京大卒の主夫

京大は出たけれど、家庭に入った主夫の話

父子手帳の意義と必要性

twitterで父子手帳のことが少し話題になっています。

このツイートにぶら下がるリプライを見ているとなかなか興味深いです。

ikumen-project.mhlw.go.jp

こちらのサイトを見ると、全国各地に『父子手帳』なるものは一応あるようです。

また、リプライをみていると母子手帳ではなく『親子手帳』として配布している地域もあったり、母子手帳に父親がコメントを記入する欄がある、という自治体もあるようです。

 

母子手帳とは

そもそも母子手帳は、母子健康手帳という正式名称で、母子保健法で定められています。

第一六条 市町村は、妊娠の届出をした者に対して、母子健康手帳を交付しなければならない。

・母子保健法(◆昭和40年08月18日法律第141号)

また、その様式は厚労省の定めるところに拠るとして、ある程度定まっています。

www.mhlw.go.jp

活用の手引きには、母子健康手帳の最も重要な意義として、

『妊娠期から乳幼児期までの健康に関する重要な情報が、一つの手帳で管理されるということ』としています。

母子手帳においては、子どもの予防接種や体調の変化を管理するだけでなく、妊娠期の母体の健康管理というのも大きな目的の一つです。時代の変化や予防医学の進展によって内容は変わりつつも、その意義と目的の部分は、一貫して変わっていないと思われます。

 

父子手帳の意義は

一方で、『母子手帳』という名称自体が父親の育児参加を遠ざける要因になるのでは?という指摘が冒頭のツイートです。これについては、既に2011年に議論がなされていて、その結果『母子健康手帳』という名称はそのまま据え置きになりました。

父親の育児参加を促すために親子健康手帳等への名称変更が有効との意見があったが、妊産婦及び乳幼児の健康の保持及び増進の重要性という観点から、母子健康手帳の名称は変更しないことが適当と考える。

なお、父親の育児参加を促進するためには、父親にも記入しやすい欄を設ける等の工夫を行うことが望ましい。

母子健康手帳に関する検討会報告書(PDF)

そのため、全国の一部自治体で配布されている『父子手帳』なるものは母子手帳の副産物、副次的役割を果たすものに留まっています。

 

サイト上で閲覧できるものを見てみると、妊娠中の妻への配慮の方法や、父親の育児参加を促すためのQ&Aといった『読み物』としての要素が強い印象です。

そうした『読み物』的な手帳を、妊娠~出産~育児の過程のなかで、どれだけ読み返すかと言われれば、かなり疑問です。とても丁寧に作られているものであっても、一度読んで終わり、になってしまうのではないでしょうか。

 

さらに言えば、『育児をしない父親』を批判し、ああしなさい、こうしなさい、という内容のものであれば、より読む気がなくなるのではないかと思います。

このあたりの父子手帳への批判については、下記のミネルヴァ書房から出ている書籍に詳しいです。

家族・働き方・社会を変える父親への子育て支援:少子化対策の切り札 (別冊発達)

家族・働き方・社会を変える父親への子育て支援:少子化対策の切り札 (別冊発達)

 

(この本、とても面白いですが、書いているメンバーがほぼファザーリングジャパンの会員だったりするので、若干偏りがある気がします。)

父子手帳の項目も、最近知り合ったメンバーが書いていて、その人がある自治体で作った父子手帳も見せてもらいましたが、やはり『読み物』要素が強い印象でした。

 

では、本当に毎日記録をつけて、保険証とセットで肌身離さず携帯するような『手帳』としての機能を備えた父子手帳は可能なのでしょうか?それは必要なものなのでしょうか?

夫婦間での共有

個人的には、夫婦で妊娠・出産・育児というプロジェクトに関わるにあたって情報の共有は不可欠だと思いますが、なにも紙でやることはないんじゃないか、と思っています。

紙の手帳はたしかにそれはそれで便利なのですが、最近は夫婦間で共有できる母子手帳アプリなどもあるし、その他の情報共有アプリもその共有方法もググればたくさんあります。

www.boshi-techo.com

 

もし、『父子手帳』を作るのであれば、必要な情報や、日々の記録することができる機能を備え、常に携帯することを前提としたものを作ってほしい、と思います。内容的には、母子手帳と全く同じもので表紙が違うだけ、でいいです。

母子手帳とほぼ同内容の記録をつける、というのも手間ですが、上から目線の読み物よりもずっと父親の育児参加を促す効果があるように思います。万一、離婚したときに手帳の所在をめぐって言い争うこともなくなるかもしれません。

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「売れるもの」しかもう買わない、というメルカリの話

 「売れるもの」しかもう買わない

AERAの特集で、そんなタイトルでメルカリ経済圏の及ぼす効果について言及されています。

dot.asahi.com

 山本准教授らの調査では、ミレニアル世代のフリマアプリ利用者では61%もの人が「新品を購入する前に、フリマアプリで売値を調べた」と回答した。

メルカリユーザーの30代男性も「買い物のときはリセールバリューを意識している」という。

価格.comで最安を調べる文化によく似ていますが、店頭の品物は今やフリマ市場と比較されているわけです。ただ、それで新品を買わないという行動になるのではなく、中古でも価値があるからこそ買う、という行動になっているのが面白いなぁと思います。

 

『メルカリ』で使用後に売ることを考えたうえでモノを購入する、という購買行動ですね。売れる見込みのあるより良い製品を消費者が購入するので、長く使い込める耐久性があり、価値の下がりにくいブランド力のあるよりよい品物だけが作られるのではないか、と記事では期待感を持って語られています。

また、売る前提で買うので、多少高くても中古売価を考えれば安いという心理が働き、価格面でのハードルが低くなる、というのもメルカリを前提とした購買行動の特徴かと思います。

AERA (アエラ) 2018年 9/10 号【表紙:中村倫也】 [雑誌]
 

私の場合

本に関しては自分の良いと思うものを新刊で買うようになりました。多少高くても、すぐに売れることが多く、心理的ハードルが下がったからです。

あまり売りたくない商品は定価の9割にしているのですが、それでも売れることがあります。ポイントや中途半端な売上を使いたい、という人もメルカリには多いからだと思います。

子どもの絵本も、ほとんど売らないのですが、絵本も中古価格が下がりにくいものの一つです。『ぐりとぐら』なんかがそうであるように、古い名作がずっと読み継がれているものだからです。

 

また買う側としては、ちょっと高価な衣服類は、メルカリで買うようになりました。

あまりセールにされることが少なく、30代が着るのにちょうど良さげなものの類を買っています。

具体的には、

・ノースフェイス、パタゴニアモンベル、グラミチなどのアウトドアブランド

・30代の定番ブランド、ダントン、オーチバル、ジムフレックスなど

 

です。

いっぱい出回っているので、値下げ交渉もしやすいです。

セールになりにくい商品だからこそ、フリマ市場での価格もそれなりですが、長い目でみてぽっと出のものをハントしています。

 

 

モノの価格は上がるのか?

「二次流通が盛んになることで一次流通のモノの価格が再定義できるのでは。モノの値段が全体的に上がり、無駄なものは生産されずに、サステナブルな社会になる」

とウェブ記事にもあるように、使った後も「売れる」良いものだけが売れるようになれば、モノの価格が上がるのかもしれません。

 

とはいえ、紙面上の特集を見ると、一番売れているブランドはユニクロだそうです。次いで、ナイキ、アディダスなどが続くとのこと。誰もが知っていて、サイズもデザインもシンプルで想像がつくとのことから、人気があるようです。

大量生産・大量消費なユニクロが一番売れる世界が、サスティナブルとはとても思えないのですが、ユニクロの服は一体どこから来て、どこに行っているのでしょうか。

 

個人的には、使った後に売る前提で買う、あるいは売らない前提で使い倒す、というだけなら、モノを無駄に捨てることがないので良いかなと思いますが、マージンを取ろうとか、売るためだけに買うといった購買行動(を取る人)がサスティナブルな効果を打ち消しているような気がします。

記事はずいぶん安易にメルカリを讃えていますが、「安く買って、高く売る」という経済の世界のどこかでは必ず搾取されている人がいる、という視点は持っておきたいところです。

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障害者雇用の水増しと雇用における個人情報の取扱い

障害者雇用の水増し問題、日を追うごとに水の量が増えていますね。

法定雇用率については以前の記事にて触れました。

lazyplanet.hateblo.jp

この件に関しては、今後は障害者手帳の有無の確認、台帳による実数管理、報告時の添付書類の義務化などが必須でしょう。

属人的な責任どうこうよりも長年に亘ってこうした実態が見過ごされてきたという制度的な欠陥かと思います。

 

下記、法律の話です。私も苦手なので、苦手な人はまとめだけ読んでください。

 

雇用における個人情報の扱い

この問題で、もう一つ気になっているのは、障害者手帳をはじめ職員の健康状態に関する個人情報の取扱いについてです。

digital.asahi.com

こちらの記事では、本人に確認せず診断書などの情報をもとに(そもそもそれが間違ってますが)障害者の数にカウントしていたと書かれていますが、仮に本当だとすれば、本人に利用目的を通知しないままの個人情報の目的外利用であって、明確な個人情報保護法違反です。

厚生労働分野における個人情報の適切な取扱いのためのガイドライン等

個人情報保護法について

事業者の場合

たいていの企業は全て個人情報を取り扱っている個人情報取扱事業者です。個人情報の漏洩を含め、本人の同意なしの目的外利用や第三者提供などの違反があった場合、主務大臣より、当該違反行為の中止その他違反を是正するために必要な措置をとるべき旨を勧告されます(第34条)。さらに、その勧告に従わない場合は、罰則がつきます。

 

個人情報保護法では、取得した個人情報の安全管理を義務付けています。

小さな事業所はとりあえず置いといて、Pマーク取得企業や、それに準ずるような内部統制をしっかり構築している企業であれば、『個人情報台帳』を各部署・各業務ごとに作成して、その内容や目的、実数、保管場所・保管方法、想定されるリスクとその対策、保管期限・廃棄方法などを記しています。

障害に関する情報は、『要配慮個人情報』と呼ばれるものです。

障害については、『本人に対する不当な差別、偏見その他の不利益が生じないようにその取扱いに特に配慮を要するものとして政令で定める記述等が含まれる個人情報』であり、通常の個人情報よりさらに厳しい管理を求めています。

また、医師の診断書をはじめ、病歴なども要配慮個人情報に含まれます。

具体的には、①原則、本人の同意が無い場合は取得禁止、②本人同意を得ない第三者提供(オプトアウト)の禁止などがあります。

 個人情報取扱事業者は、次に掲げる場合を除くほか、あらかじめ本人の同意を得ないで、要配慮個人情報を取得してはならない
一 法令に基づく場合
二 人の生命、身体又は財産の保護のために必要がある場合であって、本人の同意を得ることが困難であるとき。
三 公衆衛生の向上又は児童の健全な育成の推進のために特に必要がある場合であって、本人の同意を得ることが困難であるとき。
四 国の機関若しくは地方公共団体又はその委託を受けた者が法令の定める事務を遂行することに対して協力する必要がある場合であって、本人の同意を得ることにより当該事務の遂行に支障を及ぼすおそれがあるとき。
五 当該要配慮個人情報が、本人、国の機関、地方公共団体、第七十六条第一項各号に掲げる者その他個人情報保護委員会規則で定める者により公開されている場合
六 その他前各号に掲げる場合に準ずるものとして政令で定める場合
(取得に際しての利用目的の通知等)

