京大卒の主夫

京大は出たけれど、家庭に入った主夫の話

ぐーたらな主夫

「うちはぐーたら主婦だから」と主婦の友達に言われて、「いや、俺も俺も」ってなったんだけど、主夫ってなんだか「ぐーたら」してちゃいけないような雰囲気があります。

 

実際に、しばらくずっとぐーたらしていました。

このブログを始めたり、主夫したての頃は、張り切ってやっていたんですが、冬になると体調が悪化して一日ずっと寝込んでいたりする日が何日も続いたり、ちょっと天気が悪くなるだけで引きこもる日々が続いていました。

 

子どもと遊ぶことは楽しくて、妻の仕事のあいだは子どもと思いっきり遊ぶけれど、部屋の掃除まで手が回らなかったり、ごはんはてきとーになったりと、家事のタスクは満足にできていませんでした。

 

うつ病が依然と治っていないことももちろん要因としてはあります、うまく生活を立て直せていないというか。でも、そんなんで、「主夫」なんて名乗ってていいんだろうか、とふと思います。

 

「うーん、やっぱり無職?ひも?」と考えては落ち込んだりするんですが、じゃあろくに仕事ができていない、成果を達成できないサラリーマンは無職かと言ったらそんなこともないんですよね。給料泥棒と言われることはあるかもしれませんが。

 

 

ファザーリングジャパンという団体のなかで「主夫の友」という組織を作っている人たちがいます。

元気なときに、その人たちに会いに行っていろいろとお話したり飲んだりしたのですが、やっぱり皆さんとても立派な主夫でした。

「仲間になるなら大歓迎だよ!」という雰囲気でしたが、そんな立派な主夫ばっかり集まってもなあ、、という気持ちが先に強くなり、それ以来あまり交流はありません。

 

ファザーリングジャパン自体が子育てに積極的な意識高い人の集まりなので、当然と言えば当然なのですが、そこにぐーたら主夫の居場所はないような気がしました。

 

主夫のくせにろくに家事もしないとか、何やってんの?と批判されるのは尤もですが、でも、意識高い人のイクメンな話を聞いても大概つまらないし、ただただ恵まれてるなぁ、羨ましいなぁと思うだけで、なんとも言い難いモヤモヤが生まれていました。

 

もっと、だらだらとしていて、怠けている部分をさらけ出して、弱いところを見せていたほうが共感されやすい部分もあるんじゃないのかなと思っています。

子育てや家事は大変なものだし、誰もが完璧にこなせるものでもないです。

人間怠けることが大好きだし、サボローの誘惑には負けてしまいます。

昼間のブックオフに立ち寄れば、サラリーマンの姿をたくさん見かけるし、喫茶店に入ればいいオッサンたちがたばこをふかして仕事の愚痴を漏らしています。

 

だから、自由気ままにぐーたらしている部分も、さらけ出していこうかなと思います。

(と言っておけばブログを書く敷居が下がるかもしれない、という効果を狙っています)

 

ぐーたら主夫は、ここにもいます。安心してください。

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リスクを嫌う人は、早く結婚する

早く結婚したほうが安心なのか、よく見極めず結婚するのは危険なのか、どちらでしょうか。

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共働き家庭が一般的になったことで、結婚することで収入面の安定が得られ、支出も家計を一つにすることで抑えることも可能です。収入の少ない若い人にとって、金銭面でまず、結婚は人生のリスクをカバーしてくれる保険として機能しそうです。

一方で、不倫騒動が賑わしい昨今、不倫・離婚に伴う社会的信頼を損なうリスクもありますし、結婚してから相手の本性を知りそれによって結婚後の生活満足度が著しく低下するといったこともあり得ます。これらは十分な交際期間を持つことなく早婚することのリスクです。

 

それでは、普段からリスク回避的な人は、実際に早く結婚するのでしょうか。それとも遅く結婚するのでしょうか。

 

内閣府の経済社会総合研究所のなかで、ど直球にこの問題を研究した論稿があったので紹介します。

www.esri.go.jp

危険回避的な人ほど早く結婚するのか、それとも遅く結婚するのか(PDF)

結論から述べると、リスクを嫌う人のほうが早く結婚するそうです。

また、40代、50代の有配偶者率も高く、最終的には結婚している人が多いとのこと。

 

もちろん、恋愛の延長上に結婚があると考えられることが多い、今の日本では、リスクとリターンで単純に語られるものではないですが、そうした前提の上で、こうした経済学的な観点から結婚行動を分析している面白い論文でした。

 

以下、もう少し内容を詳しく見ていきます。

 

結婚のリスク回避的な機能

なぜ、リスク回避的な人ほど早く結婚するのでしょうか。先行研究等からも2点を指摘しています。

理由の一つは、「相手探しのコストを嫌う」ためです。

もう一つの理由は、「結婚の保険機能」です。

どちらも納得がいくものだと思います。

より良い相手を求めて探している期間が長ければ長いほど、時間的にも金銭的にもコストがかかり、しかもタイミングを逃してしまえば結果的に要求水準を下げざるを得なくなります。

また、保険的な機能としては、結婚することで所得が安定し(共働きあるいは相手の収入次第で)、お互いの病気・事故・介護といったリスクにも対応しやすくなります。

 

反駁として、結婚はそもそも幸せになるかどうか分からない不確実な行動で危険そのものじゃないか、というものがあります。

だからこそ、リスクを回避する人は、事前のリサーチや選定に十分な時間と費用をかけるため、結婚は遅くなるのでは、という指摘です。

この反駁については、この研究ではあまり詳しく論じられていないですが、有意な結果は得られなかったようです。

 

リスク回避的な傾向を図る質問が、「降水確率による傘の持ち出しの有無」で判断している点がやや気になりますが、経済学的な統計結果では上記のようになるようです。

 

その他の要因について

しかし、もちろん結婚するかどうか、を危機回避的な視点だけで見るのは不可能で、相手の収入・学歴などの要素も十分に加味されるところだと思います。

男性の場合、高学歴であるほど、若年齢であるほど、正規雇用であるほど、早く結婚する傾向が見られます。

一方、女性では、学歴や就業形態での有意な相関はなく、年齢のみ関係するようです。年齢が高くなるほど、結婚のタイミングを失う、という傾向が見られた、とのことです。

 

論文に対する疑問

単純に経済学的な選好行動だけで結論を出すのはもちろん不可能です。結婚についての価値観、考え方によっても結果は大きく変わるでしょう。

結婚をリスクと捉えるかどうか、まずその議論自体が大きく抜けているようにも思いますが、リスク回避的な人ほど早く結婚する、という結果からは、リスク回避的な人は少なくとも晩婚がリスクであると捉えている、あるいは結婚にリスク低減の効果を期待していることが分かります。

結婚のリスク低減の効果としては、次の三つが挙げられそうです。

  • 収入の安定化・支出の抑制
  • 分業による生活の質向上
  • 精神的な安らぎ・ストレスの低減

家計を一にすることで、食費・家賃・光熱費など固定費は各々で支払うよりも少なくなります。共働きであれば、家計収入は倍増しますし、片働きであっても、家庭と会社での分業体制により集中的に仕事ができます。

こうした分業は、お互いに得意な分野で働くことができるというメリットもありますし、お互いの得意分野を習得することで高めあうことも可能です。家事の苦手な男性は、美味しい料理を作ってくれるだけでも生活の質は向上するでしょう。ぜひ、教えてもらって自分で作れるようにもなってほしいものです。

また、恋愛感情から始まったものであれば、好きな相手と一緒にいられるという安心感、家族として信頼して相談できる、ということで仕事で嫌なことがあっても話すことでストレスの低減にもなるでしょう。

 

ただ、これらの効果を得るために、そもそも結婚自体を成功させる必要があります。これらの結婚の効用は、全て結婚が上手くいっていることが前提になります。

結婚のリスク問題は、ここが難しいところなのでしょう。

結婚後のリスク回避行動

そうすると、結婚後のリスク回避行動について、より詳しく見てみる必要がありそうです。

リスク回避的な人は、長く結婚生活を続けるのか?

4,50代の優配偶者率が高いという今回の結果からは、長く結婚生活が続いたことによるものである、ということは一つ言えそうですが、これだけでは明確な判断は難しそうです。

予想としてはリスク回避的な人ほど、結婚に伴うトラブルにうまく対処し、その効用を最大化するために、結婚生活も長く続きそうですが、最初の選択時に失敗したと自覚した(効用が得られないと判断した)ときに、「損切り」が早いという可能性もあります。

 

「50%の確率で100万円か0円かもらえる」

「100%の確率で50万円もらえる」

あなたはどちらを選択しますか?

といった質問であれば、リスク回避的な人は後者を選択するでしょう。

一方で、

「50%の確率で100万円か0円の損失が生じる」

「100%の確率で50万円損する」

といった二つの選択肢では、どちらを選択するでしょうか。

損切り」においては、リスク回避的な思考を持っていても一瞬後者を選択することに躊躇う人もいるかもしれません。

私はふだん株とかやらないので、なかなかこういう思考をする機会はないのですが、普段から慣れている人であれば、離婚においても適切なタイミングの「見極め」が上手いことが予想されます。

 

離婚すること自体は、悪いことでもなんでもなく、むしろそれで収入・支出の不安がなくなる、生活の質が向上する、精神的な安らぎを得られる(全て結婚の効用と一緒ですね)、のであれば離婚すべきだと思います。

離婚によって得られる効用が同じなら、離婚のタイミングについても、同様にリスク回避的な思考が関係してくるのではないでしょうか。

 

結婚について学ぶ機会

こうした結婚に関するリスク(リスクに限りませんが)などを学ぶ機会って意外と少ないように思います。

義務教育上で、どのように教えられるかは自分の経験でも覚えていないし、統計的なことや少子化問題などについて学ぶ機会があっても、「人はなぜ結婚するのか」と行ったこと自体を分析して学ぶ機会はなかなか無いように思います。

重要なのはより科学的に、分析されたものを学ぶということだと思います。価値観や個人的な思いなどはいくらでも話す機会はあるでしょう。

幼児教育の重要性も、ようやく科学的な、経済学的な視点で語られることが多くなりましたが、それまではそれぞれの個人的な事例や経験、価値観で語られることが多かったのでは、と思います。

結婚行動の分析もそれと同様に捉え、その結果を周知していくことがされないまま、少子化対策としてのさまざまな施策が取られているようにも思います。

 

もし、この論稿のとおり、危機回避的な人ほど早く結婚する、のであれば、危機回避的な思考を身に着けさせるのも一つの手かもしれません。

 

なんか、結婚を推奨しているような内容になってしまいましたが、そもそも結婚したくない、今の結婚制度に疑問がある、という人も当然多くいるし、その意見もすごく分かります。

私も今の結婚制度は姓や戸籍、離婚時の親権の問題等、不自由なことが多すぎて良くないなと思います。フランスのパックス法みたいなのができればいいですが、今の日本の現政権ではどう転んでも不可能です。

であれば、現行の制度で少子化・未婚化を回避する方法を考えざるをえないわけで、「危機回避的な思考が早婚につながる」のであれば、何か解決策に使えないかな、と思った次第でした。

 

 

少子化は止められるか? -- 政策課題と今後のあり方

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人口学への招待―少子・高齢化はどこまで解明されたか (中公新書)

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ネット村社会における互助行為について

皆さん、「互助」という言葉から何が思い浮かびますか?

なんか村社会の面倒なしがらみとかですかね。

 

互助について詳しく知りたい方は、下記の本をどうぞ。

(※重くて太くて高価な本なので、やはり図書館で借りることをオススメします)

互助社会論―ユイ、モヤイ、テツダイの民俗社会学

互助社会論―ユイ、モヤイ、テツダイの民俗社会学

 

書評:https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsr/59/4/59_4_821/_pdf

(※私の恩師がたまたま書いていたのでそのまま参考に。読まなくてもいいです。)

 

互助とは、基本的には、日本の伝統的な村社会の中で行われてきた、日々の生活扶助のことを指しますが、ここ最近、私がいま書いているブログサービスの界隈でも頻繁に見受けられる言葉になっています(←白々しいことこの上ない)。

 

blog.skky.jp

(※すみません、参考記事として引用させて頂きます)

 

地域の中での相互扶助は自治会や町内会の衰退、高齢化に伴う担い手不足、職住分離による労働世帯の欠員など、様々な理由で崩壊しつつあります。

そんな互助活動が、ネット村においては、せっせと活動されているのがどうにも皮肉でならないわけですが、一方でソーシャルな場で特定の集団だけがその集団のみ利するような互助行為を繰り返すことへの批判も多くあります。

 

彼らはなぜ批判されるのでしょうか??

いろいろ論点があり、自分でも整理できていない部分もあるのですが、やはり違和感を感じるところもあるので、ここで確認したいと思います。

 

互助とは?

