚はないのですが)日本的な意味合いにおいてリベラルなようです。主夫である自分、を受け入れようとすると、どうしてもそういうスタンスになります。

 

政策的に自民党に反対しているわけではありません。むしろ、政権が安定し官僚が仕事しやすい環境が続くことは、結果的に政策スピードが速まるのでいいことだと思っています。予算すら全然決まらなかった時代は大変だったでしょう。

 

それでも、国会での議論は非常にいい加減なものになっています。高いお金を出して選挙を行い、議員に報酬を払うのであれば、せめて仕事はしてほしい。ふつうに議論をして、思想に拠らずエビデンスに基づいた政策を実施してほしい、と思っています。

今回、野党第一党となった立憲民主党がそれをしてくれるかどうかはわかりませんが、とりあえず少しは信じて期待したいと思います。

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(※立憲民主党HPより引用)

https://cdp-japan.jp/yakusoku/03/

多様性のこと

よく、多様性はポリコレ問題とセットで叩かれます。Political Correctnessなので、直訳すると「政治的正しさ」ですが、「多様性を認めること」と個人的には解釈しています。

CMや広告の表現が過激なものであったり、無自覚に差別的なものである場合、批判が殺到し、いわゆる「炎上」という状態が起こります。

子育て界隈でも、たまに起こります。先日は牛乳石鹸の動画が賛否を呼びました。


新井浩文出演・「与えるもの」編/牛乳石鹸PR映像

こちらの動画では、子育て世代の父親の葛藤を描いています。

子どもの誕生日、まっすぐに帰って誕生日プレゼントを渡すのが正しい、とは分かっていても、仕事で怒られていた後輩と一杯飲んで帰ってくる。妻からは一言釘を刺され、ようやく牛乳石鹸が出てきて風呂のシーン。「さ、洗い流そ」というキャッチコピーで締めくくられます。

昔の価値観に引きずられながらも、今の時代の正しさも頭では理解していて、だけど仕事も家族も完璧にこなす自分じゃなくどこかダメなままの自分でいたい、という父親の(甘えた)気持ちを表現した意図は十分に伝わります。

が、いま子育て真っただ中で奮闘している人はそんな逡巡すらままならないといった状況で日々働いています。

そうした人の気持ちを汲むべきか否か、あるいは一つの表現としてこのCMを認めるか、といった問題がここでは起きています。

 

男性主体で描かれたストーリーでは、男性の気持ちは伝わってきますが、そのあいだ子どもの面倒を見て、家事をこなし夫の帰りを待っていた女性側の視点はないがしろにされています。少なくとも、牛乳石鹸で簡単に洗い流せるようなものではない大きな認識の違いがあるような気がします。

どちらにしろ、一人ひとり仕事も家庭も、恋愛も、一様では無くなったいま、多様性を認めること、とりわけこれまで無自覚に抑圧されてきた人たちの自由の保障は、大切な政治的イシューとなっています。

 

個人的なことで言えば、「主夫」という立場もまたマイノリティなものです。

「男なら稼いでなんぼ」という価値観からすれば、「主夫」もまた落ちこぼれなのかもしれませんが、ポリコレ的には、「主夫」もまた男性の生き方の一つ、ということになります。

 

選択的夫婦別姓のこと

サイボウズの青野社長が提訴されたことは記憶に新しいと思います。

mainichi.jp

個人的には「姓なんてどっちでもいい」と思っているので、別姓は容認の立場です。

夫婦間で一緒の姓でも、いまは3割の夫婦が離婚します。伝統的な家族、イエ制度を守る立場の人は反対するのかもしれませんが、それは別姓を認めても続けられるもののように感じます。

 

上場会社の社長が姓を変えるなんて言い出したら超面倒くさいのは、総務で株式譲渡や会社の定款などにかかわった経験からもよくわかります。

 