個人情報の保護に関する法律 第17条2

https://www.ppc.go.jp/files/pdf/290530_personal_law.pdf

1の法令に基づく場合、ですが安衛法に基づく健診結果はこれに含まれます。が、それ以外の健診結果や診断書はこれに該当しないため、要配慮個人情報と見なされます

尤も、安衛法に基づく健診結果についても、厚労省の定める『雇用管理に関する個人情報のガイドライン』にて、下記の事項を関係者に周知し、取扱者に徹底することが望ましいとしています。

a) 健康情報の利用目的に関すること
(b) 健康情報に係る安全管理体制に関すること
(c) 健康情報を取り扱う者及びその権限並びに取り扱う健康情報の範囲に関すること
(d) 健康情報の開示、訂正、追加又は削除の方法(廃棄に関するものを含む)に関すること
(e) 健康情報の取扱いに関する苦情の処理に関すること

※雇用管理分野における個人情報のうち健康情報を取り扱うに当たっての留意事項

https://www.ppc.go.jp/files/pdf/koyoukanri_ryuuijikou.pdf

 行政機関の場合

行政の実務を私は知りません。が、基本的なところは企業と一緒です。法律の体系としては下図のようになっています。

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(https://www.ppc.go.jp/files/pdf/personal_framework.pdf)

行政の取り扱う個人情報でも、同じように利用目的を特定したうえで、その範囲を超える利用は禁止されています。また取得に際しては、本人の同意が必要というのも同様です。

個人情報の管理にあたっては、個人情報ファイルを作成し、総務大臣に通知する必要があります。要配慮個人情報(人種、信条、病歴等)が含まれる場合はその旨の記載をすることが義務付けられています。

(※行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律

また地方公共団体の個人情報の取扱いについては、条例にて定められています。自治体ごとに異なる条例を細かく見てはいられませんが、おおむねどの自治体もガイドラインに則って作られ、個人情報保護法に沿った内容で変わりないかと思います。

 

ところで、今回の水増しで、「センシティブな情報なので取得できないと思った」などと説明している自治体もあるようです。

それは、多くの条例で、要配慮個人情報の取得の制限を行っているからです。

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 (総務省:要配慮個人情報の取扱いより)

http://www.soumu.go.jp/main_content/000450974.pdf

ただ、要配慮個人情報の定義は、行政法も条例も、企業に適用されるものと同じであるとされていて、取得は原則禁止であるものの、法令に基づく場合の除外規定は適用されるものと解釈されます。

このあたりを誤解していた、という担当者ももしかしたらいるのかもしれません。

だとしても、障害者雇用はずっと以前から義務化されていて、既に取扱いのあるはずのものなので、それについて何らの規定も管理もされず、その実数を確かめないまま法定雇用率を算定する、ということはあり得ないのですが。

 

まとめ

ややこしくて、うまく説明できず申し訳ないのですが、

整理すると、

・行政でも障害者手帳の情報は、本人の同意があれば取得できる

・その管理・運用は厳重にされなければならない

・厳重に管理(正確な手帳の実数を把握)していれば、内部監査で不正に気付くはず

・本人に無断で算定に病歴を利用するのは、それ以前に明らかな違法行為

・個人情報の管理上の不備があったと言わざるを得ない

 

というところです。間違いあれば、随時訂正します。

参考

個人情報の保護に関する法律施行規則

https://www.ppc.go.jp/files/pdf/290530_personal_commissionrules.pdf

 

障害者雇用についての厚労省案内

www.mhlw.go.jp

 

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小学1年生の夏休みを振り返る

今週のお題「#平成最後の夏」

夏休みももう終わりですね。

小学1年生の娘は今年初めての夏休みでした。といっても、お盆や土日以外はほとんど学童に行っていたので、夏休みといって特別普段と変わったことがあったわけではないですが、学校の教室に行かない、というだけでもずいぶん違うようです。

 

夏休みの長い時間をいかに過ごすか、というのは半分くらい親の課題です。

お弁当は作らなきゃいけないし、宿題もたくさんあるし、宿題だけだと飽きるし、夏の思い出的なこともあったほうがいいかななんて思うし、暑くてパフォーマンスが低下する時期なのに普段よりもハードワークが強いられます。

 

そんな夏休みですが、ウチはこうして乗り切りました、という事例紹介です。

タブレット学習

ウチでは進研ゼミやスマイルゼミなどの月額制のものは何もやっていません。ですが、このご時世、タブレットで学習したほうが効率がよく、子どもも食いつきがいいことから、無料あるいは低額でできるものを夏休み期間に導入しました。

 

一つは『Think!Think!』というよく知られたアプリです。ゲーム感覚でいろんな思考パズルを解いていく、というゲームです。現在は無料で1日10分利用することができます。今後、月額300円の有料コースを設け、無料でできる分は制限するとのことです。

think2app.hanamarulab.com

もう一つ導入したのが学研の『おうちゼミ』です。

こちらは、テキストの内容とアプリが連動する形になっています。本は3,000円ほどで購入できます。(運が良ければメルカリで相場2,000円ほどで買えます。)

基本はテキスト学習ですが、アプリもあることで子どものモチベーション管理ができる、というところです。これも1日10分が目安です。

1年生の学習 こくご・さんすう・りか・しゃかい (学研おうちゼミ)

1年生の学習 こくご・さんすう・りか・しゃかい (学研おうちゼミ)

 

『Think!Think!』が思考力や想像力を養うのに対し、『おうちゼミ』は学校のカリキュラムに沿った予習・復習型の勉強をするものになります。どちらも伸ばしておくことで、地頭と実践力が身につくといいな、とやらせてみました。

・学童

夏休み中も学童は空いています。午前中に学校のプールに入り、それから学童に行くというパターンが多かったです。学童でも勉強の時間を設けてくれていて、大半の宿題はそこで済ませました。学校の宿題はすぐ終わるので、何冊か学習ドリルを購入しています。繰り上がり繰り下がりの足し算・引き算、漢字ドリルなど、ずいぶん先の学習まで済ませています。

すみっコぐらし学習ドリル 小学1年のたしざん ひきざん

すみっコぐらし学習ドリル 小学1年のたしざん ひきざん

 

 

・トンネルアート

たまにブログでちょくちょくと写真を載せています。

学校からいろんなプリントをもらってくるのですが、その中の一つで学校近くの高架下トンネルの壁に絵を描こう、というNPO団体と市の共同企画がありまして、応募しました。

こうした大きな絵を描く機会もなかなか無いかと思います。夏の思い出作りと、ちょっとしたアートを学ぶ目的で。作業自体は1~2時間を6日ほどでしたが、7月の土日はほぼこれで埋まりました。

そのほか、伊丹市美術館という素晴らしい美術館が近くにあり、ミッフィーで有名なディック・ブルーナ展、スイミーで有名なレオ・レオニ展が夏休み期間に続けて開催されていたので、どちらも鑑賞しました。半ば親の趣味の領域ですが、親の趣味がそのまま子どもの文化資本になると思っています。

 ・自由研究

一番頭を悩ませたのが、これでした。

1年生だから作品作りにしておけばよかったかも、と思いつつ、妻の意向も強く「地震に備えた防災対策」がテーマの自由研究を仕上げました。大阪で起きた地震を踏まえての内容です。

どんなものを備えればいいか、子どもにも知ってもらいつつ、家族で内容を共有でき、家の防災対策の見直しにもなって、成果物が自由研究として出せる、というかなり親の都合が入りすぎた内容のもので、子どものモチベーションを保つのがとにかく大変でした。最終日に涙目になりながらも、なんとか終わらせました。

子どもをその気にさせるために、外部のイベントにも参加しました。

www.intex-osaka.com

いろんな企業や自治体関係者が、自社の宣伝も兼ねて自由研究のヒントを与えてくれるという素晴らしい企画です。ここで、消防署による地震体験イベントに参加しました。こちら、思いっきり平日開催なので、親二人とも休みを取って参加しています。

 

・実家への帰省

遠方にいる祖父母の力を借りることができるのは、夏休みならではかもしれませんが、帰省することがかえってストレスになる場合もあります。

私の場合は、妻の実家に帰るのはいつも少し躊躇してしまいます。自分の実家は、それほどストレスはないのですが、帰るたびに自分の加齢を感じさせられるような発言を受けるのはややストレスです。まあ受け入れるしかないんですが。

2泊3日程度ですが、帰省中はなにかとお出かけするので、子どもは楽しいようです。

今年は、妻がゴールデンカムイの聖地巡りをしたい、と言うので、愛知にある『明治村』に行ってきました。写真は網走刑務所の建物です。奥行があるように見える通路、実は壁に絵が描いてあるだけです。

・やりたかったこと:プール

やりたかったけど、ほとんどできなかったのはプールに行くことです。地震の影響で安価で行ける市民プールが営業休止になり、猛暑の影響で隣市の学校プールが中止になる、などで、府営プールに連日長蛇の列ができる状況になり、とても行く気になりませんでした。

特にプールの習い事はさせてないので、水に親しむことをもっとさせてあげたかったのと、私自身のダイエットを密かに企んでいたのですが、今年は断念しました。

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まあでも、気づけばあっという間に終わりました。夏休み。

皆様本当にお疲れ様でした。

なんとなくエア打ち上げでもしたいですね!

こっそりダイエットしたい件

お題「トレ友会(トレーニング友の会)」

購読しているブログで、こんなお題を見つけました。

共通しているのは、皆子育てをしつつも、時間を見つけつつトレーニングに勤しんでいるところですね。すごいなぁ。

私も問題意識はあって、少しずつやっているのですが、続く自信がありません。

私はブロガー的には社交的でないので、あまり皆さんとつながりは少ないのですが、私もできることをしたい、と思っている次第です。どうぞよろしくお願いします。

 

www.tsumako.com

www.tonarinotororodesu.tokyo

www.iqo720.tokyo

 

なぜやるのか?