参考文献に頼ります。

互助とは「村落社会における成員どうしの相互扶助」のことで、政府や自治体といった公的な扶助が期待できない社会において、村人どうしが日々の生活の中で困ったことがあれば、あるいは共通の目的のために、助け合うということが必須でした。

村落における互助は、公助・共助・自助という枠組みのなかでみれば二つ目の「共助」に分類されます。

(※地域包括の定義とはここでは異なります)

公的領域にも、私的領域にも属さない、古く言えば村社会のもやい、町内会ですが、今風にその価値を見出せば、サードプレイスとしてのオープンな場におけるつながり、助け合いみたいなものとなるかと思います。共助のこうしたサードプレイス的な機能はgreenz.jpあたりが大好きなソーシャル界隈の人に大変ウケがいい話なのですが、それはここでの本題ではないので省略します。

 

ネットの村社会とは?

ブログをはじめ、SNS等によってネット上でつながりを持つことが容易になったネット社会では、特定の目的や興味が合致したものどうしでの集団を作ることも容易に可能になりました。

 

例えば、どんなブログサービスにもたいてい、グループ・サークル・コミュニティといった集団を作るサービスが付随していたり、相互フォロー、読者登録などの機能により、互いの更新情報を確認することができます。

ただブログサービスの運営ごとに、そのそれぞれの集団のなかでのルールは異なります。

エキサイトやアメーバなどのブログは、グループ・サークルのような各人が自由に作れるコミュニティがあり、そのなかでのルールはかなりの裁量が個々に任されています。一方、機能的な制限によってできること、できないことがあり、それによってコメントの返報性などに違いが出てきます。

楽天ブログの場合、ブログの更新情報を楽天プロフィールというフィードに飛ばすのが通常なのですが、そのフィードについたコメントの返信が相手に通知されない、という意味不明な仕様によって、コメント返しは基本的に自分のフィード更新時に行う、といった運用が暗黙化されています。

こうした機能制限による?暗黙のルールを含めて、それぞれのブログサービスによって、村ルールがあり、それぞれの成員の気質が違うのも、またネット村社会の面白さでもあります。(メルカリの文化もそうですね) 

そのほか、アメーバには怪しい業者も出入りしている一方で、泡沫から有名どころまでアイドルが多数登録しており、その追っかけも一定程度存在するため、それぞれのアイドルごとにコミュニティが作られています。多くは過疎っていたり業者に荒らされたりしていますが、サービス利用者は怪しい業者の存在を承知の上で利用しているため、基本的に自分の目的外のものは全て無視・拒否しながら、追っかけを楽しんでいます。(※ここでは、アイドルの例を出しましたが、実に多様な人がアメーバにはいて、見ていて一番面白いのがアメ村です)

 

はてなの互助会

いい加減、本題に入ります。大変遠回りしましたが、はてなの互助会問題について一言言いたいがためのエントリです。

いい加減何らかの解決策を見出してほしいな、と一利用者としては願っています。

これまで見てきた通り、どのブログサービスにも互助的なサークルはその機能や風土の違いはあれど存在し、はてなブログにもそれに準ずる機能もあるため、それを否定するつもりはありません。

一方で、そのあり方やサービスの趣旨との整合性などを考えると、違和感を感じる部分があります。

 

ブログは、そもそも自分の考えを発信し、また互いに意見を交換しつつ、相互にまた自身の意見を深め、高めあえるものだと思いますので、むしろ互助的に意見をしあうべきです。

また、そんな高尚なものでなくても、日々の雑感を記録する、といった日記的な機能もブログにはあります。それもまた、誰かの日常は他の誰かにとって面白いものになり得るし、ただ淡々と自分の好きなものについて書いていくことも、他の人にとって知らない世界を知る機会になります。

むしろ、そうしたこだわりを持って淡々と長く長く続いたブログに面白みとニッチな世界の深みを感じるわけです。

 

互助的なブックマークでそうした面白いブログを発見し、共有できれば何の問題も無いのですが、そうした本来的な使われ方がされていないところに問題があるのではないか、と思っています。

 

ソーシャルブックマークとは?

そもそも、ソーシャルブックマークとは何でしょうか。

日本では「はてなブックマーク」くらいしかないので、はてなの定義を引用します。

 後でもう一度見たいページを保存しておくブラウザの「ブックマーク」。通常コンピュータの中に保存されて他の人の目には触れられることがないブックマークですが、これをウェブで公開し共有する(中略)のがソーシャルブックマークサービスです。

はてなブックマークを利用することで、ウェブ上の一つ一つの情報をより深く消化することができるようになり、また有用な情報をより少ない時間で見つけることができるようになります。

より具体的には、はてなブックマークは以下のように利用することができます。

  • ウェブがあればいつでもアクセスできる、個人用のオンラインブックマークツールとして利用できます。
  • ブックマークを公開できるので、はてなブックマークのユーザー同士で話題/感想を共有するコミュニティとして利用できます。
  • 旬なニュース、面白いネタ、役に立つ情報を見つけるためのメディア、情報源として利用できます。

はてなブックマークとは - はてなブックマークヘルプ

 

はてなブックマーク」はこれらの機能を三つの特徴として分類しています。

  • 保存と検索
  • 共有
  • 発見

もう知ってるよ、という方が大半だと思いますが、とりわけソーシャルサービスとして重要な機能が、「共有」と「発見」かと思います。

 

互助会が脅かすものは何か?

で、肝心の「互助会」です。誰が言いだしたのか知りませんが、人口に膾炙され、定着しつつある単語なのでそのまま使用します。

本来的な互助会の意味については下記のブログが詳しそうです。

d.hatena.ne.jp

(※この方の新しいブログもはてなです。サービス内で自分の作った単語が、こんなに盛り上がってるのに何故言及しないんでしょうか?)

いつから互助会的な仕組みが出来上がったのかは分かりませんが、おそらく他のSNSやサロン、オフ会等を通じて自然発生的に大きくなっていったものと思われます。

はてなブログが内部構造的にSEOに優れているという点、はてなブックマーク機能に有利に働き、人の目に触れやすいという点、等からはてなブログを薦めるアフィリエイトサイトも多くあります。

「ブログ飯」が珍しくない今、ネットでのつながりも多角的に、リアルの交流も積極的に行うことがバズるためには不可欠、というのはおそらくどの指南書にも書いてある、あるいは初心者でも心得ていることなんでしょう。

 

とにかく、定義はあいまいでその規模も実態もおそらく正確には把握できないと思いますが、その特徴はいくつか挙げることができます。

  • ここ数年でブログを始めた初心者が多い
  • はてブコメントの多くが、参考になります!といったものや、私信(いいですね~、●●さんらしいですね~、など)が多い
  • 記事が更新されるたびに必ずブックマークする

といったところでしょうか。

(※記事の面白さは人それぞれなので問いません)

 

で、私が懸念し違和感を覚えるのは、特徴の二つ目と三つめです。

この中身の無いコメントと毎度のブックマークによって、ソーシャルブックマークの「共有」と「発見」という機能が損なわれるからです。

 

本当にブックマークしたくてしてるのか?

同じブログの筆者が毎回唸らせるような面白い記事を書くのはまず不可能です。

かなり以前の内田樹氏や安全ちゃん等がそうだったかもしれませんが(あるいは今の隊長)、ブログを始めたばかりの人がそう毎回ホームランを打つことはよほど文才に恵まれていない限り難しいのでは、と思っています。もちろん文才に恵まれた人もいると思いますが、そんな人でも毎回ホームランは打てないでしょう。

そのため、記事が更新されるたびに同じ人たちが、毎度ブックマークを相互にする、というのは共有・発見というブックマークの本来の特徴からすると不自然な行為です。保存・検索という意味でも、本当に後で探して読み返すでしょうか。

また、面白さを他の人に知ってもらいたい、あるいは共有したいという思いがあるのであれば、そのブログ記事の何に魅力を感じたのか、特筆すべき箇所(引用したい箇所)はどこか、あるいはどこが批判されるべきところなのか、といったことを書いてほしいな、と思います。

もちろんコメントもせずブックマークする方も多いし、サービスの使い方はそれぞれです。

ただ、それって本当に他の人にも読んでもらいたいと思っているんですか?どんな意図をもってコメントしてるんですか?と言いたくなります。意思を持たないブックマーク行為が、ボットやスパムのそれと何が違うのか、私には理解できません。

 

当然、毎回同じようなブログが同じようにアルゴリズムによって上位に表示されれば、本当に面白い記事、ニッチな世界の読まれるべき記事の発見が困難になることも十分考えられます。

 

個人的に「はてなブックマーク」の好きなところは、良質な記事には良質なコメントが集まる、あるいは悪質な記事には良質な批判コメントが集まる、ところだと思っています。

何が良質で何が悪質か、はここでは問いませんが、一般に良記事と言われるもの、炎上記事と言われるものは、感覚的にそれぞれ判断できるのでは、と思います。またその判断の一助となるのがコメントです。

 

経験上、一定数ブックマークのある記事にコメントが全く無ければ、スパムかエロ記事かな、と判断できます。

また、コメントを見ても内輪で盛り上がっている(これに関しては新参とか古参とか関係なく)とか、中身のないコメントばかり、だと「あぁ互助会か・・・」と思ってしまいます。

 

ブックマークコメントから学べることもたくさんあり、コメントによって記事の正誤が判断できることもあります。その点が「はてなブックマーク」がサービスとして価値を発揮できる最たるものであり、多くの人がこれまで利用し続けた所以ではないかと思います。

 

以上のことから、慣れあいのコメントを繰り返すだけの互助的なブックマーク活動ははてなブックマークサービスの価値を毀損させる危険性をもつものだと解釈しています。

なので、できれば今のやり方はあまりしてほしくないのが本音です。個人の感想なので、強要しているものではありませんし、強要できる立場にもありません。

ただ、成員の自浄作用が働くのが村社会でもあると思うので、一成員として意見を述べています。

 

もっと発展性のある互助を

こんな話に、代案を出せ、という人はいないとは思いますが、締めとして「もっと有益で発展的な意見を言い合える互助活動はできないでしょうか?」という提案だけしたいです。

他人の記事を読んでいて、合点がいくことばかりではないと思います。その人に対するアドバイスがそのコメントを読んだ人のためになることもあります。あるいは、間違っている(と感じる)点は、村人どうし指摘しあって批判してもいいと思います。

それは手斧ではなく、ただの意見です。顔も知らない(はずの)誰かのコメントなので、あまり気にしないでください。そして、私信はブログ内のコメント欄で十分でしょう。

はてな」は殺伐としている、と言われる人もいますが、他のどのサービスよりもまっとうに意見できる場だと思っています。

ブロゴスなんかは、もっと殺伐としているし、ヤフーなんて不良のたまり場です。アメーバは業者のボットが巡回し、怪しい個人事業主が唐突に友人申請してきます。instagramには自己顕示欲というモンスターが住んでいて、Facebookはしがらみばかりでもはや機能していません。

 

リアルでも、こうした意見を言い合うのは非常に難しいことです。自治会を運営していたときは、それまで全然知らなかったものどうし、異なる意見をぶつけたりするようにできるまでにほぼ1年かかりました。

会議では誰も反対しなかったけど、よくよく後で個人的に聞くとじつは不満があった、みたいなことは会社でもよくあるのでは?

それいいですね、ということは簡単ですし、黙っていることも簡単ですが、それってどうなの?と自分の素直な疑問をぶつけることは、自分の無知をさらけ出すことになるかもしれないし、いい方によっては相手を傷つけることになるかもしれない。誰もが見られる場でそうして発言することはより難しいものだと思います。

でも、そうやってお互いが理解を深めていったほうが、いい関係が生まれると思います。

 

いろいろ思うところを適当に吐き出しましたが、今後も良い価値を提供してくれるサービスであってくれたらうれしいです。

以上です。

 

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(※この記事はスタバで書かれたものではありません)

他の誰の人生も変えない、私の人生を変えたはずの10冊

私にとって、大いに影響を与えてくれた本であっても、他人には何の役にも立たない紙の塊だったりする。

 

誰かが作ったオススメ本のリストを見るたびにそう思います。

toianna.hatenablog.com

例えば、こんなのです。(※個人的には好きな記事です)

 

じゃあ、なんで皆オススメ本をまとめたくなり、またそれらが人気なのかといえば、その本たちが、その人のことを表しているからです。

(※アフィリエイトキラーコンテンツとしての機能はここでは無視します)

 

こんなことを言うのはたぶん内田樹だったと思う、「その人の本棚を見れば、その人の頭の中が分かる」と。

その本棚から、さらに厳選したリストなのだから、それはもうこれが私です、と言って差し支えないものですね。

 

 

ということで、自己紹介を兼ねて、私の人生に影響を与えた本たちを10冊紹介します。

もし、このなかであなたの人生にも少なからず影響を与えた本があれば、あなたと私はどこか似ているところがあるのかもしれません。

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(※京都Lenにて撮影 いいとこです) 

 

1.ゆっくりとさよならをとなえる

ゆっくりさよならをとなえる (新潮文庫)

ゆっくりさよならをとなえる (新潮文庫)

 

 川上弘美の本は、殆ど読んでいます。独特の文章の間が好きで、高校生くらいからこんな風に文章を書きたい、と思いながらいつまでも書けずにいます。

魅力あるダメ男を描き続けている川上さんだけど、確実にそのダメ男に近づいている自分がいることを最近自覚しています。

 