さらにいえば、「結婚」という制度自体、かなり身体的な拘束力の強い契約だと感じています。一度契約すれば終身契約でその相手以外の人と性的な関係を持つことは許されません。その罰則も非常に厳しく、契約解消後の関係性を破綻させるだけでなく、子どもがいる場合はその子にも不利益を被ることになります。

 

現状、多くの人がその契約を違反することが多く、訴訟に限らず不倫などの騒動に伴う機会損失も含めた社会的コストも大きいので、もう少し気楽な契約があってもいいように思いますが、その議論はまた今度にします。 

 

 

子育てのこと

主夫をしていて、一番政治とかかわりが深い部分が「教育・子育て・介護」という分野だと思います。ミサイルが飛んできても、一人の主夫には何もできません。

 

今回で言えば、「幼児教育の無償化」は大きな争点となりました。

こちらに関しては、駒崎さんはじめ、保育分野の多くの有識者は否定的でした。現状の制度でも、低所得者の負担は低く、無償化以前に保育園の数が足りていないからです。

www.komazaki.net

私もいま、保育料は払っていません。現行の制度でも「後払い」ができるからです。

 その点は大学の無償化でやろうとしていることと一緒ですが、同じ「無償化」という言葉が使われています。

 「後払い」の詳しい方法は下記に記載しています。

lazyplanet.hateblo.jp 

自治体のこと

自治体レベルの政治は、一番身近で、動かしやすいものです。例えば、通学路で危ない箇所がある、といったことを担当部署に電話してみると、意外と素早く対応してくれます。

ただ保育園や学童にかかわることなどは、制度上決められたものが多く、なかなか動かしにくいものになります。そのときどきの市長などによっても大きく左右されます。

一保護者として、保育行政にかかわる機会は少なく、市役所に入園の申請に行く際に窓口を訪れるほかは、ほとんど担当署員と会う機会もないと思います。

保育園に保護者会が組織されていて、かつその保護者会が自治体の保育運動連絡会などの組織に加入している場合は、保育に関する要望を自治体に対して提出し、議論する機会があります。

保護者として保育行政にかかわる機会として最たるものの一つです。

 

どの自治体でも共通して直面している課題が、待機児童や保育園の民営化、民間企業の参入、といったところだと思います。

保育園は選ぶことができません。たまたま、入った園が民営化したばかりの園だった、途中で民営化して先生が全員入れ替わったなどの事態にいざ自分が直面すると、こうした問題にかかわらざるを得ないと思います。

 

どの園も(同じ年収であれば)同じ保育料なのに、園側の都合で体制が不十分でしたでは困るからです。それを防ぎ、保育の質を高い水準で保つには、ある程度政治にかかわっていき、監視の目を強める必要があるのかもしれません。保育運動連絡会などは、そうした役割を担っています。

一方で、こうした組織では保護者の代替わりが早く、団体の熱量が一定ではない、ということが問題解決を遅らせる原因にもなっています。

 

ベビー用品メーカーに勤める友人の言葉ですが、「喉元過ぎれば熱さ忘れる。ベビー用品は客の世代交代が早いので、クレーム対応には極力コストをかけない」とのことです。保育行政にも同じことが言えます。

 

待機児童の問題に直面した当事者も、子供が小学校に入るころには忘れています。そこで学童・PTAの問題に直面し、今度はそれらに頭を悩まします。

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明るい話をしよう

政治の話はめんどくさいなぁと思います。議論することすら面倒です。冷静にいようと思っていても議論し始めると、どこか攻撃的になってしまいます。

でも、ありがたいことに世の中には、そういう面倒くさいことが大好きで、どんどんかかわっていこうとする人がいます。 そういう人が、身近なところではPTAの会長を引き受けたり、あるいは議員になったりするのだと思います。

ある程度関心は持ちつつ、面倒なことはそういうのが得意な人にお任せする、という距離感も大切です。それも一つの政治とのかかわり方だと思います。

 

よほどのクライシスに直面しない限りは、政治的なことは忘れて、日常では明るい話をしていたいです。

明るい話ができるのは、よいことです。

茶色の朝

茶色の朝