1年半前にパートで働き始めてから、7キロ太りました。なぜかと言えば、お昼に同僚女性からお菓子をいっぱいもらったり、商品のサンプルをいっぱい持ち帰ったりしているから、かと。

まぁ仕事して単純に疲れやすくなったので、食べるようになったというのもありますし、心療内科でもらう薬は食欲増進効果もある、というのもあります。

お腹も出てきて、Tシャツ着るのにすごく気になっています。そもそも姿勢が悪いのも問題です。日常生活でこうした小さなストレスがある、というのはあまりいい状況ではありません。

やっていること

踏み台昇降

子ども用に買った踏み台があるので、それで踏み台昇降をしています。主に、スプラトゥーン2の対戦待ちの時間を使って…。対戦中は休憩?できるので、わりと長時間続けられます。家でテレビを見ながらもちょっとした有酸素運動になるし、安価で導入できるのでオススメです。

・背筋鍛えるやつ

100均で、こんなんを買いました。両手で持って背中の方でびよーんとするやつです。主に、背筋を鍛えて姿勢の改善を目指しています。これも、びよんびよんするだけなので、家で簡単にできます。ストレッチも兼ねて、PC作業に疲れたらやっています。

・加圧シャツ

効果があるかはわかりません。これ着て上記の筋トレしたら、多少効果も上がるかな、と期待して買いました。東急ハンズのセールで、お値段1,500円ほどでした。

 

やりたいこと

・アプリ「カロリDiet」

上の紹介記事で、iqo720さんが実践されていたアプリです。これ系の、あまり続いたことないので続かないかもしれませんが。

www.konami.com

・ノルディックウォーキング

昔はよく外を走っていたんですが、走るのがしんどい年ごろになってきました。

そこで、ノルディックウォーキングです。下のような杖を持って歩くやつです。 

ストックを使うことで、上半身も使うことができ、普通に歩くよりエネルギー消費が多いそうです。ストックも安いのであればそれほど高くありません。折りたためるやつなら、鞄に忍ばせられます。大事なのは、人目を気にしないことです。

以前少しやっていて、暑くてとても外歩く気しなかったのですが、涼しくなってきたらやりたいと思います。

まとめ

いっぺんにいろいろやってもムリだなと思うので、軽いところからやろうと思います。ダイエットはしたことないですが、経験上こういうのは続ける方が大事というのはわかります。

正直、自分の体のことはどうでもいいとか、もう死にたいとかずっと思っていたので、ずっとほったらかしにしていたところからのスタートです。もともと体重は50キロくらいでやせ型な人間なのですが、やはり加齢には勝てないようです。

心療内科の先生にこのあたりのことを不定愁訴したら、無理に抗うよりも受け入れながらやるといい、アンチエイジングではなくナイスエイジングを、とアドバイス受けました。うまく年齢を重ねていくために、体のことも整えたいなぁと思います。

 

lazyplanet.hateblo.jp

 

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障害者の法定雇用率水増しの件

障害者雇用の虚偽報告

落としどころのない話で、事実の羅列しかできないのですが一応言及します。

www.itmedia.co.jp

水増しとニュースでは言っていますが、正確には虚偽報告です。実態と異なる人数を報告していて、長年にわたってそれを隠しているのですから、かなり悪質です。

私も、総務人事部で働いていたときに、法定雇用率の算定と納付金の支払い手続きを行ったことがあります。実務上、ガイドラインを読み間違えるとか、拡大解釈するという余地は正直考えられません。仮に私が間違えていても、会社の承認上の過程で誰かが気づきます。

組織ぐるみで隠ぺいすれば、あるいは担当者がみんな無能なら気づかれませんが。多くの自治体が、嘘つきか無能かどちらか選べと言われたら、無能を選んでいるようです。

 

障害者雇用納付金制度とは?

障害者の雇用に関して、国は「障害者の雇用の促進等に関する法律」に基づいて、昭和51年以降、原則すべての事業主に法定雇用率を定めています。法定雇用率は年々上がっていて、平成30年からは民間企業で2.2%、国や地方公共団体で2.5%です。

www.jeed.or.jp

民間企業では、法定雇用率を超えて障害者を雇用している場合は、一人あたり月額27,000円の給付が得られる一方、雇用率に満たない場合は納付金を月額50,000円支払う必要があります

これは、障害者の雇用には、一般の雇用よりも経済的な負担がかかることを踏まえ、法定雇用率に満たない企業は、その負担を免れているという利益を受けているという受益者負担の考えで行われています。

細かい算定人数や除外職種などの話もあるのですが、おおまかに言えば上記のような制度です。

国や地方公共団体の責任

国や地方公共団体には、雇用納付金、つまり法定雇用率に満たないことによる罰則金はありません。税金で予算を組み立てている国や地方に罰則金を設けても、税金が循環するだけで意味が無いからです。

ただ、民間企業に罰則金を課す以上、国や地方公共団体はその手本となるべく障害者を雇用する義務があります。そのために、法定雇用率も民間企業より高めに設定されています。

一方で、納付金などの措置がない以上、それは努力義務でしかないことになります。その結果起こったのが、今回の水増しかと思います。

 

 

この制度、本当によくできています。

障害者雇用』という、企業が敬遠しがちな分野で、確実にそのための予算を獲得し、全ての企業に雇用あるいは納付金という形で負担を負わせています。

教育や保育の予算確保のために「教育国債」や「こども保険」などが提案されていますが、この制度を応用した『法定育休率制度』でも作ったほうがいいんじゃないかと思います。育休環境が整っていない企業は、その社会的責任を負っていない分利益を得ているという考えです。実際、ずる賢さで有名な(褒めてます)フローレンスの駒崎さんあたりが同じことを提言をしています。

www.komazaki.net


手帳はセンシティブ情報

障害者手帳の確認・添付などが国や地方公共団体に求められていないはずがありません。民間企業と同じルールのもとで行わなければ、制度の意味がないからです。

一方で、障害者手帳の提出を障害者に強いることはできません。障害者手帳は、個人情報のなかでも病気・障害などより配慮が必要な『機微情報』となるからです。人事の持つ情報のなかでも厳重な管理が求められる機密扱いとされます。必ず、本人の同意のもとで提出・利用されなければなりません。

business.bengo4.com

障害者手帳を持っていたとしても、本人が望まなければ算定はできない、ということです。

また、障害の程度が回復したり、(精神障害者の場合などは特に)更新時に手帳が付与されないケースもまた、その事実を本人に確認する必要があります。区分上、障害者じゃなくなったからといって解雇されれば、障害者差別防止法違反です。この法律が対象とする障害者は手帳所持者に限っていないからです。

障害者手帳は、確かにセンシティブな情報ではありますが、だからといって確認を怠っていいわけではありません。

大事なものだからこそ、その取扱いは十分に気を付けなければならず、十分に気を付けていれば、算定の際にも数を把握していて当然のものです。

 

民間企業であれば、定期・不定期問わず、労基署の監査のときに必ずといっていいほどその勤務実態や保管場所・管理方法について問われるはずです(違反しやすい部分だから)。

給付金を受ける場合には、タイムカード・源泉徴収票など雇用実態が分かる書類と手帳など障害の程度が分かる書類の添付が必須になります。

(※写真と本文は関係ありません。こないだ明治村行ってきました。)

実際にどんな作業ができるか?

私が以前いた企業では、在宅でできるカスタマーサポートやウェブ広告(リスティングワードの選定など)の仕事等がありました。

リモートワークの環境が整っている企業なら、身体に不自由があっても、毎日会社に行かなくても家で仕事できます。

またコールセンターや名刺発注などの総務業務、給与計算など、切り分けしやすい業務などが比較的多いのではないかと思います。大企業であれば特例子会社という障害者雇用のための子会社を設立して、そうした親会社の仕事を請け負っています*1

リモートワークのハードルが下がるにつれて、障害者雇用に関していえばかなりやりやすくなっている状況ですが、より重度な障害を持つ人ほど、雇用されづらいという障害者間格差が課題とも言えます。

行政においては、業務分掌が細かく一部業務のアウトソースがしづらい、リモート環境が整っていないなど、様々な点で遅れていることもあるでしょう。だからといって虚偽報告していいはずもありませんが。

 

障害をはじめ「生きづらさ」を抱える人が、どのように働き、報酬を得ることができるのか、ということでいえば、企業や国・地方公共団体に属して給料を得る、という手段だけに限らないものの、選択肢は多くあるべきです。

なにに怒っているのか?といえば、そうした選択肢をあるかのように見せていて、実はなかった、ということだからです。その点、東京医大の件とあまり変わりありません。

ハロワで門前払いされた、というような現場の声はこれからどんどん上がってくるのではないでしょうか。

 

参考

障害者雇用をする上での実践例として、下記の連載が面白かったです。

biblion.jp

障害者雇用の法定率の成立経緯などは下記の本に詳しいです。が、思い出話みたいなとこがあり、話半分くらいで読んだほうがいいです。

格差時代の労働法制改革への提言

格差時代の労働法制改革への提言

 

 

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*1:といっても平成29年度で認定されているのが464社です※平成 29 年 障害者雇用状況の集計結果

サイボウズ式Meetup関西に参加しました(子連れで)

サイボウズ式という、サイボウズ株式会社が運営するオウンドメディアがあります。

cybozushiki.cybozu.co.jp

中小企業向けのグループウェアなどASPサービスを提供している会社で、社長の青野氏が育休を取ったり、夫婦別姓を認める訴訟を起こしたり、多様な人事制度などと、なにかと話題ですが、メディアのほうも読みごたえがあります。

関西でこういうイベントは少ないのですが、そのサイボウズ式のメンバーと読者の交流会ということで、きっと面白いと思い参加しました。妻が仕事だったので、子連れで。

準備

久々に(ビジネスっぽく?)人と交流するので、名刺を作りました。

参考にしたのは、こちらのHaruさんの記事。

kb-hr.com

Canvaは、アプリやウェブ上で簡単にテンプレからオシャレなデザインができるサービスです。facebookの見出しやヘッダ、インスタのストーリーやバナーなども簡単に作れるので、オススメです。

ビスタプリントはPDF入稿ができるネットプリント会社です。仕上がりもきれいです。

 

子連れで行くので、暇つぶしになるものを用意。ぬりえです。あとは私のカメラをてきとうに持たせてます。

 

『自分の物語を生きる』

テーマ設定は『自分の物語を生きる』というもの。

ワークショップはやや急ぎ足になり、じっくり考えるというよりは瞬発的に話すような感じになってしまいましたが、考えるきっかけになったので、また機会があれば話したいテーマでもあります。

 

テーマについて掘り下げて書くと、「主夫をしている私」は依存なしには生きることができません。『自分の物語』は家族の物語でもあり、妻や子どもと一緒に成長していく、というのが前提になります。

同時に、「一人でいられる時間」は自分にとって、とても大切な時間です。もともと一人でいるのが好きで、本を読んだり、おいしいコーヒーを淹れたり、音楽を聴いたりする全く実用的でないものに囲まれた時間が、生き抜くためにどうしても必要です。

 

自立と依存はそのあいだを揺れ動きながら保たれるもので、「なにかに所属し依存すること」と「自立的に動くこと」は平行して行った方が安定する、というような話のくだりもありました。

cybozushiki.cybozu.co.jp

そして、依存先はたくさんあったほうがいいな、という思いもあります。そうすると、それらは一見『自分の物語』ではないように思えるのですが、それぞれのコミュニティでちょっとずつ話を進めていく、というのもまた面白いのではないかと思うのです。

 

最近、『ファザーリングジャパン関西』というNPO法人に加入しました。前々から誘われてはいたのですが、面倒だったので避けていました。

ただ、『ブログで主夫として発信していること』をもう少し広げていきたいという思いもありました。主夫もまた、マイノリティの一つであり、特有の悩みや喜びを共有したり相談できる場が圧倒的に少ないからです。

共働きでも専業でも、家事を担うこと、稼ぐこと、それぞれ尊重されるべき、というのは理想です。主夫×主婦、専業× 共働き、多様性×同一性、と対立をあおるのは簡単です。

あえて、これからの物語を考えるとしたら、「主夫であること」に後ろめたさを感じない社会の雰囲気、を作りたいというところでしょうか。

そのために、こういうMeetupにも参加したり、主夫仲間を探して一緒に発信できるコミュニティを作ったり、と続けていきたいです。

lazyplanet.hateblo.jp

 

 

 子連れで参加するスタイル

今回子連れでmeetup参加しましたが、このスタイル広めていきたいです。

子どもがいるから、こうした勉強会やセミナー、イベントに参加できない、という人は多いと思います。でもだいたいのスタートアップやサイボウズのような理解のある会社主催の者であれば、断られることがないばかりか、歓迎されると思います。

ジュースをこぼしたりと散々迷惑はかけてしまっているのですが、会場全体の緊張をほぐす役目を娘は果たしてくれていたように思います(前向き)。快く迎えてくださった皆さんに、本当に感謝です。

 

 

関西のイベント少ない問題

 前々から言われていることではありますが、関西でのこうしたイベント少ないですね。

個人的には、熱意のある人はいるけれど、場所が少ないのではないか、と思っています。サイボウズさんは、8月にオフィスを拡張したばかりで、自社内でこうしたイベントがようやくできるようになった、とのことです。

前職でオフィス移転を担当したのですが、これぐらい広いスペースを作りたかったなぁと思います(強烈な反対を食らいました)。

note.mu

また機会あれば、ぜひこういうイベントに顔を出したいです。

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東京五輪のボランティアはなぜ集まるのか?

