私たちは「専業主婦前提社会」に苦しんでいる
今週のお題「おかあさん」
さて、『育休世代のジレンマ』でよく知られる中野円佳さんの記事です。
いつのまにか、シンガポールに出られ、現在は海外×育児×キャリアについてのオンラインサロンも開かれているようです。
海外に出てみると、日本の子育ての相変わらずな状況が辟易して見えてくる、というところから記事は始まります。
で、当然の帰結として、「日本の求められてる家事クオリティ、高すぎじゃね?!」というところに行き着いた、というのがこの記事のストーリーです。
そうそう、その通り、と首がもげるほど頷きたいことばかりで、全て正しいのですが、やっぱり3000字程度の記事では物足りないのです。
専業主婦前提社会に苦しんでいる、だけではないからです。
私たちは「仕事至上主義前提社会」に苦しんでいる
「求められている仕事量(時間)多すぎじゃね?!」というのがこちらの前提です。
質よりも量が問われているのがこの前提の根深いところです。
フルタイム勤務であれば男女問わず、多くのサラリーマンは当たり前のように9時の始業に間に合うように出勤し、18時定時として、そのまま帰るにしても家に帰るころには暗くなりますし、多くの人はもっと残業をしているでしょう。
働きつつ育児をする男性の主な悩みの一つが、「イクメンは出世できない」です。
(主に男性の)サラリーマンが朝から晩までフルコミットで仕事に集中している一方で、子育てしながら仕事をしている女性・そして一部の男性は、会社においては同等の条件で成果主義に基づき、その貢献度を評価されることになります。
どちらが条件的に有利かは一目瞭然かと思います。
実際に、夫婦共に正社員で働こうとすれば、妻が専業主婦やパート勤務の家庭と異なり、夫が仕事の時間を減らして、育児を分担しなければなりません。
そうは言っても、現状では、男性の働き方は、週5日40時間は「最低限」で、それ以上が「普通」に求められており、定時にすら帰れない父親がほとんどです。
男性の育児参加は、まさに「言うは易く行うは難し」で、共働き世帯の母親には過剰な負担がのしかかっています。
こちらは、男性学の研究者である田中先生の記事の引用です。
現状で普通の能力しかない一般的な男性が仕事も育児も効率的にこなせる理想的な「イクメン」になることの難しさを滔々と語っています。
当たり前ですが、子どもが生まれたら急にすごく仕事ができるようになって、短時間で成果が上がるようになる、なんて都合のいい話はありません。
働く時間が減れば、当然、その分だけ成果は落ちます。
育児で責任を果たす以上、これまで男性に求められてきた業務量をこなし、同じだけの成果を上げるのは無理です。
フルタイムの共働きが増えつつある現在、フツメンにできる仕事と家庭の両立とは何かを考えることが求められています。
世知辛いですが、これもまた育休世代のジレンマの一つです。
さて、女性は専業主婦前提社会に苦しみ、男性は仕事至上主義前提社会に苦しんでいます。
じゃあ専業主婦や仕事一筋のサラリーマンは苦しんでないかと言われれば、決してそんなことないですよね。
専業主婦の人は本当は働きたいのにその機会を奪われ、それこそハイクオリティな家事・育児を求められてきましたし、仕事一筋の環境ではストレスも多く、長時間労働による過労死はずっと以前から問題視されています。
「メイド」も誰かの犠牲を前提にしている
それでいて、一般的な子育て世代である30代の平均年収は、約450万円です。
平均年収ランキング2017(年齢別の平均年収) |転職ならDODA(デューダ)
冒頭の記事に戻りますが、それで、シンガポールのメイドのはなしをされても、はぁ・・なわけです。メイドを雇うだけの年収を確保できる層はわずかで、あるいは格安で雇うには、そのメイドが低賃金でなければなりません。
保育士の賃金が安い安い、とさんざん言われていますが、育児のアウトソース先としては本当に格安で、日本人の平均年収でもなんとかなる金額です。しかも年収に応じてさらに安くなります。
メイドを一家庭が雇うということは、メイドの雇用形態としてとても不安定なものです。雇用期間が短く、契約も個人間では曖昧になり、仲介が入れば割高になります。かつ、日々の業務はルーティンワークであり、給料の上げ幅も多くは見込めません。
質の高い「丁寧な家事」を求めないのであれば、長期で雇うよりも、定期的に安いメイドに切り替えたほうがお得です。
メイド自体が、自分より低収入な誰か、あるいはパートで働く誰かを前提としたものであり、その前提を超えたサービスが実現されるにはまだ時間がかかりそうです。
思うに、事態はもっとずっと深刻なのではないか?ということです。
皆でもっと楽になろう
皆でもっと楽になろう、は正しいのです。
手作りのお弁当じゃなくても、総菜詰めるだけでいいし、冷凍食品もおいしいものがたくさんあります。家が多少散らかっててもいい。モノがあふれてて、子どものおもちゃはガラクタみたいな菓子玩具でもいい。なるべく家事は自動化すべく、ルンバ、洗濯乾燥機、食洗機、新たな三種の神器を使えばいい。
でも、それだけでは圧倒的になにか足りないのです。"take it easy."は大好きな言葉ですが、それだけで解放されるほど単純なものに私たちは苦しんでいるんでしょうか。
女性と家庭の問題ではなく、男性と働き方の問題でもある、というのは先に見てきたとおりです。そして、他の誰かに犠牲を負わせるのではなく、「皆」で楽にならなければなりません。
では、どうすればいいのでしょうか。
ステレオタイプへの服従か、ロールモデルの欠如か
「〇〇前提社会」という〇〇に苦しめられている社会で、苦しまないように生きるには、徹底的に〇〇の側に立つか、苦しまないための新しい生き方を探すか、のどちらかです。
前者は、「ステレオタイプへの服従」という困難があり、後者は「ロールモデルの欠如」という困難があります。前者は「保守」と呼ばれ、後者は「リベラル」と呼ばれるものです。
「どんな生き方をしてもいい。どちらか好きな方を選べ」と突き付けられたとき、実際には多くの人は戸惑ったまま選択できず、その両方に苦しめられるのではないでしょうか?
時折、そうした苦しみが炎上という形で、姿を現します。「牛乳石鹸」然り、「あたしおかあさんだから」然りです。
ずる賢く生きる
正直なところ、個人レベルでどうこうできるような話ではないのかな、とは思いますが、制度的なことはそれこそ、中野さんの今後の分析に期待したいところです。
それでも主夫の戯言として、個人レベルの解決策を提示するならば「チート技」を使う、つまり「ずる賢く生きる」ではないでしょうか。
たとえば、専業主夫って生き方は、なかなか便利です。
専業主婦前提社会に適応しつつ、新しい生き方として男性稼ぎ手モデルからも脱却することができます。従来からの規範からは解放されつつ、それなりの暮らしをそれなりの形で送ることができる、一つのチート技だと思います。
いまの自分の生き方を完全に肯定するわけでもなく、なるべくして行き着いたところですが、誰もが流れるように生きていて、今にたどり着いています。中野さんのように、海外に住む、というのもまた一つの技ですが、それも自身の意思というよりも流れるように行き着いたものだと思います。
一方で、彼女なりのやり方で、オンラインサロンで海外×女性×働き方という単なる駐在妻のコミュニティに囚われない要素を+したコミュニティを形成しています。これもまた、巧みな手法です。
海外に住む、集まって住む、パラレルキャリアをつくる、拠点を複数つくる、他にもずる賢く生き抜く技は、私の知らないところにたくさん転がっているのだと思います。
私たちは、もっとずる賢く、生きていきましょう。