京大卒の主夫

京大は出たけれど、家庭に入った主夫の話

Twitterは仕事ですか?

バナナはおやつですか?タイトルです。世の中、そう簡単に割り切れないものがたくさんあります。

 

最近の目下の悩みの種は、Twitterやブログで仕事関係のことをつぶやいたり、仕事関係のつながりができたりしていることです。

 

個人Twitterアカウントのビジネス利用

いや、いいんですけどね。

わたしのTwitterやブログは非常に意識低い感じでやっているつもりなので、比較的ビジネス層のなかでもゆるく楽しくやっている人がフォローしてくれている気がします。

 

そのため、Twitterやってても仕事してる感はまっったく無いのですが、今の仕事をしてから半年くらいでフォロワーが250人くらい増えていて、だいたいがいまの職場の業界関係の人だったりします。もともとのフォロワーの母数が少ないので、この増加量は大きく、かといって意識低いアカウント気取っているとあまり有益な情報を与えられていない申し訳なさもあります。

 

Twitterもnoteも最近は、企業発信よりも個人発信のほうが共感されやすく、仕事上の実利にもつながりやすい、というのが定石となっています。

ferretのカイマサユキ(通称:破滅)さんの発信が分かりやすいのですが、これなんかも個人twitterが情報発信源でUGC(ユーザー発信のコンテンツ)が生まれています。

goworkship.com

どんなUGCかはともかく。

 

つながりっぱなしの日常と仕事の区別

つながらない権利、というのは海外ではそろそろ一般的になってきたのかもしれません。

www.fnn.jp

そもそも、リモートワークや在宅ワークが進んでいない日本では、半周遅れな概念ではあるのですが、いつでもどこでも働ける状況が生まれた先にあるのが「つながらない権利」の確立です。

でも、夜中にカイさんが「破滅」とか呟いてたら突っ込みたくなるし、それは取引先とのコミュニケーションなのか(別に取引もしていないけど)どうなのか、非常にあいまいなところです。

 

Twitterを「仕事」と見做す場合、分かりやすい対価としては「SNS手当」です。労働時間としてのカウントが難しく、定量的に判断しづらいので、一律に手当を支給する、というもの。

あるいはインセンティブとしての「手数料」として手当を支給する方法もあります。Twitter経由での申し込みかどうか、それを経由して営業の成果につながったなど、何かしらの効果が得られた場合、インセンティブとして手当を支給する、というものもあります。

上記の対応が、仮にTwitterを業務と見做し、それに対して報酬を与える場合のオーソドックスなやり方かと思うのですが、少し問題があります。

 

仕事としてのTwitterはつまらない

ぶっちゃけ「仕事」としてTwitterやっててもなんも面白くないですよね。仕事としてやってる人にフォローされても、いいねされても、ああお仕事ご苦労さんです、って感じですし、「仕事」って言われた途端身構えてしまいます。

 

企業アカウント発信から個人発信への流れも、おそらくその「ビジネス感のなさ」「よりフランクな親しみやすさ」があるからこそのものだと思いますが、そこに「仕事」を感じると、急に胡散臭くなります(※あくまで個人の感想です)。

そうそう、HR界隈の説教臭い、上から目線な、知ったかぶりしたような、良いこと言ってる風なツイートも苦手です。

 

なによりそんなつまらないTwitterの世界をみんな望んでいるのか、といえばそうではない気がします。Twitterってもっとくだらないクソリプの飛び交う、ろくでもない、ダメな人のダメなツイートも許される世界ではなかっただろうか、とふと思い出します。

だるいとか、めんどいとか、今日も仕事いきたくない、とか、雨降ってるから休もうかな、とかそんなことも言える世の中じゃないとポイズンですよね。

 

ビジネスと生活の境界線上にあるもの

肌感覚で思うのは、うまく発信している人ほど、ビジネスと生活の境界線を曖昧にしているということです。その曖昧さの上に成り立つ「自由」がなければ、発信も息苦しいものにしかなりません。
もちろん好き勝手にやらせたら炎上するリスクもあるわけですが、その辺は基本的なリテラシーを身につけて、ネット上のタブーには触れないなど一定のレギュレーションさえあれば、めったに炎上なんてしないのかな、それで炎上したらまあ仕方ないんじゃない、とそろそろネット古参になりつつある私は思います。