東京五輪のボランティアはそのハードルの高さや無償性について度々批判されていますが、おそらく大会ボランティア8万人、東京都のボランティア3万人どちらも全て集まるのではないか、と私は見込んでいます。それがいいか悪いかの判断は、とりあえず置いておきます。

そのためタイトルでは、なぜ集まるのか?としています。

www.city-volunteer.metro.tokyo.jp

世論調査

内閣府の3年前の調査では、下記のような結果になっています。参加したい、できれば参加したいを合わせると22.7%、これは全国20歳以上男女の数字です。

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東京オリンピック・パラリンピックに関する世論調査 2 調査結果の概要 2 - 内閣府

 

NHKの2018年3月の世論調査では、参加したい15%、したくない83%となっています。

(2018年3月NHK世論調査東京オリンピックパラリンピックに関する世論調査』N=2459人 全国20歳以上の男女)

https://www.nhk.or.jp/bunken/research/yoron/pdf/20180607_1.pdf

 

一都三県に絞ると、下記のような結果があります。

digital.asahi.com

意外と多いようにも見えます。

スポーツボランティアとは?

『スポーツボランティア』は、ボランティアの中でも特殊な立ち位置にいます。

スポーツボランティアの定義とは、

地域におけるスポーツクラブやスポーツ団体において、報酬を目的としないで、クラブ・団体の運営や指導活動を日常的に支えたり、また、国際競技大会や地域スポーツ大会などにおいて、専門的能力や時間などを進んで提供し、大会の運営を支える人のこと

(文部省,2000)

http://www.ssf.or.jp/volunteer/tabid/625/Default.aspx

 とされています。

大きく二つの意味があり、地域活動におけるボランティアと、特別な大会におけるボランティアがあり、前者は日常性、後者は非日常性を持ったものです。

ここでは、もちろん後者のほうの定義を前提に話を進めます。

 

五輪ボランティアの意義には、国際大会の運営に携わった経験を地域に持ち帰ってそれ自体を「レガシー」としてほしい、というものも込められています。それは、イベント的に発生するボランティアから、地域の身近な問題解決としての互助組織に近いボランティアへの転換の期待と考えられます。

地域ではスポーツ少年団や体育振興会などのスポーツにまつわる自治組織が多くあります。そうした組織の人材不足の解決のためにサポーターを養成する、ということです。

日常と非日常の相互関係でいえば、今回も全国各地の自治組織にお声がかかるはずです。経験のあるボランティアほど、有用なものはないからです。

 

スポーツボランティアの醸成

現在、多くのスポーツの大会では、それぞれのイベントごとに必ずボランティア集団がなんらかの形で携わっています。笹川スポーツ財団特定非営利活動法人日本スポーツボランティアネットワーク(JSVN)が、主にその取りまとめを行っており、これは五輪ボランティアでも同じように行われることと思われます。

笹川スポーツ財団のHPでは様々なスポーツボランティアに関するレポートを読むことができますが、そのなかに、

プロスポーツを含む6割のトップスポーツチームがボランティア組織・団体を活用している。

都道府県の主催競技大会で、外部の運営スタッフを活用したのは、都道府県の競技団体で5割障害者スポーツ競技団体で7割

等の記述がみられ、ボランティアなしには運営すらままならない状況がうかがえます。

数あるボランティアの中でも「スポーツボランティア」はかなりマネジメント・体系化された特殊な形態である、ということをまず念頭におく必要があります。

 

さらには数字上表れなくとも、出場選手として、同じ部活・学校・その他の当事者として、あるいはその周縁の者としてなんらかの関わりを持っている場合、無自覚のうちにスポーツボランティアに組み込まれていることも多いのではないかと考えられています。

ボランティアの募集・受け入れ、業務マッチング、参加意欲の維持、クロージングなどこれまでさまざまな国際大会、全国規模の大会を取り仕切るなかで、培ってきたノウハウがマネジメント層には備わっています。そのようなノウハウの共有や研修も各大会の予算のなかに組み込まれ、協賛企業の協力のもとに人材育成がされています。*1

現代スポーツ評論37 特集:スポーツとボランティア

現代スポーツ評論37 特集:スポーツとボランティア

 

 マネジメントの上位層にはしっかりと予算が使われている、というのが一つのポイントです。

実際、五輪規模の10万人規模のボランティアを仕切る人材が足らず、いま必死でそうしたマネジメントの研修をしていることと思われます。

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ロンドンのケースでは、スポンサー企業の一つであるマクドナルド社が委託を受け、公募・育成がされており、公募段階で24万人の応募、最終的に7万人が参加しています。さらに、都市ボランティアとして、ロンドン市が観光ボランティアとして8千人を採用しています(応募は2万2千人)。

おおむね、その活動は評価され、称賛されるものだったようですが、それが先にみたような日常的な地域でのスポーツボランティアにつながったかと言えばそうではない、という批判も見られたようです。

五輪ボランティアで配られるもの

基本無償ではあるのですが、こちらが実質的に有償な部分となりそうです。

・「東京 2020 大会 大会ボランティア」オリジナルデザインのユニフォーム一式(シャツ、ジャケット、パンツ、キャップ、シューズ、バッグ等。アイテムによっては、複数枚を予定)
・ 活動中の飲食
・ ボランティア活動向けの保険
・ 活動期間中における滞在先から会場までの交通費相当として一定程度

(上のユニフォームがメルカリでいくらで売れるか、というのが報酬の多寡に影響しそうです)

また、大会スタッフとして運よく競技会場内で活動ができれば、当然有料であるところの入場チケットなども無料になります。長野五輪では、開会式・閉会式、一般競技のチケットが配られたようです。

もちろん、ボランティアスタッフという手前、ずっと観戦することは難しいでしょうが、ある程度の役得はあるのではないでしょうか。個人的には、ある程度観戦できるくらいの特典はあるべきだと思います。

 

下記に、信濃毎日新聞の五輪関連ニュースの一覧があります。ボランティア関連項目を時系列で見ることができます。近づくにつれ、相当混乱があったことが伺えます。 

https://www.shinmai.co.jp/feature/olympic/manage/volun1.htm

なぜ集まるのか?

「スポーツボランティア」の浸透

第一は、先に見たように、「スポーツボランティア」に関する先行事例が多く、体制としても整いつつある、という現状からです。ボランティアリーダーは、これまで多くの経験を積んできた限りなくプロに近い「ボランティア」です。また、大会があるごとにボランティアの募集があり、都心部でのそれは充足している状況です。

そうしたノウハウの蓄積から、一定数は既に見込まれているのではないかと考えられます。それゆえに参加条件を厳しめに設定されているものと推察されます。

「ハードル」の高さ

ボランティア参加の条件は厳しく、10日以上働くことができる、18歳以上など、高いハードルを掲げています。その「ハードル」は大会が近づくにつれて簡単に下げることができます。(訂正:日本国籍のみ・ではなく日本に短期滞在する在留資格があれば外国人も登録可能。半数近くは海外からの応募になるのではないでしょうか。)

ボランティアの対価

『ボランティアスタッフであること』による恩恵をさまざまに受けることができます。長野五輪では予算が増額され、宿泊費の一部補助なども出されています。加えて、タダで会場内に入ることができるという権利もあります(会場内での業務であれば)。

ユニフォームが欲しいという方もいるし、当然体験自体に価値を見出す方も多いと思います。こうした『恩恵』を労働の対価として捉える人も多いと思われます。

個人型クラファンの浸透

無報酬で10日以上東京で宿泊してボランティアとか、カネのない若者には無理、という意見が多く見られますが、Polcaなどのサービスを始め、個人が簡単に友人・知人や見知らぬ人からお金を集める方法クラウドファンディング投げ銭)がたくさんあります。発信方法と返礼次第では、それなりのお金を集めることができるように思われます。ブロガー界隈の人は率先してやってくるのではないでしょうか。

スポンサー企業の動員

長野五輪のときは、スポンサー企業をはじめ県内の企業から多数の従業員の動員がされています。ただし「ボランティア」としてではなく、出張扱いにするよう労基署からの指導が出されています。

長野労働基準局はこのほど、長野五輪の際に県内各企業が従業員をボランティアとして派遣するのは「業務命令に基づく出張」にあたるとして、長野冬季五輪組織委員会(NAOC)と企業に対し「ボランティア」が業務であることを明確にするよう指導した。

https://www.shinmai.co.jp/cgi-bin/olympic_read.pl

私企業がお金だけでなく人も提供する形ですが、この場合、給与+出張手当・宿泊交通費は企業持ちですので、個人の出費負担なく参加できます。今回も、このような形で動員あるいは忖度応援をする企業は多いのではないでしょうか。

 

まとめ

正直、スポーツボランティアのことは専門外ですが、色々調べていると、ボランティアが不足するといった要素が少ないように思われました。日常的にスポーツのサポートをしている、という人は想像以上に多いのです。

個人的には、ボランティアという名称を改め、サポーターという名の下で「宿泊費など含め一定額支払うこと」と、「五輪観戦の可能な自由時間帯を設けること」という対価を提供してほしいです。

大学生のとき音楽フェスのボランティアをしましたが、スタッフどうしシフトとタイムテーブルを見比べながらみんなが見たいものを見れるシフトを組んでいました。自分の好きなアーティストの演奏を見つつ、彼らのサポートもできる、というボランティアは、おいしいなと思いました。

