地域と子育て-京大卒の主夫

京大は出たけれど、家庭に入った主夫の話

ぐーたらな主夫

「うちはぐーたら主婦だから」と主婦の友達に言われて、「いや、俺も俺も」ってなったんだけど、主夫ってなんだか「ぐーたら」してちゃいけないような雰囲気があります。

 

実際に、しばらくずっとぐーたらしていました。

このブログを始めたり、主夫したての頃は、張り切ってやっていたんですが、冬になると体調が悪化して一日ずっと寝込んでいたりする日が何日も続いたり、ちょっと天気が悪くなるだけで引きこもる日々が続いていました。

 

子どもと遊ぶことは楽しくて、妻の仕事のあいだは子どもと思いっきり遊ぶけれど、部屋の掃除まで手が回らなかったり、ごはんはてきとーになったりと、家事のタスクは満足にできていませんでした。

 

うつ病が依然と治っていないことももちろん要因としてはあります、うまく生活を立て直せていないというか。でも、そんなんで、「主夫」なんて名乗ってていいんだろうか、とふと思います。

 

「うーん、やっぱり無職?ひも?」と考えては落ち込んだりするんですが、じゃあろくに仕事ができていない、成果を達成できないサラリーマンは無職かと言ったらそんなこともないんですよね。給料泥棒と言われることはあるかもしれませんが。

 

 

ファザーリングジャパンという団体のなかで「主夫の友」という組織を作っている人たちがいます。

元気なときに、その人たちに会いに行っていろいろとお話したり飲んだりしたのですが、やっぱり皆さんとても立派な主夫でした。

「仲間になるなら大歓迎だよ!」という雰囲気でしたが、そんな立派な主夫ばっかり集まってもなあ、、という気持ちが先に強くなり、それ以来あまり交流はありません。

 

ファザーリングジャパン自体が子育てに積極的な意識高い人の集まりなので、当然と言えば当然なのですが、そこにぐーたら主夫の居場所はないような気がしました。

 

主夫のくせにろくに家事もしないとか、何やってんの?と批判されるのは尤もですが、でも、意識高い人のイクメンな話を聞いても大概つまらないし、ただただ恵まれてるなぁ、羨ましいなぁと思うだけで、なんとも言い難いモヤモヤが生まれていました。

 

もっと、だらだらとしていて、怠けている部分をさらけ出して、弱いところを見せていたほうが共感されやすい部分もあるんじゃないのかなと思っています。

子育てや家事は大変なものだし、誰もが完璧にこなせるものでもないです。

人間怠けることが大好きだし、サボローの誘惑には負けてしまいます。

昼間のブックオフに立ち寄れば、サラリーマンの姿をたくさん見かけるし、喫茶店に入ればいいオッサンたちがたばこをふかして仕事の愚痴を漏らしています。

 

だから、自由気ままにぐーたらしている部分も、さらけ出していこうかなと思います。

(と言っておけばブログを書く敷居が下がるかもしれない、という効果を狙っています)

 

ぐーたら主夫は、ここにもいます。安心してください。

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リスクを嫌う人は、早く結婚する

早く結婚したほうが安心なのか、よく見極めず結婚するのは危険なのか、どちらでしょうか。

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共働き家庭が一般的になったことで、結婚することで収入面の安定が得られ、支出も家計を一つにすることで抑えることも可能です。収入の少ない若い人にとって、金銭面でまず、結婚は人生のリスクをカバーしてくれる保険として機能しそうです。

一方で、不倫騒動が賑わしい昨今、不倫・離婚に伴う社会的信頼を損なうリスクもありますし、結婚してから相手の本性を知りそれによって結婚後の生活満足度が著しく低下するといったこともあり得ます。これらは十分な交際期間を持つことなく早婚することのリスクです。

 

それでは、普段からリスク回避的な人は、実際に早く結婚するのでしょうか。それとも遅く結婚するのでしょうか。

 

内閣府の経済社会総合研究所のなかで、ど直球にこの問題を研究した論稿があったので紹介します。

www.esri.go.jp

危険回避的な人ほど早く結婚するのか、それとも遅く結婚するのか(PDF)

結論から述べると、リスクを嫌う人のほうが早く結婚するそうです。

また、40代、50代の有配偶者率も高く、最終的には結婚している人が多いとのこと。

 

もちろん、恋愛の延長上に結婚があると考えられることが多い、今の日本では、リスクとリターンで単純に語られるものではないですが、そうした前提の上で、こうした経済学的な観点から結婚行動を分析している面白い論文でした。

 

以下、もう少し内容を詳しく見ていきます。

 

結婚のリスク回避的な機能

なぜ、リスク回避的な人ほど早く結婚するのでしょうか。先行研究等からも2点を指摘しています。

理由の一つは、「相手探しのコストを嫌う」ためです。

もう一つの理由は、「結婚の保険機能」です。

どちらも納得がいくものだと思います。

より良い相手を求めて探している期間が長ければ長いほど、時間的にも金銭的にもコストがかかり、しかもタイミングを逃してしまえば結果的に要求水準を下げざるを得なくなります。

また、保険的な機能としては、結婚することで所得が安定し(共働きあるいは相手の収入次第で)、お互いの病気・事故・介護といったリスクにも対応しやすくなります。

 