彼女のどの本も何度も読み返しているけれど、疲れたとき、迷ったとき、病んでいるとき、カバンに忍ばせて電車で読んでいるのはいつも、この本です。

落ち着いた佇まいの文体で、てらいなく書かれたエッセイ。ひとつひとつの丁寧な表現が、日常のなかにある些細な喜びを掬い取ってくれている。何か、特別な言葉が書いてあるわけではなく、ただ読んでいるだけで心が落ち着く一冊なのです。

 

2.旅をする木 

旅をする木 (文春文庫)

旅をする木 (文春文庫)

 

 バックパッカーのあいだでは、まるで聖書のように扱われるほど、絶大な人気を誇る星野道夫さんのこの本。アラスカにわたり現地の人と交流しながら写真を撮り続けた星野さん。彼の文体はただただ、優しい。その優しさに、本当に何度も救われています。

疲れたときは必ず次の一節を思い返します。

結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。そして最後に意味をもつのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがえのないその時間である。(中略)

何も生み出すことのない、ただ流れてゆく時を、大切にしたい。あわただしい、人間の日々の営みと並行して、もうひとつの時間が流れていることを、いつも心のどこかで感じていたい。(p.231) 

 

3.カタツムリが食べる音

カタツムリが食べる音

カタツムリが食べる音

 

これは、鬱になってずっと布団にもぐっていたときに出会った、比較的新しい本です。

難病にかかり、ほとんど動けなくなった著者が、ベッドサイドで飼っていたカタツムリを観察します。人の生活のスピードについていくことができなくなった著者にとって、カタツムリは自分と同じゆっくりとした時間の中に生きる、同士でした。

 カタツムリの世界が身近になるのと反比例して、人間の世界はしだいに縁遠くなった。わたしと同類の人間たちの体はあまりに大きく、その行動はあまりにせわしなく、唐突だった。(p.48)

 

そんなカタツムリのことを観察し、調べ、淡々と綴っていく著者。

学術的な意義ももちろんない、観察記だけど、カタツムリと同じリズムとスピードで生活する著者の文体が、病んだ人の心にもちょうどよく流れてきます。

ただカタツムリが這った後を眺めるように、その淡々と綴られた文章を追っていくだけで、この本は十分面白いのです。

 

4.都市を飼い慣らす 

都市を飼い慣らす―アフリカの都市人類学

都市を飼い慣らす―アフリカの都市人類学

 

 大学時代の恩師の本。

不出来な学生だったけど、とてもかわいがってくれた先生でした。非常にコミュニケーションに優れた物腰柔らかい研究者で、無知な学生に、鋭く的確にその知を分け与えてくれました。

 

『都市を飼い慣らす』はアフリカの村落でのフィールドワークがもとになっています。

都市の周縁で暮らす彼らは、ときに都市へと出稼ぎに出る。一般的な「中央と周縁」という文脈で語られれば、それは周縁の労働力の搾取であるが、彼らの生活にそうした見地は何の意味も持たない。彼らは、都市を利用し、都市で狩猟をし、都市を飼っているのだ。搾取された労働力、というかわいそうな存在ではなく、リアルな「生活者」としての彼らはもっとずっと逞しく生き生きとその日々を楽しんでいる。

 

先生は、このように相対化された視点で見ることを徹底して教えてくれました。労働、地域、格差、マイノリティ、ジェンダー、どんな問題を考えるときでも、必ず念頭に置くようにしています。

 

4.パサージュ論

パサージュ論 (岩波現代文庫)

パサージュ論 (岩波現代文庫)

 

人の、なんでもない日常や風景を切り取った断片を見るのが好きだ。

パサージュ論は、ベンヤミンが当時、街を歩き、書物を読み、それらを切り取っていったものをまとめた膨大なコレクション集。これが、本当に面白い。

大きな歴史の流れや、後々まで語られる大きな物語では掬い取ることのできない、小さな日常の暮らしを読み取っていくことで、それまで語られてきたこととの違いや当事者視点での歴史的な意義が見えてくることがある。ライフヒストリー研究はその代表かもしれないが、それに限らずこうした些細な情報を収集し組み立てることのできる面白さは、全ての文化研究に通じるものがあります。

 

 5.文明化の過程

文明化の過程〈上〉ヨーロッパ上流階層の風俗の変遷 (叢書・ウニベルシタス)

文明化の過程〈上〉ヨーロッパ上流階層の風俗の変遷 (叢書・ウニベルシタス)

 

社会学を学んだ人間として、好きな社会学者を挙げてくれ、と言われたら、たぶんこの人を挙げます。

太い本で、論点は多岐にわたりますので、代表的な紹介だけ。

彼は西洋の文明化を捉えるうえで上流階級のテーブルマナーや作法の変遷に着目し、徐々にマナーが厳しくなるにつれて、暴力性が排除され(ナイフを体に向けない、丸焼きの鶏は裏で切られて皿に盛られる等)消えていく(文明化)過程を捉え、その自己抑制と暴力性の転換を論じています。

暴力は消えたのではなく、文明の中に内包されているからこそ、階級間の闘争が起きたり、戦争が繰り返されてしまう。第二次大戦中に書かれたこの著書は、「暴力性」をマクロにもミクロにも捉えようとしています。広くは国家(中央)に集中した権力にその暴力性が見られますが、日常の中にも見えない暴力が存在し、それが表面化したとき普段私たちが意識していない文明人としてのやや傲慢な自意識が現れます。

以前、ウサギを狩って炎上した女性がいたけれど(今も糸島で元気そうですが)、そのときこのエリアスの論が思い浮かびました。途端に暴力性を見せられたときの反応、上品さと引き換えに失ったもののこと等、いろいろと考えるべきことが現代においてもたくさんあります。

 

6.楢山節考

楢山節考 (新潮文庫)

楢山節考 (新潮文庫)

 

深沢七郎が好きなのは、川上弘美の影響から。この楢山節考は、端的に姨捨山の話です。

婆さんには捨てられる覚悟はできている。気丈で、しっかりした婆さんだ。ダメなのはその息子のひ弱さだ。それでも婆さんを背負って山に登らなければならない息子に焦点をあてて、その苦悩を描いている。

「弱さ」は人の物語において最も重要なものです。その弱さによって、感情が揺れ動き、読む人は共感し、感動が与えられる。人の心の弱さは、今も昔も変わらないから、昔の名作は今も名作なのだと思います。

50年前に書かれた創作小説とはいえ、実際にあった因習がもとになっているものと思われます。そして、決して古いおとぎ話とも言い切れなくなった現代の介護事情をどうしても思わざるをえない小説です。

様々な人の感情が入り混じる家族・介護・福祉といった問題。単純に筋道通った正論だけでは解決しきれない問題をとらえるとき、こうした人の弱さと強さを知り、寄り添うことが実学的には何に役にも立たない文学の存在意義だと思っています。

 

7.モモ

モモ (岩波少年文庫(127))

モモ (岩波少年文庫(127))

 

 この本をこういうリストに挙げると「女子か」と言われてしまう。まあ、女子で構わないです。

本を読まない幼少期をすごしたので、読んだのは大学生になってから。自分の中での「なんとなく働きたくない」感情はここでしっかりと培われています。あれは、時間どろぼうだ。会社にいたあいつらは、きっと灰色の…(略)

ここまでの記述で、そりゃこいつ主夫にもなるわな、と思ったあなたはたぶん、正しいです。

 

8.僕は勉強ができない

ぼくは勉強ができない (新潮文庫)

ぼくは勉強ができない (新潮文庫)

 

 今さら山田詠美か、と思うかもしれませんが、思春期まっさかりの中学生の頃に読んだ本です。おかげで、見事にこじらせましたよ。

文学少年的には、ひねくれた環境の中で育つ、ひねくれた主人公に心惹かれたのは間違いありません。

そうして勉強はできたけど、仕事は好きになれませんでした。

こうやって自分のルーツを遡っていると、このあたりに根源的なものがありそうですね。

 

9.ノルウェイの森

ノルウェイの森 文庫 全2巻 完結セット (講談社文庫)

ノルウェイの森 文庫 全2巻 完結セット (講談社文庫)

 

出た、村上春樹と、嫌いな方はそっ閉しても構いません。これも中学生のときに影響を受けた本の一つだから、仕方がありません。

村上春樹の小説は、ちょっと背伸びしたい年ごろの中学生を本好きにさせるのに、十分なものでした。あるいは、田舎者の中学生にとって都会への憧れを感じさせるようなものでもありました。

また当時、男子の間で回っていたアダルトビデオを借りる勇気もなく、その輪に入れなかった私に、性的な表現やその意味を教えてくれたのも村上春樹でした。

そうしたものを含め、ちょっと背伸びをしてみたい年ごろに読んだのは、とても良かったのだと思いたいところです。

 

10.ダイの大冒険

小学生が一番影響を受けるのは、ゲームかマンガです。ここで気取って児童文学なんて紹介しません。

まだ読んでない人、いますぐまとめ買いしてください。

ダイの大冒険というタイトルですが、この物語一番の主役はポップという普通の弱っちい男の子です。ポップに関しては、私に限らず多くの人の生き方に影響を与えているのではないでしょうか。ポップは多くの人に勇気を与えているヒーローです。

 

 

以上です。

主夫全く関係ない内容ですが、少なからず今の生活にもつながっているのかもしれません。一つ言えることは、本に影響されているとろくな人間にならない、ということです。

 

一度書いてみたかった、自己満足な記事でした。すみません。

意識低い系の主夫

少し、もやもやを綴ります。

 

皆さんは意識高い系ですか?私は低い系です。

 

偉そうにこんなブログを書きながら、うつ病の療養中って言って甘えて、低気圧になったらふとんに籠るし、家事もサボるし、ネットサーフィンもします。

 

子どもの育児も、iPadで「しまじろう」見せたり、いろんなアプリで好きに遊んでもらってたり、twitter片手にプリキュア見たり。

(※このアプリ、おすすめです。お金かかるけど) 

 

でも、「主夫」って名乗っている以上、「なんか意識高くないといけない」気がするんですよね。

その意識高くないといけない、みたいなプレッシャーは専業主婦の方もやはり同様に感じているでしょう。

 

単純に「稼ぎ」が無い。そのことが、せめて家事はしっかりやらないと、という気持ちに結びつきます。

そりゃ当たり前だろ、それが主夫の仕事なんだから、という意見もその通りです。

 

でも、誰だって楽がしたい。

ワークライフバランスの整った生活がしたい。

 

意識の高い主夫の方々、本当に尊敬していますし、全く否定しませんが、「こいつらワーカホリックだ」と思う節があります。

 

ファザーリングジャパンという「Fathering=父親であることを楽しもう」という非常に意識の高い理念をもったNPO法人があります。

NPO法人ファザーリング・ジャパン | 笑っている父親になろう! 父親の育児・家事・夫婦関係・子育て・働き方を支援します。

私も会員なので、その関西支部の方、本部役員の方、スピンオフで結成されたという「主夫の友」の方、さまざまな父親業の人と知り合う機会があります。

皆さん総じてアクティブで有能、優秀な方が多く、バリバリ働いて、バリバリ父親をやっています。

前回のエントリでも紹介しましたが、地域活動をはじめNPOの活動も積極的に行い、情報発信している主夫の方もいます。

 

FJの活動はとても賛同しているのですが、その活動の輪に入っていくのにしんどさ、辛さを感じるときがあります。

「意識高い」というかリア充さに嫌悪感があるのかもしれません。

なかなかその「リア充」の集まりに入っていくことができず、私は一人こうしてブログを更新しています。

 

「父親であること」が「家庭での仕事」という位置づけになっていて、ワークライフバランス」なんて言葉はあるけれど、「ワークワークバランス」になっていないか?と思うことがあります。

それは、共働き家庭の母親にも同様に言えることです。

家でも会社でも「仕事」をして、燃え尽きてしまう。本当の「ライフ」はどこにあるのか?

 

一度も読んだことないけど、母のライフはもうゼロ~みたいなタイトルのブログがあります。

このタイトルが、上記の状況のことを示していて「私のライフはどこ?」という意味合いだとしたら非常に秀逸だなあと思っています。(たぶん、ただの遊戯王のパクリですが)

 

このもやもやは「仕事」をどのようにとらえるのかというところから、考えるべきなのかもしれません。

 

で、いま下記の本を読んでいます。

仕事の人類学―労働中心主義の向こうへ

仕事の人類学―労働中心主義の向こうへ

 

(※4000円するので、図書館で借りることをオススメします) 

 

「仕事」と「仕事でないもの」の境界はなにか。 

それらは本来区別されるものなのか。

そんな問題意識から人類学の視点で、労働を捉え直しています。

 

面白いのは、人類学の本らしく、労働が概念化された文化・文明以外の調査レポートが豊富で、通常、仕事や労働の概念では語られない一連の営みについて目が向けられていることです。

また、女性の執筆者が多いからなのか、かなりジェンダー視点を含んだ内容となっており、「(男性を含む)家庭での仕事」についても多く言及されています。

「仕事」を明確に区別し、そこに価値を見出す世界で生きていると、見えなくなる価値観や世界観に触れることができます。

 

 

話を戻します。

 

主夫をしていると、「仕事」は生活の延長上、あるいはその一部としてつながったものとして存在しています。

 

様々な断片的な仕事の合間、そのさなかに、twitterを眺めたり、昼のワイドショーを見たり、買い物ついでにおやつを買ったり。

非効率的なようで、毎日続く生活である以上、そのなかに溶け込ませてしまったほうがラクなこともあります。

 

あるいは、幼稚園や保育園の帰り、ママたちが集まっておしゃべりをしているのは、本当にだらだらとおしゃべりしているだけの「遊び」なのか、それとも地域社会で生き抜くための情報戦であり、高度な政治的判断を伴う「仕事」なのか。

 

「仕事」をしているのか、遊んでいるのか、客観的に見たときによく分からない。

そんなことも主夫をしているとよくあります。

 

かと言って、全てを「仕事」として捉えると息が詰まるなぁと思っています。「仕事」ってなんか面倒じゃないですか。

 

「主夫」として頑張っていないと。「イクメン」として頑張っていないと。ってなんでも頑張らせるのも一周回ってみると疲れてきます。

「輝く女性」みたいなもんですね。誰もがキラキラした世界なんて、僕は嫌です。

 

旅するように暮らしたい。遊ぶように仕事がしたい。死ぬように生きていたい。

意識低い系の主夫でありたい。

 

そんなことを意識して、主夫しています。

 

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(※ダイソーで買った200円のボックスです。図書館で借りた本を入れています)

ぼくらが主夫になる理由

またどこかで聞いたことのあるフレーズですね。

ぼくらが旅に出る理由

ぼくらが旅に出る理由

 

 ぼくらが主夫になる理由

主夫の皆さん、どんな理由で主夫になるんでしょうか?

