京大卒の主夫

京大は出たけれど、家庭に入った主夫の話

家庭科で習う技術と道徳のはなし

母親の手作り神話

先日、こんな話題がありました。

趣旨としては、家庭科の先生が「ミシンではなく何でも手縫いを」という方針を掲げていて、その理由が「ミシンを使ったら母親の愛情がない」というものだった、というものです。そんな家庭科なら教えないでほしい、とのことです。

togetter.com

私にとっては、ミシンを使って手作りすることすら「母親の愛」思想を感じてしまいますが、ミシンがだめなら、洗濯は洗濯板でしょうか。

発言小町にも、よくありそうなネタですね。

幼稚園グッズ手作りしないと言ったら。 : 妊娠・出産・育児 : 発言小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 

この話題で気になったのは、「母親の手作り神話」「ミシンは必要なのか?」というところです。

母親の手作り神話は、いろんなところで批判されているところなので、とりあえず置いておきます。

 問題は「ミシン」と「家庭科」です。

 

私も家庭科を習ってきたので、手縫いもミシンもできますが、最近の家庭でミシンがあるというのはいまだに一般的なんでしょうか。そして、「家庭科」では何を教えるべきなのでしょうか。

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ミシンのある家庭の割合

幼稚園児をもつ母親の手芸・裁縫活動に対する意識と実態(2015年/日本家政学会誌)というのがありましたので、こちらをまず見てみます。

「幼稚園児の母」対象というやや偏ったサンプルです。8割が専業主婦、対象者数は247人、対象地域は広島です。

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ミシンを持っている、と回答した方は76%。かなり多いですね。続く回答でも基礎的なミシン縫いは9割以上ができると答えていて、主に家庭科でその技術を習得した、と回答しています。

 

一般社団法人 日本縫製機械工業会(統計資料)によれば、家庭用ミシンの生産台数減少傾向にあります。

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 一応、元データも貼っておきます。(生産+輸入-輸出で国内需要を出しています)

  国内生産 輸出 輸入 国内需要
2005年 234,947 250,590 955,821 940,178
2006年 156,631 236,059 846,165 766,737
2007年 141,190 240,400 776,368 677,158
2008年 122,120 259,891 811,148 673,377
2009年 60,067 248,110 829,936 641,893
2010年 63,393 293,302 836,858 606,949
2011年 55,813 291,511 823,548 587,850
2012年 55,387 229,816 869,862 695,433
2013年 56,411 262,651 954,308 748,068
2014年 60,422 270,322 934,474 724,574
2015年 57,421 260,127 749,124 546,418
2016年 61,680 278,626 852,334 635,388

低調ながらも頑張っているのは、やはり入園グッズ需要があるからでしょうか。

ハンドメイド市場がminnneやCreemaなどのフリマアプリの影響で伸びていることも要因の一つかもしれません。

ミシンのある家庭は一定以上あると考えられます。

ただミシンのあるなしにかかわらず、家でも活用したいから学校で教えてほしいという需要や、家庭に無いから学校で教えてほしい、そういったニーズはありそうです。

 

少し、話は脱線しますが、ミシンは入園・入学時に最も使われることが多いと思いますが、当然「使わない」という選択もできるわけです。

 

ミシンを迂回する方法

ミシンを使う機会は生活実感ベースでも少なくなっています。既製服の低価格化で、ほつれや破れは繕わずとも、新しく買い直すことができるし、裾上げもお店でしてくれます。

雑巾は、古いタオルをミシン掛けしなくても、100円ショップで買うことができます。

既製品の入園グッズは普通にショッピングモールで売られていますし、手芸屋さんでは布だけでなく、完成品が売られていることもあります。

いかにも既製品っぽいものは嫌という人は、minnneやCreema、Base、STORESjp、メルカリなどを探せば、ハンドメイドのものが簡単に見つかります。

 

ミシンを持たない、という選択はそれほど頭を悩ませなくても、十分に可能です。

もちろん、あれば創作の幅が広がり、作品の自由度も高まるので、あるに越したことは無いのですが。

家に「はんだごて」やノコギリや電動ドライバーがあると、自分で修理修繕できる、みたいな話と一緒ですね。

 

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「家庭科教えないでほしい」の話

小学校の学習指導要領を見ると、家庭科学習の目的は次の通りです。

衣食住などに関する実践的・体験的な活動を通して,日常生活に必要な基礎的・基本的な知識及び技能を身に付けるとともに,

家庭生活を大切にする心情をはぐくみ,家族の一員として生活をよりよくしようとする実践的な態度を育てる。

技術だけでなく、心情や態度をはぐくむ、というのが家庭科学習のポイントになるのかと思いますが、言うまでもなく教えるのが難しいのは後者のほうです。教える側の価値観やステレオタイプが強く出てしまえば、冒頭の話題のようになってしまいます。

 

教える側の力量がかなり問われてしまうというのは、学校における道徳教育の悩みどころだと思います。

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こちらの話題もまた辛い話なのですが、かといって一人の若い先生だけに批判があつまるのも違うように思います。

 

上に紹介した論文と同じ著者ですが、『母親の子育て観と家庭科学習内容に対する意識との関係』(2016)というのもあります。正直かなり雑な分析をしたものなのですが、これによると、やはり裁縫やミシン、調理などの項目が、家庭科で学校が教えるべき、との回答が多いようです。

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注目すべきなのは、上位を占めるのは、生活に欠かせない「技術の習得」であり、家庭・家族の価値観を教わることを親は望んでいない、ということです。

 

道徳的な意味づけを裁縫や料理、洗濯といった生活技術に結びつけてしまうと、安易な「家族の絆」「母親の愛」信仰に陥りがちになってしまいます。

むしろ、家庭や家族について考える時間は、それらの技術の時間と切り離して、家族観の変遷や国際比較、ジェンダーフェミニズムに対する正しい認識を教えてほしいところなのですが、小学校の先生に、そこまでは期待できるはずもありません。

やっぱりそうすると、下手なことを教えるくらないら、家庭科(道徳)教えないでほしい、という帰結になるのではないでしょうか。