反駁として、結婚はそもそも幸せになるかどうか分からない不確実な行動で危険そのものじゃないか、というものがあります。

だからこそ、リスクを回避する人は、事前のリサーチや選定に十分な時間と費用をかけるため、結婚は遅くなるのでは、という指摘です。

この反駁については、この研究ではあまり詳しく論じられていないですが、有意な結果は得られなかったようです。

 

リスク回避的な傾向を図る質問が、「降水確率による傘の持ち出しの有無」で判断している点がやや気になりますが、経済学的な統計結果では上記のようになるようです。

 

その他の要因について

しかし、もちろん結婚するかどうか、を危機回避的な視点だけで見るのは不可能で、相手の収入・学歴などの要素も十分に加味されるところだと思います。

男性の場合、高学歴であるほど、若年齢であるほど、正規雇用であるほど、早く結婚する傾向が見られます。

一方、女性では、学歴や就業形態での有意な相関はなく、年齢のみ関係するようです。年齢が高くなるほど、結婚のタイミングを失う、という傾向が見られた、とのことです。

 

論文に対する疑問

単純に経済学的な選好行動だけで結論を出すのはもちろん不可能です。結婚についての価値観、考え方によっても結果は大きく変わるでしょう。

結婚をリスクと捉えるかどうか、まずその議論自体が大きく抜けているようにも思いますが、リスク回避的な人ほど早く結婚する、という結果からは、リスク回避的な人は少なくとも晩婚がリスクであると捉えている、あるいは結婚にリスク低減の効果を期待していることが分かります。

結婚のリスク低減の効果としては、次の三つが挙げられそうです。

  • 収入の安定化・支出の抑制
  • 分業による生活の質向上
  • 精神的な安らぎ・ストレスの低減

家計を一にすることで、食費・家賃・光熱費など固定費は各々で支払うよりも少なくなります。共働きであれば、家計収入は倍増しますし、片働きであっても、家庭と会社での分業体制により集中的に仕事ができます。

こうした分業は、お互いに得意な分野で働くことができるというメリットもありますし、お互いの得意分野を習得することで高めあうことも可能です。家事の苦手な男性は、美味しい料理を作ってくれるだけでも生活の質は向上するでしょう。ぜひ、教えてもらって自分で作れるようにもなってほしいものです。

また、恋愛感情から始まったものであれば、好きな相手と一緒にいられるという安心感、家族として信頼して相談できる、ということで仕事で嫌なことがあっても話すことでストレスの低減にもなるでしょう。

 

ただ、これらの効果を得るために、そもそも結婚自体を成功させる必要があります。これらの結婚の効用は、全て結婚が上手くいっていることが前提になります。

結婚のリスク問題は、ここが難しいところなのでしょう。

結婚後のリスク回避行動

そうすると、結婚後のリスク回避行動について、より詳しく見てみる必要がありそうです。

リスク回避的な人は、長く結婚生活を続けるのか?

4,50代の優配偶者率が高いという今回の結果からは、長く結婚生活が続いたことによるものである、ということは一つ言えそうですが、これだけでは明確な判断は難しそうです。

予想としてはリスク回避的な人ほど、結婚に伴うトラブルにうまく対処し、その効用を最大化するために、結婚生活も長く続きそうですが、最初の選択時に失敗したと自覚した(効用が得られないと判断した)ときに、「損切り」が早いという可能性もあります。

 

「50%の確率で100万円か0円かもらえる」

「100%の確率で50万円もらえる」

あなたはどちらを選択しますか?

といった質問であれば、リスク回避的な人は後者を選択するでしょう。

一方で、

「50%の確率で100万円か0円の損失が生じる」

「100%の確率で50万円損する」

といった二つの選択肢では、どちらを選択するでしょうか。

損切り」においては、リスク回避的な思考を持っていても一瞬後者を選択することに躊躇う人もいるかもしれません。

私はふだん株とかやらないので、なかなかこういう思考をする機会はないのですが、普段から慣れている人であれば、離婚においても適切なタイミングの「見極め」が上手いことが予想されます。

 

離婚すること自体は、悪いことでもなんでもなく、むしろそれで収入・支出の不安がなくなる、生活の質が向上する、精神的な安らぎを得られる(全て結婚の効用と一緒ですね)、のであれば離婚すべきだと思います。

離婚によって得られる効用が同じなら、離婚のタイミングについても、同様にリスク回避的な思考が関係してくるのではないでしょうか。

 

結婚について学ぶ機会

こうした結婚に関するリスク(リスクに限りませんが)などを学ぶ機会って意外と少ないように思います。

義務教育上で、どのように教えられるかは自分の経験でも覚えていないし、統計的なことや少子化問題などについて学ぶ機会があっても、「人はなぜ結婚するのか」と行ったこと自体を分析して学ぶ機会はなかなか無いように思います。

重要なのはより科学的に、分析されたものを学ぶということだと思います。価値観や個人的な思いなどはいくらでも話す機会はあるでしょう。

幼児教育の重要性も、ようやく科学的な、経済学的な視点で語られることが多くなりましたが、それまではそれぞれの個人的な事例や経験、価値観で語られることが多かったのでは、と思います。