今まで、ファザーリングジャパン(以下、FJ)のイベントやオンラインサロン等で、いろいろな主夫の方に出会ってきました。

 

そうした方の多くが(私含めて)、ネット上で自身のことを発信されているので、そのいくつかを紹介してみたいと思います。

(※特に許可は取っていないですが、ネット記事からの引用だし、皆そこらじゅうで喋ってるし、いいですよね?)

 

1.タイゾーさんの場合

toyokeizai.net

東大卒の主夫として有名な堀込泰三さん。現在は、主に翻訳業やライターなどをしているそうです。また、FJの活動も精力的に参加されています。とても物腰柔らかで理知的な落ち着いた方です。

そんな堀込さんが主夫になった理由は。

泰三さんが主夫になったきっかけは、実苗さん(※妻)の海外赴任だ。博士研究員としてスタンフォード大学のあるアメリカ・カリフォルニアに行くことになった。当時、会社員だった泰三さんは、迷わず育児休業を取得して家族そろって渡米することにした。ところが実苗さんのアメリカ滞在が当初予定より長引き、泰三さんの育休期間が終わってしまった。

仕方なく、いったんは帰国し仕事に復帰したものの、家族と離れて暮らす寂しさに耐えかねて退職を決意。主夫となって再渡米した。

とのことです。

奥さんの海外転勤がきっかけ、とはいうものの、子どもと一緒に長く過ごしたいという思いが強かったことが大きなその理由だそうです。

 

子育て主夫青春物語「東大卒」より家族が大事

子育て主夫青春物語「東大卒」より家族が大事

 

 

2.ぶみさんの場合

kengyoshuhu.blog.fc2.com

「子育て主夫男子の日常」というブログを書かれている「ぶみさん」こと吉田さん。

非常勤講師との兼業主夫をされています。見るからに知的な方です。

大学院のときに結婚して僕のほうが時間があったので、自然と家事の分担が多くなり、そこから徐々に増えていったという経緯です。

ママ友接待の無茶ぶり? 親の反応は?──「男は仕事、女は家庭」を覆す主夫の本音 | サイボウズ式

学生時代に結婚したという経緯から自然と役割分担ができていた、という感じですね。

 

3.しゅうちゃんの場合

ameblo.jp

金髪が特徴的な「しゅうちゃん」こと佐久間さん。髪の色を変えたのも「主夫」になるための決意なのだとか。とても明るく優しいお人柄です。

18年前、結婚して半年のときに難病が発覚して働けなくなり、妻から「わたしが働くから、家で家事のほうをやってくれ」というオトコギのある発言がありまして、そのまま主夫になりました。 

 佐久間さんの場合は、病気によるものですね。出会った主夫のなかで一番多かった理由が、この「ご自身の病気」でした。

 

4.村上さんの場合

とてもリア充感が漂う村上さん。グラフィックデザイナ-との兼業で主夫をされているほか、FJの理事もされています。とても調整力の高い優秀な方です。

村上 誠 | NPO法人ファザーリング・ジャパンNPO法人ファザーリング・ジャパン

私は同居していた実母が倒れて要介護になったのがきっかけです。当時僕はフリーランスで、妻は企業勤めだったので、母の扶養を妻側に入れてもらったほうがコスト的によかったのと、僕も実親の介護をしたかったので、ワークダウンして主夫になりました。

親族の介護、というのもワークシフトのきっかけになりますね。実際、動きやすいほうが動く、というのは非常に合理的な判断です。

 

5.ムーチョさんの場合

4コマ漫画で主夫の日常を描く漫画家兼シュフのムーチョさん。

ムーチョさんの運営されているオンラインサロン『家事研究部』で、私もお世話になっております。

www.katarue.com

ムーチョさんも就職後に、体調不良により退職とのこと。

ちょうど子どもが生まれるタイミングだったので、夫婦で話し合った結果、妻が働き、僕が家で子どものお世話をするというライフスタイルになりました。

ムーチョ on Strikingly

 とのことです。

いまでは、あまり漫画で育児を描くことも珍しくないですが、ムーチョさんはかなり以前から活動されている方の一人。主夫歴も、その仕事ぶりも見事で、twitter等での発言も鋭くフォローしていて面白い方です。

 

6.和田さんの場合

ファザーリングジャパン関西の理事をされている和田さん。得意技はマジック。

fjkansai.jp

和田さん、住んでいる場所も近いので、何度もお話したことあるはずですが、主夫になった理由は明確にはネットに書いていませんね。

ただ、プロフィールとしては、

元TVカメラマン。

娘(長女)の誕生を機に主夫となり保育士資格を取得。

 です。とても大変なお仕事をされていて、奥さんも看護師。様々な選択肢のなかから、和田さんが主夫になる、を選んだようです。

夫婦で話し合った結果の、とても良いワークシフトだと思います。

また、保育士資格を取られているところもさすがです。私も頑張ります・・。

 

7.竹永さんの場合

アメリカで「nyunuts」という独自メディアを配信したり、アメリカの主夫視点でtwitter等でも様々な発信をされている竹永さん。

twitter.com

竹永さんの主夫になった理由は・・、いろいろということですが、「私のほうが向いていたから」とのことがあるようです。奥さんがあまり家事をしない方らしいですね・・。たまに(よく?)愚痴をこぼしておられます。

NYに住んでも幸せになれない―ニューヨーク病を超えて

NYに住んでも幸せになれない―ニューヨーク病を超えて

 

 

8.杉山さんの場合

放送作家をしながら、主夫も務める兼業主夫です。放送作家とかカッコいい!とてもお洒落な人です。娘さんがパパ好きなのも良く分かります。

 ↓のような本も出されていて、面白いらしいです(読んでません)。

コミックエッセイ 新ニッポンの父ちゃん ~兼業主夫ですが、なにか?~

コミックエッセイ 新ニッポンの父ちゃん ~兼業主夫ですが、なにか?~

 

 杉山さんも夫婦共働きで働いていたそうですが、長女が保育園に通い始めたころに、仕事を減らし、兼業主夫になったようです。奥さんではなく自分が仕事を減らす。とても立派に聞こえてしまうので照れ隠しなのかマジなのか分かりませんが、離婚を考えていて、離婚したときに男性が不利になるケースが多いので育児の実績を稼いでおこうと思ったとか。まあ、そんなのもありですよね。

(参考)兼業主夫×キャリアウーマン。常識に囚われない子育てをするコツとは - withnews(ウィズニュース)

 

まとめ

当然ですが、皆さんそれぞれの事情のなかで、それぞれの選択をして、主夫になっています。

 

人生の様々な分岐点のなかで、「主夫」という選択をすることは、決して安易なことではなく、やむにやまれぬ事情でそうした選択をせざるを得なかった人もいます。

しかし、多くの専業主婦もやはり同様にやむにやまれぬ事情でその選択を行う方も多く、ただそれまでのジェンダー観によってその事情が見過ごされてきただけなのではないかとも感じます。

 

ここで紹介した男性の主夫の多くは、ブログやメディアで精力的に発信をしています。

主夫はマイノリティだからこそ誤解されやすい存在でもあり、その役割やライフスタイルの発信が必要だと考えているのだと思います。

 

その人、その家族の生活があって、その生活をうまくやっていくためにそれぞれの家庭にあった役割分担をする、という当たり前のことがともすると「価値観」「常識」だけで見えなくなってしまうことがあります。

「ぼくらが主夫になる理由」をここで紹介したかったのは、そうした当たり前のことを考えて主夫になったんだ、ということを分かってもらいたかったからかもしれません。

 

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あ、ちなみに私は、鬱になって会社辞めて、主夫になりました。鬱なのに主夫の仕事をちゃんとできてるかと言われれば、できていないことも多いです。ごめんなさい。

ここに紹介している主夫の人たちは本当に「デキる主夫」ばかりなので、私みたいにもっとだらしない主夫の方、大歓迎です。

 

 

 

主夫と健康保険の話。妻の扶養に入るには?

 

「主夫 健康保険」でGoogle検索をされた皆さん、あるいは妻の扶養に入りたいと思っている皆さん、こんにちは。

 

タイトルどおり、主夫と健康保険のいい関係についてお話します。

 

 

「扶養に入る」とは?

奥さんが、フルタイムの正社員として働いている場合、一般に専業主婦の方がダンナさんの扶養に入るのと同じように、専業主夫の方も健康保険の扶養家族に入ることができます。

 

一応、そもそも「扶養に入る」とは?というところを説明します。

 

「扶養に入る」という言葉の扶養には、「所得税の控除対象としての扶養家族(配偶者)」と「健康保険の被保険者の扶養家族(配偶者)」の2種類があります。

 

所得税の控除対象として認められれば、勤めているパートナーが年間に納める所得税の額が控除されます。

控除の条件の代表的なものとして、「年間の所得(収入103万円ー65万円)が38万円以下」が挙げられます。

いわゆる103万円の壁です。

 

一方、健康保険の被扶養者の条件は、「年間収入が130万円未満」であり、これがいわゆる130万円の壁です。

 

それぞれ、区別しなければならない点としては、基本的に収入はその年の1~12月の合計で計算、ただし103万円は年末時点での金額で計算、130万円は年間の収入見込みで判断、となります。

ちょっとややこしいですね。

とりあえず、健康保険の話のみ続けます。

 

※話を分かりやすくするため、ここでは収入要件のみ示しています。

 

主夫が扶養に入る場合の相違点

基本的な手続きや資格要件は、男女関係なく同じです。ところが、男性が配偶者として扶養に入る場合には、提出書類が増えるケースがあります(※加入する健康保険組合によりますが)。

会社等を退職し、配偶者の扶養に入る場合、扶養異動届(妻の会社でもらう)・離職したことが分かるもの(退職時にもらう離職票・退職通知)が必要です。

しかし、男性が扶養に入る場合には「本当に収入が無いことを証明してください」というムチャを言われることがあります。(※労務経験上、女性の扶養加入で言われたことは無いです。)

 

そのために、退職時の源泉徴収票無職証明書(民生委員に依頼)などを追加で添付します。

市役所が作成する課税証明書を提出する場合もありますが、これに関しては記載された所得額が前年度の所得ですので、前年から休職等で働いていない場合のみ有効です。

基本的には、男性が稼ぎ手で、無収入の状況なんておかしい、という古い考えから、こうしたケースがあるようです。

 

主夫と健康診断

健康保険の被保険者は、年に一度健康診断を受けることができます。受けてないって人はぜひ受けてください。何もなければすぐに終わる定期的な健康診断ですが、やはり病気の早期発見には欠かせません。

飲み会が多い、無茶な勤務が多い会社は特に、です。

 

一方、その配偶者は健康診断を受けることができるのでしょうか。健康保険組合によっては、春または秋に婦人健診を実施しているところもあります。基本的には無料で受けられます。

しかし、これ、婦人健診です。男性は受けることができません。

そのため、男性である主夫が健康診断を受ける場合には、自費で病院に全額を支払うことになります。

費用は、検査項目によって異なりますが、相場としては9000円~15000円の間です。

 

これだからマイノリティの主夫は・・・とまとめたいところですが、安心してください。

40歳以上の方であれば、特定健診という健康診断を受けることが可能です。

こちらは、いわゆる「メタボ健診」と呼ばれるもので、生活習慣病のための検査と相談を行います。バリウム飲んだり、とかはありませんが、採血や尿検査等はしてもらえるので、お酒の飲みすぎ食生活の乱れなどの適切な判断は可能です。

これは、無料で受けられる・・・といいのですが、協会けんぽの場合補助の上限額が決められており、1500円程度の自己負担が発生します。その他の健康保険組合では無料のところもあります。

40歳以上になれば、そうした案内が届くはずなので、必ず受けるようにしてください。

 

でも、早くに主夫になった人、私も特定健診の対象年齢まで10年近くあります(毎週、心療内科に通院はしていますが)。

その間、なにも健診を受けないのも不安ですよね。多少、費用を自己負担してでも、受けるべきかな、と思います。

 

扶養に入りづらい?

