京大卒の主夫

京大は出たけれど、家庭に入った主夫の話

オンラインサロンと地域コミュニティ

オンラインサロンについて思うこと

最近、オンラインサロン界隈の炎上がにぎわっていて、いろいろと思うことはあるのですが、ここのブログの主旨に絡めて言えば、わたしはすでにPTAや町内会に「お金を払ってタダ働きの労働を提供」している人間だなぁということです。

なので、タダ働きしている信者の気持ちが全く分からないわけでもない、かといってオンラインサロンと地域コミュニティはまた全然違うものだよなぁ、と考えあぐねてこうしてブログを書いています。

 

みんなそれぞれ、そんなもやもやを抱えているようです。

 

gendai.ismedia.jp

彼女がこの記事で書きたかったのは、「僕が頭悪いから」塾長に教えてもらおうとした、と言った塾生の言葉の悲しさ、人間の弱さです。

このような弱さは何も塾生たちだけに限ったことではない。カリスマに惹かれ、思考停止に陥る可能性は誰もが持つ。様々な趣味サークル、宗教、スピリチュアル、オンラインサロン、あるいは就職した企業の中で。「これさえ信じれば救われる」は、手を変え品を変え発信されている。

むしろ、本当に振り切れた強い人間は、裁判になって刑を執行されたとしても、自分はただ信じたことをしただけだ、としか言わないでしょう。

でも、そうしたものに取り込まれてしまう弱さが人間にはある、というどうしようもない悲しみを、どう救えばいいのでしょうか。

 

わたしが加入したオンライン(?)サロン

さて、わたしもいくつか、オンラインサロンに加入したことがあります。

主夫ブロガー、漫画家のムーチョさん主催の『家事研究部』

月額1000円くらいだったかな。

非常にマメな方だし、話題も豊富で、新米主夫の私にもいろいろと丁寧に教えてくれました。彼のつながりは多様で男女問わず海外在住の方も多く、そうした方の家事の話を聞くのも面白かったので、月額1000円のコンテンツとしては充分なものでした。

今は、Facebookグループも無料になり、(そもそもほとんど投稿されなくなりましたが)そのグループメンバーとはいまだに繋がっています。

 

スマホアプリSnapmart主催のコミュニティ

厳密にはオンラインでもないですが、写真販売アプリのSnapmart。こちらは、オンライン上で写真の添削教室をやったり、写真のコツを共有しています。

これも無料かつ選抜メンバーなので、オンラインサロンと比べるのも変ですが、写真を通じて知り合いが増えるのもいいなあと思いました。ずっと、趣味は一人でやるものだったので。

実際、主催者の利益に沿うような非公式オフ会というタダ働きもしているのですが、これもまたユーザーとして利益は少なからず享受しているし、公式さんがガンガンRTしてくれているおかげで集客に何のお金もかけずに成り立っている共犯関係もあります。

lazyplanet.hateblo.jp

 

ファザーリングジャパン関西

あとは、NPO団体のファザーリングジャパン(関西)。またオンラインサロンではないですが、会員として活動に参加しています。わたしは東京の本家と関西のそれぞれに払っているので年会費2万円です。正直関西にいれば、本家のほうに入る必要はありません。私は寄付のつもりで払っています。

これまたオンラインだけのつながりではないし、ずいぶんタダで飲み食いしたり、写真の仕事を紹介してもらったりとしているので、お世話になっています。

今日も、ボランティアでイベントの手伝いに行きましたが、子どもたちといっぱい遊んで超楽しかったです。 

 

それら全て、目に見える恩恵があった、と思います。

主夫としての自分のモチベーションを高める、写真の技術を向上させる、パパ友が身近にできる、遊べる。単なる「つながり」以上のものがあるからこそ、コミュニティの価値が生まれていました。

ブログなんかもそうですね。ブロガー同士の交流や励ましあいがあって続くものです。それ自体はべつに否定するものでもなく、ただ楽しいことをお互いに共有してそれぞれが続けられる場所として意味のあるものだと思います。