結婚行動の分析もそれと同様に捉え、その結果を周知していくことがされないまま、少子化対策としてのさまざまな施策が取られているようにも思います。

 

もし、この論稿のとおり、危機回避的な人ほど早く結婚する、のであれば、危機回避的な思考を身に着けさせるのも一つの手かもしれません。

 

なんか、結婚を推奨しているような内容になってしまいましたが、そもそも結婚したくない、今の結婚制度に疑問がある、という人も当然多くいるし、その意見もすごく分かります。

私も今の結婚制度は姓や戸籍、離婚時の親権の問題等、不自由なことが多すぎて良くないなと思います。フランスのパックス法みたいなのができればいいですが、今の日本の現政権ではどう転んでも不可能です。

であれば、現行の制度で少子化・未婚化を回避する方法を考えざるをえないわけで、「危機回避的な思考が早婚につながる」のであれば、何か解決策に使えないかな、と思った次第でした。

 

 

少子化は止められるか? -- 政策課題と今後のあり方

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人口学への招待―少子・高齢化はどこまで解明されたか (中公新書)

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ネット村社会における互助行為について

皆さん、「互助」という言葉から何が思い浮かびますか?

なんか村社会の面倒なしがらみとかですかね。

 

互助について詳しく知りたい方は、下記の本をどうぞ。

(※重くて太くて高価な本なので、やはり図書館で借りることをオススメします)

互助社会論―ユイ、モヤイ、テツダイの民俗社会学

互助社会論―ユイ、モヤイ、テツダイの民俗社会学

 

書評:https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsr/59/4/59_4_821/_pdf

(※私の恩師がたまたま書いていたのでそのまま参考に。読まなくてもいいです。)

 

互助とは、基本的には、日本の伝統的な村社会の中で行われてきた、日々の生活扶助のことを指しますが、ここ最近、私がいま書いているブログサービスの界隈でも頻繁に見受けられる言葉になっています(←白々しいことこの上ない)。

 

blog.skky.jp

(※すみません、参考記事として引用させて頂きます)

 

地域の中での相互扶助は自治会や町内会の衰退、高齢化に伴う担い手不足、職住分離による労働世帯の欠員など、様々な理由で崩壊しつつあります。

そんな互助活動が、ネット村においては、せっせと活動されているのがどうにも皮肉でならないわけですが、一方でソーシャルな場で特定の集団だけがその集団のみ利するような互助行為を繰り返すことへの批判も多くあります。

 

彼らはなぜ批判されるのでしょうか??

いろいろ論点があり、自分でも整理できていない部分もあるのですが、やはり違和感を感じるところもあるので、ここで確認したいと思います。

 

互助とは?

参考文献に頼ります。

互助とは「村落社会における成員どうしの相互扶助」のことで、政府や自治体といった公的な扶助が期待できない社会において、村人どうしが日々の生活の中で困ったことがあれば、あるいは共通の目的のために、助け合うということが必須でした。

村落における互助は、公助・共助・自助という枠組みのなかでみれば二つ目の「共助」に分類されます。

(※地域包括の定義とはここでは異なります)

公的領域にも、私的領域にも属さない、古く言えば村社会のもやい、町内会ですが、今風にその価値を見出せば、サードプレイスとしてのオープンな場におけるつながり、助け合いみたいなものとなるかと思います。共助のこうしたサードプレイス的な機能はgreenz.jpあたりが大好きなソーシャル界隈の人に大変ウケがいい話なのですが、それはここでの本題ではないので省略します。

 

ネットの村社会とは?

ブログをはじめ、SNS等によってネット上でつながりを持つことが容易になったネット社会では、特定の目的や興味が合致したものどうしでの集団を作ることも容易に可能になりました。

 

例えば、どんなブログサービスにもたいてい、グループ・サークル・コミュニティといった集団を作るサービスが付随していたり、相互フォロー、読者登録などの機能により、互いの更新情報を確認することができます。

ただブログサービスの運営ごとに、そのそれぞれの集団のなかでのルールは異なります。

エキサイトやアメーバなどのブログは、グループ・サークルのような各人が自由に作れるコミュニティがあり、そのなかでのルールはかなりの裁量が個々に任されています。一方、機能的な制限によってできること、できないことがあり、それによってコメントの返報性などに違いが出てきます。

楽天ブログの場合、ブログの更新情報を楽天プロフィールというフィードに飛ばすのが通常なのですが、そのフィードについたコメントの返信が相手に通知されない、という意味不明な仕様によって、コメント返しは基本的に自分のフィード更新時に行う、といった運用が暗黙化されています。

こうした機能制限による?暗黙のルールを含めて、それぞれのブログサービスによって、村ルールがあり、それぞれの成員の気質が違うのも、またネット村社会の面白さでもあります。(メルカリの文化もそうですね) 

そのほか、アメーバには怪しい業者も出入りしている一方で、泡沫から有名どころまでアイドルが多数登録しており、その追っかけも一定程度存在するため、それぞれのアイドルごとにコミュニティが作られています。多くは過疎っていたり業者に荒らされたりしていますが、サービス利用者は怪しい業者の存在を承知の上で利用しているため、基本的に自分の目的外のものは全て無視・拒否しながら、追っかけを楽しんでいます。(※ここでは、アイドルの例を出しましたが、実に多様な人がアメーバにはいて、見ていて一番面白いのがアメ村です)

