自治会長の主夫
本記事も自己紹介です。
2年半、賃貸で住み、環境も良く気に入ったところ別の部屋が売りに出ていたので購入しました。
実質、3年程度しかこの地域には住んでいないので、分からないことばかりなのですが、それでも自治会に加入すると役員は回ってくるので、もともと今年は役員をやる予定でした。
まさか、会長をすることになるとは思ってもいなかったですが。
<30歳のパパが自治会長になるまで>
結論から先に述べます。
「なんで自治会長になったの?」と訊かれたら、「ほかに誰も手を上げなかったから。」です。
「そんなんでなれるの?」と思うかもしれませんが、案外そんなものです。
PTAの役員決め等に参加されたことのある方なら身に覚えがあると思います。前会長の「誰かいませんか?」の声掛けに、それとなく下を向き、互いの様子を探りながら、時間だけが過ぎていく、あの居心地の悪い空間。
僕は、あの空気が大嫌いです。
「自治会役員だけでも、無理に引き受けたのに、まして会長なんて・・・」という皆の心の声が聞こえてきます。
実際、周りを見回しても「やりましょう!」なんて積極的にやりそうな顔の人なんていません。
妻と3歳になる娘と一緒にその会合に参加していた僕は、妻と顔を見合わせ、「これ、やろっか。」とつぶやきました。
妻も頷きます。彼女もまた、この空気が大嫌いなのです。
<価格には反映されない価値>
と、すごくやる気のない感じで、「そんな消極的な理由でいいの?」と思われそうですが、そうでもありません。
私の住む団地は、今年で築38年、古くは公団でしたが、いまは各戸分譲となり、賃貸で済んでいる方も、新築で購入しずっと住んでいる方も、様々な約300世帯の住人がいます。
自治会は任意加入のため、現在加入しているのは、約6割弱。
大半は60代~80代の高齢世帯で、若い世代で自治会に加入しているのはわずか十数戸です。
ここは昔ながらの団地で、敷地内はゆとりある植栽がされ、平面駐車場も広く、子どもの遊べる公園もあります。
建物自体は古いですが、定期的な大規模改修がされており、給水管や外壁・屋上等のメンテナンスもしっかりと行っています。
ゴミも落書きもなく、日常の管理も行き届いており、騒音や揉め事もなく、住人同士のマナーも守られています。
そしてわずか3年ほど住んでいただけで、ずいぶんと知り合いも増えました。団地内で遊んでいるうちに知り合ったママ友や、いつも子どもと保育園にいく姿を見守っていたおばあちゃんたちです。
そんな環境の良さは住んでみないとなかなか分からないものですが、実はとても重要な地域の価値を決める資産だと思っています。
日本の住宅価格はそうしたソフト面を考慮に入れず、建物の新しさや設備の有無・部屋の広さといったハード面で決まります。
実際、周辺の新築マンションの1/3程度の金額で購入できましたが、物としての価格以上の価値、治安の良さがこの団地にはあります。
<子どもが生まれ、初めて知る福祉・地域>
子どもが生まれるまで、福祉や地域の存在を気にすることはほとんど無かったと思います。
ところが、子どもが生まれると、保育園に始まり、児童手当、地域の児童館・サポートセンター、様々な支援制度や場所が存在し、その恩恵にあずかることができます。
住民税をはじめ、僕らが払う殆どの税金は源泉徴収され、なんとなく払っている自覚もないままに、日々過ごしていますが、ひとたびその恩恵を受けると、それがとても大切なものだと気づきます。
次第に、この場所で育つこの子は、この場所に住む多くの人たちに助けられているのだなぁ、と思うようになりました。
そして、この「住環境の良さ」は、この自治会が長く培ってきた貴重な財産で、僕らはその恩恵に預かっているのだから、それなりに「地域の役割」を果たすことで恩返しをしたい。
「子ども」がいると、ずいぶんマジメになってしまいます。自治会なんていう面倒なものにかかわろうと思った原動力として、子どもの存在は大きいです。
<自治会の役割>
「地域の互助」はその存在が薄れつつありますが、一方でまだ必要とされている部分があるように思います。
特に、防犯・防災面ではとりわけ地域の人がお互いを知っていることが重要になります。
また、それ以外にも日常的に地域住民どうしがつながり、交流する機会を作ることもまた重要な自治会の役割になります。夏祭りなどのイベントを自分たちで作り仕掛けるのも、その目的に沿ったものになります。
私の住む団地では、管理組合と自治会は別組織として分かれています。
大まかに、建物の修繕・管理などのハード面は管理組合が、住人どうしの交流・互助などのソフト面は自治会が行う、と棲み分けています。
(※管理組合は強制加入、自治会は任意加入です。)
これ、両面でやってたらすごく大変だろうなぁと思いますが、分かれていることで比較的早い意思決定もできたり、責任の所在が明確でとても助かっています。
おかげで、仕事も少ないし・・・、と思っていましたが、
全然そんなことはなかったです。
ほんと、「主夫」でよかった!!と思うくらい、意外と仕事が多いことは今後書き記していきます。
(※あ、写真は全てイメージです。実際に団地で撮ったのは子どもが写ってる写真だけです。悪しからず)
京大卒の専業主夫
まえがき
今年の4月に30歳になりました。
そんな節目の年なのに、会社を辞めて無職になりました。
でも、肩書は二つあります。
このブログのタイトルは「京大卒の主夫」、そのまんまです。