男性が退職した後、次の仕事がきまっていれば無職期間があっても、妻の扶養に入ることは少ないと思います。

「主夫になる!」と決めて長期間働かないことをあらかじめ固く決意している場合はともかく、多くの人はもしかしたらすぐ働くかもしれないし・・・、と扶養に入ることを躊躇われるかと思います。

「妻の扶養に入る」ことへの抵抗感は、共働きで男女の性別役割が無いといっても、多少なりとも感じてしまって仕方がないものです

実際、主夫どうしの会話のなかで、この話題が上がることはよくあります。 

 

しかし、入らない場合、国民健康保険国民年金の両方を負担するため、それなりにまとまった額を毎月支払うことになります。

世帯収入による減免措置もありますが、これもやはり前年度所得も含めて判断されるため、もともと共働きであった場合などは減免審査が通らないことも多いです。

あまり気にせず、仮に短い期間であっても、入れるものには入っておきましょう。こうした節約も主夫の仕事の一つです。

 

減免申請って?

前年収入から見込み所得が大幅に低下する場合、国民健康保険国民年金・住民税などの支払額を低減することができます。

自治体によって基準が異なるので、またこれも窓口で確認してください。面倒なのが、健保・年金・税のそれぞれで窓口が異なり、それぞれで事情を説明し申請しなければならないところです。

縦割りか!と舌打ちしたくなりますが、あくまで低姿勢でいきましょう。

 

ちなみに、鬱などで保育園なども継続的に通わせる場合は、保育料の延納申請、減額申請も可能です。

特に保育料については、子ども子育て支援法の施行により、前年の住民税の課税額をベース(つまり前々年の収入額!)に、その年の4~8月分の保育料が判断されます。

(※自治体ごとに運用を確認してください)

そのため、減免申請をしなければ、高い負担額が長期間にわたって適用されることとなります。もちろん、こちらから申請しない以上、向こうから打診されることも一切ないので、知識が無ければどうしようもありません。

こちらは比較的通りやすく、通れば申請した月から減免が適用されるため、早めに窓口に相談し、申請することをお勧めします。

あ、もちろんこれは保育課の窓口ですので、お間違いなく。他の窓口では教えてもらえません(というか職員も知らないのでは)。

 

 

とりあえず、こんなところでしょうか。様々な制度が複雑化しており、職務に就いている人も混乱している部分もあると思います。担当者の勘違いなどもよくある世界です。

「すでについていけない、自分で手続き無理、誰か助けて!」という場合、地域の民生委員や福祉委員、場合によっては市議等に助けを求めることも可能です。

私の場合、たまたま市議に相談できて、市役所の会議室にわざわざ課長さんクラスの職員さんが対応してくださるという何とも素敵なことがありましたので、こういうときにも地域のリソースを活用してみてください。

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絵本の探し方

某絵本のエントリが話題になっていたので、絵本のはなしです。

www.ehonnavi.net

※この絵本についての言及はしません。個人的には嫌いな絵本です。

 

 死について書かれた本については、最近話題のこちらをオススメしておきます。

このあと どうしちゃおう

このあと どうしちゃおう

 

 

さて、これとは別に、実際にどうやって絵本を探せばいいか、という話題があるので、そちらを深堀りします。

 

 

図書館

まずは図書館を第一にオススメします。

絵本が試し読みできること、無料で借りれること、オススメの絵本を気軽に相談できること、季節に合わせたオススメの絵本が配架されてること、図書館に行く習慣、図書館で過ごす習慣をつけることで読書体験を自然のものにすること、などそのメリットは数え切れません。

 

何より、絵本は多くのものが、丈夫なつくりでフルカラーと単価が高い一方、昔ながらの名作が多く、それらは図書館に溢れているので、改めて新刊本を買う必要性は少ないし、キリがないと思っています。

 

定期購読サービス

絵本ナビも年齢別・テーマ別等にオススメの絵本が紹介されています。

そのほか、ランキングなどもありますが、その機能はあまりオススメしません。理由は例の本のようにベストセラーだからといって、(自分たちにとって)良い本とは限らないからです。

 

こどものとも』も、毎月届く配本サービスですが、そのほかにもさまざまな絵本の定期購読サービスがあります。

クレヨンハウス、絵本ナビなどの購読サービスがその代表的なものですが、これらのサービスを活用するのもアリですし、活用しなくてもそのサービスの選書を参考に、図書館で探して借りるのでもいいと思います。

活用するなら、「こどものとも」が420円/月と安いので、オススメですが。安い理由はハードカバーではないからです。

 

これらの絵本サービスで届けられるものは、それこそ厳選されたオススメの絵本なので、まず間違いないと思います。

www.crayonhouse.co.jp

club.ehonnavi.net

 

絵本の本

自分の読書体験から、私は好きな作家のオススメの本を読み、またそのオススメ本を読みということを繰り返し、大まかな本の系譜をつかんできました。

絵本も同様に、多くを読んでいるとオススメの作家、あるいは出版社などが見つかり、それらの作家のオススメ絵本を読む、というのも面白いと思います。

 

ここのところ、おすすめの絵本について書かれた「絵本の本」が多く出版されています。

絵本に精通した絵本好きの人が書いた本なので、信頼性も高いと思われますし、下記に紹介する本は全てオススメしておきます。

 

絵本といっしょに まっすぐまっすぐ

絵本といっしょに まっすぐまっすぐ

 

京都の絵本屋さん「メリーゴーランド京都」 の店主、鈴木潤さんのブログ記事をまとめた単行本。日常の日記になぞらえて、絵本を紹介されています。メリーゴーランド京都のお店に置かれている絵本のセレクト自体とても素晴らしいのですが、その店主である鈴木さんの薦める絵本ということで、大いに参考にしてよいと思います。

 

絵本のはなし (MOE BOOKS)

絵本のはなし (MOE BOOKS)

 

 個人的に大好きな女優、菊池亜希子さんのエッセイ『絵本のはなし』。この人の書く端的な文化系女子な文章は好きなんですが、絵本の影響も大きいのだと思います。彼女のオススメ絵本が紹介されています。女子ウケがいい選書であることはご了承ください。

 

小さな本の大きな世界

小さな本の大きな世界

 

昨年亡くなられてしまった詩人の長田弘さんですが、 絵本にまつわるエッセイをいくつも残しています。それらを『金曜日の砂糖ちゃん』などの代表作で知られ、独特な雰囲気の絵と文章が特徴な絵本作家、酒井駒子さんの絵とともに、収めています。

 

絵本に魅せられて

絵本に魅せられて

 

こぐまちゃんシリーズや『わたしのワンピース』 などベストセラー絵本を出した「こぐま社」の創業者佐藤英和氏による絵本論です。絵本論なので、絵本の紹介はメインではありませんが、「いい絵本とは?」という視点を得ることは絵本を選ぶ際におおいに参考になるのでは、と思います。

 

上記、全て2016年に出版された本、というのが興味深いところです。なんなんでしょう、今年の各社の絵本推し。

 

定期的にMOEやBRUTUS等の雑誌でオススメ絵本100冊みたいな特集もありますが、商業誌のまとめたようないかにもな選書は結局読まないことも多いんで、こういう各々の思い入れの強い単行本をオススメします。

 

なんにせよ、どんな絵本が子どもにぐっとくるものなのか、大人では分からないことが多いです。

特に0歳~1、2歳向けの絵本なんて、どうしてこれがウケるんだ?!みたいな驚きの絵本がたくさんあります。そうした絵本を自分の感覚だけで探すのは不可能です。

今もド定番な『ぐりとぐら』は1967年の刊行、『はらぺこあおむし』は1969年生まれです。新しい絵本じゃなくても、読み継がれていくのが絵本の世界でもあり、先人の知恵を大いに活用するのが一番です。

 

Amazonのリンクが多くて申し訳ありませんが、どうぞお見逃しください。気になる方はどうぞ別タブから。

 

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(※写真を撮ろうとしたら隠れた娘)

 

※追記

すみません、最後に孫引きですが、『絵本に魅せられて』のなかで佐藤さんがポール・アザールの『本・子ども・大人』の一節を紹介されているのでそちらを少し引用します。

幼い子どもたちは自分でものを食べ、自分で着物を着ることもできないし、また時間をかけて教わらなければなにひとつ作ることもできないが、しかし、いったんこうと決めた以上は実に強情である。

彼らが欲しいのは、まさしくあそこにあるあの本であって、その隣にある本ではない。子どもたちはみんな、その本を欲しがっている。彼らはそれを掴み、握りしめ、それに自分の名前を書き込んで、自分のもの、自分の財産にするのである。

たとえそれが彼らのために書かれた物語でなくても、かまいはしない。そんなことは、彼らにとってどうでもよいことなのだから。

要するに、それが、彼らを魅惑する本であるかどうかが問題なのだ。

 (『絵本に魅せられて』p.12)

主夫の評価と目標管理

記事数も少なく、大した書いてないのに、意外とアクセスある(はてなアクセス解析しか見てないけど)はてなブログが不思議です。

 

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(※海と娘です)

 

主夫の評価 

タイトルの話題ですが、まず主夫って評価されにくいんです、という愚痴から始めます。

 

周りから「働いてないの?もったいない」って言われるし、ヒマでしょ?って言われるし、大したことしてないでしょって思っている男とこんなに頑張っている私って訴える女との言い合いなんてそこらじゅうで起きているし。

 

じゃあ、何かしらの評価基準ってないだろうか?というのがこのエントリの趣旨です。

 

主婦・主夫の年収議論

よくある「主婦の年収」議論を先にします。

何度も繰り返されている今さらな話題ですが、先日のマイナビの意識調査では次のような結果だったようです。

 

0円ってひどくない!? 専業主婦の妥当な年収っていくら?|「マイナビウーマン」

男性の回答で0円が一番多いという話でした。

 

赤木智弘という人はこんなことを言っています。

blogos.com

一見すると主婦をdisっているようですが、落ち着いてください。いいことも言っています。

「主婦の労働に金銭的価値を付ける」という行為そのものが、実は「給料が高いほど重要な人間である」という前提を包有した「罠」であることに気づくことができるはずだ。この罠に引っかかる限り、男は主婦を見下すし、主婦自身の自虐も無くなることはない。

「家事労働に賃金を」というフェミニズムの本がありますが、その主張はまさに上記の通りかと思います(この本はタイトルで誤解されがちですが)。

赤木さんは反フェミな人だと思いますが、金銭的価値(市場)によって囚われる思想から脱せよ、というメッセージはフェミニスト自身からも発信されているものです。

 

ともかく、きれいごとを承知の上でいえば、年収って客観的に分かりやすいことからよく指標にされますが、その人の人間的価値が年収によって決まるわけでもありません。

 

ということで「主婦の年収」議論は主婦・主夫の価値を考えるうえで実際には何の役にも立たない、ということをまずここで前提としておきたいと思います。

そのうえで、それでは「どうしたら主婦・主夫の価値は図れるのか」というところを考えてみたいと思います。

 

主夫の仕事とは 

主婦・主夫の仕事は家事です。ここでは家事を、「稼ぐ」以外の家庭内のアンペイドワーク無償労働)全てと定義します。

個人的に私は、家事を会社でいうところの間接部門の仕事だととらえています。

生産や売上(稼ぎ)に直接寄与することはありませんが、社内環境の充実(旨い飯ときれいな室内)と適切な備品管理(買い物・整理整頓)を行い、稼ぎ手にはメインの業務に集中してもらう環境を作る。

財務状況を把握し(金銭管理)、適切な投資判断(旅行や趣味・家電の購入等)ができるようにし、その効果(満足度・幸福度)を最大化する。

こうした間接部門(主夫の働き)があって、初めて営業職や技術職(稼ぐ人)が、メイン以外の書類作成等に追われることなく、専門業務に集中できるのだと思っています。

 

それでは、こうした間接部門の人たちはどのようにその評価を決められているのでしょうか。

 

評価基準と目標管理制度

年功によって上がっていく面もありますが、基本的には会社組織における評価によって、その人の収入は決まります。

成果主義の人事評価が一般的になって以降、多くの会社では目標管理制度(Management by Objectives)あるいはそれに類似する評価制度が作られていると思います。

 

会社組織にはその会社の目指すビジョン、企業目標が掲げられています。

そのビジョンを実現するために、各部門がそれぞれ目標を設定し組織として動いています。

一人ひとりの個人はどのように目標を定め達成すれば、組織の目標の実現ができるかを業務レベルで具体的に考えます。

 

そして、その部門の責任者はそれぞれの能力、やる気などを踏まえ各個人の定めた目標設定で自部門の目標が達成できるかどうか、等を判断し各自とコミュニケーションを取りながら、マネジメントします。

自分の立てた目標は会社の目標につながっていて、自分の成果が会社の業績とつながっているのだ、と気づかせることが、目標管理制度の一つのポイントになります。

 

導入したものの趣旨が十分伝わらず効果的に運用できていない企業も多く、問題点も多々指摘されてはいるものの、自主性を育み教育効果が高いことや、業績との連動評価がしやすいことなどで、各企業にあった様々な形で取り入れています。