 

はてなの互助会

いい加減、本題に入ります。大変遠回りしましたが、はてなの互助会問題について一言言いたいがためのエントリです。

いい加減何らかの解決策を見出してほしいな、と一利用者としては願っています。

これまで見てきた通り、どのブログサービスにも互助的なサークルはその機能や風土の違いはあれど存在し、はてなブログにもそれに準ずる機能もあるため、それを否定するつもりはありません。

一方で、そのあり方やサービスの趣旨との整合性などを考えると、違和感を感じる部分があります。

 

ブログは、そもそも自分の考えを発信し、また互いに意見を交換しつつ、相互にまた自身の意見を深め、高めあえるものだと思いますので、むしろ互助的に意見をしあうべきです。

また、そんな高尚なものでなくても、日々の雑感を記録する、といった日記的な機能もブログにはあります。それもまた、誰かの日常は他の誰かにとって面白いものになり得るし、ただ淡々と自分の好きなものについて書いていくことも、他の人にとって知らない世界を知る機会になります。

むしろ、そうしたこだわりを持って淡々と長く長く続いたブログに面白みとニッチな世界の深みを感じるわけです。

 

互助的なブックマークでそうした面白いブログを発見し、共有できれば何の問題も無いのですが、そうした本来的な使われ方がされていないところに問題があるのではないか、と思っています。

 

ソーシャルブックマークとは?

そもそも、ソーシャルブックマークとは何でしょうか。

日本では「はてなブックマーク」くらいしかないので、はてなの定義を引用します。

 後でもう一度見たいページを保存しておくブラウザの「ブックマーク」。通常コンピュータの中に保存されて他の人の目には触れられることがないブックマークですが、これをウェブで公開し共有する(中略)のがソーシャルブックマークサービスです。

はてなブックマークを利用することで、ウェブ上の一つ一つの情報をより深く消化することができるようになり、また有用な情報をより少ない時間で見つけることができるようになります。

より具体的には、はてなブックマークは以下のように利用することができます。

  • ウェブがあればいつでもアクセスできる、個人用のオンラインブックマークツールとして利用できます。
  • ブックマークを公開できるので、はてなブックマークのユーザー同士で話題/感想を共有するコミュニティとして利用できます。
  • 旬なニュース、面白いネタ、役に立つ情報を見つけるためのメディア、情報源として利用できます。

はてなブックマークとは - はてなブックマークヘルプ

 

はてなブックマーク」はこれらの機能を三つの特徴として分類しています。

  • 保存と検索
  • 共有
  • 発見

もう知ってるよ、という方が大半だと思いますが、とりわけソーシャルサービスとして重要な機能が、「共有」と「発見」かと思います。

 

互助会が脅かすものは何か?

で、肝心の「互助会」です。誰が言いだしたのか知りませんが、人口に膾炙され、定着しつつある単語なのでそのまま使用します。

本来的な互助会の意味については下記のブログが詳しそうです。

d.hatena.ne.jp

(※この方の新しいブログもはてなです。サービス内で自分の作った単語が、こんなに盛り上がってるのに何故言及しないんでしょうか?)

いつから互助会的な仕組みが出来上がったのかは分かりませんが、おそらく他のSNSやサロン、オフ会等を通じて自然発生的に大きくなっていったものと思われます。

はてなブログが内部構造的にSEOに優れているという点、はてなブックマーク機能に有利に働き、人の目に触れやすいという点、等からはてなブログを薦めるアフィリエイトサイトも多くあります。

「ブログ飯」が珍しくない今、ネットでのつながりも多角的に、リアルの交流も積極的に行うことがバズるためには不可欠、というのはおそらくどの指南書にも書いてある、あるいは初心者でも心得ていることなんでしょう。

 

とにかく、定義はあいまいでその規模も実態もおそらく正確には把握できないと思いますが、その特徴はいくつか挙げることができます。

  • ここ数年でブログを始めた初心者が多い
  • はてブコメントの多くが、参考になります!といったものや、私信(いいですね~、●●さんらしいですね~、など)が多い
  • 記事が更新されるたびに必ずブックマークする

といったところでしょうか。

(※記事の面白さは人それぞれなので問いません)

 

で、私が懸念し違和感を覚えるのは、特徴の二つ目と三つめです。

この中身の無いコメントと毎度のブックマークによって、ソーシャルブックマークの「共有」と「発見」という機能が損なわれるからです。

 

本当にブックマークしたくてしてるのか?

