先週は、note界隈で、「東大」がキーワードになる話題がホットだったなぁと思って。
どれもタイトルだけでお腹いっぱいだし、長いですが興味があれば。
みんなコンプレックス抱えてますね。東大の人も、そうじゃない人も。
もちろん、それは誰にでもあるものなので、決して良い悪いで測るものでもないと思います。言語化されたものだと「無意識の偏見」ですね。
と言いつつ、お前のブログの名前も何なんだ、と突っ込まれそうですが。
これはただのSEO対策です。主夫も京大卒も「アイコン」としては覚えられやすくて、便利だなぁというただそれだけの理由です。
学歴という記号
「学歴」って結構厄介な記号です。主夫の私だから堂々と言いますが、学歴が高いからといって、収入が多いとは限りません。幸せかどうかも人それぞれです。
それなのに、ときどき統計の指標としてそれが使われるので、誤ったストーリーを描かれがちになります。私は統計に「学歴」が出てきたらだいたい疑います。
京大卒でも東大卒でも、ほとんどの人は少し周りよりお勉強ができただけで、それ以外は何も変わりません。
それでも、「そうはいっても・・・」という気持ちを皆抱えているから、こういう記事がホットになるんだと思います。
高学歴の主婦・主夫問題については、子育て界隈でも時折話題になります。
(古い記事なので、少し加筆修正しています。。)
学歴への私費投資の是非
少しだけ論点を整理すると、今の日本は、それなりの学歴を得ようとするとそれなりに教育資金が要る社会です。lazyplanet.hateblo.jp
そして、多くの人はそれを追認する形で認めています。
最初の大学生の記事は、その努力・私費を費やしてきた時間を長々とした文章で訴えています(私も飛ばし読みですが)。
だから「東大に入るには、カネがかかる」というのは、正論です。一方で、そういう地平とは全くべつのところで、「東大」というステータスが軽く扱われていることが気に入らない、というのが彼の文章からは伝わってきます。
お金がかかるし、すごく勉強しないと入れない、というのは皆知ってるのに、どうして「東大」はよっしゃ東大目指すぞ!みたいなノリで軽く捉えられるのでしょうか。
富士山に例えてみる
たぶん、「富士山」が分かりやすいですね。
このご時世、素人が軽く「明日、天気良さそうだし富士山登ろうかな?」とかツイートしたら、山の専門家から「お前舐めてんのか、山を」とお叱りを受けると思います。
実際、こんなことがあったようなので、舐めていてはいけません。
でも、確かになんか遠目で見てると「登れそうだな、あれ」って気がします。そして多くの人は挑戦してみても、最後まで登る人は少ないですよね。もちろんそれぞれの楽しみ方があるので、最後まで登らなくても、楽しめればそれでいいのですが。(私もとても登れる気がしません)
「東大」というのは、ただの分かりやすい記号にすぎません。「富士山」と同じ日本一。ただそれだけです。
でも、富士山登頂記みたいなのは読まれても、富士山挫折日記は読まれないのかもしれません。私は挫折日記も読んでみたいです。
「東大卒」というレッテル
では、2つ目の記事について。
ここでは、「社会に出てからも舐められますよ、東大生は」と忠告しています。
彼女に私が言えるのは、それはただ「パワハラを受けているだけなので然るべき相談窓口へ」です。おそらく、その会社では東大じゃなくてもいろんなスキを突いて、「~のくせにそんなのもできねえのか」と言ってきます。
そうした「隙」は、スティグマあるいはレッテルとして説明できます。
その人の抱える有形無形の属性を突いて攻撃してくる人は、大学という環境から一歩踏み出せば至る所にいると思います。
「レッテル」「スティグマ」などさまざまな言い方がありますが、それらは、ネガティブな属性だけではなく、ポジティブな属性にも使われます。
分かりやすいのが、「美人」とか「イケメン」とかですね。
「美人のくせに、性格悪い」「イケメンのくせに、仕事できない」見た目と性格・能力に何の因果があるのか、と。
かといって、「私が仕事できないのと、イケメンなのが何か関係ありますか?」と開き直ることもできません。「仕事できないのは、自分が悪い」と思いがちだから。
でも、その人がうまく軌道に乗れるように導いていくことは本来は会社側の仕事です。モチベーション高いままスマートにオン・ボーディングできたら、そのほうが経営効率も定着率もよくなります。
学歴の高低にかかわらず、レッテル貼りでその人の価値を不当に貶めることは無意味です。とはいえ、皆そんな透明なメガネをかけてはいないので、甘んじて受け入れてる人の方が多いと思います。世知辛い世の中ですね。
学歴とジェンダー意識
最後にこれです。
東大で行われた、東大生の多く集まる場で、かなりの程度の低いやり取りが行われていたことに、最後の記事の著者は違和感を感じています。
でも、学歴が高いからといって、”まっとうな"ジェンダー意識((ジェンダーレスともジェンダーフリーとも違うし、現代的な意味でジェンダーの意識高い系ととらえてください、すなわち女性の権利や現状の生きづらさ等といったものに理解はあるんでしょうか?