それくらいの余裕や「自分のため」の時間があったほうが楽しいし、スタッフのやる気も上がるのではないかと思います。

それはボランティアなのか?という疑問は当然ありますが、正直ボランティアをやる動機としては何でもよくて、無償で行っている行為が結果として誰かの役に立っていれば、それは当事者の意図にかかわらずボランティアです。

「やりがい」搾取とは言われていますが、ボランティア経験者ほど、適度に力を抜いて搾取されないための所作を身につけているのではないかと思います。

 

同時に、過度の負担がボランティアにかからないよう、ボランティアの自由を認める雰囲気、ちょっと仕事をサボってても笑って許してくれる寛容さの醸成のほうが必要なのではないか、と思います。今のままだと、それほど訓練されていないボランティアスタッフが、対応にまごついて「おいおい、『おもてなし』できてねーじゃねえか」と罵倒されるような未来が見えます(そんな過去も実際あったようです)。

「ボランティア」は(原則としては)自発的な活動なので、個人の裁量や自由度が高いほど、その力を発揮するものです。そして、そのほうがきっと、楽しいのです。

 

 

追記 8/23

ボランティア研究に関しては、仁平さんの議論がかなり参考になるのですが、書いてくれないかなあと思っていたところ、書いてくれました。

さすが、まとまってます。

gendai.ismedia.jp

仁平さんも書いていますが、ボランティアをすることが「自分の物語」、自分のためにするという文化がもっと根付けばいいなと思います。

そしてタダでも、報酬有りでも、ブラックな労働は許されない、というのは当然の前提かと思います。ボランティアにも、適度な休憩と観戦が許されますように。

参考

・ボランティアに関する議論はこれ一冊にほぼ網羅されています。ものすごく分厚く重いです。彼は既にボランティアを終焉させてます。 

「ボランティア」の誕生と終焉 ?〈贈与のパラドックス〉の知識社会学?

「ボランティア」の誕生と終焉 -〈贈与のパラドックス〉の知識社会学

 

・一応、公式はこれでしょうか。

tokyo2020.org

・スポーツボランティアサミット2014年報告書

(国内の主要大会のボランティア数などがスライド資料にあります)

https://www.jsvn.or.jp/event/summit/asset/summit2014_report.pdf

*1:現代スポーツ評論37「スポーツとボランティア」『スポーツボランティアの過去と現在』浦久保和哉

「性」をタブー視する福祉社会のこと

福祉は「性」とどう向き合うか?

少し前に、乙武洋匡さんのオンラインサロンに入っていたことがあります。

例の不倫騒動のあと、手も足も出なくなった彼が手始めにやっていた活動の一つがオンラインサロンでした。

彼のオンラインサロンに入っていた理由は、面白そうなサロンなのに意外と人気が無くて価格も安かったから、です。マイノリティでありながら強い一人の男性として生きる乙武さんの個性に惹かれていたのもあります。不倫はダメですが。

実際にサロンの内容は面白く、オフ会でも直接本人やメンバーとお会いして、いろいろと交流もできました。・・・しばらくして、すぐに抜けましたが。

www.daily.co.jp

えっと、で、「性」の話です。「そもそも乙武さん、どうやってするのよ?」とか「自慰はどうなの?」みたいな話もサロン内ではフランクに出ていたのですが、それはもちろん公然と話せる内容ではありません。

それらはクローズドな場所で、親しい関係性のなかでしか明かせないものである、ということは障害の有無にかかわらず変わりません。性欲の強さや性的嗜好も、障害の有無にかかわらずそれぞれで、人の内心の自由に関わるものです。

 

ただ、高齢者の介護や障害者福祉といった場面で、「性」の問題がトラブルになりやすいのもまた事実です。障害や認知症を持つ当事者が、被害を受けることもあれば、加害者になることもあります。

また、当事者が性的な快楽を求めることを、本人の意思・自己決定権として尊重すべきなのか、適切な判断ができていないと慎重になるべきなのか、性的なものを遠ざける・避けることは当事者の権利を侵害していないか、など支援者はしばしばジレンマに陥ることになります。

 

例えば、高齢者施設に住む男女のあいだで恋愛が始まった場合、職員はどうすべきか。

手足の不自由な子供が、アダルトビデオを見たいと言ったら親はどうすべきか。

車いす利用者の風俗利用は可能か。介助者は連れて行くべきか。

認知症患者が職員に対してセクハラをした場合、それを責めることはできるのか。

 

そういった「性」にまつわる問題に、福祉社会はどのように向き合うべきでしょうか? 

下記の本を参照しながら、考えてみたいと思います。

福祉は「性」とどう向き合うか:障害者・高齢者の恋愛・結婚

福祉は「性」とどう向き合うか:障害者・高齢者の恋愛・結婚

 

介護現場のセクハラ問題 

そもそも、この話題を取り上げたくなったのは、身内の被害からです。

私の妻は訪問看護師で、いまは主に在宅での高齢者看護を行っています。その訪問先の患者さんの一人にずいぶん性欲の強いおじいさんがいて、職員にストレートなセクハラ(暴力行為)をするらしいのです。

当然、その場でやめてください、と言うし、ステーションに持ち帰って対応を検討し、複数名でケアするなどの対策をケアマネージャーに提案します。ところが、50代半ばくらいの女性ケアマネは「もっと若いヘルパーさんだってそんな文句言わなかったわよ?」と跳ね返してきたそうです。

その一言に、介護現場のセクハラ問題のいろんな要素がたっぷり詰め込まれている気がしたのです。

力関係が分かりづらいかもしれませんが、在宅ケアなどの地域看護では、ヘルパー・理学療法士・看護師・医師など多職種の連携が不可欠です。ケアマネは、その監督のような立ち位置にいます。

そのケアマネは、利用者のセクハラについて報告を受けたにもかかわらず、なんの対処もしないばかりか、若い子だって我慢してるんだから(年増な)あなたも我慢しなさい、と自らもセクハラ発言をしています。よくあるセクハラの構図なのかもしれませんが、本来対策を講じるべき相手からの追い打ちは、セカンドレイプのそれと変わりありません。

結局のところ、ケアマネの手配ではなく、一人分の料金で二人体制で対応する(事業所の持ち出し)、という対策に落ち着いたようですが、とても救われた気がしません。

誰に相談すべきか?

一般的にセクハラなどのハラスメント事案が発生した場合は、労働組合や外部機関などで構成されている所定の内部通報先に連絡します。しかし、小さな事業所や中小企業などではそうした内部通報先が無いだけでなく、通報したことによる報復措置などの恐れもあります。

また、相手先企業や客からのセクハラについては上司に相談し、場合によっては契約を見直すなどの措置を取ってもらうのが筋でしょう。加害者側の企業が大口の取引先である、上司の無理解で「なかったこと」にされるなど、難しいことのほうが多いかもしれませんが。

介護の場合だと、セクハラの事実とそれへの事業者としての対応について、セクハラ加害者側の家族に伝えることになります。しかし、たとえば認知症の夫のセクハラ行為をその妻に伝える、というのはふだん介護をしている妻にとってはショックを受ける事実かもしれません。それでも、その事実を伝えるかどうか、という判断が事業者には求められます。

 

中立な立場の相談所としては、労基署のハラスメント窓口に連絡することになります。原則秘密厳守で、無料で相談できます。実効力のほどは分かりませんが、具体的に訴訟などの手続きを取る場合には、労働問題の弁護士を紹介してもらう等のほうがいいかもしれません。

www.mhlw.go.jp

独立行政法人労働政策・研修機構のHPには、訴える場合の法的根拠について比較的詳しく書かれています。

www.jil.go.jp

雇用者の所属する事業主は何らかの対策をすることが義務付けられていることが分かります。具体的にどのような措置を取るべきかについては、指針が厚労省から発表されています。

www.jil.go.jp

 また裁判例では、セクハラが被害者の人格権ないし人格的利益を侵害したと認められる場合には、行為者の不法行為民法709条)に基づく損害賠償責任を認めています。また、行為者の雇い主である企業についても、使用者責任民法715条)や職場環境配慮義務違反(民法415条、債務不履行に基づいて、損害賠償責任が認められることになります。

国の防止策も作成中

法的に正しい手続きは、いくつもあります。また、国も今年度中に、介護セクハラ対策をまとめるとしています。

mainichi.jp

これにより、契約書へのセクハラ行為があった場合のサービス終了の明示や、複数名での訪問などの指針がより強化されれば、何よりです。

しかし、セクハラを受けた本人が大きな問題にしたくない、という思いが強い場合の方が多いです。それが患者から受けた、しかも認知症のある患者や身体的な不自由のある患者となれば、なおさらなのかもしれません。正義でもって「正しい」手続きを取るべきか、患者とその家族の「感情」を配慮して見過ごすか、ケアの現場ではそうした葛藤が発生します。

上記記事にあるとおり、介護従事者の約3割がなんらかのセクハラを経験しています。高齢者への虐待防止法等はある一方で、従事者の側は守られていない実態があります。

 

介護福祉の「性」へのタブー視の強さ

セクハラの例だけをとっても、上記のようなセクハラを「なかったこと」にするかのような対応を取られてしまう、あるいは我慢して取らざるをえない、という状況です。

また、一方で障害のある人や高齢者の性への関心・興味に対しても、まるで「なかった」ことのようにされています。

一般社団法人ホワイトハンズなどが、当事者や家族、支援者、あるいは一般社会にむけて、障害者の性についての啓蒙をしていますが、まだまだ十分に認知されていないように思います。

healthpress.jp

障害の有無・年齢にかかわらず、「性」への興味・関心が強い人はいますし、強くなる時期があります。

障害や病気がある人の性的関心をタブー視することは、彼らを「性」に関する正しい知識を持たない情報弱者にしてしまうことになり、また福祉従事者にとっても性被害を「なかったこと」にされてしまうことになります

性的欲求が強い人も当然いる、ということを大前提に、当事者のニーズとプライバシー両面に配慮しつつ、福祉従事者を守るという難しいハンドリングが、求められます。

国のガイドラインが、そういうものになってほしいと願いつつ、もし性被害があれば毅然とした対応を取る、当事者本人のニーズには、主要なケアラーを中心に寄り添う・専門家として対策を考えるということが、一般的にできるようになるといいなと思います。

 

「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を。

「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を。

 

 

補足:下記の記事でも思ったのですが、当事者の性的ニーズとセクハラの話をごちゃまぜにこの話をすると、やっぱり分かりづらいな、と思いました。このエントリも分かりづらくてすみません。でも記事を分けると、根っこの部分でつながっている話がぼやけてしまったりするので、やはり扱いの難しいものなのだと改めて思いました。

synodos.jp

子どもの好きな色、ダサピンクからの変化

小学校の授業参観に行くと、一年生のランドセルの色は、黒や赤はもはや少数派で、ピンク・キャメル・ラベンダー・グリーン・水色といったさまざまな色が、散り散りに(出席番号も男女混同なので)並んでいて賑やかでした。

 

誰が、どんな色を使ってもいい、という多様性は自由でいいなぁと思う反面、本当にそれは自分で選んでいるものなのか、実は不自由な選択をさせられていないか、ということも見えにくくなります。

 