同じブログの筆者が毎回唸らせるような面白い記事を書くのはまず不可能です。

かなり以前の内田樹氏や安全ちゃん等がそうだったかもしれませんが(あるいは今の隊長)、ブログを始めたばかりの人がそう毎回ホームランを打つことはよほど文才に恵まれていない限り難しいのでは、と思っています。もちろん文才に恵まれた人もいると思いますが、そんな人でも毎回ホームランは打てないでしょう。

そのため、記事が更新されるたびに同じ人たちが、毎度ブックマークを相互にする、というのは共有・発見というブックマークの本来の特徴からすると不自然な行為です。保存・検索という意味でも、本当に後で探して読み返すでしょうか。

また、面白さを他の人に知ってもらいたい、あるいは共有したいという思いがあるのであれば、そのブログ記事の何に魅力を感じたのか、特筆すべき箇所(引用したい箇所)はどこか、あるいはどこが批判されるべきところなのか、といったことを書いてほしいな、と思います。

もちろんコメントもせずブックマークする方も多いし、サービスの使い方はそれぞれです。

ただ、それって本当に他の人にも読んでもらいたいと思っているんですか?どんな意図をもってコメントしてるんですか?と言いたくなります。意思を持たないブックマーク行為が、ボットやスパムのそれと何が違うのか、私には理解できません。

 

当然、毎回同じようなブログが同じようにアルゴリズムによって上位に表示されれば、本当に面白い記事、ニッチな世界の読まれるべき記事の発見が困難になることも十分考えられます。

 

個人的に「はてなブックマーク」の好きなところは、良質な記事には良質なコメントが集まる、あるいは悪質な記事には良質な批判コメントが集まる、ところだと思っています。

何が良質で何が悪質か、はここでは問いませんが、一般に良記事と言われるもの、炎上記事と言われるものは、感覚的にそれぞれ判断できるのでは、と思います。またその判断の一助となるのがコメントです。

 

経験上、一定数ブックマークのある記事にコメントが全く無ければ、スパムかエロ記事かな、と判断できます。

また、コメントを見ても内輪で盛り上がっている(これに関しては新参とか古参とか関係なく)とか、中身のないコメントばかり、だと「あぁ互助会か・・・」と思ってしまいます。

 

ブックマークコメントから学べることもたくさんあり、コメントによって記事の正誤が判断できることもあります。その点が「はてなブックマーク」がサービスとして価値を発揮できる最たるものであり、多くの人がこれまで利用し続けた所以ではないかと思います。

 

以上のことから、慣れあいのコメントを繰り返すだけの互助的なブックマーク活動ははてなブックマークサービスの価値を毀損させる危険性をもつものだと解釈しています。

なので、できれば今のやり方はあまりしてほしくないのが本音です。個人の感想なので、強要しているものではありませんし、強要できる立場にもありません。

ただ、成員の自浄作用が働くのが村社会でもあると思うので、一成員として意見を述べています。

 

もっと発展性のある互助を

こんな話に、代案を出せ、という人はいないとは思いますが、締めとして「もっと有益で発展的な意見を言い合える互助活動はできないでしょうか?」という提案だけしたいです。

他人の記事を読んでいて、合点がいくことばかりではないと思います。その人に対するアドバイスがそのコメントを読んだ人のためになることもあります。あるいは、間違っている(と感じる)点は、村人どうし指摘しあって批判してもいいと思います。

それは手斧ではなく、ただの意見です。顔も知らない(はずの)誰かのコメントなので、あまり気にしないでください。そして、私信はブログ内のコメント欄で十分でしょう。

はてな」は殺伐としている、と言われる人もいますが、他のどのサービスよりもまっとうに意見できる場だと思っています。

ブロゴスなんかは、もっと殺伐としているし、ヤフーなんて不良のたまり場です。アメーバは業者のボットが巡回し、怪しい個人事業主が唐突に友人申請してきます。instagramには自己顕示欲というモンスターが住んでいて、Facebookはしがらみばかりでもはや機能していません。

 

リアルでも、こうした意見を言い合うのは非常に難しいことです。自治会を運営していたときは、それまで全然知らなかったものどうし、異なる意見をぶつけたりするようにできるまでにほぼ1年かかりました。

会議では誰も反対しなかったけど、よくよく後で個人的に聞くとじつは不満があった、みたいなことは会社でもよくあるのでは?

それいいですね、ということは簡単ですし、黙っていることも簡単ですが、それってどうなの?と自分の素直な疑問をぶつけることは、自分の無知をさらけ出すことになるかもしれないし、いい方によっては相手を傷つけることになるかもしれない。誰もが見られる場でそうして発言することはより難しいものだと思います。

でも、そうやってお互いが理解を深めていったほうが、いい関係が生まれると思います。

 

いろいろ思うところを適当に吐き出しましたが、今後も良い価値を提供してくれるサービスであってくれたらうれしいです。

以上です。

 

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(※この記事はスタバで書かれたものではありません)

他の誰の人生も変えない、私の人生を変えたはずの10冊

私にとって、大いに影響を与えてくれた本であっても、他人には何の役にも立たない紙の塊だったりする。

 

誰かが作ったオススメ本のリストを見るたびにそう思います。

toianna.hatenablog.com

例えば、こんなのです。(※個人的には好きな記事です)

 

じゃあ、なんで皆オススメ本をまとめたくなり、またそれらが人気なのかといえば、その本たちが、その人のことを表しているからです。

(※アフィリエイトキラーコンテンツとしての機能はここでは無視します)

 

こんなことを言うのはたぶん内田樹だったと思う、「その人の本棚を見れば、その人の頭の中が分かる」と。

その本棚から、さらに厳選したリストなのだから、それはもうこれが私です、と言って差し支えないものですね。

 

 