 

バックオフィス部門での目標管理においては、「定量的な目標が設定しづらく、成果が見えにくい」という問題が一つあります。

 

目標設定においては通常具体的な数字を示すため、営業等であれば契約件数○件/月などといった目標を立てやすいのですが、間接部門の場合、クレーム件数を○件に抑える、経費を○%削減、処理時間の短縮、などといった数値目標になります。

そのほか、新制度の導入・システムの変更などといった定性的な評価基準もありますが、それも導入後の効果を測ることが前提となります。

 

これを「家事」に当てはめてみたいと思います。

 

 主夫の目標管理

家庭内の年度目標は、「貯金○○円!」「海外旅行に行く!」「子どもの受験に注力」など様々だと思いますが、下記は具体的な主夫個人の行動目標をいくつか、思いつくままに書いてみます。

 

・各種支出の削減

目標:食費を月3万円以内に抑える

具体策:週の初めにメニュー表を作成し必要な食材のみ効率的に消費

効果:無駄な支出の削減・献立の可視化

難易度:普通

 

・家計簿の記入時間短縮

目標:1日10分以内

具体策:マネーフォワード導入・少額決済はEdy・その他はクレカ

効果:家計簿の自動化により記入時間短縮、その時間を家計分析に

難易度:易しい

 

・PTA活動の縮減・効率化

目標:PTAの会議回数を削減・連絡手段の電子化

具体策:役員会で提案、配信メールサービスorグループウェアの導入

効果:コミュニケーションを維持したまま不必要な会議を無くし意味ある活動の時間や家庭内の時間に活用

難易度:難しい

(※自部署内で完結しない業務は難易度高めです・・・) 

 

・押入れの収納の改造・スペース活用

目標:タンスを一つ減らす

具体策:押入れ内に棚取付・襖→カーテンに変更し空間を有効利用

効果:押入れ内の収納力アップ、タンスを処分し広い空間を確保、日々の出し入れの効率化も

難易度:易しい

 

等、でしょうか。

こうした目標を設定し、それぞれ達成したかどうか等によって評価を決めれば、主夫としての価値は可視化されるのではと思います。

 

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(※いつか焼いたクッキーです)

 

評価基準を可視化すること

一般に年収の議論はよくされるものの、働く人がどのように評価されていて、その評価を主夫に照らしてみるとどうなるの?という議論があまりなされていないように感じられたので、思考実験として記事にしてみました。

 

ぶっちゃけた話、そんな面倒なことやってられっか!というお叱りの声が届きそうですが、その通りです。べつにやらなくていいと思います。

 

ここに挙げた事例はあくまで妄想の世界の参考であって、普段見えづらく分かりにくい主夫の仕事(とその価値)を見える化しただけです。

こうして評価基準を可視化すると、主夫の仕事の価値も見えてくるのではないでしょうか。

 

 

人事面談がめんどくさい、目標設定やりたくない。働いている人からはそんな声がよく聞こえてきます。

主夫は個人事業主みたいなものなので、そんなものはありませんが、働く人にとっては、厳しい目にさらされながら評価されることもまたストレスなわけです。

 

なんで評価されないの?という主婦たちの声はもっともですが、「評価されること」っていうのは、なかなかしんどいことでもあります。

 

 

「主婦」対「サラリーマン」のこうした議論は、結局のところ不毛なものが多いのが残念で、金銭的な価値の議論に回収されがちなのもまた残念です。

 

主婦・主夫の仕事は、それぞれの家庭で最適な生活環境を整えつつ、家族の幸福を最大化するとても貴い仕事だと思います。

兼業であれ、専業であれ、そうした仕事に対しては敬意を払いたいし、本来であれば労働の下位に置かれるべきではなく、それに見合うべき対価(社会的評価も含め)があればなぁと思います。

 

少し長くなりましたが、以上です。

 

「京大出て専業主婦なんてもったいない」のか?

 京大を出て専業主夫になった私ですが、片手間に書きます。

news.careerconnection.jp

先日、キャッチ―なタイトルで注目を集め、その後茶化したことで村の怒りを買い、炎上したブログがありました。
(※6/4追記 現在はブログごと削除されたようです。残念ですね)

 

同じ発音のセリフをよく言われるので、共感するところもあります。 

「もったいない」ってよく言われてきました。主夫になる前から、ずっと。

 

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新卒ではじめに入った会社は、設立8年目の小さな会社でした。

志望動機を問われる意図ではなく、「なんで(京大出たのに)ウチの会社に?」「もったいない」と幾度となく言われました。

 

・就職活動で大学の本来の活動を損なうのが嫌だった

・そのなかで一回の面接で内定出してくれた

・自分の興味のある分野(医療・労働・福祉)

・希望の勤務地と職種で働ける(東京・事務)

・同期も先輩もいい人いっぱい

・給料もそれなり(借上社宅含めて、500万位?)

って、自分にとってはとてもいい会社だったんだけど、いちいち説明するのも面倒で「まぁ不思議ですよねー」って。

 

その次に転職した会社でも、同じことを言われました。

その会社で、体を壊して、専業主夫になったのですが。

主夫になってからはあんまり言われない

ケース1 地元の友達

主夫になってから、中学の同窓会があり、地元の友達に会ったのですが、「今何してんの?」「主夫。」と返したところで、

「えー、私と一緒じゃん!大変じゃない?!」「働けw」みたいな声が多くて、「もったいない」なんてあまり言われませんでした。

田舎には、高校卒業してすぐに専業主婦になった子も多く、いろいろ主婦の話を聞いて盛り上がりました。

大学受験を経験していないと、京大って名前は知っててもどのくらいすごいのか分からない。もったいないかどうかも判断つかない。自分も当時、過去問見るまでこんな難しいなんて知らなかったし。

頭のいい子もやんちゃな子も皆すっかり落ち着いて主婦。昔よりずっとフラットに話せて居心地が良かったです。

 

ケース2 大学の友達

大学の友達なので当然ほとんどが京大卒なんですが、変な人が多いので主夫してる自分はまだ普通なほうだと思っています。

まだ学生してる人も多いし、パートナーの稼ぎを頼りに研究してる人もいる。卒業後の進路がみんな多様すぎて、「主夫や主婦・家事見習い(無職)」なんてその中の一つに過ぎない、という共通認識ができている気がします。

地頭がいい人も多く、「夫婦でうまくやってるならいいよね」で終この話題はさらっと終わり、そのあとは別の話題に移っていく、という感じで、とりわけフォーカスされることが無いです。

ケース3 自分の親

たぶん、これが一番言われるんじゃないかと思います。

そりゃそうだ。目いっぱい塾代やらつぎ込んで、学生時代も仕送りして卒業させたのに、主夫してるなんて、(私のお金が)もったいない。

せっかくいい大学にやったのに、いい会社に行かず挙句の果てに主夫とは(いい会社に行けるチャンスを逃して?)もったいない。

そんな直接的には言いませんが、上記の気持ちをにじませつつ、私の奥さんに申し訳ない申し訳ない、と思っているようです。

死ぬよりマシだと思ってくれるしかないです。ごめんなさい。

 

ケース4 その他の人

仲のいい人ほど、「もったいない」なんてことは言いません。事情も知ってるし、いい加減な自分の性格もよく知ってくれているので。

おそらく属性でしか私を知らない人、それほど親しくない人から、よく言われるのかな、と思っています。そういう場合もあまり直接は言われず、こんな風に言ってたよ、ていうのを後で聞いたり見たりするのですが。

主夫になる前のほうが、よく言われてきたのは、関係性が希薄な(肩書や属性で判断しがちな)ビジネスの場でのことだったからだと思います。

 

「常識に囚われない私」の美化

「もったいない」って言われると、たしかに「余計なお世話だよ」と嫌な気分になると同時に、「そんな常識に囚われない私」をどこかで誇らしく思う気持ちにもなります。

 

京大特有の性質なのかもしれませんが、想像の斜め上を行くことが好き、という珍しもの好きの雰囲気があります。そのため「京大を出て専業主婦」というのもまた、一種のステータスなのです。

 

炎上した件のブログも、これだけ多くの人が自分のブログに言及することを「面白い」と感じているようで、それは「常識に囚われない私」に満足し、悦に浸っているだけではないかと思います。

自分にもこういう気持ちが無いといえば、たぶん嘘になります。だから「京大卒の主夫」とわざわざ書いているわけで。

先のブログであふれていた承認欲求の正体は、この辺りだと思っています。

 

 「もったいない」とは思わない

個人的には、専業主婦や専業主夫がもったいないとは全く思いません。

 

教育投資が~という意見もありますが、専業主夫してても、社会に関わり貢献する機会は山ほどありますし、むしろもっと多くの人に会社だけでなく、地域・家庭というところに関わってほしいと思っています。

(※このブログもそういう意図で作っています)

 

大学時代の専門性も、理系学部はまだしも文系学部は殆どの人がそれを活かせずに、営業や経理、人事といった事務仕事に就いているのでは、と思います。

文学部で学んだことは、実社会では全く役に立ちませんでしたが、私の人生をより豊かにし、多くの人との良好な関係を築かせてくれたと思っています。

 

京大卒、という学歴も聞こえはいいですが、人より少し記憶力と要領が良かっただけ、で、コミュ力が高いわけでもないし、手先が器用なわけでもなく、仕事の能力は全く別のものです。

もちろん、記憶力と要領の良さで、一定以上の仕事はできますし、学歴偏重な社会を利用するに越したことはないのですが。 

もし、問題があるとすれば、専業主婦・主夫をしている期間が、キャリアの断絶と見做されてしまい、会社に戻りにくいことかと思います。その行き来が自由になれば、もっと夫婦間で攻守交替がしやすいのになぁ、と思うばかりです。

 

「専業主婦なんてもったいない」なんて、言われてても気にしないでいればいい、というのはその通りなんですが、そんなブログに煽られても気にしないでいればいいと思います。

 

一方、その後の専業主婦さんのブログをみると(その後数日は続けていました)、ご本人もずいぶんと煽り煽られることに苦悩を感じていたのではないかと思われます。

 

お互いに気にしないで生きるのが、一番いいですね。

 

 

ぼくは猟師になった (新潮文庫)

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自治会長の仕事、おしまい。定例総会の話

 

全然更新していなかったのですが、タイトル通り、先月の末に定例総会という一年の締めくくりの会みたいなものがありまして、今年度の自治会長としての役を無事に終えました。

次年度の自治会長も同年代の子育て世代の方が担うことになったので、引き継ぎはもちろんのことですが、なるべくサポートしていきたいと思うところで、まだまだ地域とのかかわりは今後ありそうです。

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実際やってる間は更新しづらい

はじめから言い訳です。

自分の悪い癖ですが、実際に自分がいまやっていることを文章にするのって難しいと感じてしまいます。

 

いろんな「あぁこうすればよかった」「こんな失敗してしまったのに偉そうに書けない」「煩わしいこと多くてブログくらい他のこと書きたい」といった負の感情のほうが大きくなってしまい、向き合うことがうまくできませんでした。

 

うつ病の治療がまだ続いていて、特に冬場はその影響がひどいのもあるのですが、ようやく春になって無事に肩の荷もおりて、何か書いてもいいかな、と思えるようになってきました。

 

定例総会で提言したこと

冬以降、地域包括支援センターとのイベントのほか大きな日常イベントもさほど無く、自治会の毎月の会合では、来期以降の活動をどのようにしていくか、ということをずっと話し合っていました。

 

毎年、定例総会で提案される次年度の活動内容なんて、コピー&ペーストで終わらせていたようですが、今年一年やってみて、

・実際に役員の多くが負担を感じていること

・そのせいで役員になりたくない、自治会に入りたくない人がいること

・世帯の高齢化によって役員のなり手が少ないこと

などが明らかになって、問題が分かっている以上、そこを放置させたまま引き継ぎたくない、という思いが強くなりました。

そこで、

・活動内容の縮小・削減

・非日常のイベントではなく日常の助け合いを重視

という2点を強調し、いろいろと見直しを図りました。

 

具体的には、

・夏祭り・BBQなどの非日常イベントの縮小・廃止

・他で代替可能な募金の個別集金の廃止

・出前講座・避難訓練などの日常的な福祉・防災面の強化

などを提案し、さらに次のことを試みました。

 

役員が不在の階・棟も

おそらく多くの団地やマンションで、さらに細かい班や地区、または建物の棟ごとに役員を回したり、階数で回しているところもあると思います。

うちの場合、各棟の階段ごとに一人ずつ選出するルールがあるのですが、どうしても出なかった場合にはそのまま空欄で提出させました。

 

やりたくないって言ってる人に無理にやらせても仕方無いでしょう。

 

実際に、名前だけ出して全く一年会議にも出ず、活動もしない人がいる年もあったようですが、そんなの何の意味があるの?

それだけ役員のなり手がいない、やりたくない人がいる、ということを明確にし、負担軽減が迫られている状態にあることを示したかったという思いもあります。

名前だけ出ているのを見て、「ああ今年も無事に役員がきまったね」では問題の先送りにすぎないと思い、問題を明確にさせました。

 

これには反発も多く、空欄を一度作ると来期以降もこうした事態が起こるという声や、「うちの階段が空欄なんて恥だ!」みたいなお怒りのご高齢者の方の声もありました。”恥”って・・!