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『女の子は本当にピンクが好きなのか』の著者の堀越さんはピンク、水色、ラベンダーのパステルカラー3色を「ビッグ3」と呼んでいます。

www.ele-king.net

実際、ウチの娘の持ち物の8割方が、このビッグ3です。あとは黄色とかでしょうか。

どんな色のものでも好きなものを使えばいいと思うのですが、子どもたちの好きな色は、本当に子どもたちが自分で好きと思っているのか、思わされているのか、どっちなんでしょうか

 

子どもの好きな色

いくつか、「子どもたちの好きな色」の調査があります。が、見事にその結果はばらつきがあります。

 

1.「ピンク色が好き」な3-6才の女の子|ビデオリサーチ オープンカフェ

調査名:キャラクターとお子さまの日常生活についてのアンケート
調査時期:2015年11-12月
調査地区:東京30km圏(東京駅を中心として、半径30km圏に含まれる市・区・町・村全域)
集計対象:男女3-12才(N=622)

こちらの調査では、以下の図のような結果となっています。

男の子は青、女の子はピンク、というまぁ分かりやすい結果です。

女子の年齢とともに、ピンクが下がり水色がトップになります。男子の青は年齢別の変化はわずかですが、男女とも黒や白といったモノトーン色の人気も強まります。

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2.<研究1部報> 「男女児童が好きな色」2014年調査から 一般財団法人日本色彩研究所 (対象:東京都と北海道の小中学生男女 886名(小学2・3年227名、5・6年192名、中学2年467名))

こちらの結果で、面白いのが「金」「銀」という色も回答に含んでいるところです。

その結果、男子の1位が「金」となっています。金色は、王冠、メダルなど輝かしいイメージからプラスの印象を受けているようです。

一方の女子は、水色が多数を占めています。

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最後に、学研のデータです。こちらが2017年とわりと最新のものです。

3.小学生白書Web版 学研教育総合研究所|学研

    1位 2位 3位
小学1年生 男子
女子 ピンク 水色
小学6年生 男子
女子 水色 ピンク

面倒なので、もう細かい数字は省略します。

男の子は不動の青、女の子のピンク→水色への変化という傾向はほか二つの調査と似ています。この調査では金や銀は低い順位となっています。

 

 

ピンクからの脱却

女の子では入学前・低学年→中・高学年となるにつれて、ピンク→水色という変化がおおむね見られます。このあたり、ウチの娘も今まさにピンクからの脱却期に突入しています。

『すみっコぐらし』などのキャラクターが低学年女子には特にウケていて、ウチの娘も例に漏れず、筆箱から下敷き、さらには夏休みの漢字ドリルなども『すみっコぐらし』です。キャラクターは見事にパステルカラーで、キャラものの中では落ち着いてるほうなのかな、まあいいかと思っています。 

すみっコぐらし学習ドリル 小学1年の漢字

すみっコぐらし学習ドリル 小学1年の漢字

 

もともとウチにはプラ玩具は少ないほうなのですが、それでも幼児期の女子向けプラ玩具はほぼピンクです。体感的には安っぽいもののほうがよりピンクである気がします。幼児期の女子雑誌も「ピンク」という名前の雑誌があるほど、ほぼピンクで統一されています。

 

実際にピンクといってもいろいろあるわけで、派手なピンク、柔らかいピンク、温かいピンク、それぞれに使うもののことや意図をよく考えて作られたデザインのものも、もちろんその中にはたくさんあります。

note.mu

しかし、明らかに低価格・低品質でつくられたような、女の子向けならとりあえずピンクでいいだろ、という投げやりな製作者の姿勢が垣間見える製品もあります。

そうした「とりあえず作っとけ」的なピンクのことをダサピンクと呼びます。

ダサピンクとは?

ダサピンクについては、その名付け親の宇野ゆうかさんのブログに詳しいです。*1

d.hatena.ne.jp

 「ダサピンク現象」とは、決して「ピンク=ダサイ」という意味ではなくて、「女性ってピンクが好きなんでしょ?」「女性ってかわいいのが好きなんでしょ?」「女性って恋愛要素入ってるのが好きなんでしょ?」という認識で作られたものの出来が残念な結果になる現象のことを言います。

残念な結果になる、というのが重要なとこです。

使う人のことを考えているか、思考停止になっていないか、そういったデザインの基本を疎かにしている安易なピンクを批判し、盛り上がる出来事が以前twitter上で巻き起こりました。

(うちの子が描いた前衛的なウサギ)

ピンクの先にあるのは・・

子どものなかにも、やがて「ピンク」ってなんか安易でダサいよね、と思う時期がくるのでしょうか。というようなことを思わせる結果が、先に見たアンケート結果です。

確かにある時期にピンク好きだったはずの女の子がパステルカラーを好むように変化していく。しかし、我が家に溢れかえりつつあるパステルカラーの文具たちを見ると、その先には安易な「ダサパステル」現象が起こっているような気がします。*2

 

最近、ダイハツからトコットという車が出ました。平均年齢は20代後半、女性だけのチームで作られた車は、とてもシンプルなアースカラーの車でした。

toyokeizai.net

この記事では、「カワイイ」を封印した、と紹介されていますが、とてもよく考えられた「かわいい」車だと私は感じました。そうそう、こういう車が欲しかったんだ、と共感する人も多いようで、発売1か月では目標の3倍売れたようです。

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こちらはトコットのデザインの元になったバスケット(2009年東京モーターショー

なにが「かわいい」のか、子どもにとってのそれは大人には分からないものですし、ピンクでもパステルカラーでも、好きに選べばいいじゃん、というのは本当にその通りですが、それが「不自由な選択」になっていないかどうか、注意深く見るのは大人の仕事かな、と思っています。

スプラトゥーン2』 というゲームに、我が家の全員がハマっていますが、これはかなり強めの蛍光色をステージ中に塗りたくって敵を倒すゲームです。でも、とても洗練されたデザインですし、ふだん見かけないような色でも、娘にとっては「かわいい」ものとなっています。

「ピンク」しか選べない、というような時代は終わりつつありますが、その先のパステル沼にもご注意を。

 

Splatoon 2 (スプラトゥーン2) - Switch

Splatoon 2 (スプラトゥーン2) - Switch

 

 

*1:ちょうどその記事を振り返った最新記事があったので、私も更新してみました

*2:もちろんパステルにも考えられた「かわいい」がいっぱいあると思います。

楽天お買い物マラソンとはなにか?

今週のお題「わたしのインターネット歴」

 

暑くて頭が働かず、つまらない小ネタ記事ですみません。

なんかまた始まるらしいですね、楽天のお買い物マラソン

主婦ブロガーの人の参戦・ポチ報告をよく見かけますが、皆さんこのハイペースについていっているのでしょうか。

楽天お買い物マラソンとは?

ほぼ月に1回の割合で開催される、買い回りキャンペーンです。開催頻度は年々増えています。2017年は14回、2018年はすでに9回行われています(スーパーセール含む)。だいたいAmazonやYahooといったほかのサービスのセール等にかぶせてきます。とにかくやりすぎです。

 

1店舗1000円以上、1店舗ごとに購入金額に対する還元ポイントの割合が1%増えます。

「ポイント倍率」とはこの手の業界での名称で、1倍=1%と読み替えてください。

最大10店舗買い回りすると、購入金額の10%がポイント還元されます。

 

バナーによくポイント最大42倍などど書かれたりしますが、だいたい実際にはそんな倍率にはなりません。

楽天のゴールドカード会員かつ、ダイヤモンド会員で、店舗ごとに異なる付与ポイントがもともと20%程度あり、携帯電話・旅行予約、美容室予約などの楽天のサービスをすべて利用したことによるポイント加算も全て含めて、はじめて42%還元になります。

 

また、付与されるポイントのほとんどが期限1か月程度の期間限定ポイントです。

定期的に楽天でお買い物をするのなら問題ありませんが、使わないとすぐ消えます。 

お買い得なのか?

スーパーセール以外、お買い得なことはあまりありません。

ただ買い回ることでポイントの還元率が通常時よりも高くなる、というイベントです。

 

クーポンとか時間限定セールで安いのはあると思います。だいたいすぐ売り切れますが。まあ季節の変わり目の在庫セールなども当然あります。

 

10店舗の買い回りに必要なお金は最低で10,000円です。その場合10%ポイント還元されて、1,000ポイントもらえます。普段から楽天で買い物をしている人なら、+αで5~10%ほど、還元率が高くなると思います。

そのポイント分を加味してお得になるかどうか、判断します。

 

定期的に買う品目を作っておく

お買い物マラソンは、「5日程度の短期間のうちに、10店舗のショップから1000円以上の品物を買わせるための施策」です。そのため、多くのショップでは買い回り対象になるよう、1000円~1200円の価格帯の商品を用意します。

もし、お買い物マラソンに乗っかるなら、あらかじめ定期的に買う品目を見定めておくのがいいと思います。私がよく買うものを以下に挙げます。

ダスキンスポンジ(モノトーン)6個セット 1,000円

もち麦1kg  1,000円

・歯ブラシ(10本~12本セット) 1,000円

・蚊帳ふきん4枚セット  1,000円~

・本(欲しい単行本・中古も含む) 1,000円~

ルイボスティー100包   1,000円

・コーヒー豆 1kg   1,000円~2,000円

上記のストックがいっぺんに無くなることはまあ無いのですが、本は楽天内に中古含めれば複数店舗あるので、本だけで5店舗くらい回れることもあります。

 

ポイントを貯めてどうするのか?

貯まったポイントはだいたい本に使います。

こうして15~20%ポイント値引きで買った本をメルカリで定価の8割程度で売れば、新刊書籍も安く読むことができます。メルカリについては下記の記事を参考ください。

 

最初に書きましたが、お買い物マラソンなどでもらえるポイントの大半は「期間限定ポイント」で1か月程度で消滅します。なので、迷わず本に使います。

 

欲しい本が5冊以上あり、かつ別々の店舗で購入可能で、次月以降も欲しい本が必ず出る、という状況であれば、私も参戦します。全ては本のために。

 

lazyplanet.hateblo.jp

 

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『みえるとかみえないとか』で見える世界

みえるとかみえないとか

タイトルの絵本を買いました。

みえるとか  みえないとか

みえるとか みえないとか

 

ヨシタケシンスケさんは、ユーモア溢れるデザインや絵と、独特の視点で世界を切り取り絵本に意味を与える作風で、大人にも子どもにも受けがいい絵本作家です。

これまでも、「死」という重いテーマながら死んだあとの世界に楽しく思いをはせる『このあとどうしちゃおう』など、一見難しく子どもに説明しにくいものごとを、分かりやすく面白く描く作品を作り続けています。

このあと どうしちゃおう

このあと どうしちゃおう

 

 『みえるとかみえないとか』は、「目の見えない人」がテーマとなっています。共著である伊藤亜紗さんの『目の見えない人は世界をどう見ているのか』という本が元になっています。 

伊藤亜紗さんは、もともと生物学専攻の学生でしたが、その後美学へと興味が転向します。生物が何を見ているのか、どのように世界を見ているのか、という「視点」への問いがそのまま美学への興味に変化します。美学は人が対象物を「美しい」と捉えるまなざしそのものが大きく問われる学問だからです。

