図書館のはなし
ずいぶん前ですが、アフロの髪型をした方が図書館のはなしをして、炎上しました。
図書館で借りて私の本を読みました!という行政の担当者に対し「モヤモヤ」する、という話でして、それ自体著者の気持ちはすごくわかるのですが、一方でこの方がミニマルな「持たない」生活の実践者であることもあって、その矛盾を指摘する批判が多かったようです。
私も、図書館の本はいっぱい借ります。そんなに本を買うお金がないからです。
図書館ほど身近で便利な公共施設はほかにありません。
最近の図書館はネット予約もできるし、取り寄せも簡単です。
ネット記事やSNSで気になった本があれば、別タブを開いて市の図書館で検索。そのまま予約して、近くの図書館に取りに行くだけです。
少し専門的な内容の本になれば、なおさら金額は高くなります。あるいは、絵本。
子どもの絵本は、たくさんのものを読ませてあげたい。本がたくさんある場所で、自分の選んだ本を読む・読んでもらう、という体験をさせてあげたい。
でも、絵本自体は単価の高いものでもあるので、図書館の本を借りることが多いです。
「著者の本をタダで借りる」問題や、「カフェ屋が図書館にやってくる」問題など、最近なにかと炎上しがちな図書館ですが、どんな形であれ、もっと利用者が増えてほしいし、消えてほしくない、と思う場所のひとつです。
私が読みたいと思う本は、みんながあまり読みたいと思わないようで、だいたい予約待ち無しで読めることが多いです。
CDやDVDなども借りることができます。これもあまり知られていないのか、比較的借りやすく、子供向けのものや少し前の音楽や映画、品ぞろえはかなり充実しています。
私がよく行く図書館は、勉強する学生は少なく、平日の昼間はご老人、休日は子供連れであふれています。ホームレスの人もよく見かけます。誰でも利用できる場所なので、いろんな人がいます。
図書館に行って本を借りる人は、本が好きな人だと思います。
本屋のはなし
先日、「 君の街から、本屋が消えたら大変だ!」という本がAmazonで一位になっていて話題になりました。
多くの人がこの雑誌を本屋ではなくAmazonで買っているという、とても皮肉の利いた話ですが、実際に街からはどんどん本屋は消えていっています。
大型書店、ネット書店、電子書籍。消費者にとっては便利になる一方で、街の本屋さんの苦労は増えていきます。
この雑誌・ポパイで紹介されているような書店は、もしかしたら生き残れるかもしれない書店です。
取次を使わない直取引をする新しい書店、古本や雑貨も扱ったり、おしゃれなセレクトショップ風の書店。図書館事業では批判されているものの、蔦屋書店も人気な本屋さんです。
私が本屋さんを使う機会は、限られています。
子どもの雑誌を買う(買わされる)とき。
Amazonで売ってない本を買うとき。
著者の講演会などがあるとき。
絶版本を買うとき。
図書館で本を借りていても、本屋さんには、本屋さんにしか置いていない本があります。人気があって図書館で借りれない本も、やはり本屋さんで買います。
Amazonでは売ってない本もいっぱいあります。
小出版社やリトルプレスなどの少部数の本、著者サイン本やオリジナル付録のもの、Amazonで売切れになってる人気本、マーケットプレイスで高値になってるけど普通に定価で買える本。
古本屋さんも好きです。古本屋さんでしか、買えない本もやはりあります。
古本屋のなかで過ごす宝探しの時間は、無駄骨になることが多くても、とても楽しく充実しています。
でも、駅前にあるような、雑誌と漫画と学習参考書と小説、そしてエッチな本がちょっと置いてあるような本屋さんは、やっぱり潰れていくかもしれません。
そのとき、本が好きな人は困るでしょうか。
Amazonのはなし
春のプライムセールのときに、ついにプライム会員になってしまいました。
音楽や映画を楽しむのに便利ですが、ほとんどAmazonでは買い物していません。
マーケットプレイスで古本を買うくらいです。
ネットで本を買う場合、楽天・Yahoo・絵本ナビなどのサイトで買います。
ポイントの還元率が高く、クーポンの発行などもあるため、定価の1割引程で買えるからです。個人的には、Amazonよりもこうした高還元のポイントが付くショップのほうが脅威だと思います。
Amazonは、整然と情報が整理されている素晴らしいサイトですが、そうした情報そのものを利用することはあっても、ショッピングには少し不親切です。
「本を探すためのツール」としては大変有用です。
本屋がなくても、本は回る
最近は、本屋がなくなったら、自分が本屋になろう、と思っています。
自分の本棚に入るだけの本を、ネットで売る。
いまは、メルカリやヤフオク、ブクマ!などのアプリで簡単に売ることができます。
本屋になるなら、それだけで十分とも思っています。
本に関するトレンドを追っていて、つくづく感じるのは「本を読む」という行為自体が、一部の物好きの趣味になっているということです。
すでに一般的なものではなく、一部の趣味人のものになっているのが本の世界です。
正直、今の市場規模は一部の趣味人にとっては、大きすぎます。
どんどん淘汰されて、ちょうどいい大きさになったところで、緩やかに続いていくのではないかと思っています。
とりとめもなく書いていますが、これからも「生活」のなかで本は必要なものです。
ただ、それは一つの「趣味」として選んだものが本だった、ということに過ぎないのかもしれません。
子育てするにも人生を豊かにするにも、なにか余暇を楽しむ「趣味」があるといい。でもそれは、本じゃなくてもいい。
冒頭の話に戻れば、批判を浴びたミニマリストの著者は、いろいろなものを捨ててきたはずで、その分の「余白」をなにかに使っているのだと思います。
いろいろなモノにあふれている世の中で、いたずらに本を買え、と強制することはできません。すべての人が同じように、同じものを消費することができないほど、モノは多様にあふれています。
限られた時間と資源のなか何をどのように選び取っていくか、が重要になる時代に、それでも本を選び取りたいと思うのは一部の物好きに過ぎない、ということを自戒をもって覚えておきたい、と思う今日この頃です。