それは、たまたま今年はその階段で誰もいなかっただけで、今後どこでも起こりうる問題なんです。あんたが恥じることでもなんでもないただの現実です。

 

シャンシャンとおしまい

いろいろと考えて、なぁなぁにしたくないつもりでいろいろ理論武装したつもりで総会に臨んだのですが、シャンシャンとおわりました。

納得していない人もいたようですが、あれこれ質問してまで止めるほどでもなかったようで。

 

結果的には、無事に終わって良かったというところですが、今後本当に負担が軽減されているかどうかはサポートしながら注視していきたいところです。

 

一年やってみていろいろ良かったなあと思うところも、二度とやりたくないと思うところもありましたが、それはまた別のエントリにして、こういう形式的な会は、とりあえず形に則って終わらせました。

 

 

【自治会】地域包括支援センターとの連携


今年からの自治会の新しい取り組みとして、地域包括支援センターとの連携」っていうのを始めました。

今回は、その企画のお話です。

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地域包括支援センターって?>

地域包括支援センターって何??という人も多いと思います。

 

実際にその役割はいろいろあるのですが、介護をもっと地域と連携して総合的にやろう、ってことで、主に要介護になる前の段階の要支援者や介護予防の相談窓口として機能しています。

(参考リンク)大阪市市民の方へ 地域包括支援センター

 

予防段階でしっかりケアできていれば重篤化しないし、介護負担も少ないのに・・・というケースが多いこともあり、介護予防には介護者不足のなか社会全体の介護負担を減らす効果もあります。

 

また、独居老人や高齢夫婦世帯が多い地域では、当然、孤独死といったリスクや、家庭内で行われている虐待などに気づきにくい、といったこともあります。

特に、プライバシーに配慮されたマンションであれば、なおさら近隣のそうした状況にも気づきにくいでしょう。

そうしたリスクを避けるためにも、地域包括支援センター(包括と略したりします)が、主体となって実態把握を進めるとともに、地域のさまざまな社会資源を活用しつつ、早期のケアを進めるよう各自治体に設置されています。

 

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自治会にできること>

介護って「必要になってから受ける」人や、施設への不安もあってギリギリまで受けない人が多いようで、60代になっても「どうやって申請するか良く分からん」って人もいます。
もちろん地域包括支援センターのことも知らないし、要介護の前段階の人から包括に行くことはめったにありません。

そのため、施設側からのアプローチが重要になるのですが、上記のようにニーズを感じていない(けど、そのうち必要になる)人に対するアプローチとなるため、包括側もなかなかマンション内の実態を把握できず、「いかに知ってもらい、活用してもらうか」が課題となっています。

 

そこで、自治会として集会所を使い、気軽に介護や生活の気になることを相談できるトークカフェを開こうと、包括支援センターの職員さんと連携し、センターの紹介や介護や生活に関する相談会、茶話会などを開くことにしました。

 

告知方法や対象者、会の内容、外部の人を呼ぶことなど、様々な議論はあったのですが、先日無事に開催でき、参加者もけっこう楽しんでくれたようです。

 

一度、敬老行事で軽く紹介をし、今回は「認知症とは?」というテーマで初めて実施しましたが、今後も定期的に続けていく予定です。

 

<企画する意義とは?>

自治会活動は、お祭りなどつい非日常のイベントばかりにリソースを割かれてしまいがちです。

でも、個人的にはもっと日常の延長で気軽に参加してもらえる企画を続けていけたらなぁ、という思いもあります。

 

イベントや役員がしんどい

 →自治会に入らない

 →残りの人の負担が増える

 

という悪循環で、地域の自治組織が回らなくなることもやはり寂しいしなんとなく風通しや空気感も悪くなります。

もっと自治会に入っている日常的なメリットを感じてもらいたいなぁ、と。

内容的にはお年寄り向けなイベントなんですが、実際に半分以上の入居者が65歳以上だったりもするなかで、まず高齢者に納得していただくことは重要だと思っています。

一方で、若い世代との交流ももちろん重要で、実際にいざ災害が起きたときには若い人が高齢者を助けなきゃいけないだろうし、本当はもっと若い人にも興味を持ってもらえる工夫をしたいところです。

 

自分も子育て世代なので、もっと子育て世代向けの企画をしたほうがいいのかもしれませんが、仕事に子育てに、とても忙しい親の状況もよく分かります。

それだったら、「お年寄りと気軽に話せる機会を作ったり、もっと交流して地域で見守れる環境を作ろう」という企画のほうが結果として「子育てしやすい環境」が作れるような気がします。

認知症サポーター養成講座>

 

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ちなみに、次回は認知症サポーター養成講座」というのをやります。

korepon.jp


これは、わりと若い人向けかもしれません。

これも、包括の方が講師となって無料(テキスト代120円のみ)で実施してくれます(自治体で少し異なるようですが)。

受講すると、認知症サポーターの認定の証として、オレンジリングがもらえるようです。

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なかなか中身のある内容のことを無料でやってくれて、こちらは場所を提供するだけで、進行も内容も全てセンターの人が考えて実施してくれます。

それでもセンター側にも非常に喜ばれる企画ですので、自治会イベントとして、もし興味があればぜひご参考ください。

 

地域限定保育士試験を受けてきました

タイトル通りですが、地域限定保育士試験を受けてきました。

 

地域限定保育士って・・・?

平成27年通常国会で成立した「国家戦略特別区域法及び構造改革特別区域法の一部を改正する法律」により、資格取得後3年間は当該自治体内のみで保育士と して働くことができ、4年目以降は全国で働くことができる「地域限定保育士(正式名称:国家戦略特別区域限定保育士)」となるための試験実施が新たに創設されました。

この試験は、全国で行われる試験に加えて、2回目の試験として実施します。

 

 

参照元地域限定保育士試験の実施について|一般社団法人全国保育士養成協議会

 

要は地域限定で今年から、保育士試験が年に2回受験できるようになりました、という制度。

 

保育士試験は筆記試験と実技試験に分かれ、うち筆記試験は、9つの分野ごとの科目合格制で、1科目合格すれば、3年以内の際受験の際にその科目は免除されます。

筆記試験合格者のみ、実技試験を受けることが可能になります。毎年の合格率は20%弱とのこと。

 

そのため、単純に回数を増やすだけでも、合格のチャンスは増える仕組みになっています。今回の地域限定試験で合格した科目も、次年度以降の免除申請は可能です。

そのため、今回の試験で1科目でも多く合格すれば、次年度の試験勉強は残りの科目に集中できるのです。

今年は8月に全国で試験があり、10月に地域限定が実施されました。8月のリベンジで受けた方も多いのでは。

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なんで地域限定なの?

3年の地域限定にしているのは、特にその地域で保育士不足が深刻なため、そこで合格した場合はそのまま働いてほしいから。

実施主体は都道府県などの地方自治体のため、特に今年の場合8月と10月というタイトなスケジュールもあり、自治体によっては十分に充足しているのにかなりな負担を強いられることにもなるわけで、特に保育士が不足している地域のみ希望して実施されたものになります。

 

実際には、受験者の半数以上が他府県からの受験者だった、というデータもあるようです。上記に記載したように、今回の試験の合格も免除申請に使えるから、という事情からだと思われます。

とりあえず、筆記試験は地域限定で受かっておいて、実技試験は来年の全国試験を受ければ、全国で働くことの可能な「保育士」資格が得られるわけですから・・・

 

そのため、「地域限定」にしたことでのその実施自治体のメリットが本当にあったのか、疑問の残る制度となりました。。

 

来年からは全国で2回実施、という流れが有力のようです。

実技試験の代わりに短期間の実習も選択できるようにという話もあるようです。

それほどまでに、保育士を増やしたいという思いがあるのでしょう。

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背景にある保育士不足

こうした保育士試験制度の改正の背景にあるのは、現場で働く保育士の深刻な人材不足です。

待機児童や保育園にはいるための保活などがよく話題になりますが、2015年の待機児童数は全国で約45,000人。潜在的な数(認可外保育園に仕方なく入れている等)も含めれば、もっと多いでしょう。

※数字は保育福祉小六法より

 

そのため、新たに保育園を作らなければ、という話になるのですが、土地もない、金もない、人もいない、というなんとも言えない状況になっています。

土地と金についても、いろいろ対策が必要なところにはなりますが、人もどんどん増やさないといけない。それなのに、絶対数を増やすための試験が年に1回だと、保育士が増えるまで1年待たなきゃいけないんですよね。。

 

もっと簡単な保育資格(准保育士)を設けるという案もあったようですが、現状でさえ給与が低く、決して良い労働環境で働いているわけではない保育士の社会的地位がより低いものになる、と反発を受けています。

 

保育園の設置基準に保育士の人員配置も決められている以上、やはり求められているのは「保育士の資格を持った人材」になるのです。

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実際に受験してみて・・・

受けるからには合格するつもりだったのですが・・・、3科目ほど落としました。。

・難易度は地域限定でも変わりません。

・受験者層は幅広く、男性も女性もいれば、主婦層も学生もいます。

・実際に、今回初めて受けるという人は少なかったようです。

 (教室内にずーっといた人は2割くらいだったと思います)

 

ちなみに勉強はユーキャンの通信講座の教材をヤフオクで落としました。(1万円くらい・2013年度のもの)

最新の法制度には対応していないので、保育福祉小六法や厚労省のHPで残りは勉強しました。

また一問一答式のアプリや、過去問受験できるサイトもあります。

 

ざっと知識を詰め込んで、過去問でコツをつかんで、法律の言い回しに慣れる。

というのを1か月ほど、でしょうか。科目合格制なことも考えれば、難易度はそれほど高いわけではないようです。

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なぜ受験したのか?

個人的な動機の話ですが、主夫として子育てや家事に関わって、また実際に保育園に通わせて保育園のなかでも役員をやったりと「保育」に関わる機会が多くありました。

ネット上でも多くの子育て世代の意見や議論が散見されるようになり、現状の制度の問題点や多くの人の悩みが可視化されています。

そのなかで、おかしいなぁと思うこと、変えたいなぁと思うこと、がある一方、自分の知識不足を感じることも多く、分からないところを本で読んだりしながら理解を深めていたのですが、一度体系的に勉強してみたほうがいいのでは?と思うようになりました。

 

ネット上や知り合いとの議論のなかでも、保育士の資格があれば、多少は専門家の意見として認めてもらえます。一シュフの発言よりも保育士の発言のほうが信頼性は高まります。もちろん、それに応じた知識を身に着けることが前提ですが。

 

また、主夫をしていて、今後子どもが育ってもう一度なにか仕事を探すということになったとき、主夫の経験も活かして仕事できないだろうか、と純粋に思いました。それは主婦の多くが保育士資格を目指すのと変わらない動機です。

給料が低いのは分かっていますが、正直200万~300万円あれば、個人的には十分です。共働きだし、保育士の仕事以外でもお金を稼ぐことは可能だからです。

ずっと保育士として従事するなら厳しいかもしれませんが、キャリアの一ステップとしては、それ以上に得られる経験値が大きいと思っています。

 

まだ受かっていないので何とも言えないのですが、いろいろ思う中で、せっかくだから保育士不足の解消に自分自身でも貢献できたら、というところの気持ちが強くなっているのは確かです。

来年の試験に向けてまた頑張ります。

 

「夫婦で自治会長」のススメ

自治会やPTAの役員の重さ

子育て世代は、子どもを保育園や幼稚園に預ける、マイホームを手に入れる、習い事やサークルに通う、など、地域でのコミュニティも含め、なにかと新しい組織に関わりを持つようになります。

そうしたなかで、回ってくるのが「役員」です。

とくに共働き世帯にとっては、これが負担になるために「PTA」「保護者会」「自治会」の類は嫌!という人も多いのでは無いかと思います。

 

そんな人に、タイトル通りですが、「夫婦で役員をやる」をススメます。

 

単純に二人でやれば仕事を分担できるので、ふつうに二人でやったほうが負担が減りませんか?