目の見えない人は世界をどう見ているのか (光文社新書)
 

そして、その興味は、目の見えない人が世界をどう「見て」いるのか、というところにたどり着きます。福祉的なアプローチではなく、単純にその面白さ、身体のふしぎに迫るというアプローチをすることで、そこにポジティブな意味もネガティブな意味も込めない世界を見せてくれます。

そのため、伊藤亜紗さんの書いた本は、純粋に面白いです。伊藤さん自身がとても楽しそうにその世界を探求していく様子が伝わってくるし、読者もまたその世界に不思議と取り込まれていきます。

いま伊藤さんの次の興味は「喋ること」に移っています。医学書院のケアをひらくシリーズから出ている『どもる体』では、「吃音(どもること)」についてひたすら語っています。 これまた非常に面白い本です。

どもる体 (シリーズ ケアをひらく)

どもる体 (シリーズ ケアをひらく)

 

 

 

話を絵本に戻します。

この本は「見えない人」がテーマになっています。けれど、上述のような伊藤亜紗さんの純粋に「面白がる」視点で話が進みます。教訓めいたものはほとんどなく、ただ「そっち」はそうなってるんだ、いろんな人がいて当たり前だよね、という以上のものを描いていません。

それはこれまでのヨシタケさんの作風とも重なります。ヨシタケさんの絵本もさまざまなテーマがあるものの、大人が決めた結論ありきではなく、ただ子どもの想像力を膨らませるための素材をたくさん用意して、「面白さ」を演出しています。

だからテーマ自体が「知育」的なものでも、子どもも興味をもってくれるし、大人も後ろめたさなく絵本を渡すことができます。 

「なぜ見えないの?」とか「どうしたら見えるの?」という問いは、「見えること」 が当たり前という前提に立った問いですが、「みえるとかみえないとかってどういうこと?」という問いは、その現象そのものについて興味関心を寄せている問いです。

 

そうした視座に立って世界をみせてくれる非常に面白い絵本です。

 

より詳しい内容については下記の対談やダヴィンチの紹介をご覧ください。

 

『みえるとかみえないとか』発売記念対談① - お知らせ - アリス館

『みえるとかみえないとか』発売記念対談② - お知らせ - アリス館

『みえるとか みえないとか』発売記念対談③ - お知らせ - アリス館

 

ddnavi.com

 

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『舞台の上の障害者』から考える

www.buzzfeed.com

これは、ちょうど1年前の記事。知的障害者施設「津久井やまゆり園」で、障害者19人を殺害された相模原事件から1年経った2017年7月26日のもの。

そして、次の記事が今年の7月26日のもの。

news.yahoo.co.jp

ともに、同じ記者が書いたものです。そして、どちらにも義足のダンサー・女優である森田かずよさんの言葉が寄せられています。

障害を抱える人の当事者である彼女は、今回の杉田氏のLGBTへの発言について、

 と述べています。

同じように、生きることそれ自体に価値があり、生産性の有無という議論の俎上に乗ってはいけない、という指摘は多数みられます。しかし、それをきれいごとにすぎないと切り捨てる人もまた多くいることでしょう。

「生きていることに価値がある」とは確かに理想的であり、優等生的な考え方です。貧しい見方をすれば、それは「きれいごと」なのかもしれません。では、それを「きれいごと」とする言論に対し、どのように抵抗すればよいでしょうか。

森田かずよさんのこと

ここで、上記の記事の主要な登場人物である、森田かずよさんのことを少し書きたいと思います。ちょうどたまたま読んでいた知人*1の本に詳しいので引用します。

舞台の上の障害者 ─境界から生まれる表現─

舞台の上の障害者 ─境界から生まれる表現─

 

(※専門書なのでなかなか置いてないですが、県立図書館か大学などで借りるのをお勧めします)

森田さんの抱える障害は、二分脊椎症、右手第一指欠損、右胸部肋骨欠損、先天性側彎症、髄膜瘤、右足脛骨欠損、仙骨欠損、神経因性膀胱、 脊椎空洞症、アーノルドキアリ、など病名で挙げるときりがない、それほど重度で、重複した障害を持って生まれ、生後半年で、身体障碍者手帳1種1級が発行されたそうです。

母親は、手記によると次のように当時を振り返っていたという。

「私は考えていたのだ。どうやって警察に厄介にならずに娘を死なせることができるのか。殺人ではない別の方法で」

医師からもすぐに亡くなる可能性が高いと言われ続けていたこともあり、当然精神的に追い詰められた結果のことだと思います。

一方で、すぐに亡くなるといわれたかずよさんは、機能障害は続いているものの、その後も生き続けます。そして、母親自身も「あなたと私は違う人間で、あなたの苦しみや辛さはわからないけれど、あなたと私は認めあって、ともに生活をしていく」と、障害を受容し、互いに生きることに肯定的になります。

しかし、それでも「表現」がしたい娘が言ったときには、抵抗があったといいます。

それは障害者として舞台に上がることが「見世物」になるのではないか、という不安からくるものでした。その後も、かずよさんは演劇やダンスといった舞台の上の「表現」の世界に傾倒していき、次第に母親もその意義を認めるようになります。

その変化には、かずよさん自身の「表現力」が飛躍したことにもあるでしょうし、数を重ねるなかで「障害のある人が舞台の上でなにができるのか」を深く考え始めた(面白くなってきた)、というのもあるのだと思います。

そして、かずよさんと母親は共同でダンス教室を始めます。かずよさんは現在もダンス教室を運営(出張のレッスン教室等も)しながら女優としての活動を続けています。

 

かずよさんの表現者として生きる世界は(というか有名どころではない演劇の世界全般的に)サブカルチャーと言われる分野であるかもしれません。かといって、彼女の舞台の芸術性が王道モノに劣るとか、そこに優劣があるわけではありません。

とりわけ、アールブリュットと呼ばれるような障害のある人が主体となって作られる芸術の世界では、彼らの表現はやや異質な力、独自性を持ったものとして高く評価されることもあります。

長津氏の記述によれば、彼女はさまざまなアートプロジェクトでのかかわりの中で、人と向きあうことで作品をつくるという態度を身につけ、障害の当事者性ではなくあくまで身体性にこだわった作品作りを行いました。障害を持つ自分を演じるというよりも、身体的な美を探究する精神を貫くことで、見せ物的な要素を超克します。そして、健常者であるアーティストと時には傷つけあい、「しんどい」思いをしながら「せめぎあうような関係」を作り、既存の価値概念とは異なる芸術表現を身につけていきます。

活動のなかでの自身や周囲の「葛藤」や価値観の「幅」が、「見たこともない作品」を作り出す原動力となり芸術へと昇華した、と長津氏は述べています。

より分かりやすい言い方をすれば、彼女の演技は「障害者なのにすごい」でも「障害者だからこそできる」でもなく、彼女とそしてその周囲の支援者とのたゆまぬ努力で生まれた、彼女だけのものだからこそ、その才能が認められているのです。

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しんどい世界でもいい

やや回りくどい話になりましたが、森田かずよさんが、表現活動を通じて得た「いま」は、そのような「葛藤」や「しんどさ」のなかで生まれたものであり、決して「きれいごと」などではない、ということです。

僕が何とか頑張って生きていける生活環境の中でも、そこには(ほかにも)排除されている人たちがいて、僕自身の生活を守るためにも、そういう人たちを含めたある種多様で混沌として、なかなか効率的に進まないかもしれないけれど、というかたちの社会につくりなおす。しんどいかもしれないけど、そんな様々な人たちと対話を続けていくような社会のほうが結局は”楽”なんじゃないかなと。

(『見えないものを観せる身体ー価値観を揺さぶる身体芸術』砂連尾理*2

これは、森田かずよさんとプロジェクトで関わった振付師の砂連尾理氏の言葉です。

LGBTにしても、障害にしても、それは個性ではなくただの事実です。その事実を他の誰かが否定したり、なかったことにすることはできません。

舞台の上にたつ人だけでなく、もっと普通の日常で普通に生きている「困りごと」を抱えた人がたくさんいます。そうした人が生きづらいままで暮らすより、生きづらさを少しでも軽くして、たくさんの人と相互作用を起こすような社会の方が、「しんどい」こともあるけれど、面白いことが起きるような気がします。

ameblo.jp

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*1:長津氏は、新潟で行われている地域アート『大地の芸術祭』の展示の一環で知り合いました

*2:『舞台の上の障害者』(p.143)より

「生産性」がどうとかいう差別的な話

杉田議員の差別発言

杉田議員については、自民党議員になる以前からずっとヘイト発言を繰り返している人物として認識していますので、今さらこうした発言をすることに驚きはしません。

ただ、下記の記事に示されているように、生産性がどうとかいう話は、あらゆる差別に敷衍されてしまう差別的フレーズです。

www.buzzfeed.com

「生産性がない」から、支援の必要もないと言っている部分は、LGBTの方たちに限らず、重度の障害者にも及ぶ攻撃です。

重度の心身障害者に対して、働いていない、または税金を納めないで、税金だけ食いつぶしていると考え、だからその人たちを支援する社会保障の予算は無駄なのだと言う人は一定程度います。

杉田議員の主張はそれとほとんど同じで、障害者差別にもつながる考え方だと受け止めました。

 

生産性の意味が全然違いますが、下記の記事でも(労働市場における価値としての)生産性が低いからといって、そうした人が働くことを否定することは、ただ生きづらさを増やすだけだ、と書きました。いろいろな人の「困りごと」をいろいろな手段で支援していくこと、そうした冗長なシステムを作ることで、生きづらさを抱えながらも生きていくことができる環境が生まれます。

lazyplanet.hateblo.jp

 結婚する人生もしない人生も同じくらい尊い

若手の家族社会学者の永田夏来さんは、『生涯未婚時代』という新書を出しています。

生涯未婚率についてのデータは下記の記事を参考ください。

タイトルの通りですが、

2015年の国勢調査の結果、男性で23.37%、女性で14.06%にのぼったことがわかった。

前回の2010年の結果と比べて急上昇し、過去最高を更新した。

とあり、杉田氏の論でいえば、男性の4人に1人は生産性が無いことになります。

www.huffingtonpost.jp

なぜ、未婚率が上昇したのか?はここでは深堀しません。ただ、少なくとも認識として、「結婚して子どもを産んで家族になる」という家族の形態はもはや一般的ではない、ということです。

世帯の形としては、単身世帯が全体の1/3を占め、大多数となっています。

www.nomura.co.jp

このような現状を踏まえ、本来は社会制度の再設計をする必要があります。

結婚する・しない、子どもを産む・生まない、などの個人の選択は言うまでもなく自由であり、それを頼りにしている社会福祉や制度のほうが異常です。「家族」に福祉の肩代わりをさせる社会制度のあり方は、不公平そのものです。

いろいろな考えの人がいて、いろいろなことを思うのは「内心の自由」です。でもその価値観を人に押し付けたり、攻撃したり、差別をまき散らすようなことはしないでほしい。そしてできれば、正しい統計や認識に基づいて、制度を作る側の人間としての仕事をしてほしい。

 

締めは、BuzzFeedの記事での岩崎航さんの言葉です。

ただ、そこに居るだけでいい、生きているだけで十分というのが人の命であるはずです。外部から条件なんてつけてはいけないし、つけられるはずがない。そんな貧しい思想を流してはいけないし、許してはいけない。徹底的に戦わなければなりません。

こんなことを説明しなければならない現実に、恐ろしさを感じます。私も怯まずに対抗する声をあげたいと思います。

生涯未婚時代 (イースト新書)

生涯未婚時代 (イースト新書)

 

 

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低スペックなのは、障害や病気のせいなのか?