ここ最近の、医学部の差別的対応を見ると、学歴(賢さ、社会的階層の高さも含め)関係無いんじゃない?と思います。
このあたりは、学歴と性別役割分業という文脈でいろいろと研究されてるはずですが、これまた学歴が統計に絡むと厄介です。
低い学歴であれば、低賃金労働から共働きせざるを得ない状況になり、逆に高い学歴だと一人の稼ぎで賄えてしまう、という逆作用が働きます(大雑把にいうと)。だからといって、単純に高学歴のほうがジェンダーへの理解がないとは言えません。正しく理解ある男性であり、合理的な理由があれば、性別にとらわれない役割を果たすでしょう。
一般に、家事・育児の性別役割分担という意味では、いくつかの仮説があります。
・学歴差や所得差が少なくなるほど家事分担が平等化するという相対的資源仮説
・時間的制約の少ない方が家事を行うという時間的制約仮説
・男性=稼ぎ手の意識が強いは男性の家事参加が低いというイデオロギー仮説
・家事・育児のニーズそれ自体が大きければ男性の参加が高まるというニーズ仮説
・世帯内外で夫婦以外に家事の担い手がいれば男女とも家事参加が減る代替資源仮説
・夫婦の情緒関係が強いほど家事育児を夫婦が一緒に行うことが増加し,夫の家事参加が高まるという情緒関係仮説
(※『共働き夫婦の家事・育児分担の実態』下記リンク参照 より抜粋)
日本労働研究雑誌 2017年12月号(No.689)|労働政策研究・研修機構(JILPT)
単純に学歴だけでどうこう結論づけることはできません。ただ、学歴が高かったとしても、ジェンダーについての知識が不足していれば、当然ジェンダー意識の高い学生は現れます。
話を東大で行われたイベントに戻すと、その場の雰囲気は実際には分かりかねますが、ジェンダー・フェミニズムの未履修者が多数いたのではないかと思われます。いくら他の勉強をしていたとしても、地頭のよさだけで、高度なジェンダー意識が身につくとは思えません。
東大においては以前もこんな炎上を起こしています。
覚えていますか?旅行会社が企画した「知的な東大女子が飛行機で乗客の隣に座って過ごす」というアレです。これは、その後東大内で実施されたアンケートで母数は少ないので、話半分くらいにしか信用できませんが、
この問題に対して、「東大のジェンダー的な問題は深刻だと思うか」の質問に男子は回答者の2割弱が、女子は4割が「はい」と回答している
とのことです。そもそも東大自体に女子は少ないし、母集団もその割合に近い数ですが、それでもこの差は深刻だし、そもそも女子ですら4割しか問題と思っていないところが、深刻です。他大学に比べたらマシ、くらいに思っているのかもしれません。
東大でも、(社会・教育・哲学等を除く)一般の学生であれば、特に日常的な場面においてジェンダーにおける「意識高い系」は少数派である、というところだと思います。
このnote記事自体も、東大に過剰な期待を寄せているところがあるような気がしてならないです。この人は「東大ブランドを傷つけられた」と反論者の多くを分析しているようですが、たぶん間違ってます。
自分の所属組織のことを悪く言われたら、誰だって俺はそうじゃない、とかこれは正確じゃない、と言いたくなります。東大関係者だってその例外ではない、というだけのことです。
なんか、学歴って面倒ですね。でもそれを無かったことにされると、本当に受験勉強頑張ってきたその努力は報われないことになりますし、でもそればっかりに縛られず、一定の効果を期待しつつも過剰に期待を寄せないという、扱いの難しさがあります。
学歴(偏差値)も収入も、具体的な数字で分かりやすいモノサシである、というだけで、それで測れないものはいっぱいあります。
私も収入で測られたら辛いものがありますが、それで測れないものが、何かあるはず・・!と前向きに生きようと思います。
追記
2015 - Information - マイクロソフトのダイバーシティ - Microsoft
マイクロソフトが、"Unconscious Bias"についての無料のe-Learning講座を公開していますね。英語ですが、日本語解説があるので、分かりやすいです。