ということで、自己紹介を兼ねて、私の人生に影響を与えた本たちを10冊紹介します。

もし、このなかであなたの人生にも少なからず影響を与えた本があれば、あなたと私はどこか似ているところがあるのかもしれません。

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(※京都Lenにて撮影 いいとこです) 

 

1.ゆっくりとさよならをとなえる

ゆっくりさよならをとなえる (新潮文庫)

ゆっくりさよならをとなえる (新潮文庫)

 

 川上弘美の本は、殆ど読んでいます。独特の文章の間が好きで、高校生くらいからこんな風に文章を書きたい、と思いながらいつまでも書けずにいます。

魅力あるダメ男を描き続けている川上さんだけど、確実にそのダメ男に近づいている自分がいることを最近自覚しています。

 

彼女のどの本も何度も読み返しているけれど、疲れたとき、迷ったとき、病んでいるとき、カバンに忍ばせて電車で読んでいるのはいつも、この本です。

落ち着いた佇まいの文体で、てらいなく書かれたエッセイ。ひとつひとつの丁寧な表現が、日常のなかにある些細な喜びを掬い取ってくれている。何か、特別な言葉が書いてあるわけではなく、ただ読んでいるだけで心が落ち着く一冊なのです。

 

2.旅をする木 

旅をする木 (文春文庫)

旅をする木 (文春文庫)

 

 バックパッカーのあいだでは、まるで聖書のように扱われるほど、絶大な人気を誇る星野道夫さんのこの本。アラスカにわたり現地の人と交流しながら写真を撮り続けた星野さん。彼の文体はただただ、優しい。その優しさに、本当に何度も救われています。

疲れたときは必ず次の一節を思い返します。

結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。そして最後に意味をもつのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがえのないその時間である。(中略)

何も生み出すことのない、ただ流れてゆく時を、大切にしたい。あわただしい、人間の日々の営みと並行して、もうひとつの時間が流れていることを、いつも心のどこかで感じていたい。(p.231) 

 

3.カタツムリが食べる音

カタツムリが食べる音

カタツムリが食べる音

 

これは、鬱になってずっと布団にもぐっていたときに出会った、比較的新しい本です。

難病にかかり、ほとんど動けなくなった著者が、ベッドサイドで飼っていたカタツムリを観察します。人の生活のスピードについていくことができなくなった著者にとって、カタツムリは自分と同じゆっくりとした時間の中に生きる、同士でした。

 カタツムリの世界が身近になるのと反比例して、人間の世界はしだいに縁遠くなった。わたしと同類の人間たちの体はあまりに大きく、その行動はあまりにせわしなく、唐突だった。(p.48)

 

そんなカタツムリのことを観察し、調べ、淡々と綴っていく著者。

学術的な意義ももちろんない、観察記だけど、カタツムリと同じリズムとスピードで生活する著者の文体が、病んだ人の心にもちょうどよく流れてきます。

ただカタツムリが這った後を眺めるように、その淡々と綴られた文章を追っていくだけで、この本は十分面白いのです。

 

4.都市を飼い慣らす 

都市を飼い慣らす―アフリカの都市人類学

都市を飼い慣らす―アフリカの都市人類学

 

 大学時代の恩師の本。

不出来な学生だったけど、とてもかわいがってくれた先生でした。非常にコミュニケーションに優れた物腰柔らかい研究者で、無知な学生に、鋭く的確にその知を分け与えてくれました。

 

『都市を飼い慣らす』はアフリカの村落でのフィールドワークがもとになっています。

都市の周縁で暮らす彼らは、ときに都市へと出稼ぎに出る。一般的な「中央と周縁」という文脈で語られれば、それは周縁の労働力の搾取であるが、彼らの生活にそうした見地は何の意味も持たない。彼らは、都市を利用し、都市で狩猟をし、都市を飼っているのだ。搾取された労働力、というかわいそうな存在ではなく、リアルな「生活者」としての彼らはもっとずっと逞しく生き生きとその日々を楽しんでいる。

 

先生は、このように相対化された視点で見ることを徹底して教えてくれました。労働、地域、格差、マイノリティ、ジェンダー、どんな問題を考えるときでも、必ず念頭に置くようにしています。

 

4.パサージュ論

パサージュ論 (岩波現代文庫)

パサージュ論 (岩波現代文庫)

 

人の、なんでもない日常や風景を切り取った断片を見るのが好きだ。

パサージュ論は、ベンヤミンが当時、街を歩き、書物を読み、それらを切り取っていったものをまとめた膨大なコレクション集。これが、本当に面白い。

大きな歴史の流れや、後々まで語られる大きな物語では掬い取ることのできない、小さな日常の暮らしを読み取っていくことで、それまで語られてきたこととの違いや当事者視点での歴史的な意義が見えてくることがある。ライフヒストリー研究はその代表かもしれないが、それに限らずこうした些細な情報を収集し組み立てることのできる面白さは、全ての文化研究に通じるものがあります。

 

 5.文明化の過程

文明化の過程〈上〉ヨーロッパ上流階層の風俗の変遷 (叢書・ウニベルシタス)

文明化の過程〈上〉ヨーロッパ上流階層の風俗の変遷 (叢書・ウニベルシタス)

 