「生きづらさ」を抱えながら、どうやって日々の生活を営んでいけばいいのか。

 

公的な支援を受けることで、十分でなくても安定した暮らしの「助け」になるということを以前、書きました。そのうえで、「就労すること」そのものがケアになる、という視点でこのテーマについて考えています。

lazyplanet.hateblo.jp

しかし、当たり前のことですが、仕事にはストレスがつきものです。仕事がうまくできないことで、自己肯定感が損なわれ、かえって症状が深刻化する恐れもあります。

仕事がうまくできず、自分のことを「低スペック人間」だと思ってしまう。あるいはそう思われてしまうことの不安、実際に低評価を受けたことによるさらなるストレスなどによって、あっけなく就労が困難になることは大いにあると思います。

nyaaat.hatenablog.com

低パフォーマンスは誰のせい?

仕事は何らかの価値を生み出すものであり、その対価として報酬を得ることができます。一般的には、その「価値を生み出す能力」の高低で、報酬の多寡も変化します。

また高い価値を生み出す仕事のほうが「やりがい」や「達成感」も得られやすいでしょう。そうした報酬を伴った「達成感」はそのまま自己肯定感につながり、「生きづらさ」を相殺する力を持ちます。 

しかし、全ての人が自分の特性にあった最適な職場で仕事ができ、パフォーマンスを最大に働かせ適正な評価のうえで適正な賃金が得られれば良いのですが、そうでないケースのほうが多いのではないでしょうか。

病気や障害の有無にかかわらず(このフレーズは度々登場します)、自分の力をうまく出し切れない状況は、当人にとって非常にストレスです。

そしてパフォーマンスが出せないことはそのまま低評価につながり、もらえる報酬に負の影響を与えます。

 

勿論、障害を抱えている人のパフォーマンスの低さは、その程度に応じて「合理的な配慮」がなされるべきものです。

しかし、困難な特性を持つ人を受け入れている現場においても、そのパフォーマンスの低さを、どこまで障害や病気に起因するものとみなすか、本人の成長ややる気・能力による「伸びしろ」あるいは「失敗」はどの程度あるのか、などに苦慮しています。

 

下記の記事の冒頭では、そうした現場の声が伺えます。

forbesjapan.com

実際に発達障害のある人を採用し、共に働いている方からよく聞かれる質問がある。

「やる気の問題なのか、障害特性なのかがわからない」
「性格なのか、障害なのかがわからない」
「どこまでが配慮なのかわからない」

こうした悩みを打ち明ける職場はいい職場だと思います。その人の障害特性と向き合っているからこそ、出てくる悩みだからです。そして、それは当事者も同じように悩んできたことなのだと思います。

 性格なのか障害なのか?

医師の診断によって障害名が明らかな場合は、まだ分かりやすいです。

それは、障害であり、その人はつねに「困難さ」を抱えている。その共通認識のうえで、対等な立場で仕事ができるよう優しすぎず無理させ過ぎない「合理的な配慮」を行い、仕事をする。

ただ、実際に「生きづらさ」を抱える人の中には「性格以上、障害未満」といった特性を持った人も多いでしょう。

私がうつ病で会社を休職するとき、関係ある職場の人たちにその旨を伝えました。すると、何人もの人から「実は私も昔・・・」「今も通院してる」などといった返信をもらいました。中には「うん、分かってた」という人もいましたが、それらの「生きづらさ」を隠して懸命に仕事をしている人は、たくさんいるのだと改めて気づきました。

 

ADHDやASDなどの特性とよく似た傾向の言動をしているとしても、その診断がつかないこともあります。いっそのこと診断がついてくれたらいいのに、と思う人もいるでしょう。

精神科医として著名な香山リカさんは、そうした「言いたがる人」の多さと、「言いたがる人」の弱さを利用して、不当に儲けようとする悪徳な支援事業者が少なからずいることへの警鐘を鳴らしています。

言うまでもなく、強引な説得や一方的な援助は支援でも何でもありません。障害や病気を受け入れるべきだ、という価値観を当事者や家族などに押し付けることもまた、支援ではありません。

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「病気ではなく怠け」という診断

「自分をADHDと思いこんでいるただの低スペック人間多すぎでは?」という考えに共感する人は相当数いるものと思われます。鬱は甘え、気持ちの問題、と考える人もいるでしょう。生きづらさを抱える当の本人でさえ、判断がつかずに悩んでいるからこそ、そう思い込むのだと思います。

そうしたグレーゾーンにあるような人に「ケア」は必要なのでしょうか。

anond.hatelabo.jp

 

おそらく医者によって全然言うことが異なるし、障害と病気では全くアプローチも異なるとは思いますが、同じく著名な精神科医である斎藤環氏は『承認をめぐる病』という著書において、現代的「うつ病を「怠け」と捉えることを次のように批判しています。

「病気ではなく怠け」という「診断」は、誤っているのみならず有害ですらあり得る。そうした診断によって患者は傷つけられて医療に不信感を抱き、納得のいく対応をしてくれる別の治療者を探し回るような結果につながる。

場合によっては、家族を含む周囲の人間が、医師から「怠け」という「お墨付き」を得ることで、患者に対して一層批判的になることも考えられる。

そして、求められるままに診断書を書くといった治療をするわけではなく、

当事者が社会や家族との関わりにおいて「病気」というカードを使わざるを得ない状況があるのなら、治療者としてそうした状況の解消にできる限り協力するというものである。

と寄り添う姿勢を明記しています。とても優しい立場だと思います。

「怠け」である、と述べることは、より当事者を追い詰めることになります。かといって、様々な診断結果を経て病気と判断されなくても、その人の抱える「悩み」「つらみ*1」に寄り添う支援者がいることは、低スペック感を抱える人にとって救いになります。

承認をめぐる病 (ちくま文庫 さ 29-8)

承認をめぐる病 (ちくま文庫 さ 29-8)

 

 

また先ほどの記事で、LITALICOの野口晃菜さんは、

性格であろうが障害であろうが、困難な状況は必ずその個人とその個人を取り巻く環境との相互作用の中で起きている。原因は個人の障害特性のみに起因するわけではない。

仮に障害特性があったとしても、その人に合った環境があったら、その人は生きやすくなる。そして、それは障害のない人にとっても同じである。

と述べています。障害の有無にかかわらず、その人の特性にあった環境を作り出すことも、また「低スペック感」を解消させる一つの有効な手立てです。

 

上記の点をふまえ、障害の有無にかかわらず「生きづらさ」を抱える人の低スペック感を解消するには、支援者が寄り添いながら、単に障害特性を治すだけではなく、その人の取り巻く環境をうまく作り変え、円滑な相互作用が生まれるような「つなぎ直し」を行う支援が必要である、と考えます。

そしてそのための社会的な投資が行われるべきであると主張を続けたいと思います。

 

では、そうした支援への社会的投資は、社会にとって合理的なことなのでしょうか。とても嫌な言い方をすれば、そんなにまでして低スペックな人に配慮する必要があるのでしょうか。

 

 

低スペックな人への支援は合理的なのか?

以前、堀江貴文氏が、「生産効率の悪い人が働くことは社会的に無駄だ」という趣旨のことを言って、炎上したことがあります。生産効率の悪い人=障害者と受け取る人が多かったこともその原因の一つです。

 

 

彼は、障害の有無にかかわらず低スペックな人に対して、適切な支援をしたり、サポートのための制度を充実させたりすることに優秀な人のマンパワーを使うことは非合理的だ、という趣旨でこの発言をしているものと思われます。

彼の中では、福祉制度はベーシックインカム一つで十分で、面倒で複雑な制度設計で申請者側も役所も大量に書類を抱え込むことが、とても滑稽なことに感じているのだと思います*2

徹底した合理主義者である彼の考えも分かる部分もありますが、一方で、多くの「生きづらさ」にまつわる問題は、そんな単純に解決されないだろうと思います。

彼の論では、彼の言うところの「クズ」を見限っているからです。それは何も失うもののない「無敵の人」を増やすだけです。理想とは裏腹に不幸な事件が増えるのではないでしょうか。

 

人が生きることは、面倒で厄介なことです。面倒で厄介な長い人生のなかでいつ起きるか分からない「生きづらさ」に対しては、冗長なシステムのほうが有効に機能する、と思います。

堀江氏のように強い精神と並外れたセンスの持ち主は、何もかも失っても、再び立ち直ることができています。しかし、全ての人がそうとは限りません。そのときに頼れるものが、最低限のBIしかないという状況は、多くの人にとって酷です(*3

 

人それぞれ個性があり環境が異なるなかで、それぞれが抱える「生きづらさ」は多様です。それを解決するための方法もまた多様であるべきです。多様な解決方法でもって、低いパフォーマンスしか出せない環境のほうを変えていくことが必要になります。

 

 

そのことに対して、自分は普通にがんばっているのに、支援を受けている人だけ「ずるい」と思う人がいるかもしれません。

それは、生活保護受給者に対して貧困ラインぎりぎりの人が、「あいつらは働いていないのにお金をもらっていてずるい」と言うのに似ています。本当は、「ずるい」と言っている人も辛い思いをしているのではないでしょうか。そして、そういう人に対しても何らかのケアが必要なのだと思います。

 

このあたりのことは、とても優しいスズコさんのブログが丁寧にひも解いています。

suminotiger.hatenadiary.jp

 

まとめ

いい加減くどいですが、まとめです。

障害の有無にかかわらず、低スペック感を抱えている人が継続的な就労を可能にするには、支援者が寄り添いながら、環境を整え、適切な相互作用が生まれる状態に「つなぎ直す」こと、そしてそのための社会的な投資が求められます。

それは社会的に無駄なことではありません。誰もがいつ「困難さ」に遭遇するか、分かりません。少なくともベーシックインカムが存在しない社会である以上、それに代替するなんらかの支援が必要です。

 

また、病気や障害未満であっても、「病気」というカードを使わざるを得ないほど当事者が悩んでいるのなら、そうした状況の解消のためにできる限り支援されるべきです。そうした人への支援が「ずるい」と思うなら、その人もまた支援を受けるべきです。

 

低スペックなのは、障害や病気のせいだけではありません。

 

 

長くなったので、今回は以上です。

では、具体的にどんな支援が考えられるのか、どんな環境なら働くことができるのか、といったことはまた次回書きたいと思います。

 

*1:とても現代的な言い方ですが

*2:彼が書いたりした記事等からの類推です。違っていたらすみません

*3:BI:"Basic Income"の略)