でも、保護者会の役員名簿には、母親か父親かどちらかの名前しかないし、自治会も、独身世帯もいるとはいえ、夫か妻かどちらかの名前しかありません

なぜでしょうか。

会議には家族で参加

自治会の会議は、自治会の内部の定例会以外にも、外部での~委員会っていう会議も多多くあります。

どちらかが家で子どもを見て、どちらかが会議に参加ということもありますが、基本的に自治会内の会議には小さな子どもも連れて家族で参加していました。

lazyplanet.hateblo.jp

私は、今たまたま主夫をしていますが、以前は共働きでした。

でも基本的には、共働きだったらどう動くか?と考えながら、日々の生活を組み立てたいと思っていたので、子どもを連れて行かなければならない場面も発生する、ことを考慮して連れて行くことが多かったです。

実際に、妻が仕事で夜が遅いなどのこともあって、どうしても連れて行かなければいけないときもありましたし、そういったときだけ連れて行くよりも毎回連れて行った方が子どもも(周囲の人も)場慣れしてくる、というメリットもあります。

内部の定例会では、子どももすっかり慣れてきて、皆に遊んでもらったり、会議が長引くと「もう帰ろうよ~」とみんなの笑いを誘って場が和みます。リミット(=子どもの寝る時間)があるので、会議も長引かないのも助かります。

 

一応、子どもが遊べるように、塗り絵やおもちゃ、絵本、折り紙などいろいろなものを用意して、ロの字型に並べた会議机のなかで遊んでいます。幸いにも、煩いといって怒られることもありませんでした。

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役員名簿には二人分の連絡先を記載

これも、結構重要です。うちは固定回線は引いていないので、携帯電話、メールアドレスをそれぞれ二つずつ掲載しています。

そうすると、何かの用事の際や緊急の連絡の時、どちらかがつながらなくても、もう一方で受けることができます。

また、人や内容によって、同性には連絡しやすい、こういうのは女性に相談したほうがいい、またその逆もしかり、などといったことが生じます。そうしたとき、どちらかが窓口となり、対応することが可能です。

もちろん、一人当たりの負担も軽減されます。

 

注意すべきは、情報共有です。どちらかに連絡が来たことは必ず相手にも知らせます。転送だけしておけばOKです。

最近は60代、70代のかたでも、普通にLINEを使えるので、かなり助かっています。

(※もちろんITに疎い方も多く、手書きの手紙を頂くこともあります)

得意分野の仕事を分担

僕は、会議でのファシリテーション、エクセルやワードの文書作成などは、得意です。

妻は、細かい詰めの作業、確認、役員間の調整といったことが得意です。

お互い、得意なこと、苦手なことがそれぞれあります。会社での仕事だったら、オールマイティにそれらが求められてしまいますが、自治会の仕事であれば、お互いの得意分野に分けることができます。

 

これは、本当に助かっていますし、夫婦でお互いの良さを再確認できるのもとても良いです。同じ職場でない限り、ふだん相手が仕事場でどんなふうに仕事をしているか、なかなか見る機会はないと思います。

お互いの仕事の進め方やマイルールなどで、意見が食い違うこともありますが、それぞれのこだわりや工夫、技術など参考になることも多く、お互いが「仕事」を通して学ぶことができます。

 

何より、これまた負担が軽減されます。特に自分が苦手なことがパートナーの得意なことだったとき、本当にその負担が軽くなります。

負担感は量だけでなく、その内容からも影響を受けます。苦手な仕事ほど負担に感じやすいものです。

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まとめ

メリットをまとめると、

・仕事量が減る

・連絡窓口が増える

・会議が和む、短くなる

・仕事の工夫を共有できる

・子育て世代でもできます

といったところです。

 

でも、ほとんどの家庭では、どちらか一方が「主体」になり、もう一方が「サブ」もしくは「やらない」状態になります。

その要因のひとつは「一人でやったほうが早い」病がここにもあるのかもしれません。

協力してやるほうが、面倒と。全ての家事に通じる話でもあり、それもよく分かります。

 

 

また、こういった地域での仕事も、「家事」の一分野であり、それは女性(メインで家事をする主婦・夫)が担うものだ、という考えの人もまだ多いと思います。

 

一方で、職住近接でなくなった現代の地域社会には、本当に最新の業務トレンドを知る働き盛りの人材が少なく、お年寄りや業務経験の浅い主婦で構成された非効率的な組織も多く存在します。

働く女性や男性が加わることで、それらの活性化や効率化につながる側面もあると思います。

男性が地域に入ることで個人的に得られるメリットも多く、子どもの顔も広く地域の人に知ってもらえているので、かなり助かっています。

 

自治会やPTAは本当に大変な仕事も多いですが、一方で得られるメリットも少なからずあります。

二人でやることで、負担がかなり軽減されるのは間違いありません。ぜひ、「夫婦で自治会長」をオススメします。 

自治会、町内会の問題は「強制」にあるの?

先日、こんな記事が話題になりました。

PTAを上回る強制力?「町内会」のナゾ

ここにも善意による強制が!

toyokeizai.net

ほぼ町内会=自治会ですので、少し気になるところがあったので、今回はこの記事について取り上げます。

 

ちなみに、僕はこの記事に関しては少し否定的な立場を取ります。

本記事の著者の大塚玲子さんは、PTAの問題を丁寧に調べ上げ、著書も出されており、その分野においては素晴らしいライターさんですが、その延長線上で今回この「自治会、町内会」に関する記事を書かれている、というのが前提になります。(記事では町内会と表記していますが、ここでは自治会として進めます)

 

さて、「本当に自治会は強制力の強い組織なのか?」「自治会の仕事は負担が大きいのか?」「自治会の何が問題なのか?」

そういったところを検討していきます。

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(僕の属する自治会で行われた筍掘り。2015.4)

 

 本当に自治会は強制力の強い組織なのか?

「町内会」の仕事内容は、会によってまちまちです。夜間の町内パトロールや清掃活動、草取り等をしているところもあれば、お祭りなどのイベントや、資源回収のような活動をするところもあります。あまり知られていませんが、「街灯の管理や設置」という仕事も自治会が担っている場合が少なくありません。

僕の所属する自治会の仕事も、上記のものとほとんど同じです。

会員どうしの情報共有は、回覧板はなく、毎月発行の自治会広報、その他適宜お知らせを配布したり、掲示板に掲載する、などといったものになります。

もちろんPTA同様、任意加入が前提の団体ですが(強制加入にできる法的根拠はない)、昔からの慣習で「その地域に住む人は全員加入するもの」として扱われてきました。しかし昨今では加入をやめたり断ったりする世帯も増えており、全国的に加入率が低下しています。 

 確かに、全国的に加入率は低下しています。先日、自治連合の会議に参加したところ、市内の自治会加入率を示す資料をもらいました。

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これを見ると、この市内全体の自治会加入率は約50%であることが分かります。また、同じ市内でも加入率の高い地域と低い地域でかなり差があることも分かります。

PTAの加入率がどの程度か、手もとに資料はありませんが、50%の加入率がPTAを上回る強制力があるものとは必ずしも言えなさそうです。

 

自治会の仕事は負担が大きいのか?」

紙屋高雪さんの自治会長の話が記事中は続きます。

“形だけ”ならと思い……。でもやってみたら、やはりちっとも形だけではなかった(笑)。

同じく、僕も自治会長を引き継ぐとき、会長の仕事、いろいろあるけど、まぁなんとかなるよ~、という感じで引き継がれました。

 

ここで自治会の仕事を少し整理すると、自治会の仕事は主に、自治会の「内部向けの仕事」、「外部向けの仕事」の二つに大分できます。

<内部の仕事>

・防犯パトロール・防災訓練

・ゴミの分別

・住民トラブルの解決

自治会費の管理・会計

赤十字・福祉協力金などの回収

・夏祭りなどの住民イベント

・広報誌の作成

(※ウチは管理組合は別に構成されているため営繕等のハード面の仕事は含まれません)

<外部の仕事>

自治会連合への参加

・周辺自治会との連絡・連携

・青少年対策委員会

・地域のお祭りの実行委員

・市主催のお祭りの実行委員

・福祉委員会

・市民体育祭、文化祭などの運営委員・・・等

 

他の市について、詳しく調べてはいないのですが、ウチの市では、自治会連合協会>地区連合自治会>単一自治会という構成となっており、地区連合が、小学校などの校区とほぼイコールになっています。(厳密には、ズレるところがあり、それも問題の一つになっています)

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さて、記事中の紙谷さんのお話。

<pいちばん負荷が大きかったのが、近隣の自治会の集まりである「●●小学校区自治団体協議会」(以下、略して「校区」)との関係でした。各自治会長のほか、防犯、防災、交通安全、男女共同参画社会福祉協議会、青少年健全育成委員会など地域の各種団体代表が集まる会なんですが、必要とは思えない仕事がたくさんあるんです。

これ、僕も引き継いでから知りました。自治会長の変更届を市に提出したあと、次々に市からの封筒が届き、「僕、いつの間にか委員だったんだ??」ってことが続きます。「引き継ぎの時、言えよw」って感じですね。

 

で、実際に参加してみると、自治会の長のほか、PTAや学校の先生、市職員、市議なども集まる会もあります。だいたい平日の夜19時30分~といった仕事終わりの時間です。皆様、本当にご苦労様です。

そのなかで、「必要とは思えない仕事」は確かにあります。

 

僕は(というか妻も含め僕らは)、若いってことを盾にして、遠慮なくずけずけと「この予算要るの?」と質問したり、やる意味を聞いたりしました。でも、大体の会議は、市から降りてきた議題や連絡事項をこなすもので、予算についてもかなりアバウトです。結局、追及してもなかなか簡単に改善されなさそうでした。

 

実際に、これらの会議で何をやるのかといわれれば、「青対」であれば、防犯パトロール、不審者情報の共有、夏休みの注意等の確認、「福祉」であれば、敬老会の開催について、などです。

どの会議もひと月に1回くらいはあるので、会長が全部参加すると、ひと月に7,8回くらいかな?

やっぱり大変でしょうか??

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全部一人でやるわけじゃない

マジメにこんなんやってたら大変です。仕事しながら、子育てしながら、全部行くはずがない(笑)。そう、全部マジメにやらなくていいんです。

 

必要ないな、と思ったものは遠慮なく行きません。 もし不都合があれば、あとで必要なことだけ電話で教えてくれます。 また、自治会のほかの役員に行ってもらうことも多いです。特に、防犯・体育・環境あたりの会議は、ほぼ任せっきりです。

こちらも、会長判断が必要なものだけ、連絡をもらいます。 結局僕が出ているのは、たぶん半分以下です。

自治会長をしている人は、30代はほとんどいません。

多くは引退した60代~80代の高齢者、または子育てを終えた主婦等です。

当然、体調を崩すこともあれば、都合が付かないこともあり欠席するのも珍しくありません。

自分で主催する内向きの定例会議も、なるべく1時間以内に終わるようにしています。夏祭りの役決めなんかも、話し合いしてても時間がかかるだけなので、全てこちらで指定して、無理な場合だけ変更するなど、とにかく手数を減らしています。

自治会の何が問題なのか?」

本当に問題なのは、「強制加入による負担の押しつけ」なのでしょうか?

これまで見てきたように自治会の加入率は50%、当然こうした状況下では、大地震などの災害が起こったときに、生存者確認や避難誘導を加入者以外の住人含め把握することは不可能です。

特に足を悪くした高齢者、寝たきりで介助が必要な方、そういった方の情報こそ、重要になるのですが、そういう方々が「自分はもう動けないし、イベントにも参加できない、役にも就けない、メリットもないし、貢献もできない」といって自治会から抜ける現象が起きています。

市のほうも、それを認識していて、自治会とは別個でこうした独居老人・要介護者の調査・把握に努めていますが、「自治会から漏れた人」ほど、災害弱者になりがちです。

ある程度に顔見知りになることは、罹災時には重要ですが、完全には機能しない、というのが今の自治会の欠点です。

自治会の仕事も年々少なくなっています。

自治会の高齢化に伴い、地域のお祭りを縮小したところもあれば、他の自治会との合同開催にしたところもあります。

もちろん、祭り自体を取りやめたところもあるでしょう。

私の所属するの自治会では、ある時点で、自治会と管理組合の職掌を明確に分けたそうです。

そして、ソフト面は自治会、ハード面は管理組合が請け負う形で、自治会は任意、管理組合は強制、という棲み分けを行いました。

ハード面の営繕は住んでいる以上、必ず負担すべきものだからです。そして、営繕に関しては、業者にアウトソースしています。 効率化・縮小化の動きはこれまでもその時々の必要性にかられ、これまでも行われてきたことです。

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そのほか、深刻な問題としては任意加入であること、住民の高齢化にともない、担い手不足が起きています。

仮に仕事を「本当に必要なこと」だけに絞ったとしても、その必要なことはやはり善意で仕事を請け負う組織が行っています。そして、その多くは働き盛りの男性のいない、高齢者と主婦の集まりで成り立っています。(ここに共働き家庭の女性もいません)

 

僕は、社会学者の水無田気流さんが『「居場所」のない男、「時間」がない女』で主張するように、地域の「現役労働者の不在」が本当の問題なのではないか、と感じています。

その結果、生じている無駄や無理が多いのではないでしょうか。 いまも回覧板を使うしかないのは、PCの操作ができない人が主体になってやっているからです。新興住宅地の自治会を立ち上げた知人は、サイボウズLiveを使って共有しているようです。

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もちろん、どんなに効率化しても面倒な仕事は残り、仕事も子育てもしている世帯にとっては、負担に感じるものです。

一方で、地域の治安をこれまで維持し、お互いに顔を知ることで安心な暮らしを守ってきたのも、また自治会です。 僕は、たまたま転勤してきて、3年ほどしか住んでいないこの地域で、自治会長をしています。

これまでこの地域がどんなふうだったのか、分からないままに始めたけれど、これまでここがいかに大切にされてきた地域か、住んでみて身に染みて実感しています。

守り継がれてきたものは大切にしたいし、強制や負担を感じても、それを上回るメリットを享受できるようにしたい。

そんなふうにして、この地域の価値を高めていきたい、と思っています。

 

“町内会”は義務ですか? ~コミュニティーと自由の実践~ (小学館新書)