社会学を学んだ人間として、好きな社会学者を挙げてくれ、と言われたら、たぶんこの人を挙げます。

太い本で、論点は多岐にわたりますので、代表的な紹介だけ。

彼は西洋の文明化を捉えるうえで上流階級のテーブルマナーや作法の変遷に着目し、徐々にマナーが厳しくなるにつれて、暴力性が排除され(ナイフを体に向けない、丸焼きの鶏は裏で切られて皿に盛られる等)消えていく(文明化)過程を捉え、その自己抑制と暴力性の転換を論じています。

暴力は消えたのではなく、文明の中に内包されているからこそ、階級間の闘争が起きたり、戦争が繰り返されてしまう。第二次大戦中に書かれたこの著書は、「暴力性」をマクロにもミクロにも捉えようとしています。広くは国家(中央)に集中した権力にその暴力性が見られますが、日常の中にも見えない暴力が存在し、それが表面化したとき普段私たちが意識していない文明人としてのやや傲慢な自意識が現れます。

以前、ウサギを狩って炎上した女性がいたけれど(今も糸島で元気そうですが)、そのときこのエリアスの論が思い浮かびました。途端に暴力性を見せられたときの反応、上品さと引き換えに失ったもののこと等、いろいろと考えるべきことが現代においてもたくさんあります。

 

6.楢山節考

楢山節考 (新潮文庫)

楢山節考 (新潮文庫)

 

深沢七郎が好きなのは、川上弘美の影響から。この楢山節考は、端的に姨捨山の話です。

婆さんには捨てられる覚悟はできている。気丈で、しっかりした婆さんだ。ダメなのはその息子のひ弱さだ。それでも婆さんを背負って山に登らなければならない息子に焦点をあてて、その苦悩を描いている。

「弱さ」は人の物語において最も重要なものです。その弱さによって、感情が揺れ動き、読む人は共感し、感動が与えられる。人の心の弱さは、今も昔も変わらないから、昔の名作は今も名作なのだと思います。

50年前に書かれた創作小説とはいえ、実際にあった因習がもとになっているものと思われます。そして、決して古いおとぎ話とも言い切れなくなった現代の介護事情をどうしても思わざるをえない小説です。

様々な人の感情が入り混じる家族・介護・福祉といった問題。単純に筋道通った正論だけでは解決しきれない問題をとらえるとき、こうした人の弱さと強さを知り、寄り添うことが実学的には何に役にも立たない文学の存在意義だと思っています。

 

7.モモ

モモ (岩波少年文庫(127))

モモ (岩波少年文庫(127))

 

 この本をこういうリストに挙げると「女子か」と言われてしまう。まあ、女子で構わないです。

本を読まない幼少期をすごしたので、読んだのは大学生になってから。自分の中での「なんとなく働きたくない」感情はここでしっかりと培われています。あれは、時間どろぼうだ。会社にいたあいつらは、きっと灰色の…(略)

ここまでの記述で、そりゃこいつ主夫にもなるわな、と思ったあなたはたぶん、正しいです。

 

8.僕は勉強ができない

ぼくは勉強ができない (新潮文庫)

ぼくは勉強ができない (新潮文庫)

 

 今さら山田詠美か、と思うかもしれませんが、思春期まっさかりの中学生の頃に読んだ本です。おかげで、見事にこじらせましたよ。

文学少年的には、ひねくれた環境の中で育つ、ひねくれた主人公に心惹かれたのは間違いありません。

そうして勉強はできたけど、仕事は好きになれませんでした。

こうやって自分のルーツを遡っていると、このあたりに根源的なものがありそうですね。

 

9.ノルウェイの森

ノルウェイの森 文庫 全2巻 完結セット (講談社文庫)

ノルウェイの森 文庫 全2巻 完結セット (講談社文庫)

 

出た、村上春樹と、嫌いな方はそっ閉しても構いません。これも中学生のときに影響を受けた本の一つだから、仕方がありません。

村上春樹の小説は、ちょっと背伸びしたい年ごろの中学生を本好きにさせるのに、十分なものでした。あるいは、田舎者の中学生にとって都会への憧れを感じさせるようなものでもありました。

また当時、男子の間で回っていたアダルトビデオを借りる勇気もなく、その輪に入れなかった私に、性的な表現やその意味を教えてくれたのも村上春樹でした。

そうしたものを含め、ちょっと背伸びをしてみたい年ごろに読んだのは、とても良かったのだと思いたいところです。

 

10.ダイの大冒険

小学生が一番影響を受けるのは、ゲームかマンガです。ここで気取って児童文学なんて紹介しません。

まだ読んでない人、いますぐまとめ買いしてください。

ダイの大冒険というタイトルですが、この物語一番の主役はポップという普通の弱っちい男の子です。ポップに関しては、私に限らず多くの人の生き方に影響を与えているのではないでしょうか。ポップは多くの人に勇気を与えているヒーローです。

 

 

以上です。

主夫全く関係ない内容ですが、少なからず今の生活にもつながっているのかもしれません。一つ言えることは、本に影響されているとろくな人間にならない、ということです。

 

一度書いてみたかった、自己満足な記事でした。すみません。

意識低い系の主夫

少し、もやもやを綴ります。

 