試しにGoogleで検索すると意外とこうしたブログは見当たらず、需要があるかどうかわかりませんが、しばらく「主夫」であること、「自治会長」であることの思うところや経験談を記していきます。
(※SEO的に上がってくることを狙ってるのは言うまでもありません)
僕と同世代の方にとって、自治会長も主夫も、どちらも身近に例の少ないものかと思います。
僕も他にこんなことをしている人を知りません。いまその役割をこなしながら、いろいろなことに戸惑い、悩み、そして楽しんで、日々を過ごしています。
本記事では、自己紹介を兼ねて、まず主夫についてご説明します。
ご興味があれば、ぜひお付き合いください。
<30歳の京大卒のパパが主夫になるまで>
「なんで主夫になったの?」とよく聞かれます。
それは、うつ病で仕事を辞めたからです。 実に端的な理由です。
<卒業~休職>
昨年までは、そこそこに、バリバリと仕事をしていました。
大学を出て、2社のベンチャー企業にて総務・労務・経理などバックオフィス業務全般を約7年。普通の文系サラリーマンです。
子どもが生まれてからも、家事も仕事もおろそかにしないつもりでした。
フルタイムの共働き夫婦。同じ大学を出ている妻は、僕と年収もほとんど変わらず、稼ぎも同じなら、家事も同じくらいやるだろう、とやっていましたし、実際に分担しないと妻に過剰に負担がかかります。
もともと大学では社会学を専攻していました。
ジェンダー論に強い先生が集まっていたので、家事・育児に全く抵抗はなく、家事労働どんとこい、でした。
むしろ仕事が嫌で早く帰りたかったので、子どもが生まれてからも、なるべく早く帰宅。
子どものお風呂、洗濯、洗いもの、朝は保育園の送り、という生活を心がけ(できないことも多かったけど)実践していました。
だんだん回らなくなってきたのは、妻も復職し、こちらの仕事がどんどん増えはじめてから。
気が付けば、残業時間が長くなり、仕事で頻繁にミスを繰り返すようになりました。
家に帰ってからの家事や育児は好きだったし楽しいけど、もちろん負担にもなりました。
子どもにもっといろんな経験をさせたいし、優秀な妻のキャリアももっと伸ばしてあげたい。そんな思いだけが強く、自分の仕事は回らない。
いつのまにか、家でも会社でも張りつめた毎日を過ごしているうちに、心が蝕まれていたようです。
相当に疲労が溜まり、「疲れた・死にたい」状態になったところで、心療内科に通い、当然のように鬱の診断を受けました。
それから会社にも病気のことを伝え、休職しました。
休職中は、リハビリといいつつ、家事も育児も行っていたので、思えばここからが主夫生活のはじまりです。
<休職~退職>
薬の副作用も強く、どうしようもない眠気に襲われて、一日寝ていることもありましたが、家事や育児だけならそこまで負担には感じませんでした。
徐々に体も回復し、笑顔も取り戻したところで、さあ復職しようと考えました。しかし、元の職場に戻る勇気もなく、別の会社に転職することになりました。
本当なら、いまもその会社で働いている予定だったのですが、全然病気は治っていなかったようです。
這うように会社に行き、家に帰って倒れこむ毎日を2週間続け、結局行けなくなりました。
新しい環境というのは思った以上にストレスを感じるようで、体がうまく反応せずミスを繰り返してしまいました。
仕事自体はすごく楽だったのに、この病気意外と厄介だ、と学習しました。
この経験は個人的にかなりショックで、ふつうのキャリアは難しいな、とある意味吹っ切れました。
<そして主夫になった>
今も、心療内科に通い続けています。
ただ、以前に比べ気持ちははるかに楽になっています。「ふつうのキャリア」を諦めたからです。
そして、自分のことを「主夫」と呼ぶようにしました。
主夫になるのは簡単です。前提として、結婚して共働きである必要がありますが、仕事を辞めて、「主夫」 と名乗るだけです。
「高学歴なのに、主婦や主夫になるなんて!」という言葉をよく耳にします。
でも、主夫になって周りを見てみると高学歴の主夫が非常に多いです。おそらく、相手も同じように高学歴であるか、十分に稼ぐ能力があるからです。
もちろん、主夫には稼ぐ力はありません。
同世代で同じ大学を出た同輩の中には、既に年収1000万円を稼ぐ人もいます。家事も仕事も両立している友人も多くいます。
でも、それができないからといって、その人の能力や価値が低いことになるでしょうか。決してそんなことはないと思います。
僕は仕事ができる人を尊敬しています。
また、家事ができる・育児ができる人も尊敬しています。
でも、それらのことが全然できなくても、その人の良さを幾らでも見つけられるはずなのに、単純に分かりやすい年収や目に見える能力だけで判断することの間違いに気が付きました。
僕は僕自身を守るために「専業主夫」をしています。
「主夫」として暮らせるようになったことで、家庭を守ることができています。そして、僕が主夫をしていられるのは、今も頑張って働いている妻のおかげです。
もし、同じように悩んでいる男性がいたら、仕事のことは一度()の中に入れてしまえばいい。
僕は病気のために仕事を辞めた、ただの30歳無職の男性だけど、自信をもって「主夫」を名乗りたいと思っています。その役割があるだけで、自信になります。
不思議なことに職業は「主夫」です、と名乗り始めてから、面白い出会いが多く生まれています。
休職していた頃とやっていることは何も変わらないのに、なぜか心は晴れやかで落ち着いています。
こうして、僕は「京大卒の主夫」になりました。
主夫の皆さん、ぜひ↓のように開き直ってください。