地域と子育て-京大卒の主夫

京大は出たけれど、家庭に入った主夫の話

絵本の世界に「ワーママ」は必要か?

少し前にこんな記事がありました。

www.asahi.com

お母さんはエプロン姿で家事、お父さんはスーツ姿で仕事へ。そんな両親の描かれ方が多いことに「違和感があった」。

とのこの記者の妻が述べたことからの、記事です。

男女の役割が固定された家族像ばかりを登場させることは、そこから外れる家族像を排除しかねない

 この記者の考える危惧は、果たして絵本の世界にも当てはまるのでしょうか。

 

 

個人的な結論は、「幼児向けの絵本にジェンダーフリーの要素は不要」です。

つまり絵本の世界に「ワーママ」はいなくてもいい、ということです。

 

誰のための絵本か?

言うまでもなく、絵本は子どものためのものです。親と子どものコミュニケーションツールとして、あるいは子どもの想像力や世界の見方を広げるためのものでもあります。

だから、絵本を読み聞かせる時間はとても大切です。

 

一方で、就学前の子どもにとって、絵本に集中できる時間は限られています。そのため、一冊の絵本が与えることのできるテーマもまた、非常に限定されていきます。

 

絵本のなかで、子どもが感情移入できる人物(≒子ども役)に相対する人物が、お母さんであれ、お父さんであれ、おばあちゃん、おじいちゃん、誰であっても、その人物が「ふだん(外で)仕事をしているかどうか」はテーマが「仕事」出ない限りは、子どもにとって重要な意味を持ちません

 

お父さんが娘と一緒にかばを見に行くおはなし、『かばさん』では、お母さんは登場しません。  お父さんもおやすみの日のようです。でも、お父さんはもしかしたら主夫かもしれないし、シングルファーザーかもしれない。もちろん、そんな設定はここには描かれないし、その必要もありません。

 『かばさん』 やべ みつのり 作 こぐま社 

 

はじめて見たカバに驚いたこと、楽しかったこと、お父さんと一緒にカバごっこをしたこと、そうした子どもの様子に共感し、何度も何度も読み聞かせをしました。

 

 「男女の社会的な性差」「社会的な役割分担」といったものが、テーマにならない限り、「ワーママ」も「主夫」も絵本の世界には必要ないのではないでしょうか。

『しごとを とりかえた だんなさん』 などがそうしたテーマを扱った例です。

 

幼児はジェンダーに左右されるのか?

個人的な興味は、むしろこちらにあります。

女の子はピンクが好き、男の子は青や緑が好き。

ほとんどの子が、この価値観に一度は囚われることになります。

絵本以上に、保育園での生活、アニメ・衣服など身の回りのあらゆるものにこの価値観は潜んでいます。そして、それらすべてのジェンダーシャワーを排除するのは非常に困難で、それを排除することに労力をかけることが、子どものためになるのかは立ち止まって考えたいところです。

 

また、子どもが自分の「性」について気づく瞬間が必ずあります。

一般的に、子どもが自分の性別を自認するのは、3歳ごろと言われています。性器の違いや、トイレの使い方などの違いから、性差に気づき、自分がどちらに属するのかを固定化していきます。

「男の子集まれー、女の子集まれー」と呼びかけたときに、反応するかどうか、等は一つの性自認の基準になるかと思います。

 

自分は「女の子」なんだ、と気づいたとき、自分が思う「女の子」の行動を取ってみたり、「女の子」どうしの仲間意識が強くなります。

お父さんが仲間はずれにされるのは、そのせいですね。

 

こうした過程は、文化や社会によって規定される性以前に、必ず現れる所与のものだとこれまで言われてきました。

幼児期に一時的に「女の子はこう、男の子はこう!」といった概念に囚われながらも、それらは子どもの成長にともなって、複雑に変化していきます。

仮に社会からの一方的な刷り込みがあったとしても、その後自分自身も社会の中で相互の関わりを持つことで、ステレオタイプに規定されないジェンダー観を身につけていきます。(今、性差に理解のある人もそうなのではないでしょうか。)

 

もちろん、いたずらに「男の子なんだからしっかり~」「女の子はもっとおしとやかに~」等と親の立場で声掛けをするような、不要な差別意識を植え付けることは良くないと思いますが、ステレオタイプの性を獲得する前の幼児期にジェンダーフリーを意識的に教え込むことは相当な困難を伴う作業になるのでは、と思います。

 

少し、本筋から逸れましたが、「女性は家で家事をする」という刷り込みが、仮に絵本によってなされたとしても、その影響が後々まで響くことは少なく、ことさらに「ワーママ」を強調することもないのではないか、と考えます。

 

仕事しているお父さんも、スーツを着る機会は少なくなっていますし。私もスーツは着たくないです。家族のあり方が、多様化している以上、「ワーママ」を「普通」の基準にすることもないのです。

 

まとめ 

以上ですが、まとめると、

・「性別による社会的役割分担」がテーマでなければ、ことさらワーママを強調することはない

・幼児期のジェンダー刷り込みの影響はのちに修正可能で、ジェンダーシャワーをすべて忌避することは不可能

というところです。

 

正直なところ、絵本を子どもに読ませていて、たしかに母親が登場する絵本の割合が圧倒的に多いですが、それが主婦ばっかり、という印象はあまりありません。

子どもと接することの多い休日は、ワーママもパパも当然普段着の格好ですし、家の中でも当然スーツは着ていません。

 

エプロン姿の母が、スーツ姿のパパを送り出すシーンを描く絵本、ぱっと思い浮かばないのですが、ご存じでしたら教えていただきたいです。(ミッフィーとかかなぁ?)

 

共働きなのであれば、絵本にそうした絵を求めるよりも、日常生活時において、夫婦間で仕事も家事も分担して行っている姿を見せることのほうが重要なのではないか、と思います。

父親もふつうにごはん作るし、洗濯するし、保育園の準備をしてくれて、お迎えにも来てくれる、という生活を過ごすのが「ウチの普通」なんだ、と。

 

 最後に、『いってらっしゃーい いってきまーす』という絵本を紹介します。

表紙を見ると、スーツ姿のお母さんをお父さんと娘が送り出しています。

こちら、1983年福音館書店から出版された絵本です。

保育園にお父さんが送っていき、帰りはお母さんがお迎えにくる、という日常を子どもの視点で描いています。林明子さんの素朴な絵もとても素敵です。「保育園に行く」という身近なテーマなため、子どもも気に入って何度も何度も読み聞かせています。

 

こういう絵本は昔からあるんだよ(ドヤっ!)、と言いたいわけではなく、絵本の世界はずっと昔からこうした新しい価値観に挑戦しつつ、子どもにも受け入れられやすい絵本を試行錯誤して作ってきた、ということです。売れやすい、売れにくい、という葛藤を抱えながらも、これまでも絵本作家はメッセージを発信しているのです。

 

絵本が子どもに与える影響を軽視するつもりは全くありません。

だからこそ、絵本の主題から外れた観点から、読み継がれてきた優れた絵本たちを排除したり疑問視するのもちょっと・・・と思った次第です。

 

 

※子どもの性自認に関しては、ちょっと勉強不足なので、下記の本読んでみます。長くなると思うので、こちらの内容はまたいつかまとめます。

 

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