皆さんは意識高い系ですか?私は低い系です。

 

偉そうにこんなブログを書きながら、うつ病の療養中って言って甘えて、低気圧になったらふとんに籠るし、家事もサボるし、ネットサーフィンもします。

 

子どもの育児も、iPadで「しまじろう」見せたり、いろんなアプリで好きに遊んでもらってたり、twitter片手にプリキュア見たり。

(※このアプリ、おすすめです。お金かかるけど) 

 

でも、「主夫」って名乗っている以上、「なんか意識高くないといけない」気がするんですよね。

その意識高くないといけない、みたいなプレッシャーは専業主婦の方もやはり同様に感じているでしょう。

 

単純に「稼ぎ」が無い。そのことが、せめて家事はしっかりやらないと、という気持ちに結びつきます。

そりゃ当たり前だろ、それが主夫の仕事なんだから、という意見もその通りです。

 

でも、誰だって楽がしたい。

ワークライフバランスの整った生活がしたい。

 

意識の高い主夫の方々、本当に尊敬していますし、全く否定しませんが、「こいつらワーカホリックだ」と思う節があります。

 

ファザーリングジャパンという「Fathering=父親であることを楽しもう」という非常に意識の高い理念をもったNPO法人があります。

NPO法人ファザーリング・ジャパン | 笑っている父親になろう! 父親の育児・家事・夫婦関係・子育て・働き方を支援します。

私も会員なので、その関西支部の方、本部役員の方、スピンオフで結成されたという「主夫の友」の方、さまざまな父親業の人と知り合う機会があります。

皆さん総じてアクティブで有能、優秀な方が多く、バリバリ働いて、バリバリ父親をやっています。

前回のエントリでも紹介しましたが、地域活動をはじめNPOの活動も積極的に行い、情報発信している主夫の方もいます。

 

FJの活動はとても賛同しているのですが、その活動の輪に入っていくのにしんどさ、辛さを感じるときがあります。

意識高い」というかリア充さに嫌悪感があるのかもしれません。

なかなかその「リア充」の集まりに入っていくことができず、私は一人こうしてブログを更新しています。

 

父親であること」が「家庭での仕事」という位置づけになっていて、ワークライフバランス」なんて言葉はあるけれど、「ワークワークバランス」になっていないか?と思うことがあります。

それは、共働き家庭の母親にも同様に言えることです。

家でも会社でも「仕事」をして、燃え尽きてしまう。本当の「ライフ」はどこにあるのか?

 

一度も読んだことないけど、母のライフはもうゼロ~みたいなタイトルのブログがあります。

このタイトルが、上記の状況のことを示していて「私のライフはどこ?」という意味合いだとしたら非常に秀逸だなあと思っています。(たぶん、ただの遊戯王のパクリですが)

 

このもやもやは「仕事」をどのようにとらえるのかというところから、考えるべきなのかもしれません。

 

で、いま下記の本を読んでいます。

仕事の人類学―労働中心主義の向こうへ

仕事の人類学―労働中心主義の向こうへ

 

(※4000円するので、図書館で借りることをオススメします) 

 

「仕事」と「仕事でないもの」の境界はなにか。 

それらは本来区別されるものなのか。

そんな問題意識から人類学の視点で、労働を捉え直しています。

 

面白いのは、人類学の本らしく、労働が概念化された文化・文明以外の調査レポートが豊富で、通常、仕事や労働の概念では語られない一連の営みについて目が向けられていることです。

また、女性の執筆者が多いからなのか、かなりジェンダー視点を含んだ内容となっており、「(男性を含む)家庭での仕事」についても多く言及されています。

「仕事」を明確に区別し、そこに価値を見出す世界で生きていると、見えなくなる価値観や世界観に触れることができます。

 

 

話を戻します。

 

主夫をしていると、「仕事」は生活の延長上、あるいはその一部としてつながったものとして存在しています。

 

様々な断片的な仕事の合間、そのさなかに、twitterを眺めたり、昼のワイドショーを見たり、買い物ついでにおやつを買ったり。

非効率的なようで、毎日続く生活である以上、そのなかに溶け込ませてしまったほうがラクなこともあります。

 

あるいは、幼稚園や保育園の帰り、ママたちが集まっておしゃべりをしているのは、本当にだらだらとおしゃべりしているだけの「遊び」なのか、それとも地域社会で生き抜くための情報戦であり、高度な政治的判断を伴う「仕事」なのか。

 

「仕事」をしているのか、遊んでいるのか、客観的に見たときによく分からない。

そんなことも主夫をしているとよくあります。

 

かと言って、全てを「仕事」として捉えると息が詰まるなぁと思っています。「仕事」ってなんか面倒じゃないですか。

 

「主夫」として頑張っていないと。「イクメン」として頑張っていないと。ってなんでも頑張らせるのも一周回ってみると疲れてきます。

「輝く女性」みたいなもんですね。誰もがキラキラした世界なんて、僕は嫌です。

 

旅するように暮らしたい。遊ぶように仕事がしたい。死ぬように生きていたい。

意識低い系の主夫でありたい。

 

そんなことを意識して、主夫しています。

 

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(※ダイソーで買った200円のボックスです。図書館で借りた本を入れています)