 

ただ、コミュニケーションの密度が濃いからこそ、そうした恩恵が受け取れるのであって、コミュニティの規模が大きくなればなるほど、 その恩恵は希薄化し目に見えにくく、享受しにくいものになります。そしてコミュニティが大きくなればなるほど、サロン主の知名度が高いほど、サロン主に払う対価は高くなります。

実際に、恩恵を受け取るためには、サロンオーナーと近しい関係であるしかなく、結局のところ構造的には社畜と変わらないピラミッド型の組織になってしまいます。トリクルダウンなんてありません。

 

高い対価の割に合わない状況なんですね。

 

 地域コミュニティについて思うこと

では、地域コミュニティはどうかといえば、自治会、子ども会、学童保護者会、PTAとなんだか所属しているコミュニティ多すぎやしませんか、という状況になりつつあります。当然それぞれに会費があり、それぞれに役割も回ってきます。


子どもが2人、3人と生まれれば、保護者会の類は2倍、3倍にもなります。

ある保育園の先生はある秋に5週連続で運動会をした、と言っていました。自分の勤務先、小学校の子ども、別々の保育園の子ども×2、地域の市民運動会、などとなればそうなっちゃいますね。辛い。

 

本当にその全てが必要なものなんでしょうか?

 

地域コミュニティにおけるオンラインとの違いは、当たり前ですが物理的な距離です。同じ地域に住んでいる人同士が仲良くする、ということの物理的・心理的な安全性は代えがたい地域の財産です。それ自体は何も悪いものでもなく、長い年月をかけて醸成されるべき文化のようなものだと思います。ただ、その維持管理には相応の金銭的コストや労力がかかります。

 

そうした相応の負担やコストを無視して地域コミュニティを疑いもなく信奉してしまうような人の傾向が、オンラインサロンにハマってしまう人の特性と似ているような気がしてならないのです。

 

そもそも、地域活性化だの、地域のつながりを大事に、とか地元の人とのコミュニケーションのある観光といったグリーンツーリズム的な地方の扱われ方は、一見地域に価値を見出しているようで、その地域に住む人をおもてなし要員としてタダ働きして疲弊させるものだとしてたびたび批判を浴びています。

その批判は、オンラインサロンの批判に通じるものがあります。

 

無理のあるコミュニティは続かない

コミュニティは作るのは簡単ですが、続けるのはとても難しいものです。

どこかに無理のあるコミュニティは長くは続きません。実態以上に大きくなったコミュニティも、個人の無償の奉仕で成り立つコミュニティもいつかは無理が来ます。

サロン主には適度なコミュニケーション、適度な世話焼きを率先してやることが求められるし、そうしたもてなしがあって、はじめてコミュニティの生産性が上がるように思います。

加入していないオンラインサロンのことはわかりませんが、少なくとも加入しているサロン的なコミュニティでは、そうした「世話焼き」あるいは「コーチ」係がしっかりと仕事していました。

地域でもたしかに、そういう「おせっかいおじさん・おばさん」がいます。そういう人の善意で成り立っているものでもあり、一方でそれだけを頼りにするのもまたリスクのあるコミュニティだなぁとも思います。

実際には人は一つのコミュニティだけに所属するものではなく、いろんなコミュニティをまたぐようにして生きているので、ある一つが危機的な状況になってもリスク回避はできると思います。

だけど、その一つ一つが負担になったり、変な権力構造が生まれている息苦しいコミュニティに巻き込まれると「生きづらさ」が増すのだと思います。

フリーランスのコミュニティマネージャーなる肩書きを持つ長田さんもなかなか面白いことを書いています。彼は、素晴らしく前向きで世話好きな好青年です。

note.mu

 

地域地域と言うけど、その地域っていったい誰のことなんですか?っていうところの問題意識はしっかり持っていたいなぁと思います。そのへんは、「社会の受け皿」ってなんだ?というところと通底しています。その前提を忘れないで、いろんなことを考えていきたいです。

note.mu

lazyplanet.hateblo.jp

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